2 / 22
本編
1プロローグ
しおりを挟む
「────さま、アイリスお嬢さま」
少しだけ大きな優しい声が聞こえ、柔らかな陽射しの中で瞼を開いた。
「お嬢さま、おはようございます。起きられますか?」
「……おはようエマ。もう少ししたら起き上がるわ」
エマは幼い頃からの専属メイドで、誰よりもアイリスの体調のことを理解してくれている。
亜麻色の髪に蜂蜜のような瞳をした優しい女性だ。
「畏まりました。……旦那さまからお嬢さまにお話があるとの伝言を預かっております。急ぎではないが後ほどダイニングルームでお食事を、とのことです」
「……嫌な予感しかしないわね」
露骨に怪訝な表情を浮かべると、エマは少し困ったように微笑んだ。
というのもアイリスの父親は「忙しいから」が口癖で、小さい頃からあまり良い思い出はないのだ。
ただ、仕方ないということもわかっている。
何せこの国を担う重要な人物であり、限られた人物しか入れない王城に頻繁に出入りしているのだから。
それにこんな自分を投げ出さず家に置いていてくれるだけで、貴族の中ではこの上なく優しい父親なのであろう。
まだこの柔らかなベッドに沈んでいたいが、そんな父親の時間を奪うわけにはいかない。
ゆっくりと身体を起こすとエマがそっと背中を支えてくれる。
「ありがとう。身支度を手伝ってくれる?」
「勿論でございます」
この重い身体で身支度をするとなると、一人では多くの時間を費やしてしまうが、エマの手助けで「少々のんびりすぎる人」程度で終わる。
「エマ、いつも本当にありがとうね」
「礼は不要です。私はお嬢さまのメイドですから」
「……これからもお礼は言わせてもらうわよ」
二人で微笑み合った後、ダイニングルームへと向かった。
「お父さま、遅くなってごめんなさい」
「かまわん。そこに座りなさい」
目線で促された席へと座ると、数々の食事が運ばれてくる。
「……申し訳ないのですが、何度も申し上げましたようにこの量を私は食べられないのです。用意してくださるのは大変有り難いですが、食材が勿体ないので減らしていただきたいです」
普段は面と向かって口答えはしないのだが、毎度のこととなるとさすがに言わざるを得なかった。
「……わかった、すまんな」
「ありがとうございます」
ただでさえ食が細いのに、気まずい空気の中で口に運ぶのが酷く苦痛に感じる。
「お前のメイドに伝えたように、話があってな」
いつも冷静沈着な父が些か言いにくそうにしているのを見て、想定していたよりも悪い話かと怯えてしまう。
「実は、お前に縁談が来ているのだ」
「……私に、ですか?お姉さまではなく?」
父の言葉に衝撃を受けつつ、なんとか返した言葉だった。
言ってしまえば出来損ないで地味な私とは違い、姉は文武両道な上に華やかな容姿をしていて、まさに才色兼備だ。
それに何より私は持病により横になっていることも多いため、妻として夫を補佐する力がなさすぎる。
「アイリスへの縁談で間違いない」
力強い返答だがひたすら困惑する。
「私は妻として何も出来ません。お姉さまや他のご令嬢のように学園に通ったり、何かを成し遂げることも、日常生活ですらエマに助けてもらってばかりで……。周りにも私の病弱さは知れ渡っているので、わざわざそんな女を妻にしたいと申し入れる方などいらっしゃらないのではと……」
父は少しだけ困ったように表情を変えたが、長年娘として生きてきた私にしか分からない変化なのだろう。
「あまり気負うな、これは政略結婚だ。相手に尽くさずとも婚姻だけすれば良い。相手はあの百戦練磨の騎士イザーク様だ。彼の父上はこの国の武を担うアンスリウム家と、智を担う我がブロッサム家が一つとなれば、大きく有利となると考えたのであろう」
「……分かりましたわ。顔合わせはいつ頃なのでしょうか?」
「イザークさまはとてもお忙しいため、顔合わせなしでにアンスリウム家へと入ることになる」
