【完結】嫌われ公女が継母になった結果

三矢さくら

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10.公女、頭を上げる。

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家政を任されてからは、帰城したカトランに、不在中の出来事を執務室で報告することになっている。

政略結婚、妻とは扱わないと言われているけれど、当主と夫人。扉は閉めてあり、ふたりだけの時間と空間になる。

本当はカトランが自分で脱ぐ上着を、脱がせてあげたい。ポールハンガーにかける雪で濡れた上着を、お手入れさせてほしい。

だけど、まだその距離は許されていないのだろうと、自分で線を引いてしまう。

こまごまとした報告を終え、わたしは言葉を区切った。


「まだ、なにか?」


随分、距離が近くなったとは思う。

だけど、話を切り出すとき、カトランの鋭く冷たい視線には気持ちが怯んでしまう。


「あの……、パトリスのことなのですが」


パトリスがカトランに言い付ける前に、先に言い付けるようで、正直、気乗りはしなかった。

でも、わたしの身体がパトリスに触れ、パトリスが突き飛ばしたところは、何人かの兵士に見られている。

もし、変な風にカトランの耳に入ったら、


――女性に暴力を振るうとは。


と、謹厳なカトランは、パトリスを叱りつけるかもしれない。

だから、出来るだけ正直に、出来るだけ淡々とありのままに、パトリスの身体に触れてしまったことも報告した。

顎に手をあて、親指で頬の傷跡を撫で、カトランは考え込んだ。

真っ赤な瞳を見詰めても、なにを感じ、なにを考えているのかは窺えなかった。


「あの……。パトリスの耳にも、姉の噂は入っていると思うのです」


姉は突然押しかけ、儀仗も受けずに、カトランに一喝されて追い返された。

その〈艶姿〉も含めて、城の兵士たちの笑いの種になっている。


「わたしのことも……、ひょっとしたら」

「ふむ……。いや、さすがにそれは考え過ぎではないかな?」

「だと、いいのですが……」

「ふふっ」


と、カトランは不思議な笑い方をした。


「……あまりにも違う。アデールと姉君は。うまい例えが、すぐには思い浮かばないほどだ」

「あ……、はい」

「連れの男の……、ひどい侮辱ではあったが、アデールが王都でどのように過ごしてきたのか、ひと言で分からせられた」

「はい……」

「だから、その点においては、心配しないでほしい」

「……分かりました」


カトランの言葉を信じることにした。

姉を追い返した後の『アレは、ない』という呟きも耳にしている。

ひょっとすると、王都でのわたしに、同情もしてくれているかもしれない。

ただ、パトリスのちいさな両手が、ドンッとわたしを突いた痛みも、まだ胸元に残っている。激しい拒絶。

気がかりでならなかった。

わたしの存在が、パトリスの心を傷付けてしまっているのではないかと。

執務机に座るカトランが、手元に視線を落とした。


「パトリスのことは分かった。なにか手を打とう」

「……え?」

「ありがとう」


サッと線を引かれたような気がした。


――報告、ご苦労。


軍司令官が部下を労うような『ありがとう』に、戸惑う。

カトランの意識は、もう手元の書類に向いているようだった。

執務室を退出するべきだと、かるく頭を下げてから、やはり、頭を上げた。


「あの……」

「はい」

「……カトランと一緒に、悩んではいけませんか?」

「……ん?」


顔をあげたカトランの瞳が、訝しげにわたしを眺めた。


「あの……、パトリスのこと。わたしも一緒に悩んではいけませんか?」

「いや、これは子爵家の……」


と、カトランは言葉を止めた。


「……いや、……そうか。そうだな」


カトランは立ち上がり、ソファを勧めてくれた。そして、ベルを鳴らし、兵士にお茶を持って来させた。

暖炉の薪が、パチリと音をたてる。

わたしは、カトランから家族だと認めてもらえたのだ。少なくとも、わたしはそう受け止めた。

向かいに座るカトランをチラッと眺め、温かいお茶を口に運んだ。


  Ψ


「……パトリスは、置き去りにされていたのだ」


と、淡々と語るカトランの言葉に、わたしは絶句してしまった。

先ほどまでの温かい気持ちは、一度に吹き飛んだ。

落城時、母親と共に脱出したパトリスは、足手まといだと置き去りにされ、偶然発見した領民に保護されていたのだという。

文字通り、母に捨てられていたのだ。

眉根にグッと力を込めて、涙をこらえた。

そんな経験をした幼いパトリスの出した答えが『城を守る』だったことが、不憫でならなかった。


「……パトリスの生存が判明したのも、ごく最近のことだ」

「ええ……」

「領民から、私は嫌われている……」


と、カトランは自嘲するように、鼻で笑った。

荒くれ者の兵士たちからの挑戦をすべて受け、すべて圧倒したカトランに、心服する者ばかりではなかった。

怨みに思って脱走し、あることないこと、カトランの悪評を広めた者たちがいたらしい。


「……ついた仇名が、狂戦公だ」

「そのような経緯が……」

「領民は、敵が去っても私を恐れ、避難した山から、なかなか降りて来ない」

「そうでしたか……」

「視察を重ね、避難場所を見付け出しては物資を配り、説得を続けて……、ようやく冬が来る前に、ほぼ全員を村に戻せた」


パトリスを匿っていた領民も、なかなかパトリスを引き渡そうとしなかったそうだ。


