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王都アストラリスの冬は、凍てつく風がグランド・コルニーシュの石畳を撫で、湾の水を鉛色に染め上げる。
しかし、王宮の丘(ロイヤルヒル)に聳える白亜の宮殿の中は、まるで季節を忘れたかのように熱気に満ちていた。
年に一度開かれる、王宮主催の冬の舞踏会。
磨き上げられた大理石の床は、天井から下がる幾多ものクリスタルのシャンデリアの光を映して、さながら星空のようだった。
弦楽四重奏が奏でる優雅なワルツの調べが、着飾った貴族たちの楽しげな談笑と混じり合い、きらびやかな喧騒となってホールを満たしている。
その喧騒の中心近くに、ひときわ目を引く一組の男女がいた。
「セラフィナ、少し顔色が悪いな。私の隣で、そんな冴えない表情をされては困る」
私の手を取り、エスコートする婚約者、ジュリアン・ベルフォートが、完璧な笑みを浮かべて囁く。
その声は甘く、周囲の令嬢たちがうっとりと聞き惚れるような響きを持っていた。
「いいえ、ジュリアン様。素晴らしい夜ですもの。少し圧倒されてしまっただけですわ」
私もまた、完璧な淑女の笑みで応じる。
ヴァレンシア子爵家の令嬢として、そして次期ベルフォート公爵の婚約者として、求められる役割を寸分違わず演じきること。
それが、私のここ数年のすべてだった。
ジュリアンは満足げに頷くと、私の肩を軽く抱き寄せた。
周囲からは、羨望のため息が聞こえてくる。
銀糸のようなプラチナブロンドの髪、彫刻のように整った顔立ち、そして伝統派貴族の筆頭であるベルフォート公爵家の嫡男という、非の打ち所のない経歴。
彼は、この国のすべての令嬢の憧れの的だった。
そして私は、その彼の隣に立つことを許された、幸運な女。
――誰もが、そう思っている。
今夜、私が身に纏っているドレスは、老舗の高級メゾン「メゾン・ヴァレリアーノ」が仕立てたものだ。
繊細なレースを幾重にも重ねた、古典的で優雅なアイボリーホワイトのドレス。
ベルフォート家の色である深い青の宝石をあしらったネックレスが、唯一の差し色になっている。
それは、誰からも美しいと賞賛され、けれど誰の記憶にも残らない、完璧に無難な選択だった。
ジュリアンの母親である公爵夫人が、私のために「選んでくださった」一着だ。
「……ああ、バークレー侯爵がいらっしゃるな。重要な話がある。君はここで大人しくしているんだ」
ジュリアンは私の返事を待たずに、そっと手を離すと、有力な伝統派の重鎮へと歩み寄っていく。
彼の背中を見送りながら、私は小さく息を吐いた。
彼の瞳の奥に、一瞬だけよぎった退屈の色を見逃しはしなかった。
彼は私を愛してはいない。
ただ、彼の隣に飾っておくための、家柄も見た目も申し分のない、美しい人形として評価しているだけ。
私が絵画や音楽、刺繍といった淑女の嗜みに秀でていることを褒めそやす時でさえ、その声には何の熱もこもっていない。
まるで、血の通わない美術品を鑑定するように。
それでいい、と自分に言い聞かせる。
この婚姻は、我がヴァレンシア子爵家にとってあまりにも大きな意味を持つ。
ベルフォート公爵家との縁組は、傾きかけた家を安泰にするための唯一の道なのだから。
私は、そのための生贄。
美しく、従順な、完璧な生贄。
「ごきげんよう、ヴァレンシア嬢」
背後からかけられた、蜜のように甘く、それでいて針を含んだ声に、私はゆっくりと振り返った。
そこに立っていたのは、ヴィヴィアン・ルクレール。
燃えるような真紅のドレスを纏った、野心的な美貌の令嬢だった。
最近になって金で爵位を買い、貴族社会に成り上がってきた新興産業貴族の娘。
