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9.公女、守られる。
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兵士たちの使う、飾り気のない食堂。
皆が老兵士の言葉を待って静まると、粛然と表現すべき雰囲気さえ漂った。
「あの子は……」
と、老兵士は強いお酒が指一本分ほど入ったグラスを、ゆらゆらと揺らした。
「……この城が、落城した時のことを覚えてるんだ」
「え……?」
「まだ、3つか4つだったはずだ」
老兵士が言うには、奪還した城にパトリスが迎えられた時、城壁のある一か所を見詰めていたらしい。
あまりに真剣な眼差しで見詰め続けるので、老兵士が声をかけた。
すると、パトリスは暗い表情で城壁を指差してこう言ったそうだ。
「……あそこから、……敵が入ってきた」
老兵士は、クッとお酒を煽った。
「あそこは、構造上、この城の弱点だ。攻めやすく、守りにくい。儂らもあそこから攻め込んで……、この城を取り戻した」
「パトリスは、そんな恐い思い出を……」
「……ッ……、そうじゃねぇんだな」
「え?」
「あの子は……、パトリス坊ちゃんは、また敵に攻められた時、どうやって守るかだけを考えてなさる」
「そんなこと……」
「まだ、6歳だってのに。遊びたい盛りで、貴族様のお生まれだ。……見てたら、不憫でならねぇ」
思い当たることがあった。
わたしの考えた攻城戦ゲーム。パトリスはいつも熱心に、城の守り方を工夫してた。
――なんで、養父上の城は落ちなかったのですか……?
カトランにも、目を輝かせてそう聞いていた。
きっと、パトリスにとっては〈攻城戦〉ゲームではなくて、〈籠城戦〉ゲームだったのだ。
老兵士が、言葉を重ねた。
「……カトラン様は不在なことが多い。パトリス坊ちゃんが城に来てからずっとだ」
「ええ……」
「自分が城主代理のつもりで、儂らを敵から守らなくちゃならないと考えてなさる」
「……えっ?」
「春にこの城を取り返して、坊ちゃんが城に入った秋から、ずっとだ」
「秋……」
「……あの子は、偉い子だ」
と、老兵士は、同じ言葉を繰り返した。
――そうか……。
と、気が付くことがあった。
パトリスとカトランが、この城で一緒に暮らし始めたのは、ごく最近の出来事なのだ。
まだ6歳なのに、強い使命感を持って城に入ったのだろう。
そこに、わたしが来た。
カトランとの関係も安定しないうちに、夫人が現われた。それでも健気に、義務としてわたしを受け入れようと頑張ってくれていたのだ。
強い使命感で。
わたしは、自分のことで精一杯になって、パトリスの気持ちまで考えていなかった。
緑がかった金髪に、グリーンの瞳。可愛らしい外見を愛らしく思っても、パトリスが胸の内に秘める使命感にまで目が向いていなかった。
幼いわたしが、
『お父様と仲良くして』
と、母に諫言したときと同じくらい、いやそれ以上の使命感に燃えていたのだ。
なのに、年が近くて若いわたしが家政を預かるようになって、自分が蔑ろにされてるように感じたのだろう。
部屋に戻り、ザザが呟いた。
「……思った以上に、難題だな」
「うん……」
「6歳の子を、城主代理として扱う訳にもいかないしなぁ……」
パトリスが自分で居場所と決めた場所に、わたしがスポッと収まっている。
それには偶然もあるし、譲ろうにも譲り方が分からない。
パトリスの気持ちに気付かないまま、浮かれていた自分が悔やまれてならない。
しんしんと雪が降り続ける窓の外を眺め、大きく息を吸い込んだ。
でも、まだ、ため息は吐きたくない。
Ψ
翌朝。この冬いちばんの積雪だった。
ザザに厚手のコートを着せてもらい、城壁を見上げながら庭を散策する。
キュッ、キュッ――……。
という雪の感触が物珍しくて、足跡をつけては城壁を見上げた。
――この壁を乗り越えて、敵兵が……。
味方の兵士でさえ、ふと恐さを感じることがあるのに、それが敵ならどれほど恐ろしいことだろう。
3つか4つだったパトリスは、その光景を目に焼き付け、次は敗けないと決意を固めているのだ。
もしかすると、それはパトリスの最初の記憶なのかもしれない。
「無理しなくてもいいのよ?」
