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八徳指南 其の二
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義元の指導は続いていた。
「次は智であるが、竹千代は智がなにか存じておるか?」
「はい、智は知るに日と書きます。なれば、学ぶ日々のことかと存じます」
「さよう。智とは学びの大切さを示しておる。智がなくば、何が正しく何が間違ごうておるかも分かるまい。我が身の道標となるもの。それが智じゃ」
「はい。今の時も、智かと存じます」
「おお、よく分かったの。どうやら竹千代は、大層賢いようじゃ」
竹千代は嬉しかった。自分より何倍もすごい人物が自分を褒めてくれるのだ。ここまでいっしょに来た持広爺も、今川の太守様は優れたお方ゆえ必ず竹千代を助けてくれようと、朝に晩に言っている。
「次は忠であるが…、これは信と共に合わせて話そう。耳の痛い話となるが、竹千代は負けずについてこれるか?」
「はい!竹千代は負けませぬ!」
意地っ張りな顔の強張りを浮かべる竹千代。その意地が仇となるのだが、と義元は感じたが、今は八徳を教えるのが先と話を進めた。
「うむ、されば申し聞かそう。忠とは、支え尽くす心。家臣に忠なくば、主もまた家臣には報いまい。そして信とは裏切らぬ心。これは主従の両方に必要なもの。儂はそなたの父と会うたこともなければ話した事もない。なれどそなたの父・清孝殿は信がなかった為に家臣に討たれ、家臣にも忠がなかったため清孝殿を襲ったのであろう」
竹千代は言葉もなくうなだれる。父のことを酷く言われるのが辛かった。その様子に気付いた義元が立つと、竹千代の元まで歩いてその肩に手をおいた。
「そなたは特に、この忠と信についてよく考えねばならぬ。なぜ父は家臣に討たれたのか。なぜ家臣は父を討ったのか。この答えは教わるのではなく、自分で探し出すもの。そしていつか答えが分かった時には、儂にもそっと、おしえてくれよ」
「はい…」
竹千代が答えると、義元は座っていた位置に戻った。
「…さて、残りは孝と悌であるが、このふたつも人をおもいやる心。孝とは老いた親を子が背負う姿。孝なくば、我が身も子供に捨てられよう」
「はい」
「そして悌も、弟に心をかけると書く。長兄嫡男だからと弟どもを疎かにすれば、たちまち家は乱れよう」
最後の悌に関しては、義元の耳が痛かった。
義元には兄達との思い出がほとんどない。ただ、兄弟子である雪斎がよくしてくれていたので、兄とはこういう者であろうとずっと思っていた。
しかし氏輝兄上と彦五郎兄上が死んでしまうと、兄である玄広恵探と争うことになってしまった。そのうえ碌に話せぬまま、二度と会えぬようになってしまったのだ。これに義元は、ずっと心を痛めていた。
(氏輝兄上、彦五郎兄上…)
義元は閉じた瞼の裏に、幼き日に見た兄達の姿を思い浮かべる。それは父・氏親の葬儀の日。しかし話しかけることはおろか近づくことさえ許されなかった。その時の義元は僧の一人として葬儀に加わっていた為だ。
ふたりは揃って歌会に出向くほど。そうとう仲が良かったに違いない。なにせ命日すら同じなのだから。
(恵探兄上…)
だから義元は、できれば恵探ともそうなれればよいと願っていた。家督のことでは譲れぬ思いがあったものの、お互い寺に出された境遇。胸に覚えた寂しさもまた、同じであったろう。それ故に声が届かず自害して果てたと聞かされた時には、一層辛かった。
「…以上の八つをもって八徳と言う。竹千代。儂の言う後から続いての、復唱するがよい」
「はい」
義元は目を瞑ると、朗々と謳うように語りだす。
「仁なくば人に疎まれ、義を欠けば不義理と謗られよう。礼なくば認められず、智なくば暗闇の如し。忠なくば報われず、信を欠けば裏切られよう。孝なくば子にも捨てられ、悌なくば兄弟憎しみ合う事となろう」
竹千代もそれに続いた。
「もう一度、参るぞ」
「はい」
一度目で言葉を覚え、二度目でその意味を噛み締める。そうしていると、竹千代は涙の零れる思いであった。
「されば竹千代、もう一度じゃ。唱えられるか?」
その声に気付いて目を開けると、竹千代は太守様の顔が見えなかった。
知らぬ間に竹千代は泣いていたのだ。それでも目を擦って太守様を見ると、太守様の眼もうるんでいるように思えた。
「はい、竹千代は平気です!」
「うむ、では三度目じゃ。参るぞ」
そして三度目では義元と竹千代。揃って声がひっくりかえったのであった。
「次は智であるが、竹千代は智がなにか存じておるか?」
「はい、智は知るに日と書きます。なれば、学ぶ日々のことかと存じます」
「さよう。智とは学びの大切さを示しておる。智がなくば、何が正しく何が間違ごうておるかも分かるまい。我が身の道標となるもの。それが智じゃ」
「はい。今の時も、智かと存じます」
「おお、よく分かったの。どうやら竹千代は、大層賢いようじゃ」
竹千代は嬉しかった。自分より何倍もすごい人物が自分を褒めてくれるのだ。ここまでいっしょに来た持広爺も、今川の太守様は優れたお方ゆえ必ず竹千代を助けてくれようと、朝に晩に言っている。
「次は忠であるが…、これは信と共に合わせて話そう。耳の痛い話となるが、竹千代は負けずについてこれるか?」
「はい!竹千代は負けませぬ!」
意地っ張りな顔の強張りを浮かべる竹千代。その意地が仇となるのだが、と義元は感じたが、今は八徳を教えるのが先と話を進めた。
「うむ、されば申し聞かそう。忠とは、支え尽くす心。家臣に忠なくば、主もまた家臣には報いまい。そして信とは裏切らぬ心。これは主従の両方に必要なもの。儂はそなたの父と会うたこともなければ話した事もない。なれどそなたの父・清孝殿は信がなかった為に家臣に討たれ、家臣にも忠がなかったため清孝殿を襲ったのであろう」
竹千代は言葉もなくうなだれる。父のことを酷く言われるのが辛かった。その様子に気付いた義元が立つと、竹千代の元まで歩いてその肩に手をおいた。
「そなたは特に、この忠と信についてよく考えねばならぬ。なぜ父は家臣に討たれたのか。なぜ家臣は父を討ったのか。この答えは教わるのではなく、自分で探し出すもの。そしていつか答えが分かった時には、儂にもそっと、おしえてくれよ」
「はい…」
竹千代が答えると、義元は座っていた位置に戻った。
「…さて、残りは孝と悌であるが、このふたつも人をおもいやる心。孝とは老いた親を子が背負う姿。孝なくば、我が身も子供に捨てられよう」
「はい」
「そして悌も、弟に心をかけると書く。長兄嫡男だからと弟どもを疎かにすれば、たちまち家は乱れよう」
最後の悌に関しては、義元の耳が痛かった。
義元には兄達との思い出がほとんどない。ただ、兄弟子である雪斎がよくしてくれていたので、兄とはこういう者であろうとずっと思っていた。
しかし氏輝兄上と彦五郎兄上が死んでしまうと、兄である玄広恵探と争うことになってしまった。そのうえ碌に話せぬまま、二度と会えぬようになってしまったのだ。これに義元は、ずっと心を痛めていた。
(氏輝兄上、彦五郎兄上…)
義元は閉じた瞼の裏に、幼き日に見た兄達の姿を思い浮かべる。それは父・氏親の葬儀の日。しかし話しかけることはおろか近づくことさえ許されなかった。その時の義元は僧の一人として葬儀に加わっていた為だ。
ふたりは揃って歌会に出向くほど。そうとう仲が良かったに違いない。なにせ命日すら同じなのだから。
(恵探兄上…)
だから義元は、できれば恵探ともそうなれればよいと願っていた。家督のことでは譲れぬ思いがあったものの、お互い寺に出された境遇。胸に覚えた寂しさもまた、同じであったろう。それ故に声が届かず自害して果てたと聞かされた時には、一層辛かった。
「…以上の八つをもって八徳と言う。竹千代。儂の言う後から続いての、復唱するがよい」
「はい」
義元は目を瞑ると、朗々と謳うように語りだす。
「仁なくば人に疎まれ、義を欠けば不義理と謗られよう。礼なくば認められず、智なくば暗闇の如し。忠なくば報われず、信を欠けば裏切られよう。孝なくば子にも捨てられ、悌なくば兄弟憎しみ合う事となろう」
竹千代もそれに続いた。
「もう一度、参るぞ」
「はい」
一度目で言葉を覚え、二度目でその意味を噛み締める。そうしていると、竹千代は涙の零れる思いであった。
「されば竹千代、もう一度じゃ。唱えられるか?」
その声に気付いて目を開けると、竹千代は太守様の顔が見えなかった。
知らぬ間に竹千代は泣いていたのだ。それでも目を擦って太守様を見ると、太守様の眼もうるんでいるように思えた。
「はい、竹千代は平気です!」
「うむ、では三度目じゃ。参るぞ」
そして三度目では義元と竹千代。揃って声がひっくりかえったのであった。
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