「では、その日はいつでしょう?」
「出来るだけ早くということで、一週間後だ」
「そんなに急なのですか!?」
思わず声も令嬢らしからぬ大きさになってしまった。
それに対し、父は少し視線を下げながら頷いたのだった。
あの話の後はもちろん食事が喉を通ることなどなく、父も仕事のため解散となった。
今はエマが気を遣って淹れてくれた果実の紅茶で、気分をなんとか落ち着かせようとしている。
「お嬢さま、やはりご結婚はご不安ですか?」
いつも以上に優しい声音で問いかけてくるエマを見ると、蜂蜜のような瞳が揺れていた。
「……そうね、とても不安。でも政略結婚だとしても、こんな身体の私を受け入れてくださるなんて、そんな有り難い殿方はいないわ。貴族の御方だし、普通ならば健康を第一条件にするはずよ。まあ、結婚後もイザーク様が切り捨てようと思えば、いつでも切り捨てられてしまうのだけれど……」
「まだお会いもしていないのですから、あまり悲観的にならないでくださいませ。私ももちろんお嬢様とご一緒にアンスリウム家に行きますから」
「……そうね、ありがとうエマ」
私が微笑むとエマも安心したように表情が和らいだ。
ここまで不安に思う理由は、自分が原因のことだけではない。
エマにも話した通り、こんな有り難いお話はないのだ。
けれど貴族の世界において、愛されない妻はいつでも立場が危ういもの。
相手はあの無慈悲と皆が言うイザークさまだなんて……きっと愛してくださることなんてないのでしょう。
……いえ、悲観的になるのはここまでよ。
この世に生を受けたからには必ず生き抜いてみせましょう!
少しだけ大きな優しい声が聞こえ、柔らかな陽射しの中で瞼を開いた。
「お嬢さま、おはようございます。起きられますか?」
「……おはようエマ。もう少ししたら起き上がるわ」
エマは幼い頃からの専属メイドで、誰よりもアイリスの体調のことを理解してくれている。
亜麻色の髪に蜂蜜のような瞳をした優しい女性だ。
「畏まりました。……旦那さまからお嬢さまにお話があるとの伝言を預かっております。急ぎではないが後ほどダイニングルームでお食事を、とのことです」
「……嫌な予感しかしないわね」
露骨に怪訝な表情を浮かべると、エマは少し困ったように微笑んだ。
というのもアイリスの父親は「忙しいから」が口癖で、小さい頃からあまり良い思い出はないのだ。
ただ、仕方ないということもわかっている。
何せこの国を担う重要な人物であり、限られた人物しか入れない王城に頻繁に出入りしているのだから。
それにこんな自分を投げ出さず家に置いていてくれるだけで、貴族の中ではこの上なく優しい父親なのであろう。
まだこの柔らかなベッドに沈んでいたいが、そんな父親の時間を奪うわけにはいかない。
ゆっくりと身体を起こすとエマがそっと背中を支えてくれる。
「ありがとう。身支度を手伝ってくれる?」
「勿論でございます」
この重い身体で身支度をするとなると、一人では多くの時間を費やしてしまうが、エマの手助けで「少々のんびりすぎる人」程度で終わる。
「エマ、いつも本当にありがとうね」
「礼は不要です。私はお嬢さまのメイドですから」
「……これからもお礼は言わせてもらうわよ」
二人で微笑み合った後、ダイニングルームへと向かった。
「お父さま、遅くなってごめんなさい」
「かまわん。そこに座りなさい」
目線で促された席へと座ると、数々の食事が運ばれてくる。
「……申し訳ないのですが、何度も申し上げましたようにこの量を私は食べられないのです。用意してくださるのは大変有り難いですが、食材が勿体ないので減らしていただきたいです」
普段は面と向かって口答えはしないのだが、毎度のこととなるとさすがに言わざるを得なかった。
「……わかった、すまんな」
「ありがとうございます」