という言葉は、きっと、今のパトリスの心に届かないだろう。
そのとき、建物の向こう側から笑い声が聞こえてきた。
そっと顔をのぞかせると、パトリスが若い兵士たちと雪合戦をして遊んでいた。
だけど笑っているのは兵士だけ。
パトリスは暗い表情で、雪玉を作っては壁に向かって投げていた。
「……どうする?」
と、ザザが、わたしに囁いた。
雪合戦に混ぜてもらいに行くかどうかを、ザザは聞いていて、わたしは怯んだ。
いま無理に距離を詰めようとしたら、却ってこじれるのでは? という怯えは拭いがたい。
だけど、まだ子どものパトリスから歩み寄ってくれると期待するのは違う気がする。
わたしは一歩踏み出した。
パトリスは、わたしを見付けると、プイッと顔を背ける。
――たぶん……、パトリス自身も、わたしの何が気に喰わないのか、自分でよく理解できてないのだ……。
と、自分に言い聞かせながら、パトリスの側でしゃがみ込んだ。
「パトリス? わたしに雪合戦、教えてくれない? こんな雪、初めて見たのよ。すごいのね」
「……イヤだよ」
「うん……。どうして、イヤなのか教えてくれない?」
パトリスは何も答えず、手元で丸めていた雪玉を城壁に投げた。
そして、また雪を丸め始める。
わたしは微笑みを絶やさないように気を付けながら、しゃがんだままジッと待った。
後ろでは、ザザが声を潜めて、
『普段通り……、普段通り……』
と、兵士たちに声をかけ、わたしとパトリスのことを気にしないよう、雪合戦で遊び続けてくれていた。
「だって……」
と、パトリスが雪玉をギュウッと握った。
「うん」
「……アデール、……わざと負けるし」
「……え?」
「みんなと一緒……」
と、パトリスは雪玉を城壁に投げた。
ぺシャッと、雪玉が城壁に張り付く。
また雪玉を丸めはじめるパトリスの横顔を眺めながら、グルグルと考えた。
――あっ。攻城戦ゲームか……。
と、思い当たった。
カトランにコテンパンにやられた時、パトリスは目を輝かせていた。
いまのところ全敗のわたしを、パトリスは手を抜いていると思っていたのだ。
――はうわっ。じ……、実力です……。
と言って、パトリスは信じてくれるだろうか?
継母というか、10歳年上のお姉さんであるわたしが、自分より弱い訳がないと思っているのだろう。
――な、なんて……、禁欲的な家系なの……?
というのはさておき、ようやく、差し当たってパトリスの気に障っていることを聞き出すことができた。
――え!? ……わたし、雪合戦か攻城戦ゲームでパトリスを負かすまで、信頼してもらえないの……?
と、途方に暮れた瞬間、頬に強い衝撃を感じて、尻もちをつく。
「ア、アデール!?」
というパトリスの声に、本気で心配してくれてる響きを感じて、安堵を覚えるものの、自分に何が起きたのか分からない。
「グへへへへッ」
と、なんだかワザとらしく下品でしわがれた笑い声がして、身体を起こす。
片目の老兵士が、雪玉を手でポンポンッと弄んでいた。
「お前が城主のパトリスかぁ!?」
「……え?」
と、わたしとパトリスの声がそろった。
次の瞬間、老兵士の雪玉がわたしの顔面にヒット。また、尻もちをつく。
パトリスが、わたしの前に立ちはだかる。
「や、やめろよ!」
「グへへッ。お前が守らねば、アデール姫の命はないぞぉ!」
なお、老兵士、棒読み。
なにかを頑張ってくれているらしい。
「こ、このぉ~」
と、パトリスが雪玉を丸め始めると、ザザがわたしに駆け寄った。裏声で。
「ひ、姫ぇ~!? アデール姫ぇ!? 危険ですから、パトリス様の後ろにぃ~っ!」
「は、はい~……」
「パトリス様に守っていただきましょ~」
老兵士の雪玉が、パトリスのお腹に命中する。
「うっ……」
「グヘヘ。お前なんぞ左手で充分だ~」
「このぉ~」
「パトリス様ぁ~、姫を守ってぇ~」
ザザの名演技に、わたしもなんとか、か弱い姫を頑張る。
「あ、あ~れ~」
『……ちょっと、違うんじゃない?』
『これでも頑張ってるのよ』
ザザとのヒソヒソ話も気にならない様子で、パトリスは老兵士と夢中で雪玉を投げ合っていた。
老兵士は左手だけど、本気で腕を振り抜いているように見え、ハラハラする。
『ありゃあ、腕は振ってるけど本気じゃないね』
『……そうなのね』
