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第15話 静寂の解体、あるいは死地への侵食
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北の果て、永久凍土原生林。
そこは、人類が定めた「生存圏」という甘い境界線の外側だ。
大気には魔力が飽和し、吸い込むだけで肺が凍りつくような錯覚に陥る。
シフォンは、腰まで埋まる深雪の中で、荒い息を吐いていた。
「……はぁ、はぁ……っ! トワさん、ここ、本当に出るんですか……レベル100なんて化け物が……」
「出る。だが、あいつらにとってお前は『餌』ですらない。単なる風景の一部だ」
トワは雪の上を、まるで乾いた床を歩くかのような足取りで進んでいく。
彼の足跡は浅い。膝抜きの応用により、自重を雪面に伝えきる前に次の一歩へ重心を移動させているからだ。
「いいか、シフォン。レベル差が五倍を超えた時、真っ向勝負は『非効率』の極みだ。相手の感覚器官、神経伝達の速度、そして――物理的な構造上の欠陥を狙え」
その言葉が終わるより早く。
原生林の巨木が、まるで紙細工のように真っ二つに裂けた。
――グォォォォォォォォォォォォンッ!
大気を震わせる咆哮。
現れたのは、全身を氷の結晶で鎧った巨熊――『フロスト・ダイア・ベア』。
推定レベル120。一振りで小規模な街を地図から消し去る、天災の一角だ。
シフォンの身体が、本能的な恐怖で凍りつく。
あまりの質量。あまりの魔力。レベル15の彼女にとって、それは「戦う対象」ではなく「避けられない死」そのものだった。
「動くな。……瞬目(まばたき)すら、ノイズだ」
トワの声は、氷点下の風よりも冷たかった。
巨熊が、その巨大な剛腕を振り下ろす。
音速を超えた一撃。雪煙が爆発し、地面がクレーターのように陥没する。
だが、そこには既にトワの姿はない。
トワは、巨熊の腕が振り下ろされる「予備動作」――肩鎖関節のわずかな浮き上がりを起点に、既に死角へと滑り込んでいた。
(右広背筋の収縮。次いで、左後肢への重心移動。……三秒後、旋回(ターン)が来る)
トワの脳内では、巨熊の動きが解剖学的なワイヤーフレームとして描写されていた。
彼は剣を抜かない。
代わりに、腰に提げた掃除屋用の「解体ナイフ」を一本、逆手に持つ。
「シフォン、見ていろ。これが『一万回』の先にある、構造の破壊だ」
巨熊が咆哮し、トワを押し潰そうと旋回する。
その刹那、トワの身体が弾けた。
踏み込みではない。全身の筋肉をバネのように、しかし無音で解放する「爆発的脱力」。
トワのナイフが、巨熊の膝裏――氷の鎧が重なり合い、物理的に唯一、神経が皮膚に近い場所を通る「数ミリの隙間」を撫でた。
パキィッ。
小さな、しかし決定的な破裂音。
直後、山の如き巨躯が、自重に耐えかねて無様に崩れ落ちた。
「……え?」
シフォンは目を疑った。
斬ったのではない。ただ、触れただけに見えた。
「巨大な質量を支える関節には、常に一定の負荷(トルク)がかかっている。そこに、分子運動の周期を合わせた微細な振動を叩き込めば、結合は自己崩壊する。……レベルなど、ただの肉の塊に過ぎない」
トワは、悶え苦しむ巨熊の首筋に、冷徹にナイフを突き立てた。
抵抗はゼロ。
まるで、最初からそこに道があったかのように、刃は深々と、最速で、命の核へと至る。
レベル120の魔物が、わずか十秒で沈黙した。
「……解体しろ。こいつの毛皮は、お前の修行代の千倍にはなる」
トワは血を拭い、再び歩き出す。
その背中を見つめ、シフォンは恐怖とは別の震えを感じていた。
この男の「効率」は、もはや技術を超えて、世界の法則そのものを書き換えてしまっている。
そこは、人類が定めた「生存圏」という甘い境界線の外側だ。
大気には魔力が飽和し、吸い込むだけで肺が凍りつくような錯覚に陥る。
シフォンは、腰まで埋まる深雪の中で、荒い息を吐いていた。
「……はぁ、はぁ……っ! トワさん、ここ、本当に出るんですか……レベル100なんて化け物が……」
「出る。だが、あいつらにとってお前は『餌』ですらない。単なる風景の一部だ」
トワは雪の上を、まるで乾いた床を歩くかのような足取りで進んでいく。
彼の足跡は浅い。膝抜きの応用により、自重を雪面に伝えきる前に次の一歩へ重心を移動させているからだ。
「いいか、シフォン。レベル差が五倍を超えた時、真っ向勝負は『非効率』の極みだ。相手の感覚器官、神経伝達の速度、そして――物理的な構造上の欠陥を狙え」
その言葉が終わるより早く。
原生林の巨木が、まるで紙細工のように真っ二つに裂けた。
――グォォォォォォォォォォォォンッ!