彼女のドレスは、最新の流行を取り入れた大胆なデザインで、胸元が大きく開き、スリットが深く入っている。
美しくはあるが、この伝統と格式を重んじる王宮の舞踏会では、少々品性に欠けて見えた。
「ルクレール嬢。今夜もひときわお美しいですわね。そのドレス、とてもよくお似合いです」
私は、完璧な笑みを崩さずに応じた。
「あら、お世辞をありがとう。でも、あなたのそのドレスに比べたら、わたくしのものなど野暮に見えてしまうかしら? さすがはベルフォート公爵家が選んだ方。とても……そう、『歴史的』でいらっしゃること。まるで生きた年代物(アンティーク)のようですわ」
ヴィヴィアンは扇で口元を隠しながら、私を頭のてっぺんから爪先まで、品定めするように眺める。
その瞳は、獲物を前にした蛇のように冷たく、計算高い光を宿していた。
彼女がジュリアンに秋波を送っていることは、社交界では公然の秘密だった。
そしてジュリアンもまた、彼女の露骨な誘惑を、満更でもない様子で受け流している。
「お褒めいただき光栄ですわ。伝統を重んじることも、また美徳の一つですから」
「伝統、ですって? ふふ、そうね。過去の栄光に縋るしか能のない方々にとっては、それも立派な慰めになるのでしょうけれど」
彼女の言葉は、明確な侮辱だった。
伝統派のベルフォート家に嫁ぐ私と、魔導技術で財を成した彼女の一族。
その対比を、これ見よがしに突きつけてくる。
私はただ、微笑むだけ。
ここで感情的になるのは、愚か者のすることだ。
ヴィヴィアンが望んでいるのは、私が取り乱し、淑女にあるまじき醜態を晒すことなのだから。
私の反応がつまらなかったのか、ヴィヴィアンはふんと鼻を鳴らすと、別の獲物を見つけたように人混みの中へ消えていった。
一人残された私は、手にしたシャンパングラスの中で、金色の泡が弾けては消えるのを、ぼんやりと眺めていた。
退屈だ。
心の底から、そう思う。
煌びやかなシャンデリアも、美しい音楽も、豪華な食事も、何一つ私の心を動かさない。
ここにいる人々が交わす会話は、当たり障りのない噂話か、自らの権勢を誇示するための政治的な探り合いだけ。
誰も、この世界の真理について語ろうとはしない。
誰も、マナの根源的な構造や、それを書き換えることで生まれる無限の可能性について、議論しようとはしない。
ふと、私はホールの隅、人々があまり注目しないバルコニーへと続く扉に目をやった。
少しだけ、空気が吸いたくなった。
誰にも気づかれないように、そっと人々の輪から抜け出し、重厚なカーテンの陰に隠れたバルコニーに出る。
ひやりとした夜気が、火照った頬に心地よかった。
眼下には、宝石をちりばめたように輝く王都アストラリスの夜景が広がっている。
歴史的な建造物が並ぶ旧市街のオレンジ色の灯り。
そして、その向こうには、ガラスと鋼鉄の近代的なビルが林立するエーテルポート地区の、青白い光。
古い時代と、新しい時代。
二つの光が混じり合うこの街で、私は古い光の一部になろうとしている。
私はそっと、ドレスの袖に隠していた小さなポーチに手を入れた。
指先に触れたのは、冷たく滑らかな水晶の感触。
それは、私が密かに作り上げた、片眼鏡(モノクル)型の小さな魔導具だった。
周囲に誰もいないことを確かめ、私はそれを素早く右目に装着する。
瞬間、世界が変わった。
視界の端に、淡い光で描かれた幾何学的な紋様と、数字の羅列が浮かび上がる。
これは、私が「ニューロ・レンズ」と名付けた試作品。
装着者の思考を読み取り、現実世界に情報を重ねて表示する、空間コンピューティングの魔術的応用だ。
私は視線を上げ、ホールを照らす巨大な中央シャンデリアを見つめた。
思考を集中させる。
――構造解析。応力計算。エーテル供給経路の最適化。