『ジイさん、老練だねぇ』
と、一緒にしゃがむザザが笑った。
やがて、様子を窺っていた若い兵士たちが二手に分かれて、パトリス軍と老兵士軍に加わる。
「じゃ、邪魔しないでよ」
「指揮官を守るのは、兵士の役目です!」
「そ、そう……?」
「さあ、パトリス指揮官! 戦闘のご指示を!」
と、若い兵士たちも、老兵士の意図を汲んで動き始めた。
パトリスが活き活きと指示を出しはじめる。目は輝いているけど、幼い顔立ちの表情は引き締まっていて、
――これが、城主の使命感……、責任感というものか……。
と、感心させられた。
ザザが呟く。
「……意外とやるねぇ」
「え?」
「ほら、パトリスの方が押してるよ? ……私も詳しくないけど、これが兵法の先生が言ってた〈陣形〉ってヤツじゃない?」
見れば、たしかに老兵士たちの方が追い詰められて見えた。
「グヘヘッ。今日のところは、引き分けということにしておいてやろう」
「なに~!? 逃げるのか!?」
と、パトリスの声が響いたのを合図に、皆が雪玉を投げる手を止めた。
老兵士が穏やかに微笑んだ。
「引き分けは、守る側の勝利ですぞ? パトリス様」
「……そっか」
「はい。パトリス様は、アデール姫を守り切ったのです」
「うん……」
と、パトリスが、わたしをチラッと見た。
わたしは立ち上がり、パトリスの側でしゃがみ目線を合わせた。
「守ってくれて、ありがとう」
「あ……、うん」
「……わたし、弱いのよ」
「え?」
「これからも、パトリスに守ってもらいたいな」
「……うん」
「守ってくれる?」
「……いいよ」
「ふふっ。……嬉しいな」
わたしの言葉に、パトリスが照れ臭そうに口をキュッと引き締めた。
笑みを我慢しようとしていて、わたしを少し受け入れてくれたのだと感じた。
わたしも微笑みを返す。
立ち上がろうとして、ずっとしゃがんでいたせいか、よろけてしまった。
パトリスに肩があたって、雪の上に手をついた。
「あ、ごめん。大丈夫だった? パトリス」
と、身体を起こそうとした時、ドンッと胸元をパトリスに突き飛ばされた。
反対側に尻もちをつく。
「パ、パトリス……?」
パトリスは顔を真っ青にして、身体を強張らせていた。
そして、そのまま何も言わず、駆けて行ってしまった。
ザザに起こしてもらい、ザワつく兵士たちを鎮めた。
「たぶん、少しビックリさせちゃったのね……」
大ごとにしないようにと老兵士や若い兵士たちに頼んで、わたしも城内に戻った。
廊下を歩きながら、ザザが首をひねる。
「……誘惑されると思ったのかねぇ?」
「う~ん……」
それから、パトリスはわたしと顔を合わせてもくれなくなった。
そして、どうしたらいいか分からないまま、カトランの帰城を迎える。
――パトリスが、わたしを追い出せと、カトランに言い付けたら……。
緊張で表情を堅くしたまま、カトランを出迎えてしまった。
パトリスは、出迎えにも来なかった。
皆が老兵士の言葉を待って静まると、粛然と表現すべき雰囲気さえ漂った。
「あの子は……」
と、老兵士は強いお酒が指一本分ほど入ったグラスを、ゆらゆらと揺らした。
「……この城が、落城した時のことを覚えてるんだ」
「え……?」
「まだ、3つか4つだったはずだ」
老兵士が言うには、奪還した城にパトリスが迎えられた時、城壁のある一か所を見詰めていたらしい。
あまりに真剣な眼差しで見詰め続けるので、老兵士が声をかけた。
すると、パトリスは暗い表情で城壁を指差してこう言ったそうだ。
「……あそこから、……敵が入ってきた」
老兵士は、クッとお酒を煽った。
「あそこは、構造上、この城の弱点だ。攻めやすく、守りにくい。儂らもあそこから攻め込んで……、この城を取り戻した」
「パトリスは、そんな恐い思い出を……」
「……ッ……、そうじゃねぇんだな」
「え?」
「あの子は……、パトリス坊ちゃんは、また敵に攻められた時、どうやって守るかだけを考えてなさる」
「そんなこと……」
「まだ、6歳だってのに。遊びたい盛りで、貴族様のお生まれだ。……見てたら、不憫でならねぇ」
思い当たることがあった。
わたしの考えた攻城戦ゲーム。パトリスはいつも熱心に、城の守り方を工夫してた。
――なんで、養父上の城は落ちなかったのですか……?
