『生きた骨董品』と婚約破棄されたので、世界最高の魔導ドレスでざまぁします。私を捨てた元婚約者が後悔しても、隣には天才公爵様がいますので!

aozora

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 静寂は、刃のように冷たく、鋭利だった。

 先ほどまで祝祭の喧騒に満ちていた王宮の大舞踏室は、水を打ったように静まり返っていた。すべての音楽が止み、すべての囁きが途絶え、ただ一つの声だけが、魔力で増幅され、シャンデリアの水晶の雫を震わせながら響き渡っていた。

「――静粛に! 本日、この栄えある場にお集まりの皆様。そして、我が偉大なる父、ベルフォート公爵の名において、私は王国を新たなる時代へと導くための『聖断』を、今ここに示す!」

 ジュリアン・ベルフォートの声は、自信に満ち、陶酔的ですらあった。彼はホールの中心で、まるで舞台の上の英雄のように胸を張っていた。その隣に立つ私は、彼の完璧な横顔を、まるで初めて見る異国の生き物のように見つめていた。

 心臓が、氷の塊になったかのように冷たく、重かった。

 彼の視線は、私を通り越し、群衆の中に立つ燃えるような真紅のドレス――ヴィヴィアン・ルクレールの姿を捉えていた。その視線に込められた熱量が、私にはっきりと見えた。それは、私に向けられたことのない種類の熱だった。

「我がベルフォート家は、常に王国の安寧と未来を第一に考えてきた。伝統を守り、血統を重んじることは、我らが揺るぎない礎だ。しかし、真の伝統とは、ただ古きに固執することではない。未来永劫の繁栄のため、時には痛みを伴う変革を受け入れ、より強固な礎を築き直す勇気を持つことだ!」

 芝居がかった彼の言葉が、耳の中で意味をなさずに反響した。周囲の貴族たちの視線が、針のように私の肌を突き刺した。好奇、困惑、そして――憐憫。そのどれもが、耐え難い屈辱だった。

 ジュリアンは、一度言葉を切ると、慈悲深い表情を装って私に視線を向けた。だが、その瞳の奥に宿るのは、氷よりも冷たい軽蔑の色だった。

「セラフィナ・ド・ヴァレンシア嬢。君は、まるで博物館に飾られた絵画のように、美しく淑やかな令嬢だ。その古風な美徳は、過ぎ去りし時代の思い出として、確かに価値あるものだろう」

 一瞬、空気が緩んだ。安堵の息を漏らす者さえいた。だが、それは残酷な劇の序幕に過ぎなかった。

「しかし!」

 彼の声が再び張り上げられ、人々の肩がびくりと震えた。

「だが、我らが切り拓く新時代は、ただ美しいだけの飾り物を必要とはしない! 君のその、あまりに古風で変化を恐れる魂では、ベルフォート家の未来を、いや、この王国の未来を担う私の隣に立つ資格はないのだ!」

 空気が凍り付いた。

 それは、婉曲でありながら、誰の耳にも明確に届く死刑宣告だった。

 時代遅れ。役立たず。お前は、もういらない。

 言葉のナイフが、私の心臓を正確に貫いた。

「よって、ここに宣言する! 私、ジュリアン・ベルフォートは、セラフィナ・ド・ヴァレンシア嬢との婚約を、ただ今をもって破棄する!」

 砕け散った約束の音が、確かに聞こえた。

 それはシャンデリアの輝きでも、楽団の奏でるワルツでもなかった。私の世界が、足元から崩れ落ちていく音だった。

 世界から、音が消えた。

 ジュリアンの唇がまだ何かを語っているのが見える。周囲の貴族たちが、驚愕に目を見開き、あるいは扇で口元を隠して囁き合っているのが見える。だが、私には何も聞こえなかった。ただ、耳の奥で、キーンという甲高い金属音が鳴り響いているだけだ。

