27 / 68
27 甘いお茶
しおりを挟む
27
――王宮に帰ると。
そのまま浴室に連れていかれて、頭のてっぺんから足の先に至るまで侍女達に徹底的に磨き上げられた。
せめてお茶一杯くらい飲む時間のゆとりが欲しかったのですが、これもまあ一応王太子妃の仕事の内。
なので、なされるがまま。
どうぞお好きに磨いてくださいませ。
ああ、でも、そこはちょっと。
足の裏はやめてください。弱いんですの。
気分はまな板の上のなんとやら。
そして女官レイチェルを筆頭に、数人の侍女達の手によって名実ともに清らかな乙女となった私に差し出されたのは。
一杯のお茶でした。
琥珀色の透明な液体、馴染みのある茶葉の香り。
けれどほんの少し……違和感を覚えた。
「喉が渇かれたかとおもいまして。どうぞお召し上がりくださいませ、フランツェスカ様」
「……ありがとう、レイチェル。よく気が付いたわね? とても喉が渇いていたの」
「いえ、ご休憩もなく、浴室にお連れしてしまったので……配慮が足らず申し訳ありません」
そっとカップを持ち上げると馴れ親しんだ香りの奥に、かすかに甘い香りが混ざっていた。
モルゲンロートの後継者教育の中には、毒の選別やその耐性をつけるものがある。
だからこれがなんの香りなのか、嫌でもわかってしまう。
「ふふっ、とってもいい香りね……いつもと茶葉が違うのかしら?」
「え、はい。新しい茶葉ですのよ」
一瞬、レイチェルの表情が強ばった。
それを私は見逃すことができない。
口元にカップを寄せて舌先だけを濡らし味を確かめた。
花の蜜のような甘さの中に混ざる僅かな苦みと渋み。
この程度の量なら飲み干しても直ぐに死ぬことはない。
けれど全部飲み干す気にもなれません。
結婚式の夜に相応しい媚薬、それと遅効性の毒。
これを指示したのはフリード王太子か、それとも国王夫妻か。
……いや、どちらも違う気がします。
王太子が用意した女官に毒を盛らせるなんて、こんな浅慮なことをするような愚か者だとはどうしても思えません。
それにたぶんうちのクソ親父でもこんな馬鹿な真似はしない。
ならば、いったい誰が?
きっと私の知らない誰かが、裏でこそこそと糸を引いているんでしょうね。
そしてレイチェルも、その誰かさんに脅されて仕方なく……といった所でしょうか?
だけどそれを今考えても仕方がない、犯人がわかった所で今はどうしようもないですし。
これから口に入るものは全て自分で調達したほうがよさそうです。
そう結論付けてカップをソーサーの上にそっと戻した。
「ありがとう、レイチェル。美味しかったわ」
「あの……もう、よろしいのですか?」
カップに残るお茶を見たレイチェルが、訝しい目で私を見る。
「初夜なのにお茶でお腹がぽっこりしている花嫁なんて、嫌でしょう?」
「あ……、そうでございますね。私としたことが大変失礼いたしました」
「ううん、私を気遣ってしてくれたことだもの。謝らないで?」
「……ありがとうございます」
……ああ、面倒くさい。
私が今ここで「毒だ」と騒ぎ立てればきっと和平は壊れ、また逆戻り。
今は多少面倒でも気付かないフリをして耐えるしかありません。
そして初夜に相応しい薄絹の夜着に身を包んだ私は、侍女達に囲まれながらフリード王太子の私室へと向かう。
夜の王宮は昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
回廊を照らす蝋燭の灯りが夜の風に揺れて、どこか遠くの方で誰かの足音が響く。
心なしか、身体が冷えてきたような気がします。
それは夜の風にあたったせいか、先ほど飲まされた毒のせいか。
そして長い回廊を歩いた先に見えたのは、王太子の部屋の前で不寝番をする年老いた侍女の姿でした。
「フリード殿下、王太子妃殿下をお連れしました」
レイチェルの声が響く。
侍女の一人が深く頭を下げて扉を開く。
開かれた扉の先から、温かな空気が漏れ出てきた。
そしてその中に立っていたフリード王太子と、ふと目が合った。
「待っていましたよ、フランツェスカ。さあ、どうぞ中に入ってください」
「お待たせいたしました、フリード」
部屋の中に入るよう促された私は、ゆっくりと歩を進める。
足音が毛足の長い絨毯に吸い込まれていく。
「部屋の外は寒かったでしょう? 暖炉の前で温まってくださいね。あと……これをどうぞ、とても美しい装いですがその姿では寒いでしょう」
フリード王太子はそう言って、肌触りのいい温かなガウンを私の肩に掛けてくれた。
用意された夜着は肌が透けるほど薄く、心許なかったから……嬉しかった。
「ありがとうございます。確かに少し……冷えたかもしれません」
「では温かいお茶を淹れますね。フランツェスカ、ミルクと砂糖はどうされます?」
「え、王太子殿下自らがお茶を淹れるのですか……?」
王太子がお茶を淹れる?
