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八徳指南 其の一
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八徳の旗を領内に掲げしばらく経ったある日の事、松平竹千代(広忠ver)が義元の元へご機嫌伺いに顔をみせた。
「太守様、ご機嫌麗しゅう存じます」
「うむ、そなたもだいぶ顔色が良くなったの」
松平竹千代は療養しつつ太原雪斎が住職を務める寺へも通い、学んでいる。他の家臣たちも太守様と同じ教育を受けられるのならと、息子を雪斎の寺に通わせている。なので少しは友達もできたことだろう。
「それで、あのう、太守様にご質問があります」
そして珍しいことに、今日は竹千代の方から話を振ってきた。
「ほう、質問とな。儂で答えられる事ならば答えてやろう」
「辻で字の書かれた旗を見ました。あれはなんと書かれているのですか?」
しかしその質問に、義元は疑問を覚える。雪斎ならばそのようなこと、とうに教えている筈と思ったからだ。
「はて、雪斎から学んではおらんのか?」
「はい。雪斎和尚は、太守様に会うた時にご自身でお聞きなされ。と申されました。太守様なら、儂より詳しく教えてくれようと」
(ふぅむ、雪斎め。なかなか味なことをする。儂から竹千代に教えさせることで、儂と竹千代の双方を鍛えようというのだな…)
しかしそう思うと同時に、義元はこの竹千代を見ているのが辛かった。なぜならば未来における過去の知識で、その生涯を知っているからだ。
竹千代はいずれ岡崎の城に戻れよう。しかし自分を見捨てた家臣達を竹千代は信じられず、家臣達もまた先代と竹千代をあれこれ比べ物足りぬといった顔をする。それを不快と感じた竹千代は病弱な身体に鞭打って戰を繰り返し、遂には疑心暗鬼の鬼となり父と同じく家臣に討たれるのだ。
だから義元には、目の前にいる竹千代がもう助からぬ病にかかった子犬のように思えた。
「太守…さま?」
しかし師は、この子供に義元の口から八徳を教えてやれと言う。だがこれも何かの縁か。そう感じた義元は、せめて自分くらいはこの子供に優しくしてやろうと微笑んだ。
「ああ、うむ。旗に書かれた字であったな。では教えてやるとしよう」
「はい、おねがい致します」
そうと心を決めれば、義元もまた寺で学んだ身。自身が学んでいた師を真似て話すことなど造作もない。
「では竹千代。旗には八文字あるが、読めない文字はあるか?」
「はい、最後の文字が読めませぬ」
「で、あるか。それは悌じゃな。仁 義 礼 智 忠 信 孝 悌 で、この八文字を八徳と申す」
「はい」
「ではそれぞれの文字の意味に移るが、まず仁は、おもいやりの心。竹千代はおもいやりの心を持っておるか?」
すると竹千代は小首をすこし傾げてから頷いた。
「はい、持っていると存じます」
「ほう。それはどんなものじゃ。説明してみよ」
「爺は寝ると起きられませぬ。それゆえ、竹千代はいつも爺の寝起きを手伝どうております」
「ふむ、爺というは、持広の爺のことじゃな。それはよい心掛け。いかにもそれは、おもいやりじゃの」
義元に認められたのが嬉しかったのか、竹千代ははにかんだ表情をみせる。
「さて、次の文字は義。義は物の道理を示す言葉。道義や義理のない者は、卑怯者と謗られよう。竹千代は卑怯者と呼ばれたいか?」
すると竹千代は、ふるふると首を左右に振った。
「そうであろう。卑怯者と呼ばれたくなければ、義の筋道は通さねばならぬ。この事、忘れてはならぬぞ」
「はい!」
「うむ、良い返事よの。では、次の文字は、礼。さて竹千代。そなた無礼者が現れて、儂はおまえより強いから儂の家来になれと申したらなんとする?」
「はい、竹千代は家臣にはなりませぬ」
「ほう、それはなぜじゃな?」
「嫌だからにございます」
「ふむ、そうか。ではそなたの前で綺麗にお辞儀をした者が、そなたは素晴しき人物。なので是非わが家臣に加わって頂きたいと申したらなんとする?」
「はい、竹千代は家臣にはなりませぬ」
「ほう、それはなぜじゃな?」
「嫌だからにございます」
「ほほほ。どちらも嫌か。竹千代は誰の家臣にもなりたくないようじゃ。では味方であったらなんとする。どちらを味方にしたいと思う?」
「…それならば、お辞儀をした方にございます」
「うむ、その違いが礼じゃな。礼を持たぬ者がいくら己に礼を尽くせと申しても、誰もが嫌だと思うであろう。しかし礼を持って接してくれる者なら、話を聞いても良いと思うたであろう?」
そう説明されると、竹千代もコクリと頷いた。
「なれば竹千代も、礼を大事に致せよ。無礼者はの、誰にも話を聞いて貰えぬものじゃ」
「はい、竹千代は礼を大事にいたします」
「うむ、よい返事じゃの」
義元の指導は続く。
「太守様、ご機嫌麗しゅう存じます」
「うむ、そなたもだいぶ顔色が良くなったの」
松平竹千代は療養しつつ太原雪斎が住職を務める寺へも通い、学んでいる。他の家臣たちも太守様と同じ教育を受けられるのならと、息子を雪斎の寺に通わせている。なので少しは友達もできたことだろう。
「それで、あのう、太守様にご質問があります」
そして珍しいことに、今日は竹千代の方から話を振ってきた。
「ほう、質問とな。儂で答えられる事ならば答えてやろう」
「辻で字の書かれた旗を見ました。あれはなんと書かれているのですか?」
しかしその質問に、義元は疑問を覚える。雪斎ならばそのようなこと、とうに教えている筈と思ったからだ。
「はて、雪斎から学んではおらんのか?」
「はい。雪斎和尚は、太守様に会うた時にご自身でお聞きなされ。と申されました。太守様なら、儂より詳しく教えてくれようと」
(ふぅむ、雪斎め。なかなか味なことをする。儂から竹千代に教えさせることで、儂と竹千代の双方を鍛えようというのだな…)
しかしそう思うと同時に、義元はこの竹千代を見ているのが辛かった。なぜならば未来における過去の知識で、その生涯を知っているからだ。
竹千代はいずれ岡崎の城に戻れよう。しかし自分を見捨てた家臣達を竹千代は信じられず、家臣達もまた先代と竹千代をあれこれ比べ物足りぬといった顔をする。それを不快と感じた竹千代は病弱な身体に鞭打って戰を繰り返し、遂には疑心暗鬼の鬼となり父と同じく家臣に討たれるのだ。
だから義元には、目の前にいる竹千代がもう助からぬ病にかかった子犬のように思えた。
「太守…さま?」
しかし師は、この子供に義元の口から八徳を教えてやれと言う。だがこれも何かの縁か。そう感じた義元は、せめて自分くらいはこの子供に優しくしてやろうと微笑んだ。
「ああ、うむ。旗に書かれた字であったな。では教えてやるとしよう」
「はい、おねがい致します」
そうと心を決めれば、義元もまた寺で学んだ身。自身が学んでいた師を真似て話すことなど造作もない。
「では竹千代。旗には八文字あるが、読めない文字はあるか?」
「はい、最後の文字が読めませぬ」
「で、あるか。それは悌じゃな。仁 義 礼 智 忠 信 孝 悌 で、この八文字を八徳と申す」
「はい」
「ではそれぞれの文字の意味に移るが、まず仁は、おもいやりの心。竹千代はおもいやりの心を持っておるか?」
すると竹千代は小首をすこし傾げてから頷いた。
「はい、持っていると存じます」
「ほう。それはどんなものじゃ。説明してみよ」
「爺は寝ると起きられませぬ。それゆえ、竹千代はいつも爺の寝起きを手伝どうております」
「ふむ、爺というは、持広の爺のことじゃな。それはよい心掛け。いかにもそれは、おもいやりじゃの」
義元に認められたのが嬉しかったのか、竹千代ははにかんだ表情をみせる。
「さて、次の文字は義。義は物の道理を示す言葉。道義や義理のない者は、卑怯者と謗られよう。竹千代は卑怯者と呼ばれたいか?」
すると竹千代は、ふるふると首を左右に振った。
「そうであろう。卑怯者と呼ばれたくなければ、義の筋道は通さねばならぬ。この事、忘れてはならぬぞ」
「はい!」
「うむ、良い返事よの。では、次の文字は、礼。さて竹千代。そなた無礼者が現れて、儂はおまえより強いから儂の家来になれと申したらなんとする?」
「はい、竹千代は家臣にはなりませぬ」
「ほう、それはなぜじゃな?」
「嫌だからにございます」
「ふむ、そうか。ではそなたの前で綺麗にお辞儀をした者が、そなたは素晴しき人物。なので是非わが家臣に加わって頂きたいと申したらなんとする?」
「はい、竹千代は家臣にはなりませぬ」
「ほう、それはなぜじゃな?」
「嫌だからにございます」
「ほほほ。どちらも嫌か。竹千代は誰の家臣にもなりたくないようじゃ。では味方であったらなんとする。どちらを味方にしたいと思う?」
「…それならば、お辞儀をした方にございます」
「うむ、その違いが礼じゃな。礼を持たぬ者がいくら己に礼を尽くせと申しても、誰もが嫌だと思うであろう。しかし礼を持って接してくれる者なら、話を聞いても良いと思うたであろう?」
そう説明されると、竹千代もコクリと頷いた。
「なれば竹千代も、礼を大事に致せよ。無礼者はの、誰にも話を聞いて貰えぬものじゃ」
「はい、竹千代は礼を大事にいたします」
「うむ、よい返事じゃの」
義元の指導は続く。
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