「なにせ、兄を……、パトリスの父親を、私が後ろから刺し殺したことになっていたからな」

「ええ……」

「……力ずくでパトリスを取り戻せば、他の領民を、さらに頑なにさせてしまう」


山に三度通って、ようやく領民はパトリスの引き渡しに応じて、自分たちも村に帰ったらしい。

粘り強い統治姿勢には、感服を超えて、驚愕のひと言だ。

なんと素晴らしい夫に嫁げたのかと、場違いにも、胸を躍らせてしまった。


「ずっと兄に従い戦場にいた私は、パトリスとは、ほぼ初対面に近かった」

「……そうですか」


そのパトリスが、かつて自分を傷付けた女の人と同じ顔をしていたのだ。

わたしから、この話題に触れることはしないけれど、カトランの気持ちを思うと、いたたまれない。

それでも、カトランは、パトリスを大事に育てようとしている。

兄君への思いなのか、子爵家への思いなのか……、パトリスの母親への思いなのか。


「先ほどは『手を打つ』などと偉そうなことを言ったが……、すぐに何か思い付いている訳ではない」

「いえ……。お聞かせ下さって、ありがとうございます」

「……しばらく、様子を見ようと思う」

「ええ。それが、よろしいかと」

「ふむ」

「……? なにか?」

「いや……。相談相手がいるというのは、ありがたいものだな、と」

「……嬉しい、お言葉ですわ」

「そうか?」

「ええ」

「なら、良かった。……なにせマルクでは『がはは』と笑うばかりで、何も解決しない」


と、カトランは困ったように笑い、心通わせる忠臣で親友をくさした。


「ふふっ。マルクには、カトランの心を軽くするという、マルクにしか出来ないことがありますわよ?」

「ははっ。その通りだ。……よく見てくれている」

「いえ……、わたしの心も、軽くしてもらってますから」

「そうか。役に立っているな。あの武辺一辺倒の男が」


と、ふたりで微笑みあった。


「今晩の晩餐の後……、パトリスの学問の進捗を聞いてあげてください」

「……そうか。最近、聞いていなかったな」

「ええ……。あの……、カトランに言うのはおこがましいのですが……」

「……なんでも、どうぞ」

「わたしの方が……、パトリスよりは大人ですから。……わたしのことは後回しで結構ですから」


カトランから見れば12歳も年下で16歳のわたしは、充分に小娘で、充分に子どもに見えていると思う。

生意気なことを言うようで、すこし照れくさかった。

けれど、カトランは真剣な表情で二度三度と頷いた。


「……早逝された父上が、いつも私や兄の話を先に聞いていたのを思い出した」

「素敵なお父君でいらしたのですね」

「ああ……」


と、カトランは、何度も頷き続けていた。


  Ψ


パトリスと顔を合わせることに少し緊張しながら、晩餐に赴く。

カトランが席に着き、パトリスを待つ。

けれど、なかなかパトリスが来ない。

本来なら、当主であるカトランより先に来て、席で待つべきところだ。


――そんなに……、わたしに会いたくないの……?


と、眉を曇らせたとき、兵士がひとり駆け込んだ。


「あの……、パトリス坊ちゃん。熱を出されてるみたいで……」

「え!?」

「出迎えにも行けなかったからって、なんとか食堂に行こうとされるんですけど、あんまりフラつかれるんで、今、ベッドで横になってもらいまして……」


カトランとふたり、慌ててパトリスの部屋に駆け付ける。

顔を赤くしたパトリスが、ベッドの上でグッタリしていた。

救護班の兵士の見立てでは、深刻な病気ではないだろうと、先ほど薬湯を呑ませたばかりだという。


「冷えてきましたからね。温かくしてたら、じきに良くなりますよ」


と、部屋から兵士がさがる。

カトランとふたり、パトリスを見詰めた。


「……わたしが、思い詰めさせてしまったから……」

「悪い方に考えるな。……子どもが熱を出すのは普通のことだ」

「でも……」


パトリスの看病を申し出て、カトランは快く許してくれた。

扉は開けておきますからと言ったのだけど。


「必要ない」

「……え?」

「病の家族を看病をするのに、その気遣いは必要ない」

「はい……」

「……だいたい、熱を出した子どもの部屋で扉を開けっ放しにするヤツがあるか」

「あ……、ごめんなさい」

「うむ……。必要なものがあれば、兵に申し付けろ」

「あの……」

「なんだ?」

「……先日、姉にも……、家族を侮辱するなと言ってくれたこと……。とても嬉しかったです」

「……そうか。では、後は任せたぞ」


と、カトランは静かに扉を閉めて、パトリスの部屋から出て行った。

暖炉の薪の音だけが、パチ、パチと響く。窓の外では雪がしんしんと降っていた。

額にのせた濡れタオルを替えてやろうと、そ~っと、指が肌に触れないように気を付けて手を伸ばしたとき、


「ごめんね……」


と、パトリスの声がした。


「起きてたんだ。……気分はどう? なにか食べられそう?」

「……ごめんね、アデール」


と、パトリスは布団で顔を覆った。


「ううん、いいのよ。……ゆっくり休めば、すぐに良くなるわ」

「……違う」

「え……?」

「……アデールを、突き飛ばしたこと」


わたしは、パトリスが謝ってくれただけで、胸がいっぱいだった。

だけど、布団の中のパトリスからは、まだ何か話したいのだなという気配が感じられる。

わたしは椅子に座り直し、静かに待った。
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