カトランにも、目を輝かせてそう聞いていた。
きっと、パトリスにとっては〈攻城戦〉ゲームではなくて、〈籠城戦〉ゲームだったのだ。
老兵士が、言葉を重ねた。
「……カトラン様は不在なことが多い。パトリス坊ちゃんが城に来てからずっとだ」
「ええ……」
「自分が城主代理のつもりで、儂らを敵から守らなくちゃならないと考えてなさる」
「……えっ?」
「春にこの城を取り返して、坊ちゃんが城に入った秋から、ずっとだ」
「秋……」
「……あの子は、偉い子だ」
と、老兵士は、同じ言葉を繰り返した。
――そうか……。
と、気が付くことがあった。
パトリスとカトランが、この城で一緒に暮らし始めたのは、ごく最近の出来事なのだ。
まだ6歳なのに、強い使命感を持って城に入ったのだろう。
そこに、わたしが来た。
カトランとの関係も安定しないうちに、夫人が現われた。それでも健気に、義務としてわたしを受け入れようと頑張ってくれていたのだ。
強い使命感で。
わたしは、自分のことで精一杯になって、パトリスの気持ちまで考えていなかった。
緑がかった金髪に、グリーンの瞳。可愛らしい外見を愛らしく思っても、パトリスが胸の内に秘める使命感にまで目が向いていなかった。
幼いわたしが、
『お父様と仲良くして』
と、母に諫言したときと同じくらい、いやそれ以上の使命感に燃えていたのだ。
なのに、年が近くて若いわたしが家政を預かるようになって、自分が蔑ろにされてるように感じたのだろう。
部屋に戻り、ザザが呟いた。
「……思った以上に、難題だな」
「うん……」
「6歳の子を、城主代理として扱う訳にもいかないしなぁ……」
パトリスが自分で居場所と決めた場所に、わたしがスポッと収まっている。
それには偶然もあるし、譲ろうにも譲り方が分からない。
パトリスの気持ちに気付かないまま、浮かれていた自分が悔やまれてならない。
しんしんと雪が降り続ける窓の外を眺め、大きく息を吸い込んだ。
でも、まだ、ため息は吐きたくない。
Ψ
翌朝。この冬いちばんの積雪だった。
ザザに厚手のコートを着せてもらい、城壁を見上げながら庭を散策する。
キュッ、キュッ――……。
という雪の感触が物珍しくて、足跡をつけては城壁を見上げた。
――この壁を乗り越えて、敵兵が……。
味方の兵士でさえ、ふと恐さを感じることがあるのに、それが敵ならどれほど恐ろしいことだろう。
3つか4つだったパトリスは、その光景を目に焼き付け、次は敗けないと決意を固めているのだ。
もしかすると、それはパトリスの最初の記憶なのかもしれない。
「無理しなくてもいいのよ?」
という言葉は、きっと、今のパトリスの心に届かないだろう。
そのとき、建物の向こう側から笑い声が聞こえてきた。
そっと顔をのぞかせると、パトリスが若い兵士たちと雪合戦をして遊んでいた。
だけど笑っているのは兵士だけ。
パトリスは暗い表情で、雪玉を作っては壁に向かって投げていた。
「……どうする?」
と、ザザが、わたしに囁いた。
雪合戦に混ぜてもらいに行くかどうかを、ザザは聞いていて、わたしは怯んだ。
いま無理に距離を詰めようとしたら、却ってこじれるのでは? という怯えは拭いがたい。
だけど、まだ子どものパトリスから歩み寄ってくれると期待するのは違う気がする。
わたしは一歩踏み出した。
パトリスは、わたしを見付けると、プイッと顔を背ける。
――たぶん……、パトリス自身も、わたしの何が気に喰わないのか、自分でよく理解できてないのだ……。
と、自分に言い聞かせながら、パトリスの側でしゃがみ込んだ。
「パトリス? わたしに雪合戦、教えてくれない? こんな雪、初めて見たのよ。すごいのね」
「……イヤだよ」
「うん……。どうして、イヤなのか教えてくれない?」
パトリスは何も答えず、手元で丸めていた雪玉を城壁に投げた。
