5 / 68
5 人質
しおりを挟む
5
「――姫様!」
「ヘルマ……ただいまっ!」
約一年ぶりに、宮に戻ってきた私を温かく出迎えてくれたのは。
今は亡きお母様と共に、クーゲル帝国からこのモルゲンロートにやって来た侍女のヘルマでした。
ヘルマはお母様が亡くなった後もずっと私のそばにいてくれた、まるで家族のような存在。
そしてこの王宮で唯一私が気を許せる特別な人。
「姫様、シュヴァルツヴァルトに嫁がれるというのは本当でございますか……?」
「……ごめん。『立派な女王になる』って、お母様とヘルマに約束したのに」
あらためて言葉にすると胸が痛んだ。
私はお母様と最後に交わした大事な約束を、守ることができない。
「そんな約束よりも! 姫様はご自分の心配をなさってくださいませ! これではまるで……人質、ではないですかっ……」
人質。
その価値が、今の私にあるのでしょうか。
「ヘルマ……私なら大丈夫だよ、だから心配しないで?」
「それのどこが大丈夫なのですか!? 戦地からやっと戻ってこられたと思ったらすぐに輿入れなんて! それにそのお身体とお顔はなんですか! 全身傷だらけではないですか! お美しいお顔が……なんとお労しゅう……!」
「ああ、これ? こんなのはただのかすり傷、ほっといたらそのうち治る……」
この程度の傷や凍傷は北の地ではよくあることで、気にするほどのことではありません。
唾でもちょいとつけておけば、この程度の傷はそのうち治ると戦場で学びました。
「……な、に、が『ただのかすり傷』ですか! 姫様はこれからシュヴァルツヴァルトの王太子妃になられるお方なのですよ!? そんな傷だらけで、どうやってドレスをお召になるおつもりですか!」
「ドレス……? あ、忘れ……」
すっかり忘れていました。
ドレスなんて一年以上余裕で着ていませんでしたし、自分がシュヴァルツヴァルトの王太子妃になると言われても。
実感が湧きませんし、その姿を想像できません。
「わ、忘れていらしたのですか!?」
私がそう言うと、
ヘルマは深いため息をついて、頭痛でも堪えるように眉間に皺を寄せた。
それに肩までがっくりと落としてしまっている。
「お化粧で隠せばなんとか……なるよね?」
多少厚化粧にはなるでしょうが、傷が癒えるまでの間だけですし……まぁどうにかなるでしょう。
……というか、ならないと困ります。
「姫様……シュヴァルツヴァルトのフリード王太子は、北の前線では敵将を務めていらした方だったとお伺いしておりますが……それは事実ですか?」
「残念ながら、事実だね……」
「ならば……姫様が北の前線にいらしたことは、決して口にされない方がよろしいかと存じます」
「ん……そう、だね。私も隠した方がいいと思う」
輿入れしてくる王女が、まさか自分の首を虎視眈眈と狙っていた敵将だったなんて。
シュヴァルツヴァルトの王太子も、わざわざそんな事実知りたくもないでしょう。
……それに。
戦時中とはいえ、私はシュヴァルツヴァルトの兵を殺してしまっている。
それはどんな理由があったとしても消えることはない罪で、私自身が背負わなければいけない。
だけどもしそれを知られてしまったら、最悪の場合……外交問題にまでなりかねません。
隠すことは卑怯なのかもしれません。
けれど私はその事実を隠し通さなければいけない、もう戦争なんて絶対に嫌ですから。
あのクソ親父もそれをわかっているはずなのに、どうして嫁入りする王女を私に決めたのか。
私にはさっぱりわかりません。
「……姫様、あまり時間がありません。とりあえず湯浴みをいたしましょう。そして湯浴みが終わりましたら御髪を整えて……」
「え、休む時間は? 疲れたから、のんびりゴロゴロしたい……」
「そんな時間は一切ございません! 来週にはシュヴァルツヴァルトから迎えがこちらへやって参ります、それまでにその傷だらけの顔と身体をどうにか見られるようにしなくてはならないのですよ!?」
「え、見れないほど酷いと!? これで謁見の間に行ったのに……」
「なっ!? もしやそんな格好で……? 皆の前に……お出になられたと……」