 ああ、そうか。これが、私の終わりの景色。

 目の前が白く霞み、立っているのがやっとだった。今すぐこの場で泣き崩れ、彼を罵り、すべてをめちゃくちゃにしてしまいたい衝動が、喉元までせり上がってくる。

 けれど、できなかった。

 ここで崩れ落ちることは、彼らの思う壺だ。この屈辱の劇を、完璧な悲劇として完成させてしまうことになる。

 それだけは、嫌だ。

 私は、爪が食い込むほど強く拳を握りしめた。その痛みが、遠のきかけていた意識を無理やり現実に引き戻した。

 ゆっくりと息を吸い、そして、顔を上げた。

 涙で潤みそうな瞳を無理やり見開き、背筋を、まるで鋼の支柱でも入っているかのように、まっすぐに伸ばした。

 私の視線の先で、ジュリアンがわずかに眉をひそめたのが分かった。彼はきっと、私が泣き叫び、許しを乞う姿を想像していたのだろう。彼の脚本通りに動かない私に、彼は一瞬の戸惑いと、隠しきれない苛立ちを見せた。

 だが、彼の残酷なショーはまだ終わらない。

「そして、我がベルフォート家が、そしてこのリリア王国が真に必要とする、未来を共に創るパートナーを紹介しよう!」

 ジュリアンは高らかにそう言うと、群衆を割って進み出てきたヴィヴィアン・ルクレールへと手を差し伸べた。

 ヴィヴィアンは、まるで女王のように優雅な足取りで彼の隣に並ぶと、私のことなど存在しないかのように、ジュリアンの手を取った。彼女の真紅のドレスが、私の纏う色褪せたアンティークのようなドレスを嘲笑っていた。

「彼女こそ、ヴィヴィアン・ルクレール嬢! その類稀なる才覚と、革新を恐れぬ精神は、我が家の、いや、王国の未来を照らす新たな光となるだろう! ここに、ジュリアン・ベルフォートとヴィヴィアン・ルクレールの、新たな婚約の成立を宣言する!」

 ヴィヴィアンは、勝ち誇った笑みを浮かべて、私を一瞥した。その瞳には、あからさまな侮蔑と、獲物を仕留めた捕食者の愉悦が浮かんでいた。

 『生きた年代物(アンティーク)』。

 彼女が私に投げかけた言葉が、脳内で蘇った。彼女にとって、私はただ踏み潰して乗り越えるべき、過去の遺物に過ぎなかったのだ。

 その瞬間、凍り付いていた会場の空気が、熱狂によって爆発した。

 祝福の拍手が、嵐のように巻き起こった。それは、ベルフォート家と、その新たなパートナーであるルクレール家に媚びへつらう者たちの、醜い追従の音だった。

「おめでとうございます、ベルフォート様!」

「なんと素晴らしいご決断でしょう!」

「ルクレール嬢こそ、次代の公爵夫人にふさわしい!」

 ついさっきまで私に微笑みかけていた貴婦人たちが、今はヴィヴィアンを取り囲み、賞賛の言葉を浴びせている。私の方は、誰も見ない。まるで、そこに存在しないかのように。あるいは、触れてはならない穢れたものでもあるかのように。

 私は、巨大なガラスケースの中に閉じ込められた標本になったような気分だった。無数の視線が、私を値踏みし、分析し、そして断罪した。

「まあ、ヴァレンシア家もこれで終わりですわね」

「無理もないわ。ベルフォート公爵家の事業には、ルクレール家の財力が不可欠ですもの」

「それにしても、あんな公衆の面前で……。可哀想に。これではもう、どこの家も彼女を貰ってはくださらないでしょうね」

 可哀想?