そして、また雪を丸め始める。
わたしは微笑みを絶やさないように気を付けながら、しゃがんだままジッと待った。
後ろでは、ザザが声を潜めて、
『普段通り……、普段通り……』
と、兵士たちに声をかけ、わたしとパトリスのことを気にしないよう、雪合戦で遊び続けてくれていた。
「だって……」
と、パトリスが雪玉をギュウッと握った。
「うん」
「……アデール、……わざと負けるし」
「……え?」
「みんなと一緒……」
と、パトリスは雪玉を城壁に投げた。
ぺシャッと、雪玉が城壁に張り付く。
また雪玉を丸めはじめるパトリスの横顔を眺めながら、グルグルと考えた。
――あっ。攻城戦ゲームか……。
と、思い当たった。
カトランにコテンパンにやられた時、パトリスは目を輝かせていた。
いまのところ全敗のわたしを、パトリスは手を抜いていると思っていたのだ。
――はうわっ。じ……、実力です……。
と言って、パトリスは信じてくれるだろうか?
継母というか、10歳年上のお姉さんであるわたしが、自分より弱い訳がないと思っているのだろう。
――な、なんて……、禁欲的な家系なの……?
というのはさておき、ようやく、差し当たってパトリスの気に障っていることを聞き出すことができた。
――え!? ……わたし、雪合戦か攻城戦ゲームでパトリスを負かすまで、信頼してもらえないの……?
と、途方に暮れた瞬間、頬に強い衝撃を感じて、尻もちをつく。
「ア、アデール!?」
というパトリスの声に、本気で心配してくれてる響きを感じて、安堵を覚えるものの、自分に何が起きたのか分からない。
「グへへへへッ」
と、なんだかワザとらしく下品でしわがれた笑い声がして、身体を起こす。
片目の老兵士が、雪玉を手でポンポンッと弄んでいた。
「お前が城主のパトリスかぁ!?」
「……え?」
と、わたしとパトリスの声がそろった。
次の瞬間、老兵士の雪玉がわたしの顔面にヒット。また、尻もちをつく。
パトリスが、わたしの前に立ちはだかる。
「や、やめろよ!」
「グへへッ。お前が守らねば、アデール姫の命はないぞぉ!」
なお、老兵士、棒読み。
なにかを頑張ってくれているらしい。
「こ、このぉ~」
と、パトリスが雪玉を丸め始めると、ザザがわたしに駆け寄った。裏声で。
「ひ、姫ぇ~!? アデール姫ぇ!? 危険ですから、パトリス様の後ろにぃ~っ!」
「は、はい~……」
「パトリス様に守っていただきましょ~」
老兵士の雪玉が、パトリスのお腹に命中する。
「うっ……」
「グヘヘ。お前なんぞ左手で充分だ~」
「このぉ~」
「パトリス様ぁ~、姫を守ってぇ~」
ザザの名演技に、わたしもなんとか、か弱い姫を頑張る。
「あ、あ~れ~」
『……ちょっと、違うんじゃない?』
『これでも頑張ってるのよ』
ザザとのヒソヒソ話も気にならない様子で、パトリスは老兵士と夢中で雪玉を投げ合っていた。
老兵士は左手だけど、本気で腕を振り抜いているように見え、ハラハラする。
『ありゃあ、腕は振ってるけど本気じゃないね』
『……そうなのね』
『ジイさん、老練だねぇ』
と、一緒にしゃがむザザが笑った。
やがて、様子を窺っていた若い兵士たちが二手に分かれて、パトリス軍と老兵士軍に加わる。
「じゃ、邪魔しないでよ」
「指揮官を守るのは、兵士の役目です!」
「そ、そう……?」
「さあ、パトリス指揮官! 戦闘のご指示を!」
と、若い兵士たちも、老兵士の意図を汲んで動き始めた。
パトリスが活き活きと指示を出しはじめる。目は輝いているけど、幼い顔立ちの表情は引き締まっていて、
――これが、城主の使命感……、責任感というものか……。
と、感心させられた。
ザザが呟く。
「……意外とやるねぇ」
「え?」
「ほら、パトリスの方が押してるよ? ……私も詳しくないけど、これが兵法の先生が言ってた〈陣形〉ってヤツじゃない?」
