今日の記念日をなんと名づけようか

hamapito

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餃子を包んでから考えよう

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「うわっ」
 思わずパソコンの前で声が出た。
「なに? どした?」
 キッチンにいた史也ふみやが、カウンターから怪訝な顔を向けてくる。
「あっ、いや、なんでもない」
「……ふーん」
 納得いってない空気を纏わせながらも、カウンターの奥へと顔が引っ込む。今日の夕飯は餃子らしいから、餡を作っているところだろう。昼間のうちに作って冷凍しておくと言っていた。包むのはこのあと一緒にやるんだろうけど。いつも使うダイニングテーブルを避けた理由にもなってちょうどいい、とリビングのローテーブルでパソコンを開いたのだが。
「あー、マジか」
 今度は拾われないよう小声で、それでも漏らさずにはいられない。
『――京都タワーカラーライトアップ一般受付の終了について』
 何度見ても並ぶ文字は変わらない。せめてあと一年待ってくれたら。いや、俺がもっと早く動けばよかったのか。いや、でも記念日に合わせたかったし、お互い仕事が落ち着くタイミングでもあったし、言うなら絶対この日だって思ったし……。一生に一度だから思い出に残るものにしたい。どうせなら史也と初デートした京都タワーがいい。その日だけの、史也のためだけに俺が選んだ色。それを見ながらプロポーズする――なんてロマンチックだろうと、これしかないと、そう思っていたのに。
「受付終了って、なんだよ……」
「なに? ライトアップ?」
「っわ、あ、えっと」
 唐突に間近で聞こえた声に振り返れば、真後ろから覗き込まれていた。いつのまに。ちっとも気づかなかった。いや、それよりも。
「やってみたかったの?」
「あー、まあ……?」
 思わず曖昧に濁してしまったが、よく考えればプロポーズうんぬんは何も書かれていないのだから、計画がバレるわけはなかった。
「マジ? これ一色三万するってあるけど。こんなたった数時間のために?」
「こういうのは思い出っていうか記念的なものだし」
「俺はライトアップよりうまいもの食べたいわ」
 いかにも史也らしいけど、いまはさすがに突き刺さる。俺の計画、初めから間違ってたってこと?
「てかさー、受付終了してなかったらやってたってこと?」
「いや、それは」と視線を揺らせば、はあ、と呆れのため息が吐き出される。
「信じらんねー。これだから坊ちゃんは……」
 落ちてきた言葉にパッと視線がぶつかる。「お金持ち」「世界が違う」「坊ちゃん」何度と言われてきた言葉は、風が通り過ぎるのと同じ感覚で流せていたものだった……のに。きゅっと縮む胸に蓋をするように、パソコンを閉じる。
「確かにそうだよな。ライトアップより美味しいもの食べるほうがいいに決まってるよな。いやー、申し込む前でよかった」
 そもそも俺は伝えていい距離にはいなかったのだ。史也にとっての俺はまだ「坊ちゃん」なのだから。言わなくてよかった。失敗しなくてよかった。胸の中でだけ息を吐き出し、笑顔を作る。大丈夫、何度も言われてきたことだ。大丈夫、俺はもうこんなことで傷つかない。大丈夫、まだ距離があるならこれから縮めていけばいい。そうやってこの二年過ごしてきたじゃないか。
「そろそろ餃子包む? 手洗ってくるわ」
「……待って」
 洗面所へと向かいかけたところで、ひやりと冷たい温度が手首を包んだ。いつもなら「冷たっ」と言って逃げるところだけど、いまは振り払えない。
「ごめん」
「なにが? 史也が謝ることなんてあった?」
「だって嫌いだろ、家とか親とかそういうの言われるの」
「坊ちゃんは俺のことだろ? 何も間違ってないから謝る必要ないよ」
「じゃあ、なんでこっち見ないんだよ」
「いや、だから、手を洗いにいこうと」
 ぎゅっと手首への力が強くなる。
「……なんでライトアップしたかったの?」
 それは、と口を開きかけたもののすぐに閉じる。プロポーズしたかったなんて言えるわけない。言った時点でしたようなものだし、うまく顔も見られない状態で言うことじゃないし、何より思い出にも、記念にもならない場所で、部屋着で言うものじゃない。そもそもいい返事なんて期待できないし。
「べつに? ちょっとした興味?」
「記念的なものって言ったくせに」
「それは一般論っていうか」
寿臣ひさおみは、なにを記念にしたかったの?」
「……もうなにもできないんだから気にしなくていいよ」
 不貞腐れたような声が出てしまい、貼り付けていた笑顔が保てなくなる。
「気にしなくていいなら言えばいいじゃん」
 じっと見つめられているのを首の後ろに感じるが、言えるわけないし、振り向けない。失敗するとわかっていてプロポーズできるほど、俺は強くない。
「べつになんだっていいだろ。手洗ってくるから」
「三万も払って? タワーの色変えて? そうまでしてやりたかったことってなに?」
 視線だけじゃない、言葉までが肌に突き刺さる。蓋をした胸の内側、嫌な痛みが響く。なんでこんなしつこいんだよ。いつもなら聞き流してくれるのに。今日に限って、なんで、こんな。
「もしかして――俺に言えないこと?」
 ふっと力が緩められた隙間、ぽつりと落ちた声に思わず振り向く。
「寿臣が記念にしたいことって、俺とじゃないってこと?」
「は?」
「だから言えないんだろ」
「ちょっと待って、そんなわけ」
「あるだろ。あるから、いつもはダイニングで開くのにリビングだし、俺に見られないように隠して、そうやっ」
 振り解いた腕で抱きしめる。なんで、どうして。泣きそうだったのは俺のほうだったのに。いつのまにか傷ついた顔をしていたのは史也のほうだった。
「ほんとに、待って」
 ドクドクと揺れる心臓へ、トレーナーの分厚い生地越しに史也の体温が流れ込む。こんなにも近い距離にいて、どうしてこんなすれ違いが起きるんだよ。……俺の計画が甘かったから。一度言うと決めたくせに断られると思ったらこわくなったから。そうだ、全部、俺が悪い。
「ちゃんと言うから」
 いまは無理でもいい。返事がどうこうよりも、史也を傷つけたままにしたくない。どちらかが傷つかなくてはいけないなら、俺がいい。
 そっと息を吸い込み、腕の力を緩める。まっすぐ見上げてくる水面は、ほんの少し触れただけで溢れてしまいそうだった。
「……プロポーズ、したくて」
「誰に?」
 声は低く、眉は寄せられたまま。泣きそうな顔で、傷ついた表情で、それでも訊いてくる。計画が、とか。返事が、とか。簡単に引き返してしまう俺とは違う。いつも正面からぶつかってくれるのは史也だった。
「誰って、史也に決まってるだろ」
「プロポーズって、結婚したいってことだろ?」
「そうだよ」
「そんなの無理じゃん」
 無理、か。覚悟はしてたけど、いざ実際に言われると辛いものがある。いまの俺たちには、いや、俺には足りないものが多すぎるのだ。仕方ない。
「だから、俺じゃないんだろ? てか、いつのまに彼女なんて作ってたわけ? 信じらんない」
「待って待って待って」
「もういいよ、俺とは別れたいってことだろ」
「なんでそうなるんだよ。俺は、俺が結婚したいのは史也だけだよ」
「だから俺とは、少なくともここでは無理だろ」
「えっと……それって国が、とか。法律が、とか。そういうこと?」
「だって結婚って、そうだろ?」
「そうだけど、俺は他人が決めたルールに合わせなくてもいいと思う」
 誰かの決めたルールには合わなくても、思うことは自由だ。自分たちの関係は自分たちで決めればいい。
「それって、どういう……」
 向かい合う水面を奥まで覗き込めば、史也の瞳には俺しかいない。そして、俺の瞳にも史也しか映っていない。ふみや、と大切に名前を呼ぶ。どんな言葉より愛しい名前を。
「俺は史也とこの先もずっと一緒にいたい。お互いの友達も家族もみんな大切にしたい。そういう特別になりたいから、だから結婚してほしい」
「俺と……?」
「当たり前だろ」
「当たり前、なんだ?」
 史也がようやく緩んだ表情を見せる。いまになって腕の中にある体温と匂いの濃さを自覚して、心臓が音を立てる。慣れることなんてきっとない。一緒にいればいるほどすきになっていく。そういう毎日でありたい。
「うん、だから――俺と結婚して」
 思い出の場所ではなく自分たちの部屋で。カラフルなライトではなく窓から差し込む日差しのなかで。スーツではなくいつもの部屋着で。何ひとつ計画通りではなくて、記念日ですらない。思い出にするには格好悪すぎる。でも、まあ、どうせいまは応えてもらえないだろうからやり直しのときに頑張れば……。
「いいよ」
「――えっ」
「なんでそこで驚くんだよ」
「いや、だって、まだ無理って言われるかと」
「なんでだよ」
「だって俺のことまだ『坊ちゃん』って、それって一緒に生活していくにはまだ足りないってことだろ」
「それはライトアップなんかにお金使おうとするから」
「なんかってなんだよ。京都タワーは初めてデートした場所だし、俺は思い出に残るような、記念になるような、そういうことをちゃんと考え」
 ぐっと突然首に力がかかり、なんの構えもなく唇が触れた。頭の中の言葉たちが一瞬で消えてしまう。だって史也からキスしてくれるなんて珍しすぎて。いつも気持ちが溢れてしまうのは俺のほうだから。だから、柔らかな熱だけを、この腕の中の存在だけを感じていたくて、たまらなくなる。
「寿臣……ありがと」
 わずかな隙間、息とともに言葉が触れる。
「いっぱい考えてくれて」
「うん」
 嬉しい。嬉しいのに、史也が可愛くて、愛しくて、言葉よりもっと確かなものに触れたくなる。
「史也……」
「じゃあ、餃子包むか」
「えっ」
「食事は生活の基本だろ」
「それはそう、だけど」
 もうちょっと、なんか、あってもよくない? プロポーズ成功したってことでしょ? もっと、こう……いや、餃子を包むのが嫌なわけでは決してないんだけど。うまく包めても包めなくてもふたりでやると美味しさが増す気がするし。まあ、中身は変わらないから当然だけど――。
「史也」
「なに? てか、腕解いてくれないと動けないんだけど」
「ダイニングテーブル何もないけど」
「ああ、だって寿臣なんか変だったし、とりあえず冷蔵庫に入れておこうと思って」
「じゃあ、もう少しそのままにしておこう」
「なんで?」
 場所も服装も思っていたものにはならなくて、変なすれ違いまで起きて、ちっとも格好よくない。だからといっていまさらどこかに行くのも着替えるのもおかしい。結局のところ、どんなに着飾ったところで中身は変わらないわけで。いや、それならいっそ外側なんてなくていいのでは、と思い至る。
「いまからふうふじゃん? てことは、ふうふはじめじゃん」
「姫はじめみたいに言うな」
「そう、せっかくだからお姫様抱っこしたい」
「は?」
「腕、俺の首ね。持ち上げるから舌噛まないようにね」
 いつもと違う、特別なことなんて自分たちでいくらでも作れる。
「俺いいって言ってな」
「ほい、つかまって」
 言葉なんてなくても逃げようとしないのが返事だって俺にはもうわかるから。
「うわ、こわ」
「大丈夫。絶対落とさないから」
「当たり前だろ」
 当たり前こそが特別。だからこそふたりだけの場所を、ふたりしか見えない世界を、ふたりで作ればいい。
「てか、どこ行くの?」
「どこってベッドのほうがよくない? ソファ狭いし」
「……餃子包むの、寿臣がひとりでやることになるぞ」
 脅し文句にすら愛しさを感じてしまえば、きっとどこへでも行けてしまう。
「いいよ。それくらい愛してって意味なら大歓迎だよ」
「そんなこと――」
 続きは聞こえなかった。ただ、髪の隙間から覗く耳がライトアップなんかよりもずっと可愛く染まっていて。今日の記念日をなんと名づけようかと考えながら、寝室のドアを足先で開いた。
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