 その言葉が、一番の侮辱だった。同情という名の刃が、私の最後の誇りを切り刻んでいった。

 もう、限界だった。

 一秒でも長くこの場所に留まることは、私の魂を殺すことになる。

 私は、誰に告げるでもなく、静かにその場を離れた。

 新しい主役たちに熱狂する群衆の中を、幽霊のようにすり抜けた。誰も、私のことなど気にも留めなかった。私のためのワルツは、もう終わったのだ。

 一歩、また一歩と、震える足を叱咤して進んだ。背中に突き刺さる視線を感じながらも、決して振り返らなかった。

 まっすぐに、前だけを見て。

「セラフィナ」

 背後から、ジュリアンの声が投げかけられた。私は足を止めたが、振り返りはしなかった。

「ああ、セラフィナ。君の『お役目』は、これで終わりだ。せいぜい私の物語の良い引き立て役になってくれたこと、感謝するよ」

 最後の、とどめの一撃だった。

 感謝。役割。彼の言葉は、私という人間そのものを否定していた。私は、彼の人生における、ただの役目を終えた小道具に過ぎなかった。

 私は何も答えず、再び歩き出した。

 大舞踏室の巨大な扉を開け、喧騒を背後に閉じ込めた。人気のない、冷たい大理石の廊下に出た瞬間、張り詰めていたすべての糸が、ぷつりと切れた。

 ぐらりと世界が揺らぎ、私は壁に手をついて、かろうじて倒れ込むのを防いだ。

「……っ」

 息ができない。喉がひきつり、熱い塊が胸の奥から込み上げてくる。

 けれど、涙は流れなかった。

 涙など、この屈辱に比べれば、あまりにも生ぬるい。

 代わりに、心の最も深い、凍てついた場所から、静かな何かが湧き上がってきた。

 それは、悲しみではなかった。絶望でもなかった。

 冷たく、硬質で、研ぎ澄まされた――怒りだった。

 私を「時代遅れ」と断じたジュリアン。

 私を「年代物」と嘲笑ったヴィヴィアン。

 私を「可哀想な見世物」として眺めていた、あの場にいたすべての人々。

 忘れない。

 この屈辱を、この痛みを、この冷たさを、決して忘れない。

 これで、終わりじゃない。

 いいえ。これは、終わりなんかじゃない。

 これは、始まりだ。

「お嬢様。……何もかも、お見通しでございます。さあ、このような場所からはお早く。馬車を呼んでまいりました」

 静かな声に、はっとして顔を上げた。

 いつの間にか、侍女のクロエがそこに立っていた。彼女は、舞踏室での惨劇を知っているだろうに、その表情には哀れみも好奇心もなかった。ただ、いつもと変わらない、穏やかで忠実な眼差しが、私をまっすぐに見つめていた。

 クロエは何も言わず、私の冷え切った肩に、ふわりと暖かいショールをかけた。

 その温もりが、凍り付いていた私の心に、ほんのわずかに沁みた。

「……帰りましょう、クロエ」

 かろうじて絞り出した声は、自分でも驚くほど、静かで、落ち着いていた。

 私は、もう一度背筋を伸ばし、王宮の出口へと続く長い廊下を、毅然と歩き始めた。

 ◇

 その頃、大舞踏室の喧騒から少し離れたバルコニーの影で、一人の男が静かにグラスを傾けていた。

 セバスチャン・モラン公爵。

 革新派の若き旗手であり、宮廷では「冷徹な変人」と評される彼は、先ほどの茶番劇を、終始冷めた瞳で観察していた。

 彼は、周囲の貴族たちのように、ベルフォート家の決断を賞賛することもしなければ、哀れな令嬢に形ばかりの同情を寄せることもしなかった。

 彼の興味を引いたのは、ただ一点。

 あの屈辱の嵐のただ中で、最後まで崩れ落ちることなく、侵しがたい気品を保って退場していった、あの令嬢の姿だった。

 脆く、儚げに見えながら、その芯には鋼のような強さを秘めていた。

 まるで、極限の圧力下で生成される、最も硬質な宝石のように。

「……面白い」

 セバスチャンは、誰にともなく呟くと、背後に控えていた側近に低い声で命じた。

「先ほどの令嬢、セラフィナ・ド・ヴァレンシア。彼女の身辺を徹底的に洗え」

「はっ。しかし公爵様、ヴァレンシア家はもはや……」

「家門などどうでもいい。私が知りたいのは、あの屈辱の中でただ一人、燃えるような光を宿していた『彼女自身』のことだ」

 セバスチャンは、夜の闇にきらめく王都の灯りへと目を向けた。その瞳には、新たな鉱脈を発見した探鉱者のような、鋭い光が宿っていた。

「それから、もう一つ。王立アカデミーの学術誌に掲載された、エーテル織演算に関する論文。筆頭著者の『S・ヴァレン』……この人物の正体も、だ。あらゆる可能性を考慮して、もう一度だ」

 ただの偶然か、それとも運命の糸が紡ぎ出す必然か。

 セバスチャンの脳裏に、あの論文に満ちていた驚くほど革新的で美しい数式と、屈辱の中でなお気高さを失わなかった令嬢の瞳の光が、不思議なシンクロを起こしていた。

 堕ちた星屑は、まだその輝きを失ってはいない。

 いや、あるいは――これからこそが、真の輝きを放つ瞬間なのかもしれない。

 新しい時代の胎動が、確かに始まろうとしていた。
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