大気を震わせる咆哮。
現れたのは、全身を氷の結晶で鎧った巨熊――『フロスト・ダイア・ベア』。
推定レベル120。一振りで小規模な街を地図から消し去る、天災の一角だ。
シフォンの身体が、本能的な恐怖で凍りつく。
あまりの質量。あまりの魔力。レベル15の彼女にとって、それは「戦う対象」ではなく「避けられない死」そのものだった。
「動くな。……瞬目(まばたき)すら、ノイズだ」
トワの声は、氷点下の風よりも冷たかった。
巨熊が、その巨大な剛腕を振り下ろす。
音速を超えた一撃。雪煙が爆発し、地面がクレーターのように陥没する。
だが、そこには既にトワの姿はない。
トワは、巨熊の腕が振り下ろされる「予備動作」――肩鎖関節のわずかな浮き上がりを起点に、既に死角へと滑り込んでいた。
(右広背筋の収縮。次いで、左後肢への重心移動。……三秒後、旋回(ターン)が来る)
トワの脳内では、巨熊の動きが解剖学的なワイヤーフレームとして描写されていた。
彼は剣を抜かない。
代わりに、腰に提げた掃除屋用の「解体ナイフ」を一本、逆手に持つ。
「シフォン、見ていろ。これが『一万回』の先にある、構造の破壊だ」
巨熊が咆哮し、トワを押し潰そうと旋回する。
その刹那、トワの身体が弾けた。
踏み込みではない。全身の筋肉をバネのように、しかし無音で解放する「爆発的脱力」。
トワのナイフが、巨熊の膝裏――氷の鎧が重なり合い、物理的に唯一、神経が皮膚に近い場所を通る「数ミリの隙間」を撫でた。
パキィッ。
小さな、しかし決定的な破裂音。
直後、山の如き巨躯が、自重に耐えかねて無様に崩れ落ちた。
「……え?」
シフォンは目を疑った。
斬ったのではない。ただ、触れただけに見えた。
「巨大な質量を支える関節には、常に一定の負荷(トルク)がかかっている。そこに、分子運動の周期を合わせた微細な振動を叩き込めば、結合は自己崩壊する。……レベルなど、ただの肉の塊に過ぎない」
トワは、悶え苦しむ巨熊の首筋に、冷徹にナイフを突き立てた。
抵抗はゼロ。
まるで、最初からそこに道があったかのように、刃は深々と、最速で、命の核へと至る。
レベル120の魔物が、わずか十秒で沈黙した。
「……解体しろ。こいつの毛皮は、お前の修行代の千倍にはなる」
トワは血を拭い、再び歩き出す。
その背中を見つめ、シフォンは恐怖とは別の震えを感じていた。
この男の「効率」は、もはや技術を超えて、世界の法則そのものを書き換えてしまっている。
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