ただでさえ食が細いのに、気まずい空気の中で口に運ぶのが酷く苦痛に感じる。
「お前のメイドに伝えたように、話があってな」
いつも冷静沈着な父が些か言いにくそうにしているのを見て、想定していたよりも悪い話かと怯えてしまう。
「実は、お前に縁談が来ているのだ」
「……私に、ですか?お姉さまではなく?」
父の言葉に衝撃を受けつつ、なんとか返した言葉だった。
言ってしまえば出来損ないで地味な私とは違い、姉は文武両道な上に華やかな容姿をしていて、まさに才色兼備だ。
それに何より私は持病により横になっていることも多いため、妻として夫を補佐する力がなさすぎる。
「アイリスへの縁談で間違いない」
力強い返答だがひたすら困惑する。
「私は妻として何も出来ません。お姉さまや他のご令嬢のように学園に通ったり、何かを成し遂げることも、日常生活ですらエマに助けてもらってばかりで……。周りにも私の病弱さは知れ渡っているので、わざわざそんな女を妻にしたいと申し入れる方などいらっしゃらないのではと……」
父は少しだけ困ったように表情を変えたが、長年娘として生きてきた私にしか分からない変化なのだろう。
「あまり気負うな、これは政略結婚だ。相手に尽くさずとも婚姻だけすれば良い。相手はあの百戦練磨の騎士イザーク様だ。彼の父上はこの国の武を担うアンスリウム家と、智を担う我がブロッサム家が一つとなれば、大きく有利となると考えたのであろう」
「……分かりましたわ。顔合わせはいつ頃なのでしょうか?」
「イザークさまはとてもお忙しいため、顔合わせなしでにアンスリウム家へと入ることになる」
「では、その日はいつでしょう?」
「出来るだけ早くということで、一週間後だ」
「そんなに急なのですか!?」
思わず声も令嬢らしからぬ大きさになってしまった。
それに対し、父は少し視線を下げながら頷いたのだった。
あの話の後はもちろん食事が喉を通ることなどなく、父も仕事のため解散となった。
今はエマが気を遣って淹れてくれた果実の紅茶で、気分をなんとか落ち着かせようとしている。
「お嬢さま、やはりご結婚はご不安ですか?」
いつも以上に優しい声音で問いかけてくるエマを見ると、蜂蜜のような瞳が揺れていた。
「……そうね、とても不安。でも政略結婚だとしても、こんな身体の私を受け入れてくださるなんて、そんな有り難い殿方はいないわ。貴族の御方だし、普通ならば健康を第一条件にするはずよ。まあ、結婚後もイザーク様が切り捨てようと思えば、いつでも切り捨てられてしまうのだけれど……」
「まだお会いもしていないのですから、あまり悲観的にならないでくださいませ。私ももちろんお嬢様とご一緒にアンスリウム家に行きますから」
「……そうね、ありがとうエマ」
私が微笑むとエマも安心したように表情が和らいだ。
ここまで不安に思う理由は、自分が原因のことだけではない。
エマにも話した通り、こんな有り難いお話はないのだ。
けれど貴族の世界において、愛されない妻はいつでも立場が危ういもの。
相手はあの無慈悲と皆が言うイザークさまだなんて……きっと愛してくださることなんてないのでしょう。
……いえ、悲観的になるのはここまでよ。
この世に生を受けたからには必ず生き抜いてみせましょう!
46
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢と誤解され冷遇されていたのに、目覚めたら夫が豹変して求愛してくるのですが?
いりん
恋愛
初恋の人と結婚できたーー
これから幸せに2人で暮らしていける…そう思ったのに。
「私は夫としての務めを果たすつもりはない。」
「君を好きになることはない。必要以上に話し掛けないでくれ」
冷たく拒絶され、離婚届けを取り寄せた。
あと2週間で届くーーそうしたら、解放してあげよう。
ショックで熱をだし寝込むこと1週間。
目覚めると夫がなぜか豹変していて…!?
「君から話し掛けてくれないのか?」
「もう君が隣にいないのは考えられない」
無口不器用夫×優しい鈍感妻
すれ違いから始まる両片思いストーリー
しつこい公爵が、わたしを逃がしてくれない
千堂みくま
恋愛
細々と仕事をして生きてきた薬師のノアは、経済的に追い詰められて仕方なく危険な仕事に手を出してしまう。それは因縁の幼なじみ、若き公爵ジオルドに惚れ薬を盛る仕事だった。
失敗して捕らえられたノアに、公爵は「俺の人生を狂わせた女」などと言い、変身魔術がかけられたチョーカーを付けて妙に可愛がる。
ジオルドの指示で王子の友人になったノアは、薬師として成長しようと決意。
公爵から逃げたいノアと、自覚のない思いに悩む公爵の話。
※毎午前中に数話更新します。
恐怖侯爵の後妻になったら、「君を愛することはない」と言われまして。
長岡更紗
恋愛
落ちぶれ子爵令嬢の私、レディアが後妻として嫁いだのは──まさかの恐怖侯爵様!
しかも初夜にいきなり「君を愛することはない」なんて言われちゃいましたが?
だけど、あれ? 娘のシャロットは、なんだかすごく懐いてくれるんですけど!
義理の娘と仲良くなった私、侯爵様のこともちょっと気になりはじめて……
もしかして、愛されるチャンスあるかも? なんて思ってたのに。
「前妻は雲隠れした」って噂と、「死んだのよ」って娘の言葉。
しかも使用人たちは全員、口をつぐんでばかり。
ねえ、どうして? 前妻さんに何があったの?
そして、地下から聞こえてくる叫び声は、一体!?
恐怖侯爵の『本当の顔』を知った時。
私の心は、思ってもみなかった方向へ動き出す。
*他サイトにも公開しています
新婚初夜に『白い結婚にしてほしい』と言われたので論理的に詰めたら夫が泣きました
ささい
恋愛
「愛人がいるから、白い結婚にしてほしい」
政略結婚の初夜にそう告げた夫ルーファス。
妻カレンの反応は——
「それ、契約不履行ですよね?」
「あなたの感情論、論理的に破綻してますよ?」
泣き落としは通じない。
そして初夜の翌朝、夫は泣いていた。
逃げ道は全部塞がれ、気づけば毎日論破されていた。
これは、論破され続けた夫がなぜか幸せになる話。
【完結】鈍感令嬢は立派なお婿さまを見つけたい
楠結衣
恋愛
「エリーゼ嬢、婚約はなかったことにして欲しい」
こう告げられたのは、真実の愛を謳歌する小説のような学園の卒業パーティーでも舞踏会でもなんでもなく、学園から帰る馬車の中だったーー。
由緒あるヒビスクス伯爵家の一人娘であるエリーゼは、婚約者候補の方とお付き合いをしてもいつも断られてしまう。傷心のエリーゼが学園に到着すると幼馴染の公爵令息エドモンド様にからかわれてしまう。
そんなエリーゼがある日、運命の二人の糸を結び、真実の愛で結ばれた恋人同士でいくと幸せになれると噂のランターンフェスタで出会ったのは……。
◇イラストは一本梅のの様に描いていただきました
◇タイトルの※は、作中に挿絵イラストがあります
王太子妃クラリスと王子たちの絆【完】
mako
恋愛
以前の投稿をブラッシュアップしました。
ランズ王国フリードリヒ王太子に嫁ぐはリントン王国王女クラリス。
クラリスはかつてランズ王国に留学中に品行不良の王太子を毛嫌いしていた節は
否めないが己の定めを受け、王女として変貌を遂げたクラリスにグリードリヒは
困惑しながらも再会を果たしその後王国として栄光を辿る物語です。
【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです
大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。
「俺は子どもみたいな女は好きではない」
ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。
ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。
ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。
何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!?
貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。
【完結】 君を愛せないと言われたので「あーそーですか」とやり過ごしてみたら執着されたんですが!?
紬あおい
恋愛
誰が見ても家格の釣り合わない婚約者同士。
「君を愛せない」と宣言されたので、適当に「あーそーですか」とやり過ごしてみたら…?
眉目秀麗な筈のレリウスが、実は執着溺愛男子で、あまりのギャップに気持ちが追い付かない平凡なリリンス。
そんな2人が心を通わせ、無事に結婚出来るのか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる