≒今川義元 風雲繁盛記≒

空志戸レミ

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常備兵事情

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「つぅくぅ~、ふぃぃぃぃぃ…」

常備兵の田吾作は熱い湯に身を浸けると、気の抜けた声を出し湯に身も心も溶かしこんだ。熱い湯に浸かると、どうしてもそうした声が出てしまう。

ここは造船所の塀の外に作られた湯殿。

なんでも鍛冶で燃やす火の熱を使って湯を沸かしているとか。細かい事は分からないが、ご太守様や家老様たちが入っていなければ、兵たちも入ってよいことになっている。他にも湯殿に入っている者は数多くいて、みな思い思いに湯に浸かったり身体を洗ったりしている。

(ありがてぇなぁ、ここは天国か)

兵となったからにはあちこちの戦場に駆り出させられるのかと思いきや、ちっとも戰に出ぬ。それどころか、普段しているのは田仕事や浜の手伝い。これで朝昼食えて寝床の心配もない。そのうえ、こうして湯にまで浸かれるのだ。以前の暮らしとは大違いだ。

そんなことを考えていると、田吾作は自分の名を呼ぶ声に気が付いた。

「お~い田吾作、もう風呂に入っとるのか」

眼を開ければ相手は同郷の五助。ふたりとも農家の三男坊。このまま家に居てもどうせ先はない。死ぬまで兄に下男としてこき使われるくらいならと、噂を頼りに常備兵の募集へ参加したのだ。結果、ふたりは採用され無事常備兵となれた。

「ああ、午後は読み書きの座学だったからな。何処にも行かなかったぶん早かったんだ。おまえは何処にいっとった?」

自分の名も数字も読めぬでは話にならぬと、義元は兵にも文字を学ばせていた。

「今日のオラはあちこちだ。占い箱いうのをな、なにもない野ッ原に据えてまわっとった」

「占い箱?おみくじと違うんか?」

言葉の意味に見当もつかなかった田吾作は、重ねて五助に訊ねた。

「うんにゃ、もっとこう、大きい。で見た目は木箱じゃ」

五助は田吾作に説明するために、裸で手を広げてみせる。

「いや、むさいむさい。むさい物がぶらぶら見えとる。はよう湯に浸かれ」

言われて五助は、汗を流してから湯に身を沈める。

「うへへ、この最初が熱くて、痛いからのう。くぅ~~ッ」

そこで田吾作は、どうも五助がやけに機嫌のいいのに気が付いた。

「なんじゃ五助、その占い箱を据えるのがそんなに楽しかったんか?」
「いや、わかるか。実は町の外で解散になっての。そんでオラ、腹が空いたんで茶屋に寄ったんだ。そしたら店のおみつちゃんがの、いつもご苦労様。団子ひとつオマケしといたわよって。ありゃあ、嬉しかったのう…」

義元の持つ未来知識の試し。その実践にあれこれ動かされている常備兵たち。

だが戰となれば農民たちが兵として集められる時代。だから領民たちからすれば常備軍の動きは、いざという時には即応できる軍がいると知らしめているように見えていた。それゆえ珍しくもあり頼もしくも感じられ、図らずも人心の慰撫に繋がっていたのだった。

「ほぉ。あの器量よしのおみつちゃんか?」
「そうだ。オラ、所帯持つなら、おみつちゃんみたいな娘がええのう」

湯に浸かりながら、五助は顔までとろけさせている。

「それで機嫌がよかったんじゃな。で、占い箱はなにをどうやって占うもんなんじゃ?」
「わからん。ご太守さまのご命令だからのう。ただ箱に蜂が入れば大大吉だそうだ」

「ふ~ん。よくわからん占いだのう」
「じゃが、ご太守さまのなされる事。きっとオラたちには分からない理由がおありになるんじゃろう。それより、おまえの方はどうじゃ。別の組になってからそう顔も合わせられなんだが、また変なのに絡まれておらんか?」

田吾作がせっかくいい気分で湯に浸かっていたというのに、嫌な事を思い出させる五助。でもそれは心配してで悪気はないと知っているので、田吾作はその問いに答えた。

「…会えば雑言を浴びせられるわ。けど、その程度よ」

湯殿に通えるようになった初めの頃。たまたま近くになった武士が、田吾作に自分の身体を洗えと命じた。それを田吾作は断った。オラはご太守さまの兵としてここに居るのに、なんで人のケツを洗わねばならぬのかと言い返したのだ。

すると騒ぎになって、田吾作は前にいた組から外された。

その後、その話はご太守さまの耳にも入ったらしく、自分の尻も洗えぬ者は我が軍にはいらぬ、そう心得よとお達しがあった。しかしそれもそこまで止まりで、そう口にした武士が罰を受けたり、田吾作が元の組に戻されるといったことはまではなかった。それが田吾作には不服であった。

「ほれ、そうしけた顔をせんで、元気だせ田吾作。貧乏農家の三男だったオラたちも、こうしてご太守さまの兵になれたんだ。ここじゃ飯も食わせて貰えるから、銭も貯まる。オラ、所帯持てるように、毎月給金もらっても決まった額しかおろさん。給金通帳に貯めとるんじゃ」

田吾作たちは常備兵となったことで、給金通帳なるものを貰っていた。そこに自分の貰った給金が記されているのだ。習っているから、もう数も読める。

だがそれを嘘だと疑った男がいた。結局その男は給金を全額貰って懐に入れていたが、田んぼでの作業中に銭の紐が切れ、全部落してしまった。泥だらけになって銭が銭がと騒ぐ姿に、『ああ。だから余計な銭は通帳に入れておけ』と言われるのかと納得したものだ。

田吾作も通帳の銭をそのままにしていたが、特に理由あってのことではない。常備軍に居れば飯は食えるし、揃いの着物まで用意してくれる。贅沢しようとさえ思わなければ、まるで金を使わなかったのだ。


その後、ふたりは揃って湯殿を出ると、出たところで見知らぬ武士に声をかけられた。

「おお、その方ら。太守様の御用である。すぐに動けるか?」

訊かれてはいるが、太守様と言われてはこれは命令。ふたりはハイと頷いた。そして言われるままについていくと、武士は今川館に入り建物の脇を抜けて行く。どうも庭園の方に向かうようだ。

そうして庭園まで辿り着くと、その庭先では今川義元が子猫を叱っていた。

「これ、こなたはなんでそう聞き訳がないのじゃ」
「ニャ~ン」

子猫は墨を被って真っ黒け。その様子から、どうも子猫がイタズラしたらしいとふたりは察した。

「連れて参りました」

武士が義元に頭をさげ報告すると、義元の顔が田吾作たちに向く。そして気さくに話しかけてきた。

「よう来てくれた。儂からその方らに頼みがある」
「ハ、どのような御用でございましょう」

御用とあれば田吾作たちのような一兵卒でも、義元に直答が許されている。

「そなたらの職務から外れるのは承知しておる。じゃがの、この子猫を洗ってはもらえまいか?こやつ、儂の言う事はちっとも聞かんでのう」
「ニャ~ン」

駿遠の太守を翻弄する子猫は、呑気に顔を舐め墨まで舐めてしまっている。ちょっと想像だにしない状況だった。

「承知いたしました」

ともかく田吾作と五助は、教わった通りの敬語で頭をさげる。ただ命令すればいいだけの身分。なのにそれをせず頼んでくる義元に、ふたりは不思議なおかしさと親しみを覚えた。

「湯はすでに用意してある。但し気をつけよ。こやつは小さいながらも猛獣。隙をみせればたちまち襲いかかって来るぞ」

大げさな、と思いつつも子猫を抱いて湯につける。湯は少しぬるい程度なので、子猫にも熱くはないはず。

「ニャ~ン」

湯につけると子猫は一声鳴いたものの大人しい。素直に田吾作と五助に洗われている。墨を洗い流した後も大人しく拭かれ、あとは自分でしたいのかサッと逃げた先で毛づくろいを始めた。

その間。義元は何処に行くでもなく廊下の縁に腰かけ茶を飲んだり、子猫を洗う田吾作と五助の様子を眺めていた。

すると困った。報告したくとも、この場には上役がいない。ここまで田吾作たちを案内した武士の姿も消えている。そこで田吾作が上役を真似て、義元に作業の完了を伝えることにした。

「終わりましてございます」
「うむ、ご苦労。してそなた達、子猫に引っ掻かれはせなんだか?」

「はい、どこも…?」

なにか不審があったろうかと田吾作と五助は自分たちの腕を見つつ、義元にも見えるよう腕をあげる。

「ほう、そうか。するとそなた達は、子猫に一度も引っ掻かれずに洗い終えたのだな?」
「はい、左様にございます…?」

するとその答えに、義元はポンとひとつ自身の膝を叩いた。

「うむ、見事!これは心利きたる者達。儂から褒美をとらす」

訳も分からず戸惑っていると、田吾作たちの傍に義元の小姓が近づいて来た。そして銀の留め金をふたりの胸につけていく。その意味も分からず困惑していると、微笑んだ義元がふたりに説明してくれた。

「それはの、勲章という物。銀で出来ているからといって、売らぬが良いぞ。それは儂からそなた達への感状だからの」
「か、感状にございますか?」

「さよう。そなた達では感状もろうても、大切に保管などできまい?それ故、そうした形なのだ」

そう言われ、田吾作と五助は自分の胸に付けられた銀の留め金をまじまじと見詰める。

「まぁ効果の程は領内止まりであろう。されど軍では絶対。それをつけておれば、常備軍の中でそなたらを侮る者はいなくなるであろう」
「「ッ!」」

心に衝撃が走った。

田吾作には、深い諦めの心があった。うまいこと常備兵にはなれたものの、小物は小物。結局、虐げられる事に変わりは無い。だからこの先も、決して認められる事はないのだろうと。

頑張っていたのに組を外された事が、ずっと尾を引いていたのだ。

(それを、ご太守さまは見抜いて…。こんな、こんなオラたちの事まで、このお方はお気遣いくださるのか…!)

たちまち田吾作の顔は歪み、男泣きに泣きだしてしまう。

「う、ふぐぅぅぅ!うぅぅぅ…!」

「え?あ!ご、ご太守さま、田吾作のやつは嬉しいだけで、どうかご勘弁を!」

懸命に田吾作を庇おうとする五助にも、義元は微笑んでやる。

「うむ、構わぬ。もう下がって良いぞ。そして儂から感状もろうたと、みなに自慢してやるがよい。但し、威張るような真似だけはするでないぞ?」
「はは~!」


その後、一平卒のような小物でも太守様から感状を頂けると知った常備兵たちは、なお一層の努力発奮をしたという。
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