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第三章
王都の水不足
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翌朝、朝の早い時間にエメレンスはルカを迎えに来た。てっきり迎えの者を寄越すと思っていたら、エメレンス本人のご登場だ。昨日と同じにエメレンスが腕を広げるとその腕の中に飛び込んだルカを見て、ユリウスは早くも後悔した。それが最良の手段だったとはいえ、やはりルカをエメレンスなぞに預けるのではなかった。
ルカとは寝る前も起きてからもキスを交わした。いつもは薄っすらとピンク色のルカの唇が、いくぶん腫れぼったく赤くなっている。エメレンスにばれやしないだろうなと内心冷や冷やしたが、エメレンスは何も気づかず、ルカの手を引いてユリウスの屋敷を後にした。
思えばルカを森で拾ってから、毎日ルカが側にいた。これから何日かはいないのかと思うと猛烈に寂しい。ユリウスはルカのいなくなったベッドを見て、しばし感傷に浸った。
「ユリウス様。そろそろ王宮へ参内するお時間ですぞ」
カレルに促されるまで気の抜けたように呆けていた。急いで王宮にあがる正装に着替え、地方官に提出する書類を再度確認する。一通りの準備が終わったところで、カレルがそういえばと切り出した。
「こちらに着いてから、旧知の者に会って王都の情報を仕入れたのですが、ここ最近、王都の水不足がかなり深刻な状況のようです。幸い、王都の周辺は雨の多い地域なので、その雨水を貯めてなんとか駕いでいるようですが、アルメレ川の河川工事も、何ら王都へ恩恵をもたらさなかったようです」
ユリウスは苦い思いでカレルの話に頷いた。
アルメレ川の河川工事を巡って、ユリウスの父レオナルトがオーラフ宰相と対立したのは十年前だ。
王都は昔、水の都と呼ばれるほど水の豊かな都だった。王都の地中深くを流れる豊富な地下水脈のおかげで、いたるところに張り巡らされた水路を滔々と水が流れ、小舟の行き交う都だった。それが、いつの頃からか、王都は深刻な水不足に陥った。王都に張り巡らされている水路の水は干上がり、満々とたたえた水の中に浮かび青の王宮とも言われた王宮の掘割も枯れた。
父のレオナルトによると、父が幼少の頃は、まだかろうじて王宮は水に浮かんでいたらしい。今はその見る影もない。
とはいえ、地下水脈が完全に枯れたわけではなく、深く井戸を掘ると水が得られる。かつての水の都は返上したが、生活用水に困ることはない。そんな状態を保ってきた王都だが、約十年ほど前から頼りの井戸が枯渇するようになった。別の場所を掘ると湧き出すのだが、しばらくするとまた水が枯れる。その繰り返しで王都中に井戸跡の深い穴があいた。
イタチごっこの状況に打開策として提案されたのが、王都の北部を流れるアルメレ川の流れを変え、王都の水路へ水を引くことだった。
オーラフ宰相肝いりの政策として、議論の場などもたれず決定した河川工事だったが、父のレオナルトはこれに真っ向から反対した。
というのも、アルメレ川流域は豊かな穀倉地帯で、主食となる小麦をはじめ、とうもろこしなど多くの農作物が作られている。川の流れを変えるということは、それら穀倉地帯の一部を破壊する行為となる。農民はもとより、その恩恵を受けている自分たちの首をもしめる工事だ。
レオナルトはそう主張したが、オーラフ宰相によってねじ伏せられ、父は中央政界を去ることになった。
そこからアルメレ川の河川工事が始まった。およそ五年に渡って大規模な工事が行われ、王都の水路に水が戻った。が、その効果は五年ももたなかったようだ。
「話によると、アルメレ川の水量が、激減しているそうで……」
今年は少雨傾向だったというような話もなく、水量が少なくなった理由はわからないという。
アルメレ川は、モント領の東北にある急峻な山並みから流れてきている川だ。その一部の支流はモント領内にも流れているが、特に水量が減ったような話も聞かない。
「五年前に終わった河川工事に原因があるのかもな」
ユリウスがそう言うと、カレルは額のしわを険しくした。
「ここではよろしいですが、王宮では決してそのようなこと、口にされてはなりませんぞ」
「わかってるさ。王宮はオーラフの犬共の巣窟だからな。目をつけられて領地替えされ、親しんだモント領を出るのは俺だってごめんだ」
「わかっておいでならよろしいのです。くれぐれも目立った言動はお控えください。出ない杭は打たれませんゆえ」
「目立たず、失敗せず、だろ」
ほとぼりは冷めたが、領地替えされ、爵位を落とされたベイエル伯は今でも王宮では肩身が狭い。難癖をつけられぬよう、王宮では無用な争いや目立つ行為は特に気を配って控えている。王都滞在中は、身の振る舞い方一つ間違えてはいけない。常に緊張を強いられる。
今年はルカを伴ったので、屋敷にいる間だけは安らげるかと思ったのだが。それもエメレンスの提案でなくなった。
「上手くいくといいですな、ルカのこと」
カレルの言葉に、ユリウスは頷いた。
「きっと上手くいくさ」
***
その頃一方のルカは。
エメレンスの屋敷は、ユリウスの屋敷から程近い貴族街の一角にあった。何なら迎えなどいらないくらいの距離で、ユリウスに会いたくなったら勝手に会いに行けそうなほど近い。そんなことを考えていると、ルカの手をとったエメレンスが先回りして言った。
「だめだよ、勝手に出たら」
「……はい」
エメレンスにはなぜか考えていることがよくばれる。
ユリウスの屋敷と近いと言っても、エメレンスの屋敷は広大だった。道中ちらりと見た周りの他の貴族の屋敷よりもずいぶんと広大だ。門を入って玄関までも馬車でいくらか進む。建物は瀟洒な赤壁の二階建てだ。馬車を降り、出迎えた眼鏡の男の人が、ルカを見て眉間をぴくりと揺らした。そういえば、エメレンスは自分のことを屋敷の人たちにどう紹介するのだろう。疑問に思ってルカがエメレンスを見上げると、エメレンスはいきなりルカを抱き上げた。
「かわいいだろう。奴隷市で買ってきた。髪を染めているんだが、落としてやってくれ」
え?え?と混乱するルカを、エメレンスはぽいと荷物のように眼鏡の男の人に渡す。受け取った眼鏡の男も、すぐに側にいた侍女と思われる女性にぽいっとルカを渡す。
バケツリレーのように次々と渡され、ぽかんとするルカを置いて、エメレンスはさっさと先に中へと入っていく。
入ってすぐは吹き抜けのホールになっている。金のシャンデリアが出迎えた。そのシャンデリアを、侍女に抱えられながら見上げる。ルカはエメレンスとは別の場所へ連れて行かれた。浴場だ。早速仕事に取りかかろうと、侍女は腕まくりしている。
染料で染めたルカの髪は、なかなか元の色に戻らなかった。何度もごしごし洗われ、いい加減疲れてきた頃にやっと、「落ちましたわ」と侍女に言われ、解放された。
案内された部屋に行くと、エメレンスとさきほどの眼鏡の男がいた。エメレンスは入ってきたルカを見て、相好を崩した。
「やっぱりルカは黒髪の方が似合う。おいで」
エメレンスはルカを抱き上げたまま椅子に座り、さらさらと流れる黒髪に触れた。
「ゴホンッ。よろしいですかな? エメレンス殿下」
玄関で出迎えた眼鏡の男が、努めて平静を装ったように咳払いをした。この人がいることをすっかり忘れていた。
「して、そのお方はいかがなされました」
「さっき言っただろう。買ったんだ。あんまりかわいくてついね」
「つい、でございますか」
なんとなくカレルに通じるものがある。
「いいじゃないか。希少種の奴隷はみんな飼ってる。私も欲しくなっただけだ。そうかりかりするなよ、ジオ」
ジオと呼ばれた眼鏡の男は、眼鏡についた細い鎖をしゃらりと鳴らして天を仰いだ。
「全くあなたというお方は。本来希少種の奴隷は、つい、購入するものでもございませんぞ。価格もそれなりに高いのです」
「そんなことわかってるさ。だからな。ジオ。大事にしろよ。世話はジオとさっきの侍女の二人でしてくれ。かわいすぎて、あまり多くの者に見せたくない。いいな?」
「奴隷ではなく、奥方を連れてきていただけると、うれしゅうございましたのに」
「私は独身主義なんだ。それはあきらめろ。ほら、早く出ていけジオ。王宮へ出かけるまでに、少しこの子と遊びたいんだ」
それを聞いて、はぁとジオは大きなため息をついた。
「ほどほどになさいませ」
ジオが部屋を出て二人きりになると、エメレンスはルカの唇を触ってきた。
「今朝会ったときから気になっていたんだ。やけに唇が赤くないか? どうした?」
「そう?」
自分では気が付かなかった。でも赤いとしたら、原因は一つだ。
「ユリウスと唇を合わせて遊んでたからかな」
エメレンスは一瞬目を見張り、ははと笑った。
「なんだ、あいつ。堅物のくせにルカとキスをするとはけしからん」
「キス?」
「ああ、そういえばそういうことは何一つ教えてあげなかったな。それはな、キスと言うんだ、ルカ。私ともしてみるか?」
ルカは即座に首を振った。
「だめ。それはユリウスとしかしないから」
「そうなのかい? それは残念」
エメレンスは肩をすくめたが、ちっとも別に言葉通りに残念そうではなかった。
ルカとは寝る前も起きてからもキスを交わした。いつもは薄っすらとピンク色のルカの唇が、いくぶん腫れぼったく赤くなっている。エメレンスにばれやしないだろうなと内心冷や冷やしたが、エメレンスは何も気づかず、ルカの手を引いてユリウスの屋敷を後にした。
思えばルカを森で拾ってから、毎日ルカが側にいた。これから何日かはいないのかと思うと猛烈に寂しい。ユリウスはルカのいなくなったベッドを見て、しばし感傷に浸った。
「ユリウス様。そろそろ王宮へ参内するお時間ですぞ」
カレルに促されるまで気の抜けたように呆けていた。急いで王宮にあがる正装に着替え、地方官に提出する書類を再度確認する。一通りの準備が終わったところで、カレルがそういえばと切り出した。
「こちらに着いてから、旧知の者に会って王都の情報を仕入れたのですが、ここ最近、王都の水不足がかなり深刻な状況のようです。幸い、王都の周辺は雨の多い地域なので、その雨水を貯めてなんとか駕いでいるようですが、アルメレ川の河川工事も、何ら王都へ恩恵をもたらさなかったようです」
ユリウスは苦い思いでカレルの話に頷いた。
アルメレ川の河川工事を巡って、ユリウスの父レオナルトがオーラフ宰相と対立したのは十年前だ。
王都は昔、水の都と呼ばれるほど水の豊かな都だった。王都の地中深くを流れる豊富な地下水脈のおかげで、いたるところに張り巡らされた水路を滔々と水が流れ、小舟の行き交う都だった。それが、いつの頃からか、王都は深刻な水不足に陥った。王都に張り巡らされている水路の水は干上がり、満々とたたえた水の中に浮かび青の王宮とも言われた王宮の掘割も枯れた。
父のレオナルトによると、父が幼少の頃は、まだかろうじて王宮は水に浮かんでいたらしい。今はその見る影もない。
とはいえ、地下水脈が完全に枯れたわけではなく、深く井戸を掘ると水が得られる。かつての水の都は返上したが、生活用水に困ることはない。そんな状態を保ってきた王都だが、約十年ほど前から頼りの井戸が枯渇するようになった。別の場所を掘ると湧き出すのだが、しばらくするとまた水が枯れる。その繰り返しで王都中に井戸跡の深い穴があいた。
イタチごっこの状況に打開策として提案されたのが、王都の北部を流れるアルメレ川の流れを変え、王都の水路へ水を引くことだった。
オーラフ宰相肝いりの政策として、議論の場などもたれず決定した河川工事だったが、父のレオナルトはこれに真っ向から反対した。
というのも、アルメレ川流域は豊かな穀倉地帯で、主食となる小麦をはじめ、とうもろこしなど多くの農作物が作られている。川の流れを変えるということは、それら穀倉地帯の一部を破壊する行為となる。農民はもとより、その恩恵を受けている自分たちの首をもしめる工事だ。
レオナルトはそう主張したが、オーラフ宰相によってねじ伏せられ、父は中央政界を去ることになった。
そこからアルメレ川の河川工事が始まった。およそ五年に渡って大規模な工事が行われ、王都の水路に水が戻った。が、その効果は五年ももたなかったようだ。
「話によると、アルメレ川の水量が、激減しているそうで……」
今年は少雨傾向だったというような話もなく、水量が少なくなった理由はわからないという。
アルメレ川は、モント領の東北にある急峻な山並みから流れてきている川だ。その一部の支流はモント領内にも流れているが、特に水量が減ったような話も聞かない。
「五年前に終わった河川工事に原因があるのかもな」
ユリウスがそう言うと、カレルは額のしわを険しくした。
「ここではよろしいですが、王宮では決してそのようなこと、口にされてはなりませんぞ」
「わかってるさ。王宮はオーラフの犬共の巣窟だからな。目をつけられて領地替えされ、親しんだモント領を出るのは俺だってごめんだ」
「わかっておいでならよろしいのです。くれぐれも目立った言動はお控えください。出ない杭は打たれませんゆえ」
「目立たず、失敗せず、だろ」
ほとぼりは冷めたが、領地替えされ、爵位を落とされたベイエル伯は今でも王宮では肩身が狭い。難癖をつけられぬよう、王宮では無用な争いや目立つ行為は特に気を配って控えている。王都滞在中は、身の振る舞い方一つ間違えてはいけない。常に緊張を強いられる。