私の網膜に、シャンデリアを構成する何千ものクリスタルパーツを繋ぐ金属フレームが、青い光の線となって透けて見える。
それぞれの接合部にかかる荷重が数値化され、リアルタイムで表示されていく。
供給されている魔力(エーテル)の流れが、まるで血管のように可視化される。
中央の魔晶石から伸びるエネルギーラインには、微細な揺らぎと非効率な分岐が見られた。
「……供給管の設計が古い。分岐点で三パーセントのエネルギーロス。支持フレームの材質も、もっと軽量で高強度な合金にすれば、クリスタルの数をあと一割は増やせるのに……」
無意識のうちに、工学的な分析の言葉が口をついて出る。
だが、問題はそれだけではなかった。
私の視線は、エーテル織を解する者だけが知覚できる、より根源的な欠陥を捉えていた。
「それに、中央の魔晶石……込められた祝福の術式が経年劣化している。マナの波長に微細な乱れが……輝度の低下だけじゃない。この波長は、人の精神に僅かな不協和音を……。……なるほど。だから今夜のホールは、どこか空気が張り詰めているのね」
ああ、これだ。
これこそが、私が本当に生きていると感じる瞬間。
複雑な数式が脳内で組み上がり、難解な魔術理論が目の前で形になる。
世界の理(ことわり)を解き明かし、より良い形に再構築する。
これ以上の喜びに、私は出会ったことがない。
異端で、危険で、淑女らしからぬと、家族にさえ禁じられた私の秘密。
旧来の元素魔術や錬金術とは全く異なる、マナの根源に干渉する新しい魔術体系――「エーテル織(ウィーヴ)演算」。
それは、私のすべてだった。
「セラフィナ? こんな物陰で、こそこそと何をしていた?」
背後からかけられたジュリアンの声に、私は心臓が凍りつく思いで振り返った。
咄嗟にニューロ・レンズを外し、袖の中に隠す。
「ジュリアン様……。少し、夜風にあたっていただけですわ」
平静を装い、私は再び完璧な淑女の仮面を被る。
「そうか。だが感傷に浸るのはそこまでだ。さあ、戻るぞ。これからが今夜の『本番』だ……父上のご意向を、皆に知らしめる時が来た」
ジュリアンはそう言うと、私の手を取ってホールの中へと促した。
彼の表情は、先ほどまでとは違い、どこか硬く、決意を秘めたような光を宿しているように見えた。
彼の言う「父上からの伝言」とは、一体何なのだろう。
胸に、小さな不安の棘が刺さる。
ホールに戻ると、音楽が止み、人々がざわめきながら中央の空間に注目しているのが分かった。
ジュリアンは、私をその中央へと導いていく。
貴族たちの視線が、一斉に私たちに突き刺さる。
好奇、羨望、そして嫉妬。
その渦の中で、私はヴィヴィアン・ルクレールが、勝ち誇ったような笑みを浮かべてこちらを見ているのに気づいた。
なぜだろう。彼女の笑みが、まるで断頭台の執行人のように見えた。
ジュリアンは私の隣で立ち止まると、ホール全体に響き渡るように、声を張り上げた。
「皆、静粛に願いたい! これより、我がベルフォート家が、このリリア王国の輝かしき未来のために下した、一つの『聖なる決断』を発表する!」
その声は、自信に満ちていた。
しかし、その自信は、私と共有されるものではない。
彼の視線は、私を通り越し、人々の海の向こう、ヴィヴィアンが立つ一点に向けられていた。
私の心臓が、嫌な予感に大きく脈打つ。
シャンデリアの構造解析などよりも、ずっと複雑で、ずっと不吉な方程式が、私の頭の中で勝手に組み上がり始めていた。
そして、その計算が導き出す答えは、ただ一つ。
破滅。
完璧な見せかけの舞台が、今、まさに幕を閉じようとしていた。
しかし、王宮の丘(ロイヤルヒル)に聳える白亜の宮殿の中は、まるで季節を忘れたかのように熱気に満ちていた。