茶を淹れる王族なんて聞いたことがありません。
「ええ、一通り出来ますよ。これでも美味しいと評判なんです」
「砂糖もミルクも必要ありません、甘いお茶は苦手なので」
余計な味の付いたお茶は絶対に飲むなと言われて育った。
毒が入っていても気付けないから。
「そうですか、なら私と同じですね」
手慣れた所作で入れてくれたお茶は、先ほどのお茶と違っておかしな香りはどこにもなく。
温かくてほっとするような美味しいお茶で。
ほんの少しくらいなら、信用してあげてもいいかもしれない。
そう思えたのはきっと、このお茶が美味しかったから。
――王宮に帰ると。
そのまま浴室に連れていかれて、頭のてっぺんから足の先に至るまで侍女達に徹底的に磨き上げられた。
せめてお茶一杯くらい飲む時間のゆとりが欲しかったのですが、これもまあ一応王太子妃の仕事の内。
なので、なされるがまま。
どうぞお好きに磨いてくださいませ。
ああ、でも、そこはちょっと。
足の裏はやめてください。弱いんですの。
気分はまな板の上のなんとやら。
そして女官レイチェルを筆頭に、数人の侍女達の手によって名実ともに清らかな乙女となった私に差し出されたのは。
一杯のお茶でした。
琥珀色の透明な液体、馴染みのある茶葉の香り。
けれどほんの少し……違和感を覚えた。
「喉が渇かれたかとおもいまして。どうぞお召し上がりくださいませ、フランツェスカ様」
「……ありがとう、レイチェル。よく気が付いたわね? とても喉が渇いていたの」
「いえ、ご休憩もなく、浴室にお連れしてしまったので……配慮が足らず申し訳ありません」
そっとカップを持ち上げると馴れ親しんだ香りの奥に、かすかに甘い香りが混ざっていた。
モルゲンロートの後継者教育の中には、毒の選別やその耐性をつけるものがある。
だからこれがなんの香りなのか、嫌でもわかってしまう。
「ふふっ、とってもいい香りね……いつもと茶葉が違うのかしら?」
「え、はい。新しい茶葉ですのよ」
一瞬、レイチェルの表情が強ばった。
それを私は見逃すことができない。
口元にカップを寄せて舌先だけを濡らし味を確かめた。
花の蜜のような甘さの中に混ざる僅かな苦みと渋み。
この程度の量なら飲み干しても直ぐに死ぬことはない。
けれど全部飲み干す気にもなれません。
結婚式の夜に相応しい媚薬、それと遅効性の毒。
これを指示したのはフリード王太子か、それとも国王夫妻か。
……いや、どちらも違う気がします。
王太子が用意した女官に毒を盛らせるなんて、こんな浅慮なことをするような愚か者だとはどうしても思えません。
それにたぶんうちのクソ親父でもこんな馬鹿な真似はしない。
ならば、いったい誰が?
きっと私の知らない誰かが、裏でこそこそと糸を引いているんでしょうね。
そしてレイチェルも、その誰かさんに脅されて仕方なく……といった所でしょうか?