今年はルカを伴ったので、屋敷にいる間だけは安らげるかと思ったのだが。それもエメレンスの提案でなくなった。
「上手くいくといいですな、ルカのこと」
カレルの言葉に、ユリウスは頷いた。
「きっと上手くいくさ」
***
その頃一方のルカは。
エメレンスの屋敷は、ユリウスの屋敷から程近い貴族街の一角にあった。何なら迎えなどいらないくらいの距離で、ユリウスに会いたくなったら勝手に会いに行けそうなほど近い。そんなことを考えていると、ルカの手をとったエメレンスが先回りして言った。
「だめだよ、勝手に出たら」
「……はい」
エメレンスにはなぜか考えていることがよくばれる。
ユリウスの屋敷と近いと言っても、エメレンスの屋敷は広大だった。道中ちらりと見た周りの他の貴族の屋敷よりもずいぶんと広大だ。門を入って玄関までも馬車でいくらか進む。建物は瀟洒な赤壁の二階建てだ。馬車を降り、出迎えた眼鏡の男の人が、ルカを見て眉間をぴくりと揺らした。そういえば、エメレンスは自分のことを屋敷の人たちにどう紹介するのだろう。疑問に思ってルカがエメレンスを見上げると、エメレンスはいきなりルカを抱き上げた。
「かわいいだろう。奴隷市で買ってきた。髪を染めているんだが、落としてやってくれ」
え?え?と混乱するルカを、エメレンスはぽいと荷物のように眼鏡の男の人に渡す。受け取った眼鏡の男も、すぐに側にいた侍女と思われる女性にぽいっとルカを渡す。
バケツリレーのように次々と渡され、ぽかんとするルカを置いて、エメレンスはさっさと先に中へと入っていく。
入ってすぐは吹き抜けのホールになっている。金のシャンデリアが出迎えた。そのシャンデリアを、侍女に抱えられながら見上げる。ルカはエメレンスとは別の場所へ連れて行かれた。浴場だ。早速仕事に取りかかろうと、侍女は腕まくりしている。
染料で染めたルカの髪は、なかなか元の色に戻らなかった。何度もごしごし洗われ、いい加減疲れてきた頃にやっと、「落ちましたわ」と侍女に言われ、解放された。
案内された部屋に行くと、エメレンスとさきほどの眼鏡の男がいた。エメレンスは入ってきたルカを見て、相好を崩した。
「やっぱりルカは黒髪の方が似合う。おいで」
エメレンスはルカを抱き上げたまま椅子に座り、さらさらと流れる黒髪に触れた。
「ゴホンッ。よろしいですかな? エメレンス殿下」
玄関で出迎えた眼鏡の男が、努めて平静を装ったように咳払いをした。この人がいることをすっかり忘れていた。
「して、そのお方はいかがなされました」
「さっき言っただろう。買ったんだ。あんまりかわいくてついね」
「つい、でございますか」
なんとなくカレルに通じるものがある。
「いいじゃないか。希少種の奴隷はみんな飼ってる。私も欲しくなっただけだ。そうかりかりするなよ、ジオ」
ジオと呼ばれた眼鏡の男は、眼鏡についた細い鎖をしゃらりと鳴らして天を仰いだ。
「全くあなたというお方は。本来希少種の奴隷は、つい、購入するものでもございませんぞ。価格もそれなりに高いのです」
「そんなことわかってるさ。だからな。ジオ。大事にしろよ。世話はジオとさっきの侍女の二人でしてくれ。かわいすぎて、あまり多くの者に見せたくない。いいな?」
「奴隷ではなく、奥方を連れてきていただけると、うれしゅうございましたのに」
「私は独身主義なんだ。それはあきらめろ。ほら、早く出ていけジオ。王宮へ出かけるまでに、少しこの子と遊びたいんだ」
それを聞いて、はぁとジオは大きなため息をついた。
「ほどほどになさいませ」
ジオが部屋を出て二人きりになると、エメレンスはルカの唇を触ってきた。
「今朝会ったときから気になっていたんだ。やけに唇が赤くないか? どうした?」
「そう?」
自分では気が付かなかった。でも赤いとしたら、原因は一つだ。
「ユリウスと唇を合わせて遊んでたからかな」
エメレンスは一瞬目を見張り、ははと笑った。
「なんだ、あいつ。堅物のくせにルカとキスをするとはけしからん」
「キス?」
「ああ、そういえばそういうことは何一つ教えてあげなかったな。それはな、キスと言うんだ、ルカ。私ともしてみるか?」
ルカは即座に首を振った。
「だめ。それはユリウスとしかしないから」
「そうなのかい? それは残念」
エメレンスは肩をすくめたが、ちっとも別に言葉通りに残念そうではなかった。
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