酒好きおじさんの異世界酒造スローライフ

天野 恵

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違う日の修道院の夕暮れ。

ケンイチが仕込み終えた酒樽の蓋をそっと閉じたそのとき、入口の扉がギィと開いた。

「おう、今日も良い香りがするな」

ベルガルドが入ってくる。大きな体を少しかがめて、いつものように酒瓶を提げていた。

「今日の新作、飲んでみないか?」

ケンイチが渡した小さな盃を受け取り、ベルガルドは口元を緩めて一口飲む。

「……うむ、悪くない。これで三界のどこにいても楽しめるな」

そのまましばし無言の時間が流れたあと、ベルガルドはぽつりと呟いた。

「……実はな。そろそろ“魔王の座”を降りようと思っている」

酒蔵の空気が一瞬、静まり返った。

「え?」

「戯言だと思って聞いてくれ。俺はな、魔王などという役目は、戦と陰謀と面倒が多すぎる。もう飽きた。余生は――酒を造り、飲み、語らいながら静かに過ごしたいのだ」

「……」

ケンイチは驚きつつも、ベルガルドの眼差しに嘘がないことに気づいた。

「それで……次の魔王は?」

「その話は後で良い。今はただ、酒のことを考えたい」

ベルガルドはそう言って笑った。
その笑みは、魔王とは思えぬほど穏やかで、どこか寂しげだった。





数日後。

「……なるほど、宴が必要なんですね」

ケンイチは盃を置きながら、半ば呆れたように言った。

魔王ベルガルドの“隠居宣言”から数日後、修道院の一室で関係者たちが集まっていた。

セラフィーナ、三姉妹、ミコ、リディア、アナスタシア、勇者ナオト――そして、本人のベルガルド。

「魔界においては、“宴”は継承の証。次代に力を分け、縁を結び、諸勢力への示しとする。伝統というより――儀礼だな」

ベルガルドは腕を組み、深く頷いた。

「問題は、今回の宴が“人間界”で行われるという点だ」

ミコが顔をしかめながら口を挟む。

「前代未聞です。魔界だけでも混乱するでしょうに……精霊界や人間界の首脳にも呼びかけるのですか?」

「そうだとも」
ベルガルドは当然のように言った。

「我が酒友ケンイチの酒で、三界をもてなす。これ以上の舞台はあるまい」

「ちょ、ちょっと待てよ!?」

ケンイチが慌てて手を上げた。

「三界って……いや、確かに俺の酒は色んなところで飲まれてるけど!魔界の大儀式を俺に任せるとか、ちょっとスケールが違いすぎないか!?」

「ふふ……でも面白そうだわ」

アナスタシアが微笑み、リディアもにやりと笑う。

「国の威信にかけて、特級の料理人たちを揃えますわ。和平の為にも」

「会場の装飾は任せてください!舞踏会レベルに!」

「三界合同……最高にいい!!絶対映えるわね!」

「いや、勝手に盛り上がるなー!」

ケンイチの叫びは誰の耳にも届かない。

こうして――
魔界・人間界・精霊界をまたぐ、前代未聞の《魔王継承大宴会》の準備が、正式に始まったのであった。
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