だけどそれを今考えても仕方がない、犯人がわかった所で今はどうしようもないですし。
これから口に入るものは全て自分で調達したほうがよさそうです。
そう結論付けてカップをソーサーの上にそっと戻した。
「ありがとう、レイチェル。美味しかったわ」
「あの……もう、よろしいのですか?」
カップに残るお茶を見たレイチェルが、訝しい目で私を見る。
「初夜なのにお茶でお腹がぽっこりしている花嫁なんて、嫌でしょう?」
「あ……、そうでございますね。私としたことが大変失礼いたしました」
「ううん、私を気遣ってしてくれたことだもの。謝らないで?」
「……ありがとうございます」
……ああ、面倒くさい。
私が今ここで「毒だ」と騒ぎ立てればきっと和平は壊れ、また逆戻り。
今は多少面倒でも気付かないフリをして耐えるしかありません。
そして初夜に相応しい薄絹の夜着に身を包んだ私は、侍女達に囲まれながらフリード王太子の私室へと向かう。
夜の王宮は昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
回廊を照らす蝋燭の灯りが夜の風に揺れて、どこか遠くの方で誰かの足音が響く。
心なしか、身体が冷えてきたような気がします。
それは夜の風にあたったせいか、先ほど飲まされた毒のせいか。
そして長い回廊を歩いた先に見えたのは、王太子の部屋の前で不寝番をする年老いた侍女の姿でした。
「フリード殿下、王太子妃殿下をお連れしました」
レイチェルの声が響く。
侍女の一人が深く頭を下げて扉を開く。
開かれた扉の先から、温かな空気が漏れ出てきた。
そしてその中に立っていたフリード王太子と、ふと目が合った。
「待っていましたよ、フランツェスカ。さあ、どうぞ中に入ってください」
「お待たせいたしました、フリード」
部屋の中に入るよう促された私は、ゆっくりと歩を進める。
足音が毛足の長い絨毯に吸い込まれていく。
「部屋の外は寒かったでしょう? 暖炉の前で温まってくださいね。あと……これをどうぞ、とても美しい装いですがその姿では寒いでしょう」
フリード王太子はそう言って、肌触りのいい温かなガウンを私の肩に掛けてくれた。
用意された夜着は肌が透けるほど薄く、心許なかったから……嬉しかった。
「ありがとうございます。確かに少し……冷えたかもしれません」
「では温かいお茶を淹れますね。フランツェスカ、ミルクと砂糖はどうされます?」
「え、王太子殿下自らがお茶を淹れるのですか……?」
王太子がお茶を淹れる?
茶を淹れる王族なんて聞いたことがありません。
「ええ、一通り出来ますよ。これでも美味しいと評判なんです」
「砂糖もミルクも必要ありません、甘いお茶は苦手なので」
余計な味の付いたお茶は絶対に飲むなと言われて育った。
毒が入っていても気付けないから。
「そうですか、なら私と同じですね」
手慣れた所作で入れてくれたお茶は、先ほどのお茶と違っておかしな香りはどこにもなく。
温かくてほっとするような美味しいお茶で。
ほんの少しくらいなら、信用してあげてもいいかもしれない。
そう思えたのはきっと、このお茶が美味しかったから。
1,805
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢は永眠しました
詩海猫(8/29書籍発売)
ファンタジー
「お前のような女との婚約は破棄だっ、ロザリンダ・ラクシエル!だがお前のような女でも使い道はある、ジルデ公との縁談を調えてやった!感謝して公との間に沢山の子を産むがいい!」
長年の婚約者であった王太子のこの言葉に気を失った公爵令嬢・ロザリンダ。
だが、次に目覚めた時のロザリンダの魂は別人だった。
ロザリンダとして目覚めた木の葉サツキは、ロザリンダの意識がショックのあまり永遠の眠りについてしまったことを知り、「なぜロザリンダはこんなに努力してるのに周りはクズばっかりなの?まかせてロザリンダ!きっちりお返ししてあげるからね!」
*思いつきでプロットなしで書き始めましたが結末は決めています。暗い展開の話を書いているとメンタルにもろに影響して生活に支障が出ることに気付きました。定期的に強気主人公を暴れさせないと(?)書き続けるのは不可能なようなのでメンタル状態に合わせて書けるものから書いていくことにします、ご了承下さいm(_ _)m
悪役令嬢に相応しいエンディング
無色
恋愛
月の光のように美しく気高い、公爵令嬢ルナティア=ミューラー。
ある日彼女は卒業パーティーで、王子アイベックに国外追放を告げられる。
さらには平民上がりの令嬢ナージャと婚約を宣言した。
ナージャはルナティアの悪い評判をアイベックに吹聴し、彼女を貶めたのだ。
だが彼らは愚かにも知らなかった。
ルナティアには、ミューラー家には、貴族の令嬢たちしか知らない裏の顔があるということを。
そして、待ち受けるエンディングを。
悪役令嬢は手加減無しに復讐する
田舎の沼
恋愛
公爵令嬢イザベラ・フォックストーンは、王太子アレクサンドルの婚約者として完璧な人生を送っていたはずだった。しかし、華やかな誕生日パーティーで突然の婚約破棄を宣告される。
理由は、聖女の力を持つ男爵令嬢エマ・リンドンへの愛。イザベラは「嫉妬深く陰険な悪役令嬢」として糾弾され、名誉を失う。
婚約破棄をされたことで彼女の心の中で何かが弾けた。彼女の心に燃え上がるのは、容赦のない復讐の炎。フォックストーン家の膨大なネットワークと経済力を武器に、裏切り者たちを次々と追い詰めていく。アレクサンドルとエマの秘密を暴き、貴族社会を揺るがす陰謀を巡らせ、手加減なしの報復を繰り広げる。
婚約者様への逆襲です。
有栖川灯里
恋愛
王太子との婚約を、一方的な断罪と共に破棄された令嬢・アンネリーゼ=フォン=アイゼナッハ。
理由は“聖女を妬んだ悪役”という、ありふれた台本。
だが彼女は涙ひとつ見せずに微笑み、ただ静かに言い残した。
――「さようなら、婚約者様。二度と戻りませんわ」
すべてを捨て、王宮を去った“悪役令嬢”が辿り着いたのは、沈黙と再生の修道院。
そこで出会ったのは、聖女の奇跡に疑問を抱く神官、情報を操る傭兵、そしてかつて見逃された“真実”。
これは、少女が嘘を暴き、誇りを取り戻し、自らの手で未来を選び取る物語。
断罪は終わりではなく、始まりだった。
“信仰”に支配された王国を、静かに揺るがす――悪役令嬢の逆襲。
9時から5時まで悪役令嬢
西野和歌
恋愛
「お前は動くとロクな事をしない、だからお前は悪役令嬢なのだ」
婚約者である第二王子リカルド殿下にそう言われた私は決意した。
ならば私は願い通りに動くのをやめよう。
学園に登校した朝九時から下校の夕方五時まで
昼休憩の一時間を除いて私は椅子から動く事を一切禁止した。
さあ望むとおりにして差し上げました。あとは王子の自由です。
どうぞ自らがヒロインだと名乗る彼女たちと仲良くして下さい。
卒業パーティーもご自身でおっしゃった通りに、彼女たちから選ぶといいですよ?
なのにどうして私を部屋から出そうとするんですか?
嫌です、私は初めて自分のためだけの自由の時間を手に入れたんです。
今まで通り、全てあなたの願い通りなのに何が不満なのか私は知りません。
冷めた伯爵令嬢と逆襲された王子の話。
☆別サイトにも掲載しています。
※感想より続編リクエストがありましたので、突貫工事並みですが、留学編を追加しました。
これにて完結です。沢山の皆さまに感謝致します。
運命に勝てない当て馬令嬢の幕引き。
ぽんぽこ狸
恋愛
気高き公爵家令嬢オリヴィアの護衛騎士であるテオは、ある日、主に天啓を受けたと打ち明けられた。
その内容は運命の女神の聖女として召喚されたマイという少女と、オリヴィアの婚約者であるカルステンをめぐって死闘を繰り広げ命を失うというものだったらしい。
だからこそ、オリヴィアはもう何も望まない。テオは立場を失うオリヴィアの事は忘れて、自らの道を歩むようにと言われてしまう。
しかし、そんなことは出来るはずもなく、テオも将来の王妃をめぐる運命の争いの中に巻き込まれていくのだった。
五万文字いかない程度のお話です。さくっと終わりますので読者様の暇つぶしになればと思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる