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あれからかなりの月日が経った。
「ではオーナー、お先に失礼いたします」
「おう、今日もお疲れさん。また明日も頼むぞエリシュ」
最初の頃は不得手だった仕事もやっている内になれてくるもので、最近では無理を言ってお世話になっているレストランのオーナーにも私の仕事ぶりを褒めてもらえるようになった。
今後は接客だけでなく調理を教えてもらう約束で、貴族のお屋敷では体験できなかったことだから今から楽しみだ。
そうしてホクホク顔で家に帰ると、本当の私の仕事が始まる。
まずは手早く着替えを済ませると、マルクスの所に向かう。
マルクスの家は街から離れた林の中にあり、更にそこから工房《アトリエ》と呼ばれる彼の仕事場所に移動しなければならないのだ。
「帰って来たか」
こちらを見ないでいつものようにぶっきらぼうに準備を進めるマルクスに「ただいま」と告げてから私も所定の位置へ。
実は彼の仕事は芸術家であり、私はその絵のモデルとしてここ半年ほど手伝っていた。
なかなかの売れっ子らしく、彼が手がけた絵にはそれなりの値がつくらしい。
私もいくつか作品を見せてもらったが、確かにどれもすばらしい出来だとは思った。
ただ言葉では上手く言い表せないものの、何かが足りないような気がした。
とはいえそんな彼の絵のモデルに選ばれたことは素直に嬉しい。
屋敷にいた頃は肖像画を描いてもらう機会もなかったからだ。
その場でジッと動かないことは大変だが、これはこれでやりがいを感じる。
「……今日で君がここにやってきてからちょうど半年になるな。そろそろこの生活にも慣れてきた頃だろうか」
しばらくは黙々と筆を取っていたマルクスがふとそう洩らす。
珍しい。彼が絵を描いている最中に話しかけてくるだなんて。
「ああ動くな、手元が狂う」
私が返事をしようとするといつもの淡々とした口調で制止される。
なんだか少しだけ理不尽な気がする。
「この半年間の君はよく頑張った。文句も言わずに不慣れなところで働き、今や立派に勤め上げている。それは誰でもできることじゃない」
マルクスに褒められると悪い気はしない。
「だからというわけではないが、これは俺からの日頃頑張っている君へのささやかなプレゼントとでも思ってくれ」
そう言って筆を置いたマルクスは、今し方完成したばかりのキャンバスをこちらに向ける。
「えっ……?」
そこに描かれていたのはもちろん絵のモデルである私の姿。
だがその格好は現実と異なり、純白の花嫁衣装に身を包まれていた。
奇しくもそれはあの日着たドレスと似ており、でもあの時よりもずっと魅力的で。
「綺麗……まるで私じゃないみたい」
「そこに描かれているのが君でなければ一体誰だというんだ。それとあまり自分を卑下するな、君は十分に美しい。絵のモデルに選んだ俺が保証する」
思わず息を呑んだ私に臆面も照れる様子もなくそう言ってくるものだから、マルクスの代わりにこちらが照れてしまう。
「あ、ありがとう、すごく嬉しい。大事にする」
「そうか」
とだけマルクスは口にするとあとは無言のまま画材を片付け始めた。
私はもう一度彼の絵を眺めた。
マルクスの目には私はこんな風に映っているんだ……。
そんな風に感じるとなんだか心がドキドキしてくる。火照ったように顔が熱い。
これはまさか、恋?
まだ分からない、分からないけれど、全然嫌な気分ではなく。
少なくとも今分かることはマルクスのおかげで確かに私は救われたという、彼に対する感謝の気持ちだけだった。
――しかしこの慎ましくも穏やかな生活は再びあの子の介入で予期せぬ形の急展開を迎えることとなる。
その結果私に訪れたのはどこまでも残酷な真実であった。
「ではオーナー、お先に失礼いたします」
「おう、今日もお疲れさん。また明日も頼むぞエリシュ」
最初の頃は不得手だった仕事もやっている内になれてくるもので、最近では無理を言ってお世話になっているレストランのオーナーにも私の仕事ぶりを褒めてもらえるようになった。
今後は接客だけでなく調理を教えてもらう約束で、貴族のお屋敷では体験できなかったことだから今から楽しみだ。
そうしてホクホク顔で家に帰ると、本当の私の仕事が始まる。
まずは手早く着替えを済ませると、マルクスの所に向かう。
マルクスの家は街から離れた林の中にあり、更にそこから工房《アトリエ》と呼ばれる彼の仕事場所に移動しなければならないのだ。
「帰って来たか」
こちらを見ないでいつものようにぶっきらぼうに準備を進めるマルクスに「ただいま」と告げてから私も所定の位置へ。
実は彼の仕事は芸術家であり、私はその絵のモデルとしてここ半年ほど手伝っていた。
なかなかの売れっ子らしく、彼が手がけた絵にはそれなりの値がつくらしい。
私もいくつか作品を見せてもらったが、確かにどれもすばらしい出来だとは思った。
ただ言葉では上手く言い表せないものの、何かが足りないような気がした。
とはいえそんな彼の絵のモデルに選ばれたことは素直に嬉しい。
屋敷にいた頃は肖像画を描いてもらう機会もなかったからだ。
その場でジッと動かないことは大変だが、これはこれでやりがいを感じる。
「……今日で君がここにやってきてからちょうど半年になるな。そろそろこの生活にも慣れてきた頃だろうか」
しばらくは黙々と筆を取っていたマルクスがふとそう洩らす。
珍しい。彼が絵を描いている最中に話しかけてくるだなんて。
「ああ動くな、手元が狂う」
私が返事をしようとするといつもの淡々とした口調で制止される。
なんだか少しだけ理不尽な気がする。
「この半年間の君はよく頑張った。文句も言わずに不慣れなところで働き、今や立派に勤め上げている。それは誰でもできることじゃない」
マルクスに褒められると悪い気はしない。
「だからというわけではないが、これは俺からの日頃頑張っている君へのささやかなプレゼントとでも思ってくれ」
そう言って筆を置いたマルクスは、今し方完成したばかりのキャンバスをこちらに向ける。
「えっ……?」
そこに描かれていたのはもちろん絵のモデルである私の姿。
だがその格好は現実と異なり、純白の花嫁衣装に身を包まれていた。
奇しくもそれはあの日着たドレスと似ており、でもあの時よりもずっと魅力的で。
「綺麗……まるで私じゃないみたい」
「そこに描かれているのが君でなければ一体誰だというんだ。それとあまり自分を卑下するな、君は十分に美しい。絵のモデルに選んだ俺が保証する」
思わず息を呑んだ私に臆面も照れる様子もなくそう言ってくるものだから、マルクスの代わりにこちらが照れてしまう。
「あ、ありがとう、すごく嬉しい。大事にする」
「そうか」
とだけマルクスは口にするとあとは無言のまま画材を片付け始めた。
私はもう一度彼の絵を眺めた。
マルクスの目には私はこんな風に映っているんだ……。
そんな風に感じるとなんだか心がドキドキしてくる。火照ったように顔が熱い。
これはまさか、恋?
まだ分からない、分からないけれど、全然嫌な気分ではなく。
少なくとも今分かることはマルクスのおかげで確かに私は救われたという、彼に対する感謝の気持ちだけだった。
――しかしこの慎ましくも穏やかな生活は再びあの子の介入で予期せぬ形の急展開を迎えることとなる。
その結果私に訪れたのはどこまでも残酷な真実であった。
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