31 / 82
銭不足
しおりを挟む
義元はもろ肌脱いで額に鉢巻をし、今川館の庭先で槍の稽古を行なっていた。
しかしいくら突いてみても、用意した的には一向に当たらない。流石に疲れてきた義元は、息を整えながら考え込んだ。
(はて、これはどういうことだ。将来は海道一の弓取りと呼ばれるはず。だというに、この武芸の拙さはなんとしたことか…)
弓も下手くそで、的にひとつも当たらない。では槍でも修めてみるかとこうして挑戦しているものの、こちらもまるで見込みはないように思えた。
そうしていると庭に撒かれた砂利を踏む足音が近づいて来て、逞しくも人懐っこい顔をした岡部元信が姿をみせた。
「おや、休憩中と伺いましたが、槍の稽古にございましたか」
「おお、元信。下手な考え休むに似たりと申すが、どうやら儂の槍もそのようなものらしい」
そう言いつつ汗をぬぐう義元に近づいた元信は、その場の様子をみて首を傾げた。ふつう槍の稽古ならば、藁莚を巻いた木でも立てて行うもの。しかし義元の周りにはそのような物は一切見当たらず、松の木の枝に古びた永楽銭が一枚吊るされているだけ。
「はてさて、なにやら変わった稽古をされていたご様子。いったい何をなさっておいででしたか?」
「ああ、素早く正確に突く鍛錬をと思っての。槍先につけた串を銭の穴に通そうとしておった」
そう言って義元は吊るされた永楽銭を槍で突いてみせるが、またものの見事に空振りした。
「ほお、そのような鍛錬があったとは。それはまた面白そうですな」
「気になったのなら、そなたも試してみるか?」
「はい、よろしければ是非」
年かさの小姓はそれを止めようとしたが、義元は目顔でそれを制すと槍を元信に手渡した。元信がその気になれば、すぐにも義元の首を刎ねられよう。それほど実力差があるのにこうまで近づいていては、その警戒ももう意味がないのである。
「なるほど。この先端の串を、あの銭の穴に通せばよろしいのですな?」
「そうであるが、言うは易し行うは難しぞ?」
「ふぅむ、しかしやれそうな気も致しますので、某が挑戦してみましょう」
元信は腰を落として槍を半身に構えると、松の木に吊るされた永楽銭に意識を集中させる。そして『ヤッ!』という気合と共に槍を繰り出すと、串をみごと銭の穴に通してみせた。
「なんと、一発で成功させるとは」
「まだまだいけそうにございます…」
「なに?」
義元がその言葉に驚くと、元信は串が抜き取られ揺れる銭に対し連続して突きを見舞った。そしてそのどれもが銭の穴を通ったことで、その度に空中で一瞬 銭が止まって見えた。
「うむむ、見事也。元信は槍の名手であったか」
「はははは、この程度で槍の名手とは恥ずかしい。儂より腕の立つ者は、ほかにいくらも居りましょう」
しかし義元に褒められたのは嬉しかったのか、最後に一撃。ことさら力の籠った突きを放ってみせた。するとそれを貰った永楽銭はパンと砕け散ってしまう。
「やや!これは失礼を。つい調子に乗って力み過ぎました」
構えを解いた元信が深々と詫びるのに対し、義元は笑ってそれを許した。
「よいよい。元々古く傷んでおった故、こうして的にしていたのだ。そなたのせいではない。しかしまた見事に砕け散ったの」
そして足元に飛んできた銭の破片をみつけると、そこに屈んでしきりに観察をはじめた。鈍色の銭の破片は、内部にも腐食が進み暗い色のまま。しかし今川館の庭に敷かれた石はどれも白く綺麗なもの。
その対比から、義元は何かを感じ取った様子であった。
「太守様、なにか気になる事でもございましたか?」
気になった元信は屈んでいる義元に声をかけた。
「うむ、いま駿府では銭が不足しておっての…」
それは義元がさまざまな者を雇い入れ、その報酬を銭で支払っている為に起きている不足。報酬を塩や米で支払ってもいいのだが、それは義元的に不満であった。領内を早く貨幣経済圏として発展させたい思いがあったので、逆行はさせたくなかったのだ。
しかし今、銭の破片と庭の白い石から、ひとつの啓示を受けたような気がしていた。
「元信」
「はい」
「儂が銭を作ったら、皆は受け入れてくれようか?」
「太守様が銭をお作りに?」
銭は鉄ではない金属で出来ている。鉄は貴重で刀や槍の材料となる為、銭にするのはもったいない。それで銭は海の外からもたらされている事は元信も知っていた。だが太守様が銭を作るという話は飛躍が過ぎて、とてもついていけなかった。
「某には解りませぬ。そもそも銭とは勝手に作ってよい物なので?」
岡部元信の疑問も尤もであった。
「日ノ本全土に流通するような銭は不味かろう。しかし駿府と遠江だけで流通させる銭ならば、守護の権限でなんとか出来まいかと思うての」
「う~む、やはり某にはなんともお答え致しかねまする」
「そうか。だが元信のお陰で良い発想を得られた。礼を言うぞ」
「左様でございますか。お役に立てたのであれば嬉しく存じます」
その後。ふたりの主従は銭の話を離れ、武芸談義に華を咲かせたのだった。
しかしいくら突いてみても、用意した的には一向に当たらない。流石に疲れてきた義元は、息を整えながら考え込んだ。
(はて、これはどういうことだ。将来は海道一の弓取りと呼ばれるはず。だというに、この武芸の拙さはなんとしたことか…)
弓も下手くそで、的にひとつも当たらない。では槍でも修めてみるかとこうして挑戦しているものの、こちらもまるで見込みはないように思えた。
そうしていると庭に撒かれた砂利を踏む足音が近づいて来て、逞しくも人懐っこい顔をした岡部元信が姿をみせた。
「おや、休憩中と伺いましたが、槍の稽古にございましたか」
「おお、元信。下手な考え休むに似たりと申すが、どうやら儂の槍もそのようなものらしい」
そう言いつつ汗をぬぐう義元に近づいた元信は、その場の様子をみて首を傾げた。ふつう槍の稽古ならば、藁莚を巻いた木でも立てて行うもの。しかし義元の周りにはそのような物は一切見当たらず、松の木の枝に古びた永楽銭が一枚吊るされているだけ。
「はてさて、なにやら変わった稽古をされていたご様子。いったい何をなさっておいででしたか?」
「ああ、素早く正確に突く鍛錬をと思っての。槍先につけた串を銭の穴に通そうとしておった」
そう言って義元は吊るされた永楽銭を槍で突いてみせるが、またものの見事に空振りした。
「ほお、そのような鍛錬があったとは。それはまた面白そうですな」
「気になったのなら、そなたも試してみるか?」
「はい、よろしければ是非」
年かさの小姓はそれを止めようとしたが、義元は目顔でそれを制すと槍を元信に手渡した。元信がその気になれば、すぐにも義元の首を刎ねられよう。それほど実力差があるのにこうまで近づいていては、その警戒ももう意味がないのである。
「なるほど。この先端の串を、あの銭の穴に通せばよろしいのですな?」
「そうであるが、言うは易し行うは難しぞ?」
「ふぅむ、しかしやれそうな気も致しますので、某が挑戦してみましょう」
元信は腰を落として槍を半身に構えると、松の木に吊るされた永楽銭に意識を集中させる。そして『ヤッ!』という気合と共に槍を繰り出すと、串をみごと銭の穴に通してみせた。
「なんと、一発で成功させるとは」
「まだまだいけそうにございます…」
「なに?」
義元がその言葉に驚くと、元信は串が抜き取られ揺れる銭に対し連続して突きを見舞った。そしてそのどれもが銭の穴を通ったことで、その度に空中で一瞬 銭が止まって見えた。
「うむむ、見事也。元信は槍の名手であったか」
「はははは、この程度で槍の名手とは恥ずかしい。儂より腕の立つ者は、ほかにいくらも居りましょう」
しかし義元に褒められたのは嬉しかったのか、最後に一撃。ことさら力の籠った突きを放ってみせた。するとそれを貰った永楽銭はパンと砕け散ってしまう。
「やや!これは失礼を。つい調子に乗って力み過ぎました」
構えを解いた元信が深々と詫びるのに対し、義元は笑ってそれを許した。
「よいよい。元々古く傷んでおった故、こうして的にしていたのだ。そなたのせいではない。しかしまた見事に砕け散ったの」
そして足元に飛んできた銭の破片をみつけると、そこに屈んでしきりに観察をはじめた。鈍色の銭の破片は、内部にも腐食が進み暗い色のまま。しかし今川館の庭に敷かれた石はどれも白く綺麗なもの。
その対比から、義元は何かを感じ取った様子であった。
「太守様、なにか気になる事でもございましたか?」
気になった元信は屈んでいる義元に声をかけた。
「うむ、いま駿府では銭が不足しておっての…」
それは義元がさまざまな者を雇い入れ、その報酬を銭で支払っている為に起きている不足。報酬を塩や米で支払ってもいいのだが、それは義元的に不満であった。領内を早く貨幣経済圏として発展させたい思いがあったので、逆行はさせたくなかったのだ。
しかし今、銭の破片と庭の白い石から、ひとつの啓示を受けたような気がしていた。
「元信」
「はい」
「儂が銭を作ったら、皆は受け入れてくれようか?」
「太守様が銭をお作りに?」
銭は鉄ではない金属で出来ている。鉄は貴重で刀や槍の材料となる為、銭にするのはもったいない。それで銭は海の外からもたらされている事は元信も知っていた。だが太守様が銭を作るという話は飛躍が過ぎて、とてもついていけなかった。
「某には解りませぬ。そもそも銭とは勝手に作ってよい物なので?」
岡部元信の疑問も尤もであった。
「日ノ本全土に流通するような銭は不味かろう。しかし駿府と遠江だけで流通させる銭ならば、守護の権限でなんとか出来まいかと思うての」
「う~む、やはり某にはなんともお答え致しかねまする」
「そうか。だが元信のお陰で良い発想を得られた。礼を言うぞ」
「左様でございますか。お役に立てたのであれば嬉しく存じます」
その後。ふたりの主従は銭の話を離れ、武芸談義に華を咲かせたのだった。
13
あなたにおすすめの小説
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳主婦のカレンはインスタグラムで20歳大学生の晴人と知り合う。親密な関係となった3度目のデートのときに、晴人が実は17歳の高校2年生だと知る。
カレンと晴人はその後、どうなる?
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)
MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
マルチバース豊臣家の人々
かまぼこのもと
歴史・時代
1600年9月
後に天下人となる予定だった徳川家康は焦っていた。
ーーこんなはずちゃうやろ?
それもそのはず、ある人物が生きていたことで時代は大きく変わるのであった。
果たして、この世界でも家康の天下となるのか!?
そして、豊臣家は生き残ることができるのか!?
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる