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おまけ 2人のその後
お米を食べましょう
しおりを挟むその日、彼が帰ってきたのは早かった。
私は、腹筋を4回ほどしたのちにいつの間にかベッドの上でそのまま寝てしまっていたらしく、ガチャリと鍵の開く音で目が覚めた。
ころころとベッドの上で寝返りを打ってベッドのふかふかを楽しんでいたが、お出迎えしなければ、とはっと我に帰って起き上がる。
ふかふかなのがいけないのだ。ついつい感触を全身で楽しんでしまう。
それに、季節も季節だ。秋に突入した最近は、涼しさを感じるようになってきて、いつまでも寝ていたって夏のように暑苦しさでベッドから出たくなることは滅多にない。
私は心の中で言い訳をしながら、彼を出迎えるべく1階へと階段を下りて行った。
それから彼の姿を見て、私は呆然とした。
言葉が出ない。ぽかんとして彼を、正確には彼が担いでいるものを見上げる。
「ど、どうしたんですか、それ。もしかして……」
彼は、驚いている私を見て満足げに頷くと、肩に担いでいたものを下ろした。
白い袋にパツパツに詰め込まれているそれは、窮屈そうにわずかに皺を寄せて床に横たわった。
袋に書いてある言葉は、「うちゅうでいちばんおいしいおこめ」。
私は、何回も彼と米を交互に見た。
「え、え、でも、お米、普段食べないですよね」
そうだ。彼は根っからのパン派で、米を食べている姿を見たことがない。私が見たことのないだけで食べたことがないというわけではないだろうが。
それにしたって、普段パンしか食べない。米を食べないということは彼の好みではないということではないだろうか。
まさか。もしかして。先日、深夜のインスタントラーメン大会を開催したときに「米を投入したいなあ」と呟いたのが聞こえていたのだろうか。
私は、最近から口癖のように言っている「ダイエット」という言葉の手前、彼に私が米を欲しがっているのがばれているのかと思うと、赤面した。
しかし、「食べたがっていたろう」と彼が嫌味の様子もなく優しく言うので、私はへらりと笑って「はい」と頷いた。
彼はそんな私の様子を見て目元を和らげた。
それから、米に気をとられて何も見えていなかった私に、また驚くべきものが目に移った。
彼が米の袋を持って台所に移動していくと、彼の背中に隠れていた「炊飯器」がそこにはあったのだ!
私は、もはや感動していた。
炊飯器のことは全く思いつかなかった。
米さえあれば美味しいご飯が食べられると思ったが、炊飯器がなければそれは出来ない。
いや、出来ないことはないのだろうが、火の調節とかが大変だ。
小学校の頃に調理実習でごはんを中火にかける時間を間違って焦がしてしまった苦い思い出がある。
炊飯器を発明してくれた人に本当に感謝したい。
いや、それよりも今はちゃんと頭の回る彼に感謝だ。
私は炊飯器を持ち上げると、彼に続いて台所へと向かった。
彼はお米の袋の端の方を切って、私に「ご飯は炊けるか」と尋ねた。
私はこくこくと頷いた。
すると彼は、子供の手伝いを見守る親のような目で私を見て、頭をよしよしと撫でると、楽な格好に着替えるために2階にある寝室に向かった。
私は、とりあえず2合炊くことに決めて、その分を入れて米を研いだ。
ご機嫌で研いだ。なんなら歌を歌うくらいの勢いで研いだ。
私は音痴であることで有名だ。
といっても音痴で有名なのは私の中だけのことだ。誰も知らない。
下手すぎるので人前で歌ったことはない。
合唱コンクールでは口パク、一人ずつ歌のテストがあった日は風邪で声が出ないことにした。
そんなわけなので、私はご機嫌には違いなかったのだが、酷い音痴なのでごく小さな声で歌った。
選曲は国歌である。
国歌ほど音痴にとってよいものはない。
小さい声でも何となく敬意を払っているようで違和感はないし、ゆっくりとしているのでなんだかよく分からない。
私は、そんな国歌を殊更にゆっくりと、もはや息に少し声が混じっているだけ、という程度に歌った。
炊飯器にセットし終わるころに、歌い終わった。
それと同時に彼が階段を下りてくる音が聞こえてきたので、私のご機嫌カラオケタイムは終了である。
彼は、濡れた手を拭いている私の隣に来た。
「国歌は」
「え、う、国歌?な…何か聞こえました?気のせいじゃないですか?」
「国歌のような、なんとなく国歌を真似てつくったようなよくわからない歌は」
「……よくわからない歌じゃありません。正真正銘国歌です」
彼は、面白がるように目を細めて私を見た。
私は誘導尋問に引っかかってしまったのだと気付いて、彼の横腹を小突いた。
彼はご機嫌で私の腕を掴み、そのまま私の両脇に手を入れると私をひょいと抱き上げた。
そのままリビングのソファに運ばれて、彼が広げて座った脚の間に納まる。
彼はテーブルの上に積み重なっている本の一番上を取ると、私の膝に置いた。
私はしおりの挟まっていたところを抜いて、ぱらりとその辺りのページを眺めた。
しかしこの本、私が読んでいたものではない。
彼が読んでいたものだ。
しかも途中から開いたので話の前後がよく分からない。
私は適当なページを開けたまま、彼に気になっていたことを尋ねた。
「お米、嫌いじゃないんですか」
彼は、何とも言わない。
「いつも、パンしか食べないですよね」
やはり、何も言わない。
「……嫌いなら、無理して食べなくっても、いいんですよ」
沈黙。
暫くの間を置いて、彼は、私の膝に乗っていた本のページを捲った。
段々と数字が小さくなっていく。
それから、ぱたんと本を閉じた。
本は、元の通りにテーブルの上に置かれた。
「……パンの方が餌付け。……千切って分け与えることが簡単だ」
餌付けって言った。
私は内心で餌付けという言葉について突っ込みながら、顔にはそれを出さずに(といっても彼に背中を預けている状態なので私がどんな表情をしようが彼からは見えないのだけど)、尋ねた。
「……やっぱり私を太らせたいんですか?」
この問いに、彼は肩を小さく揺すって笑った。
一緒に私も揺れる。
私たちは、お米が炊けるまでダイエット談義を交わした。
と言っても、私のダイエットという言葉は本気なのだということを一方的に語って、笑って私のお腹を撫でる彼の腕をぺちぺちと叩くような、ゆるいダイエット談義だ。
ピー、と炊きあがりを知らせる電子音がして、私と彼は立ち上がった。
蓋を開けると、もわりとした湯気と一緒に炊き立ての良い匂いが立ち上る。
ごはんを数種類の器によそって、「おにぎりにしましょう」とはしゃぐ私を、やはり彼は保護者のような目で眺めていた。
オーソドックスな三角の塩おにぎりに海苔を巻いたり、サンドイッチ風にハムや卵を挟んでみたり、冒険して砕いたコンソメスープの素を混ぜてみたりした。
ほかほかと湯気が上っているのを見てうちわで風を送る私とは対照的に、彼は早々に見切りをつけておにぎりを握り始めた。
「熱くないですか」と尋ねる私に、握り終わったおにぎりを私の前に差し出されて、ぱくりと一口貰うと、表面はそうでもないが、中がそこそこに熱かった。
私ははふはふとしながら彼に恨みがましい視線を送ったが、彼はなんだか楽しそうだ。
ある程度ごはんが冷めてから、私もおにぎりを作った。
しかし、久しぶりだから量を間違っているのか何なのか、出来上がったのは四角いおにぎりだった。
何で四角に。と思いつつも、これはこれでいいかと平たくして、これをもう一つ作ってパンのようにして、間に具を挟んで食べた。
割と食べ辛かったのでそのあとは不格好ながらもちゃんと三角にしたことを褒めてほしい。
そんな私の思いを知ってか知らずか、彼は満足げにうんうんと頷いた。
私たちは、おにぎりで少し早めの夕食を済ませた。
コンソメ味のおにぎりはしょっぱすぎるのと、ご飯の熱で溶けてべたべたしているのとで、とりあえずは冷蔵庫に保存して明日の朝にコンソメスープのおじやにして食べることに決まった。
幸せな、夕ご飯だった。
「今度はラーメンの後に入れよう」
そう呟いた私のお腹をぷにぷにと突つく彼の手を、ぺちりと叩いた。
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