普通のOLは猛獣使いにはなれない

ピロ子

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01.猛獣との出会い

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よろしくお願いします。

***
 シックな色合いと高級な内装で整えられている落ち着いた店内に、流れる音楽は流行りの歌手の歌では無くクラッシク。
 庶民的な居酒屋とは異なるこの高級クラブでは、ちょっとやそっとの身分では入り口で追い返されてしまい、店内に足を踏み入れることもできないだろう。
 ただ、今はまだ開店前で客は誰もいない。いや、カウンターテーブルに一人の女性が頬杖をついて座っていた。
 高級な店内には不釣合いな、グレーのパンツスーツ姿でカクテルを煽る若い女性の着ているブラウスの襟元は乱れスーツには皺が寄ってしまい、クリーニングに出さなければ皺は取れないだろう。

「くっそー! やってられない」

 バーカウンター席に座るスーツを着た女性は、溜め息混じりに右手に持った葉書をカウンターに叩き付けるように置いた。
 その葉書は昨日、彼女の自宅マンションに届いた封書に入っていたもの。
 後ろに立つ着物姿の和装美女が、一気にグラスに入った酒を飲み干す女性を窘めるように「有季子さん」と声をかける。

「飲み過ぎよ。彼とは縁が無かった、そう良い風に思いなさいよ」
「だけどねママ、折角吹っ切れてきたの時にこんな葉書が来るのって、元彼女に送りつけるのは非常識じゃない?」

 カウンターに置かれた封書は白地に薄ピンクの小花が散らされており、一見して結婚式の案内書だということが分かる。
 まさか25歳目前で、親友だと思っていた相手に結婚まで考えていた彼氏を盗られるなんて考えもしなかった。
 二人の関係を知らされて彼から別れを切り出されたのは三ヶ月前。
 大学の時から二年も付き合っていたのに、半年も前から自分と親友に二股をかけていたとは。正直、展開について行けないし信じられなかった。
 その上、親友は妊娠中で安定期に入る頃に結婚式を挙げるのだと、二人は呆然とする自分に言ってきたのだ。
 頭が固いのかもしれないが、結婚や妊娠って順序を守りたいと昔から思っていた有季子は、セックスをするときは必ずコンドームを付けていた。
 彼もそれを了解していたのに、できちゃった結婚をするだなんて有り得ない話。自分達が裏切り傷付けた元彼女と元親友に対して、幸せがいっぱい詰まった結婚式の招待状を送りつけるだなんて、非常識で信じられない行為だ。

(こんな事なら、ちっぽけなプライドを守るために怒鳴りつけたい激情を抑えて「幸せになってね」なんて言うんじゃなかった。一発殴ってやればよかった!)

 幸せいっぱいだろう彼等とは違い、こんなに悔しい思いをして一人アルコールに逃げている自分は、なんて惨めで馬鹿な女だろうか。
 いい大人が泣き叫び、何かに八つ当たりするわけにはいかない。この鬱憤を晴らすには酔いつぶれるまで呑むしかないだろう。

 常連客の有季子の様子を遠巻きに見ていたママは、苦笑いを浮かべると仕事へと戻って行った。

 ふと、有季子が気付くと店には客がかなり入り、先程まで相手をしてくれていたママも常連客の接客で忙しそうに働いている。
 何時もならば混み合ってきた頃には店を出るのだが、特に何も言われて無いからいいだろう。と、酔いが回った頭で判断しグラスを傾けた。



 ***



「いらっしゃいませ」

 出迎えたボーイにコートを渡すと男は店内を見渡した。
 店内はほぼ満席状態だったが騒がしいわけでは無く、客達は談笑しながら一時を楽しんでいる。
 落ち着いた店内の雰囲気と酒の品揃えの良さ、そしてブラックカードを持っていようがこの店の者は特別扱いをしない、そんなところも気に入って彼はこの店を何度か訪れていた。

 一人で来店したため、通されたのはカウンター席。
 カウンター席に座る客は、一番奥に座るスーツ姿の女が一人でグラスを傾けていた。

 女の持つグラスからカラン、と、氷の触れ合う涼やかな音が鳴る。男はその音を聞きながら、革張りのスツールに腰を落ち着けた。
 腰を下ろすのを見計らい寄ってきたバーテンダーに、酒の名前を短く告げる。
 彫りの深い顔立ちの男は面倒な仕事を終えたばかり。後処理は部下に任せて明日にはこの国を立つ手筈となっていた。
 ようやく、数日ぶりにむさ苦しい連中と離れて静かに過ごせるのだ。
 運ばれてきた酒で喉を潤すと男は息を吐いた。

 今回、男がこの国へ来たのはビジネスのためであって、この国のマフィアどもと抗争をするつもりは全く無かったというのにと、シャツについた誤魔化しきれない硝煙の匂いを払う。あちら此方に、自分達を逐一監視している彼方と此方の政府の犬どももがいるようだが、男は彼らを相手にはしていない。
 ちょっかいをかけてきた愚かな者どもを、死なない程度に痛めつけるだけで止めてやったのだ。
 部下達をホテルに置いて一人で飲みに出たとしても、五月蝿い奴らには何も言わせまい。


「お代わりお願いします」

 思考に耽っていた男の意識を戻したのは上擦った女の声。
 隣の席に座る女は、スーツの色合いや黒縁の眼鏡のせいで地味な印象を受けた。
 普段ならば気にも留めない女。
 男から声をかけたのは、そう、ただの気まぐれだった。

「……良い呑みっぷりだな」

 突然声をかけられたことに彼女は驚いたように肩を揺らすが、手に持つグラスをカウンターへ置いて男の方を向く。

「自棄酒、ですから」

 少しずり落ちた眼鏡の隙間から覗く困った表情と声から、彼女は思ったよりも若い女であることがわかった。

「自棄酒だと?」
「女でもそういう時があるんですよ」

 そう言いながら、彼女はにかりと歯を見せて笑う。
 自分に取り入ろうとする女が向けてくる媚びた笑みでは無い、素の、嫌みの無い笑みには嫌いでは無いと感じた。



 ***



「ん……」

 口から漏れた声はひどく掠れていて、少し動いただけで頭が鈍器で叩かれたように痛い。
 酔いつぶれるつもりで酒を呑んでいたけれど、この頭の痛み具合では昨夜は相当飲み過ぎたようだ。

「……?」

 重たい目蓋を開いた有季子が寝ていたのは自室のベッド。
 道路の真ん中やゴミ捨て場など変な場所ではないのは喜ばしいけれども、昨夜のことをほとんど覚えていない状態できちんとベッドに寝ている事は不思議でならなかった。
 昨夜は、母親の親友であるママの経営する店で一人で自棄酒していて、偶然隣に座った男性と内容はほとんど覚えていないが楽しく会話していたのだ。酔った勢いというか気が大きくなった有季子は男性と意気投合して、一緒に二軒目のお店へ行ったところまでは覚えている。

 でも、その後どうしたのか全く覚えていない。
 どうやって自宅マンションまで帰ってきたのか。
 何故、服を着ていない状態、全裸で寝ているのだろうか。

 二日酔いのせいか全身が重いし、体の節々が痛い。特に腰が重たくて痛い。

「うぅ、えっ?」

 頭と体の痛みを堪えて横を向けば、自分とは異なる黒髪が目に入った。

 一見すると固そうなのに指触りは意外と柔らかい黒髪。
 彫りが深い端正な顔立ちに男性が日本人ではないことがわかる。
 頬に走るのは刃物による切り傷の痕だろうか。傷痕は醜いものでは無く、むしろ彼を装飾しているように見える。
 すやすやと安らかな寝顔に、四六時中眉間に皺を寄せている恐いイメージがある彼もこんな顔が出来るのか、なんて思ってしまった。

(どうして、四六時中眉間に皺を寄せているイメージが? って、あれ?)

「えぇっ!?」

 よくよく考えてみると、これは有り得ない状況じゃないのか。
 二人とも裸&同じ布団で寝ているという、この状況は、いわゆる一夜の過ちというものじゃないのか。

「ちょっ、ちょっと起きて!起きてください!!」

 不機嫌そうに男性はうっすら瞼を開く。
 炎のように赤々と、鮮血のような深紅の瞳に一瞬だけ胸が跳ねた。

「ねぇ、私達昨日の夜、その、最後までしちゃいました?」
「あぁ……」

 肯定の頷きに有季子の全身から力が抜けた。
 胸元を隠すのを忘れるくらいショックだったのに、トドメを刺したのはデリカシーの無い一言だった。

「変な女だな。昨夜は俺の下で気持ちよさそうな甘えた声で啼いていたというのに」
「うっぎゃ~!!」

 致したことをどうでもいい出来事のように軽く言って、瞼を閉じた彼は早くも寝息を立て始める。
 名前も知らない相手と何をしてしまったんだと後悔し、泣きそうになっているのは有希子だけらしい。
 酒が入っていたとはいえ、致してしまったものは後悔しても仕方がないか。

(犬に噛まれたじゃない、一夜の過ちとしか思うしかないの~!?)

 改めて寝室を見れば、床へ散らばる二人分の服が目に入った。脱ぎ散らかしてある服を見ると、泥酔していたとはいえどれだけ盛り上がってしまったのか想像出来て、有希子は頭を抱えてしまった。
 汗やら何やらで肌がベタつくし髪も肌に貼り付いて気持ちが悪い。今後の事を考えるのは後にして、シャワーを浴びて頭の中をスッキリさせなければ。

 痛む腰に負担がかからないよう慎重にベッドから下りた時、有希子の股の間から太股を白濁した液体がトロリと伝ってフローリングの床に落ちた。

「……は?」

 床へ落ちた白濁した“ソレ”が何なのか数秒考えて、理解すると有季子の顔色が一気に青ざめていく。

(コレってまさか、いや、そんな、まさかまさかまさか!?)

「な、中出し……!?」

 頭を抱えて固まる間も、股の間から太股を伝い落ちる液体は床を汚していく。これはいくらなんでも一夜の過ちでは済ませられない事態である。
 頭の中が真っ白になっていき、爆発した。

「ちょっと! 起きてよっ何で避妊してくれないの! っていうか何回出したのよ!! 子どもが出来たらどうするのよ~!?」
「……うるせぇ」

 大股でベッドへ戻り、筋肉質な肩を揺さぶれば半眼開いた彼は苛立ちを露わに睨んでくる。
 睨まれるのは怖いが、今はそんな睨みなんかに怯えている余裕は無い。
 涙を浮かべて責める有希子に、彼はハッと声を出して笑う。

「お前が孕んだら、それなりに責任はとってやる。評判の良い病院を紹介するし、費用は上乗せして出す」
「あのねぇ! そういう問題じゃないって!!」

 生まれ育った国が違うと貞操観念が違うのか。否、望まない妊娠は万国共通理解だろうし、良い病院を紹介してもらえば丸く納まるわけがない。彼の言う責任はそういう意味なのか。

「おい」

 床へ零れ落ちた精液をティッシュで拭き取り、動かす度に鈍痛がはしる腰を擦りながら項垂れて浴室へ向かう有希子へ、彼が声をかけて引き止めた。

「女、お前の名前は?」
「女って、私は有季子という名前があります。人に名前を問うのでしたら、まず自分から名乗ってください」

 睨みながら言えば、ベッドへ寝転がる男性の眉間の皺が深くなる。

「……クロードだ」
「クロードさん、ですか」

 整った彫りの深い顔立ちの彼の名前が意外と普通で、少しだけ安堵した有希子はふらつく足取りで浴室へ向かった。


 シャワーを浴び、中へ出された精液を綺麗に洗い落とし取り敢えず体はさっぱりとした。
 二日酔いと腰痛、精神的な疲労で食欲は無いが、冷蔵庫の中にあった食材で食パンを焼き、ポテトサラダとベーコンエッグ、スープという簡単な朝食を作る。

「私、何をやっているのかな」

 皿へ盛り付ける手を止めて、浴室から聞こえるシャワーの音に耳を傾ける。
 名前以外知らない相手を家に泊めてしまい寝るとは。直ぐに出て行ってもらわずにシャワーまで使わせるだなんて。
 溜息を吐いた有希子は、自分の分だけ用意するのは意地悪だと思いクロードの分も用意してテーブルへ並べた。


 シャワーを浴び終え、テーブルを挟んで反対側に座るクロードを改めて見た有希子は内心青ざめていた。
 昨夜は酔っていて、先程は混乱していたせいでよく分からなかった。気安く会話をしていた。
 しかし、明るい場所で改めて見ると、釦を外したシャツから覗く胸元は大きな傷痕が走っており、何よりも彼の纏う雰囲気は堅気の人とは思えない。その上、浴室へ向かうクロードと擦れ違った際、身体に染み付いた嗅ぎなれない火薬に似た臭いを感じたのだ。
 絶対にクロードは危ない、裏社会に属した仕事をしている。

(どうしよう。厄介な相手と一夜を過ごしてしまった。でも―……)

「さっきから何だ?」
「クロードさんの瞳って光の加減で朱色にも深紅に見えるんですね」
「……気味が悪いか?」

 元々低音のクロードの声が更に低くなる。

「いいえ。ゆらめく炎みたいで、綺麗だと思います」

 有希子の返答にクロードは僅かに目を見開く。
 黙り込んでしまったクロードとそれ以上は特に何も話すことも無く、彼から話を振られることも無く朝食を食べる。
 気まずい雰囲気になるかと冷や冷やしていた有希子は、不機嫌でも無く黙々とトーストを食べるクロードを時折見ながら、彼は何者なのか考えていた。


 朝食の片付けをしにキッチンへ有希子が向かったのを確認し、クロードはスマートフォンを操作してこの場所のデータを送る。
 この国の住宅事情を考えれば、女の一人暮らしの部屋にしては少々広い部屋をぐるりと見渡して、片隅に男の痕跡があることに気付いて赤い目を細めた。


 食器を洗い終わった有希子がリビングへ戻ると、クロードはきっちりと黒コートを羽織り支度を終えていた。


「あれ、もう行くんですか?」
「ああ……またな」

 またな、って貴方また来るつもりですかと問う隙も無く、黒尽くめのコートを羽織った赤い瞳をした物騒な男は玄関を出て、一度も振り返ることなく有希子の部屋から去って行った。


「あの人、なんだったんだろう。あれ?」

 玄関からリビングへ入った有希子の目に留まったのは、テーブルの上に残された一枚のメモ。
『子どもが出来ていたら、ここに連絡しろ』と外国の方にしては上手い字で書かれた一文と、携帯電話の番号が書かれていた。


 ***

 全く記憶が無いから、私にとっては夢にもならない有り得ない一夜。
 でも、それまで悩んでいた事が意識外に吹っ飛んだのも事実で、それだけは彼に感謝した。



***
マフィアとOLの始まり。
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