見れば、たしかに老兵士たちの方が追い詰められて見えた。
「グヘヘッ。今日のところは、引き分けということにしておいてやろう」
「なに~!? 逃げるのか!?」
と、パトリスの声が響いたのを合図に、皆が雪玉を投げる手を止めた。
老兵士が穏やかに微笑んだ。
「引き分けは、守る側の勝利ですぞ? パトリス様」
「……そっか」
「はい。パトリス様は、アデール姫を守り切ったのです」
「うん……」
と、パトリスが、わたしをチラッと見た。
わたしは立ち上がり、パトリスの側でしゃがみ目線を合わせた。
「守ってくれて、ありがとう」
「あ……、うん」
「……わたし、弱いのよ」
「え?」
「これからも、パトリスに守ってもらいたいな」
「……うん」
「守ってくれる?」
「……いいよ」
「ふふっ。……嬉しいな」
わたしの言葉に、パトリスが照れ臭そうに口をキュッと引き締めた。
笑みを我慢しようとしていて、わたしを少し受け入れてくれたのだと感じた。
わたしも微笑みを返す。
立ち上がろうとして、ずっとしゃがんでいたせいか、よろけてしまった。
パトリスに肩があたって、雪の上に手をついた。
「あ、ごめん。大丈夫だった? パトリス」
と、身体を起こそうとした時、ドンッと胸元をパトリスに突き飛ばされた。
反対側に尻もちをつく。
「パ、パトリス……?」
パトリスは顔を真っ青にして、身体を強張らせていた。
そして、そのまま何も言わず、駆けて行ってしまった。
ザザに起こしてもらい、ザワつく兵士たちを鎮めた。
「たぶん、少しビックリさせちゃったのね……」
大ごとにしないようにと老兵士や若い兵士たちに頼んで、わたしも城内に戻った。
廊下を歩きながら、ザザが首をひねる。
「……誘惑されると思ったのかねぇ?」
「う~ん……」
それから、パトリスはわたしと顔を合わせてもくれなくなった。
そして、どうしたらいいか分からないまま、カトランの帰城を迎える。
――パトリスが、わたしを追い出せと、カトランに言い付けたら……。
緊張で表情を堅くしたまま、カトランを出迎えてしまった。
パトリスは、出迎えにも来なかった。
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婚約者の第3王子に婚約破棄を突きつけられ、お飾り同然の結婚をしたわたし。
嫁ぎ先から向かったのは、亡き両親の眠る辺境の地。
3年ぶりに眼鏡をかけ、大好きな本に囲まれて過ごすうちに、どうやら、わたしは夫に溺愛されているらしい。
けれど、生憎とわたしはまったく気付かない。
なぜって?
本が面白くて、それどころじゃないから!
これは、亡き両親の墓守をしながら、第2の人生を謳歌しようとした公爵令嬢の物語。
......え? 陰謀? 何か企んでるんじゃないかって?
まさか、まさか。
わたしはただ、静かに暮らしたいだけですのよ?
【完結】私のことを愛さないと仰ったはずなのに 〜家族に虐げれ、妹のワガママで婚約破棄をされた令嬢は、新しい婚約者に溺愛される〜
ゆうき
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とある子爵家の長女であるエルミーユは、家長の父と使用人の母から生まれたことと、常人離れした記憶力を持っているせいで、幼い頃から家族に嫌われ、酷い暴言を言われたり、酷い扱いをされる生活を送っていた。
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⭐︎全56話、最終話まで予約投稿済みです。小説家になろう様にも投稿しております。2/16女性HOTランキング1位ありがとうございます!⭐︎
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