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1章
氷原の悪鬼 1
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ノックをして声をかけるだけ。でも、それができない。僕の膝は生まれたての羊みたいにガクガクと震えていた。兄さんはそこまでではないけど真っ青だ。
「オリー、私が」
ジョナサン兄さんが固まっている僕の代わりにノックしてくれた。
「誰だ」
地を這うような低音で誰何される。いつもより声のトーンが一際低い。
「ジョナサンです。オリヴィンも一緒です。ただいま帰りました」
「入れ」
カミュが僕たちの背中に「ご武運を」と声をかける。怖いこと言うなって……
ジョナサン兄さんの後について入室し、父の前に立つ。僕の定位置はジョナサン兄さんの左側だ。執務室の椅子に座る父は渋い顔をしている。
この人こそベニトア辺境伯である父、フレデリクだ。金色の短髪、と顎髭、紫色の瞳。兄弟は全員同じ色の瞳をしている。
僧帽筋が発達しすぎて撫で肩にみえる肩周り、白いシャツが発達した大胸筋に張り付いている。二の腕は僕の太ももより太い。
少し離れた椅子には母が座っていた。腰まで伸ばした銀髪はナモリス王家の証で、アイスブルーの瞳は宝石みたいだ。我が国の慣習で女性は結婚するとアップにするけれど、父が美しい髪を眺めていたいと懇願し、公式の場以外では髪を下ろしている。
普段なら、二人揃った時は甘い雰囲気で母を愛おしそうに見つめている。でも、今日は違う。母は悲しげな表情で座っているし、父は両手を組んで机を凝視している。緊迫した空気に圧倒され、僕たちは身じろぎもできない。
「二人とも、お帰りなさい」
母は立ち上がり、強く抱きしめてから僕の顔を両手で覆った。目が赤いのは見間違いではない。
「アイリス、そこまでだ」
「……ええ、分かったわ」
父は僕を抱きしめた母に離れるように指示した。これから何を聞かされるのか、心臓が飛び出そうな思いで次の言葉を待っていた。
しばし沈黙が続く。どんな話でもいいから、さっさととどめをさしてくれ。本当は短時間かもしれないけれど、永遠に感じた。
父はペンを右手に持った机に肘をついて顎を乗せ、やっと口を開いた。
「視察に出たばかりで呼び戻してすまん。だが、どうしても二人にも聞かせなければならん話がある。特に……オリヴィンに、だ」
視線を僕に定められ、どきんと心臓が跳ねた。何を言われるのだろう。不手際があって領民から苦情がきた? いや、騎士として力不足と失望された?
血の気が引く思いで父を見つめ、次の言葉を待つ。
「皇帝直々の指名で、オリヴィンと王族の結婚話がきた」
「――――はぁ?」
間抜けな声が出てしまった。想像とかけ離れた話に思考がついていかない。
「皇帝陛下が、ですか? でも、女性は全員他国に嫁いでいるのでは……」
そう。皇女は全員、他国や国内の有力者と結婚して縁を強化させているはずだ。
「王族には一人だけ未婚がいる。……今は亡き王弟パスカル様の子息、ヘリオドート領公爵、リオネルだ」
――聞き違いかな? リオネルって男性の名前だよな。
隣に立つジョナサン兄さんもポカンとしている。そんな間抜けな顔、初めてみたよ。いや、今の僕も相当だと思うけど……
「陛下はオリヴィンに男と結婚しろと命じられたのですか……?」
ジョナサン兄さんの声には怒りが滲んでいる。僕はまさかね、と思ったのだが。
「その通りだ」
メキッ!
声が聞こえたと同時に父が持っていたペンが折れ、思わず体がビクッと跳ねた。父の表情は痛みではなく、憤怒。これが、氷原の悪鬼と呼ばれた所以……
立っているだけなのに、皮膚が切れそうな怒気に失神寸前だ。
「オリー、私が」
ジョナサン兄さんが固まっている僕の代わりにノックしてくれた。
「誰だ」
地を這うような低音で誰何される。いつもより声のトーンが一際低い。
「ジョナサンです。オリヴィンも一緒です。ただいま帰りました」
「入れ」
カミュが僕たちの背中に「ご武運を」と声をかける。怖いこと言うなって……
ジョナサン兄さんの後について入室し、父の前に立つ。僕の定位置はジョナサン兄さんの左側だ。執務室の椅子に座る父は渋い顔をしている。
この人こそベニトア辺境伯である父、フレデリクだ。金色の短髪、と顎髭、紫色の瞳。兄弟は全員同じ色の瞳をしている。
僧帽筋が発達しすぎて撫で肩にみえる肩周り、白いシャツが発達した大胸筋に張り付いている。二の腕は僕の太ももより太い。
少し離れた椅子には母が座っていた。腰まで伸ばした銀髪はナモリス王家の証で、アイスブルーの瞳は宝石みたいだ。我が国の慣習で女性は結婚するとアップにするけれど、父が美しい髪を眺めていたいと懇願し、公式の場以外では髪を下ろしている。
普段なら、二人揃った時は甘い雰囲気で母を愛おしそうに見つめている。でも、今日は違う。母は悲しげな表情で座っているし、父は両手を組んで机を凝視している。緊迫した空気に圧倒され、僕たちは身じろぎもできない。
「二人とも、お帰りなさい」
母は立ち上がり、強く抱きしめてから僕の顔を両手で覆った。目が赤いのは見間違いではない。
「アイリス、そこまでだ」
「……ええ、分かったわ」
父は僕を抱きしめた母に離れるように指示した。これから何を聞かされるのか、心臓が飛び出そうな思いで次の言葉を待っていた。
しばし沈黙が続く。どんな話でもいいから、さっさととどめをさしてくれ。本当は短時間かもしれないけれど、永遠に感じた。
父はペンを右手に持った机に肘をついて顎を乗せ、やっと口を開いた。
「視察に出たばかりで呼び戻してすまん。だが、どうしても二人にも聞かせなければならん話がある。特に……オリヴィンに、だ」
視線を僕に定められ、どきんと心臓が跳ねた。何を言われるのだろう。不手際があって領民から苦情がきた? いや、騎士として力不足と失望された?
血の気が引く思いで父を見つめ、次の言葉を待つ。
「皇帝直々の指名で、オリヴィンと王族の結婚話がきた」
「――――はぁ?」
間抜けな声が出てしまった。想像とかけ離れた話に思考がついていかない。
「皇帝陛下が、ですか? でも、女性は全員他国に嫁いでいるのでは……」
そう。皇女は全員、他国や国内の有力者と結婚して縁を強化させているはずだ。
「王族には一人だけ未婚がいる。……今は亡き王弟パスカル様の子息、ヘリオドート領公爵、リオネルだ」
――聞き違いかな? リオネルって男性の名前だよな。
隣に立つジョナサン兄さんもポカンとしている。そんな間抜けな顔、初めてみたよ。いや、今の僕も相当だと思うけど……
「陛下はオリヴィンに男と結婚しろと命じられたのですか……?」
ジョナサン兄さんの声には怒りが滲んでいる。僕はまさかね、と思ったのだが。
「その通りだ」
メキッ!
声が聞こえたと同時に父が持っていたペンが折れ、思わず体がビクッと跳ねた。父の表情は痛みではなく、憤怒。これが、氷原の悪鬼と呼ばれた所以……
立っているだけなのに、皮膚が切れそうな怒気に失神寸前だ。
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