「そんな格好って……王都に入る前の街で宿屋に寄って水浴びはしたよ? 服も一応着替えたし……?」
「水浴び……? 姫様が?」
私のその一言に、
ヘルマのこめかみがぴくりと動いた。
そして私の頬の傷にそっと触れた手がわずかに震え、なにか言葉を飲み込むように唇が引き結ばれる。
「うん、だから泥汚れは落ちて……」
……ふつふつと。
まるで静かに煮えたぎる鍋のように、隠しきれない怒気がヘルマからじわじわと滲み出ているように見えた気がします。
「そう、ですか。とりあえず姫様、どうぞこちらへ……傷の手当も必要ですので」
「え? あ、うん……」
ヘルマがなにをそんなに怒っているのかよくわかりませんが、私に向けられたものでは無さそうですので。
触らぬ神に祟りなしということで、放っておくことにしました。
「――姫様!」
「ヘルマ……ただいまっ!」
約一年ぶりに、宮に戻ってきた私を温かく出迎えてくれたのは。
今は亡きお母様と共に、クーゲル帝国からこのモルゲンロートにやって来た侍女のヘルマでした。
ヘルマはお母様が亡くなった後もずっと私のそばにいてくれた、まるで家族のような存在。
そしてこの王宮で唯一私が気を許せる特別な人。
「姫様、シュヴァルツヴァルトに嫁がれるというのは本当でございますか……?」
「……ごめん。『立派な女王になる』って、お母様とヘルマに約束したのに」
あらためて言葉にすると胸が痛んだ。
私はお母様と最後に交わした大事な約束を、守ることができない。
「そんな約束よりも! 姫様はご自分の心配をなさってくださいませ! これではまるで……人質、ではないですかっ……」
人質。
その価値が、今の私にあるのでしょうか。
「ヘルマ……私なら大丈夫だよ、だから心配しないで?」
「それのどこが大丈夫なのですか!? 戦地からやっと戻ってこられたと思ったらすぐに輿入れなんて! それにそのお身体とお顔はなんですか! 全身傷だらけではないですか! お美しいお顔が……なんとお労しゅう……!」
「ああ、これ? こんなのはただのかすり傷、ほっといたらそのうち治る……」
この程度の傷や凍傷は北の地ではよくあることで、気にするほどのことではありません。
唾でもちょいとつけておけば、この程度の傷はそのうち治ると戦場で学びました。
「……な、に、が『ただのかすり傷』ですか! 姫様はこれからシュヴァルツヴァルトの王太子妃になられるお方なのですよ!? そんな傷だらけで、どうやってドレスをお召になるおつもりですか!」
「ドレス……? あ、忘れ……」
すっかり忘れていました。
ドレスなんて一年以上余裕で着ていませんでしたし、自分がシュヴァルツヴァルトの王太子妃になると言われても。
実感が湧きませんし、その姿を想像できません。
「わ、忘れていらしたのですか!?」
私がそう言うと、
ヘルマは深いため息をついて、頭痛でも堪えるように眉間に皺を寄せた。
それに肩までがっくりと落としてしまっている。
「お化粧で隠せばなんとか……なるよね?」
多少厚化粧にはなるでしょうが、傷が癒えるまでの間だけですし……まぁどうにかなるでしょう。
……というか、ならないと困ります。
「姫様……シュヴァルツヴァルトのフリード王太子は、北の前線では敵将を務めていらした方だったとお伺いしておりますが……それは事実ですか?」
「残念ながら、事実だね……」
「ならば……姫様が北の前線にいらしたことは、決して口にされない方がよろしいかと存じます」
「ん……そう、だね。私も隠した方がいいと思う」
輿入れしてくる王女が、まさか自分の首を虎視眈眈と狙っていた敵将だったなんて。
シュヴァルツヴァルトの王太子も、わざわざそんな事実知りたくもないでしょう。
……それに。
戦時中とはいえ、私はシュヴァルツヴァルトの兵を殺してしまっている。
それはどんな理由があったとしても消えることはない罪で、私自身が背負わなければいけない。
だけどもしそれを知られてしまったら、最悪の場合……外交問題にまでなりかねません。
隠すことは卑怯なのかもしれません。
けれど私はその事実を隠し通さなければいけない、もう戦争なんて絶対に嫌ですから。
あのクソ親父もそれをわかっているはずなのに、どうして嫁入りする王女を私に決めたのか。
私にはさっぱりわかりません。
「……姫様、あまり時間がありません。とりあえず湯浴みをいたしましょう。そして湯浴みが終わりましたら御髪を整えて……」
「え、休む時間は? 疲れたから、のんびりゴロゴロしたい……」
「そんな時間は一切ございません! 来週にはシュヴァルツヴァルトから迎えがこちらへやって参ります、それまでにその傷だらけの顔と身体をどうにか見られるようにしなくてはならないのですよ!?」
「え、見れないほど酷いと!? これで謁見の間に行ったのに……」
「なっ!? もしやそんな格好で……? 皆の前に……お出になられたと……」
「そんな格好って……王都に入る前の街で宿屋に寄って水浴びはしたよ? 服も一応着替えたし……?」
「水浴び……? 姫様が?」
私のその一言に、
ヘルマのこめかみがぴくりと動いた。
そして私の頬の傷にそっと触れた手がわずかに震え、なにか言葉を飲み込むように唇が引き結ばれる。
「うん、だから泥汚れは落ちて……」
……ふつふつと。
まるで静かに煮えたぎる鍋のように、隠しきれない怒気がヘルマからじわじわと滲み出ているように見えた気がします。
「そう、ですか。とりあえず姫様、どうぞこちらへ……傷の手当も必要ですので」
「え? あ、うん……」
ヘルマがなにをそんなに怒っているのかよくわかりませんが、私に向けられたものでは無さそうですので。
触らぬ神に祟りなしということで、放っておくことにしました。
1,091
あなたにおすすめの小説
《完結》氷の侯爵令息 あなたが子供はいらないと言ったから
ヴァンドール
恋愛
氷の侯爵令息と言われたアラン。彼は結婚相手の伯爵令嬢にとにかく冷たい態度で接する。
彼女は義姉イライザから夫が子供はいらないと言ったと聞き、衝撃を受けるが気持ちを切り替え生きていく。
婚約者から婚約破棄をされて喜んだのに、どうも様子がおかしい
棗
恋愛
婚約者には初恋の人がいる。
王太子リエトの婚約者ベルティーナ=アンナローロ公爵令嬢は、呼び出された先で婚約破棄を告げられた。婚約者の隣には、家族や婚約者が常に可愛いと口にする従妹がいて。次の婚約者は従妹になると。
待ちに待った婚約破棄を喜んでいると思われる訳にもいかず、冷静に、でも笑顔は忘れずに二人の幸せを願ってあっさりと従者と部屋を出た。
婚約破棄をされた件で父に勘当されるか、何処かの貴族の後妻にされるか待っていても一向に婚約破棄の話をされない。また、婚約破棄をしたのに何故か王太子から呼び出しの声が掛かる。
従者を連れてさっさと家を出たいべルティーナと従者のせいで拗らせまくったリエトの話。
※なろうさんにも公開しています。
※短編→長編に変更しました(2023.7.19)
【完結】氷の令嬢は愛を請わない - 捨て子の『義妹』に愛も家族も奪われたマリーローズの逆襲
恋せよ恋
恋愛
銀髪紫眼の美貌の侯爵令嬢、マリーローズ。
完璧な淑女に育った彼女だったが、母は捨て子ジュリエットを寵愛。
婚約者の公爵家嫡男アレックスも、友人も、次々に奪われる――。
家族に裏切られ、すべてを失った彼女が下した決断は、
家族を見かぎり、国を捨て、自らの人生を取り戻すこと。
理不尽な悲恋を力に変え、運命をひっくり返す令嬢の逆転劇!
🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。
🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。
🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。
🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。
🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!
〈完結〉八年間、音沙汰のなかった貴方はどちら様ですか?
詩海猫(8/29書籍発売)
恋愛
私の家は子爵家だった。
高位貴族ではなかったけれど、ちゃんと裕福な貴族としての暮らしは約束されていた。
泣き虫だった私に「リーアを守りたいんだ」と婚約してくれた侯爵家の彼は、私に黙って戦争に言ってしまい、いなくなった。
私も泣き虫の子爵令嬢をやめた。
八年後帰国した彼は、もういない私を探してるらしい。
*文字数的に「短編か?」という量になりましたが10万文字以下なので短編です。この後各自のアフターストーリーとか書けたら書きます。そしたら10万文字超えちゃうかもしれないけど短編です。こんなにかかると思わず、「転生王子〜」が大幅に滞ってしまいましたが、次はあちらに集中予定(あくまで予定)です、あちらもよろしくお願いします*
婚約破棄されたので、もう誰の役にも立たないことにしました 〜静かな公爵家で、何もしない私の本当の人生が始まります〜
ふわふわ
恋愛
王太子の婚約者として、
完璧であることを求められ続けてきた令嬢エリシア。
だがある日、彼女は一方的に婚約を破棄される。
理由は簡単だった。
「君は役に立ちすぎた」から。
すべてを失ったはずの彼女が身を寄せたのは、
“静かな公爵”と呼ばれるアルトゥール・クロイツの屋敷。
そこで待っていたのは――
期待も、役割も、努力の強要もない日々だった。
前に出なくていい。
誰かのために壊れなくていい。
何もしなくても、ここにいていい。
「第二の人生……いえ、これからが本当の人生です」
婚約破棄ざまぁのその先で描かれる、
何者にもならなくていいヒロインの再生と、
放っておく優しさに満ちた静かな溺愛。
これは、
“役に立たなくなった”令嬢が、
ようやく自分として生き始める物語。
私を裏切った夫が、後悔しているようですが知りません
藤原遊
恋愛
政略結婚として、公爵家に嫁いだ私は
愛のない夫婦関係を「仕事」だと思い、正妻の役目を果たしてきた。
夫が愛人を持つことも、
その子を屋敷に迎え入れることも、黙って受け入れてきた。
けれど――
跡取りを、正妻の子ではなく愛人の子にする。
その言葉を、人前で軽く口にした瞬間。
私は悟ったのだ。
この家では、息子を守れないと。
元々、実家との間には
「嫡子以外の子は実家の跡取りにする」という取り決めがあった。
ならば話は簡単だ。
役目を終えた私は、離縁を選ぶ。
息子と共に、この家を去るだけ。
後悔しているようですが――
もう、私の知るところではありません。
婚約破棄で悪役令嬢を辞めたので、今日から素で生きます。
黒猫かの
恋愛
「エリー・オルブライト! 貴様との婚約を破棄する!」
豪華絢爛な夜会で、ウィルフレッド王子から突きつけられた非情な宣告。
しかし、公爵令嬢エリーの心境は……「よっしゃあ! やっと喋れるわ!!」だった。
悪役令嬢は永眠しました
詩海猫(8/29書籍発売)
ファンタジー
「お前のような女との婚約は破棄だっ、ロザリンダ・ラクシエル!だがお前のような女でも使い道はある、ジルデ公との縁談を調えてやった!感謝して公との間に沢山の子を産むがいい!」
長年の婚約者であった王太子のこの言葉に気を失った公爵令嬢・ロザリンダ。
だが、次に目覚めた時のロザリンダの魂は別人だった。
ロザリンダとして目覚めた木の葉サツキは、ロザリンダの意識がショックのあまり永遠の眠りについてしまったことを知り、「なぜロザリンダはこんなに努力してるのに周りはクズばっかりなの?まかせてロザリンダ!きっちりお返ししてあげるからね!」
*思いつきでプロットなしで書き始めましたが結末は決めています。暗い展開の話を書いているとメンタルにもろに影響して生活に支障が出ることに気付きました。定期的に強気主人公を暴れさせないと(?)書き続けるのは不可能なようなのでメンタル状態に合わせて書けるものから書いていくことにします、ご了承下さいm(_ _)m
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる