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プロローグ
お酒と、ほんの少しの気まぐれ
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グラスの中で、気泡が静かに弾けては消える。大学院での研究もいよいよ正念場で、ここ数週間まともに休めていなかった。今日は見かねた友人のエイミーに半ば引きずられるようにして、ボストンの少しお洒落なバーに足を運んでいた。
「ほんと、朱音のそういうとこ、勿体ないんだから」
向かいの席でエイミーが誰に言うでもなく愚痴をこぼす。私、高遠 朱音のことだ。周りがすっかり恋愛経験を重ねている年齢だというのに、私には浮いた話の一つもない。過去、誰かといい感じになったことは何度かあったが、どうしてもそこから先に気持ちが進まなかったのだ。
まあ、今は出会いがなければ仕方ない。そう割り切ってはいるものの、友人の言う通り「勿体ない」のかもしれない、と心のどこかで思っていた。
不意に、店の一角がやけに騒がしくなった。視線を向けると、明らかに一般人とは違うオーラを放つ男性グループが、多くの女性に囲まれている。その中でも、ひときわ目を引く人がいた。
(大きい、なんてものじゃないな……)
遠目にもわかる、異次元のスタイル。190cmはありそうな長身に、整いすぎてもはや冷たい印象すら与える顔立ち。彼がふと口角を上げて微笑むと、それだけで周囲の空気が一気に華やぐのがわかった。友人が興奮気味に「有名なモデルよ」と囁く。なるほど、納得の引力だ。
普段の私なら、棲む世界が違うと自ら壁を作って終わり。でも、アルコールのせいか、少しだけ大胆な気持ちが湧き上がっていた。
どうせ無視されるだけ。そしたら明日にでも「イケメンにスルーされた」って笑い話にすればいい。そんな言い訳を頭の中で組み立てて、私は気づけば人混みをかき分け、彼の元へと向かっていた。
アジア人が珍しかったからか、無数にある視線の中で、なぜか彼とだけはっきりと目が合った。吸い込まれそうな瞳の色に眩暈がしそうになるのを堪え、なんとか平静を装う。
「どこの国の人?」
想像していたよりもずっと低い、重低音の声が降ってきた。緊張で上擦りそうになる声を抑え、喉の奥から絞り出す。
「……日本です」
「日本か。アニメが面白いよね」
無難な返答に少しだけ肩の力が抜ける。もう少し話してみたい、と思った瞬間には、彼の周りにいた女性たちが負けじと会話に割り込んできた。私の出る幕は、もうない。
(まあ、こんなものか)
最初から期待なんてしていなかった。多少の話題ができただけで十分だ。私はそっとその場を離れ、飲み物を追加しようとバーカウンターへと向かった。慣れない場所のせいか、思ったより酔いが回っている。火照った頬に手を当てて、一人、息をついた。
その時だった。
「――ねえ」
すぐ後ろから、先ほど聞いたばかりの声がした。
振り返ると、あのモデル――サイラスが、私だけを見つめて立っていた。
「二人で飲まない?」
周りの喧騒が、嘘のように遠ざかっていく。私の心臓が、ありえないくらい大きな音を立てていることだけが、やけにリアルだった。
「ほんと、朱音のそういうとこ、勿体ないんだから」
向かいの席でエイミーが誰に言うでもなく愚痴をこぼす。私、高遠 朱音のことだ。周りがすっかり恋愛経験を重ねている年齢だというのに、私には浮いた話の一つもない。過去、誰かといい感じになったことは何度かあったが、どうしてもそこから先に気持ちが進まなかったのだ。
まあ、今は出会いがなければ仕方ない。そう割り切ってはいるものの、友人の言う通り「勿体ない」のかもしれない、と心のどこかで思っていた。
不意に、店の一角がやけに騒がしくなった。視線を向けると、明らかに一般人とは違うオーラを放つ男性グループが、多くの女性に囲まれている。その中でも、ひときわ目を引く人がいた。
(大きい、なんてものじゃないな……)
遠目にもわかる、異次元のスタイル。190cmはありそうな長身に、整いすぎてもはや冷たい印象すら与える顔立ち。彼がふと口角を上げて微笑むと、それだけで周囲の空気が一気に華やぐのがわかった。友人が興奮気味に「有名なモデルよ」と囁く。なるほど、納得の引力だ。
普段の私なら、棲む世界が違うと自ら壁を作って終わり。でも、アルコールのせいか、少しだけ大胆な気持ちが湧き上がっていた。
どうせ無視されるだけ。そしたら明日にでも「イケメンにスルーされた」って笑い話にすればいい。そんな言い訳を頭の中で組み立てて、私は気づけば人混みをかき分け、彼の元へと向かっていた。
アジア人が珍しかったからか、無数にある視線の中で、なぜか彼とだけはっきりと目が合った。吸い込まれそうな瞳の色に眩暈がしそうになるのを堪え、なんとか平静を装う。
「どこの国の人?」
想像していたよりもずっと低い、重低音の声が降ってきた。緊張で上擦りそうになる声を抑え、喉の奥から絞り出す。
「……日本です」
「日本か。アニメが面白いよね」
無難な返答に少しだけ肩の力が抜ける。もう少し話してみたい、と思った瞬間には、彼の周りにいた女性たちが負けじと会話に割り込んできた。私の出る幕は、もうない。
(まあ、こんなものか)
最初から期待なんてしていなかった。多少の話題ができただけで十分だ。私はそっとその場を離れ、飲み物を追加しようとバーカウンターへと向かった。慣れない場所のせいか、思ったより酔いが回っている。火照った頬に手を当てて、一人、息をついた。
その時だった。
「――ねえ」
すぐ後ろから、先ほど聞いたばかりの声がした。
振り返ると、あのモデル――サイラスが、私だけを見つめて立っていた。
「二人で飲まない?」
周りの喧騒が、嘘のように遠ざかっていく。私の心臓が、ありえないくらい大きな音を立てていることだけが、やけにリアルだった。
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