年に一度開かれる、王宮主催の冬の舞踏会。
磨き上げられた大理石の床は、天井から下がる幾多ものクリスタルのシャンデリアの光を映して、さながら星空のようだった。
弦楽四重奏が奏でる優雅なワルツの調べが、着飾った貴族たちの楽しげな談笑と混じり合い、きらびやかな喧騒となってホールを満たしている。
その喧騒の中心近くに、ひときわ目を引く一組の男女がいた。
「セラフィナ、少し顔色が悪いな。私の隣で、そんな冴えない表情をされては困る」
私の手を取り、エスコートする婚約者、ジュリアン・ベルフォートが、完璧な笑みを浮かべて囁く。
その声は甘く、周囲の令嬢たちがうっとりと聞き惚れるような響きを持っていた。
「いいえ、ジュリアン様。素晴らしい夜ですもの。少し圧倒されてしまっただけですわ」
私もまた、完璧な淑女の笑みで応じる。
ヴァレンシア子爵家の令嬢として、そして次期ベルフォート公爵の婚約者として、求められる役割を寸分違わず演じきること。
それが、私のここ数年のすべてだった。
ジュリアンは満足げに頷くと、私の肩を軽く抱き寄せた。
周囲からは、羨望のため息が聞こえてくる。
銀糸のようなプラチナブロンドの髪、彫刻のように整った顔立ち、そして伝統派貴族の筆頭であるベルフォート公爵家の嫡男という、非の打ち所のない経歴。
彼は、この国のすべての令嬢の憧れの的だった。
そして私は、その彼の隣に立つことを許された、幸運な女。
――誰もが、そう思っている。
今夜、私が身に纏っているドレスは、老舗の高級メゾン「メゾン・ヴァレリアーノ」が仕立てたものだ。
繊細なレースを幾重にも重ねた、古典的で優雅なアイボリーホワイトのドレス。
ベルフォート家の色である深い青の宝石をあしらったネックレスが、唯一の差し色になっている。
それは、誰からも美しいと賞賛され、けれど誰の記憶にも残らない、完璧に無難な選択だった。
ジュリアンの母親である公爵夫人が、私のために「選んでくださった」一着だ。
「……ああ、バークレー侯爵がいらっしゃるな。重要な話がある。君はここで大人しくしているんだ」
ジュリアンは私の返事を待たずに、そっと手を離すと、有力な伝統派の重鎮へと歩み寄っていく。
彼の背中を見送りながら、私は小さく息を吐いた。
彼の瞳の奥に、一瞬だけよぎった退屈の色を見逃しはしなかった。
彼は私を愛してはいない。
ただ、彼の隣に飾っておくための、家柄も見た目も申し分のない、美しい人形として評価しているだけ。
私が絵画や音楽、刺繍といった淑女の嗜みに秀でていることを褒めそやす時でさえ、その声には何の熱もこもっていない。
まるで、血の通わない美術品を鑑定するように。
それでいい、と自分に言い聞かせる。
この婚姻は、我がヴァレンシア子爵家にとってあまりにも大きな意味を持つ。
ベルフォート公爵家との縁組は、傾きかけた家を安泰にするための唯一の道なのだから。
私は、そのための生贄。
美しく、従順な、完璧な生贄。
「ごきげんよう、ヴァレンシア嬢」
背後からかけられた、蜜のように甘く、それでいて針を含んだ声に、私はゆっくりと振り返った。
そこに立っていたのは、ヴィヴィアン・ルクレール。
燃えるような真紅のドレスを纏った、野心的な美貌の令嬢だった。
最近になって金で爵位を買い、貴族社会に成り上がってきた新興産業貴族の娘。
彼女のドレスは、最新の流行を取り入れた大胆なデザインで、胸元が大きく開き、スリットが深く入っている。
美しくはあるが、この伝統と格式を重んじる王宮の舞踏会では、少々品性に欠けて見えた。
「ルクレール嬢。今夜もひときわお美しいですわね。そのドレス、とてもよくお似合いです」
私は、完璧な笑みを崩さずに応じた。
「あら、お世辞をありがとう。でも、あなたのそのドレスに比べたら、わたくしのものなど野暮に見えてしまうかしら? さすがはベルフォート公爵家が選んだ方。とても……そう、『歴史的』でいらっしゃること。まるで生きた年代物(アンティーク)のようですわ」
ヴィヴィアンは扇で口元を隠しながら、私を頭のてっぺんから爪先まで、品定めするように眺める。
その瞳は、獲物を前にした蛇のように冷たく、計算高い光を宿していた。
彼女がジュリアンに秋波を送っていることは、社交界では公然の秘密だった。
そしてジュリアンもまた、彼女の露骨な誘惑を、満更でもない様子で受け流している。
「お褒めいただき光栄ですわ。伝統を重んじることも、また美徳の一つですから」
「伝統、ですって? ふふ、そうね。過去の栄光に縋るしか能のない方々にとっては、それも立派な慰めになるのでしょうけれど」
彼女の言葉は、明確な侮辱だった。
伝統派のベルフォート家に嫁ぐ私と、魔導技術で財を成した彼女の一族。
その対比を、これ見よがしに突きつけてくる。
私はただ、微笑むだけ。
ここで感情的になるのは、愚か者のすることだ。
ヴィヴィアンが望んでいるのは、私が取り乱し、淑女にあるまじき醜態を晒すことなのだから。
私の反応がつまらなかったのか、ヴィヴィアンはふんと鼻を鳴らすと、別の獲物を見つけたように人混みの中へ消えていった。
一人残された私は、手にしたシャンパングラスの中で、金色の泡が弾けては消えるのを、ぼんやりと眺めていた。
退屈だ。
心の底から、そう思う。
煌びやかなシャンデリアも、美しい音楽も、豪華な食事も、何一つ私の心を動かさない。
ここにいる人々が交わす会話は、当たり障りのない噂話か、自らの権勢を誇示するための政治的な探り合いだけ。
誰も、この世界の真理について語ろうとはしない。
誰も、マナの根源的な構造や、それを書き換えることで生まれる無限の可能性について、議論しようとはしない。
ふと、私はホールの隅、人々があまり注目しないバルコニーへと続く扉に目をやった。
少しだけ、空気が吸いたくなった。
誰にも気づかれないように、そっと人々の輪から抜け出し、重厚なカーテンの陰に隠れたバルコニーに出る。
ひやりとした夜気が、火照った頬に心地よかった。
眼下には、宝石をちりばめたように輝く王都アストラリスの夜景が広がっている。
歴史的な建造物が並ぶ旧市街のオレンジ色の灯り。
そして、その向こうには、ガラスと鋼鉄の近代的なビルが林立するエーテルポート地区の、青白い光。
古い時代と、新しい時代。
二つの光が混じり合うこの街で、私は古い光の一部になろうとしている。
私はそっと、ドレスの袖に隠していた小さなポーチに手を入れた。
指先に触れたのは、冷たく滑らかな水晶の感触。
それは、私が密かに作り上げた、片眼鏡(モノクル)型の小さな魔導具だった。
周囲に誰もいないことを確かめ、私はそれを素早く右目に装着する。
瞬間、世界が変わった。
視界の端に、淡い光で描かれた幾何学的な紋様と、数字の羅列が浮かび上がる。
これは、私が「ニューロ・レンズ」と名付けた試作品。
装着者の思考を読み取り、現実世界に情報を重ねて表示する、空間コンピューティングの魔術的応用だ。
私は視線を上げ、ホールを照らす巨大な中央シャンデリアを見つめた。
思考を集中させる。
――構造解析。応力計算。エーテル供給経路の最適化。
私の網膜に、シャンデリアを構成する何千ものクリスタルパーツを繋ぐ金属フレームが、青い光の線となって透けて見える。
それぞれの接合部にかかる荷重が数値化され、リアルタイムで表示されていく。
供給されている魔力(エーテル)の流れが、まるで血管のように可視化される。
中央の魔晶石から伸びるエネルギーラインには、微細な揺らぎと非効率な分岐が見られた。
「……供給管の設計が古い。分岐点で三パーセントのエネルギーロス。支持フレームの材質も、もっと軽量で高強度な合金にすれば、クリスタルの数をあと一割は増やせるのに……」
無意識のうちに、工学的な分析の言葉が口をついて出る。
だが、問題はそれだけではなかった。
私の視線は、エーテル織を解する者だけが知覚できる、より根源的な欠陥を捉えていた。
「それに、中央の魔晶石……込められた祝福の術式が経年劣化している。マナの波長に微細な乱れが……輝度の低下だけじゃない。この波長は、人の精神に僅かな不協和音を……。……なるほど。だから今夜のホールは、どこか空気が張り詰めているのね」
ああ、これだ。
これこそが、私が本当に生きていると感じる瞬間。
複雑な数式が脳内で組み上がり、難解な魔術理論が目の前で形になる。
世界の理(ことわり)を解き明かし、より良い形に再構築する。
これ以上の喜びに、私は出会ったことがない。
異端で、危険で、淑女らしからぬと、家族にさえ禁じられた私の秘密。
旧来の元素魔術や錬金術とは全く異なる、マナの根源に干渉する新しい魔術体系――「エーテル織(ウィーヴ)演算」。
それは、私のすべてだった。
「セラフィナ? こんな物陰で、こそこそと何をしていた?」
背後からかけられたジュリアンの声に、私は心臓が凍りつく思いで振り返った。
咄嗟にニューロ・レンズを外し、袖の中に隠す。
「ジュリアン様……。少し、夜風にあたっていただけですわ」
平静を装い、私は再び完璧な淑女の仮面を被る。
「そうか。だが感傷に浸るのはそこまでだ。さあ、戻るぞ。これからが今夜の『本番』だ……父上のご意向を、皆に知らしめる時が来た」
ジュリアンはそう言うと、私の手を取ってホールの中へと促した。
彼の表情は、先ほどまでとは違い、どこか硬く、決意を秘めたような光を宿しているように見えた。
彼の言う「父上からの伝言」とは、一体何なのだろう。
胸に、小さな不安の棘が刺さる。
ホールに戻ると、音楽が止み、人々がざわめきながら中央の空間に注目しているのが分かった。
ジュリアンは、私をその中央へと導いていく。
貴族たちの視線が、一斉に私たちに突き刺さる。
好奇、羨望、そして嫉妬。
その渦の中で、私はヴィヴィアン・ルクレールが、勝ち誇ったような笑みを浮かべてこちらを見ているのに気づいた。
なぜだろう。彼女の笑みが、まるで断頭台の執行人のように見えた。
ジュリアンは私の隣で立ち止まると、ホール全体に響き渡るように、声を張り上げた。
「皆、静粛に願いたい! これより、我がベルフォート家が、このリリア王国の輝かしき未来のために下した、一つの『聖なる決断』を発表する!」
その声は、自信に満ちていた。
しかし、その自信は、私と共有されるものではない。
彼の視線は、私を通り越し、人々の海の向こう、ヴィヴィアンが立つ一点に向けられていた。
私の心臓が、嫌な予感に大きく脈打つ。
シャンデリアの構造解析などよりも、ずっと複雑で、ずっと不吉な方程式が、私の頭の中で勝手に組み上がり始めていた。
そして、その計算が導き出す答えは、ただ一つ。
破滅。
完璧な見せかけの舞台が、今、まさに幕を閉じようとしていた。
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「皆の聖女でなくなったのなら私だけの聖女になってください」
「なっ…」
「王太子殿下と婚約破棄されたのなら私と婚約してください」
大胆にも元聖女に婚約を申し込む貴族が現れた。
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