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1章 入部
12話 水野伊緒
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「……私なんかが走るなんて。遅いし、バトン落としたらどうしよう、うぅ」
対岸では、花火とは少し異なるがやはり伊緒も緊張していた。
「伊緒は走りたくないのか?」
「走りたくないよ! 瑠那さんも陽子も凄く速いのに、私が足引っ張って迷惑かけるのも嫌だし、恥ずかしいし!」
「だったら、速かったら走りたいのか?」
「え……?」
予想していなかった質問に、伊緒は少し戸惑う。
「速いか遅いかは、走った後に決まる結果だ。走る前にあるのは「走りたいか、走りたくないか」だけじゃないのか?」
瑠那は諭すつもりも説教じみた話をするつもりも、ましてや名言を言おうともしていないのだろう。
それでも、素直な瑠那の疑問は伊緒に深く刺さった。
物心がついたときには陸上を見ていた。
誰の影響だったのか、たまたまテレビで見たからかもしれない。
いずれにせよ、伊緒は小学生の頃には陸上競技場に通うようになっていた。
どの種目にも面白さがあり、スタンドの色々な場所から観戦をした。
棒高跳びならバックスタンドに、幅跳びなら前列へ、やり投げはあえてスタンドの上の方から俯瞰的に……。
しかし、一番のお気に入りはやはりリレーだった。
陸上競技で唯一の団体種目。
それでいて、走っているときは一人。
仲間がいなければ走れない、けれども走るときは一人。
ライバル達とコンマ1秒を争いながら、ただバトンを繋ぐという使命だけを背負って走る。
激しく、残酷で……それでいて熱く美しい、伊緒はすぐにリレーの魅力の虜になった。
いつか自分もあの舞台に立ちたい。願いをそう胸に秘めてから数年も経たないうち、伊緒は現実を知る。
自分には陸上競技の才能がない。
現実を知ってもなお、伊緒の情熱は冷めなかった。
自分が走れないなら、走る選手を助けたい。
自分の助けで、もっと選手を輝かせたい。
伊緒はいつしか、陸上部のマネージャーになることを願うようになった。
中学時代には陸上部がなく、願いは高校までお預けとなった。
それでも競技場通いは続け、地元である東京南地区のレースは全て見てきたといっても過言ではない。
夏の森陸上部は、そんな伊緒にとってホームの英雄であり、スター達だった。
希望を抱いて入学した高校。
選んだのはもちろん、夏の森女子高校。
少数精鋭ながら東京南地区で最強の陸上部は、個性的だが優秀な顧問の率いるチーム。
これから自分は、新たなスター達をさらに輝かせるために尽くそう。
そんな気持ちで迎えた入学式、隣の席にはかつて憧れたスターの一人がいた。
日向陽子。
伸びやかな走りと向日葵のような笑顔、他校の生徒にも振りまくファンサービス。
まさに伊緒にとって太陽のようなスターだった。
しかし彼女の顔から笑顔が消える瞬間を、太陽が沈んだ日を伊緒は知っている。
全てを知っていたが、伊緒は知らないフリをした。
本音を言えば、陽子にまた走ってもらいたい。
一緒に陸上部に入り、自分がさらに陽子を輝かせる。そんな妄想をした。
しかし自分にできることはなかった。
陸上競技の残酷さは、伊緒もよく分かっている。
ズタズタに傷付けられた心を持った陽子に、また残酷な世界へ戻れとは、伊緒には到底言えなかった。
もしも自分が走っていたら。
同じ世界で戦っていたら、言えただろうか。
分からないが、少なくとも、走っていない伊緒には言えなかった。
しばらくして、伊緒にとって予想外の出会いがあった。
有力選手達の進学先は雑誌やコミュニティサイトでチェックしていたものの、一切情報のなかった選手だ。
湖上瑠那。
中学3年生にして突如現れた超新星にして、東京南地区一のスプリンター。
彼女の出場レースは地区から全国の準決勝まで僅かに11本。
その内、本気で走ったであろうレースはさらに減って4本。
伊緒はそれらの動画を収集し、何度も再生した。
我ながら気持ち悪いとも思う。
言葉を交わしたこともない少女の走る姿を、自分が走る参考にする訳でもないのに見返しているのだ。
何度も何度も何度も何度も……。
そんな彼女が目の前に現れた。
競技場で見た姿と同じ、人を寄せ付けない孤高のオーラを感じた。
そして、憧れの2人のスプリンターが目の前で走る。
伊緒にとって奇跡のような出来事があった。
さらに伊緒には分からなかったが、何かを感じ取った陽子は、この出来事を切っ掛けに再び火を灯した。
沈んだ太陽が、再び昇った。
傍らには、薄く遥かに、それでいてしっかりと存在する白昼の残月。
陽子と瑠那、二人の出会いはドラマだと思った。
二人が輝くため、自分はこれから精一杯尽くそう。
伊緒にとって、これだけで十分な幸せで、奇跡だった。
もう何も、望むものはない。
……本当にそうか?
心の奥底から声がする。
「走りたくないのか?」
瑠那の声が心から、そして頭へ至りぐるぐると何度も繰り返される。
「私は……走りたい。残酷でも、自分の小さな存在じゃ太刀打ちできなくても、純粋に輝く世界で……私も走りたい!」
「そうか。それなら、走ろう」
「えっ!?」
瑠那の声で現実に引き戻される。
今の声は、現実の瑠那? 困惑してから状況を把握し、自分が口走った言葉の恥ずかしさに赤面する。
「瑠那さん、わ、忘れてっ!」
「ん? 一緒に走るんだろう? やめるのか?」
やはり、瑠那さんは少し天然かもしれない。
そう思いつつ手で顔を隠しながら伊緒は答える。
「走ります! 走らせてください! 遅くても、走りたいの。こんな状況でまで自分に嘘をついて、本当にしたかったことを見失ってた私の馬鹿!」
「そうか」
瑠那は少し首をかしげてから、瑠那をスタート位置へ送り出す。
「陽子までバトンを繋げ。あとは私達に任せろ」
「りょ、了解!」
こくんと頷いた伊緒はまだ少し緊張した顔をしているが、その緊張は走ることへの不安ではない。
バトンを繋ぐという使命を背負うと覚悟した上での、興奮と使命感からくる緊張だ。
「いい顔だ」
満足そうに頷き返す瑠那に、伊緒は無言で感謝を述べる。
(瑠那さん。私はあなたのお陰で、今日からスプリンターになります)
まるで伊緒が覚悟を決めるのを待っていたかのように、綾乃がスタートコールをする。
「それではまいりましょう本日のメインイベント。部活対抗4×150mリレー……位置について!」
対岸では、花火とは少し異なるがやはり伊緒も緊張していた。
「伊緒は走りたくないのか?」
「走りたくないよ! 瑠那さんも陽子も凄く速いのに、私が足引っ張って迷惑かけるのも嫌だし、恥ずかしいし!」
「だったら、速かったら走りたいのか?」
「え……?」
予想していなかった質問に、伊緒は少し戸惑う。
「速いか遅いかは、走った後に決まる結果だ。走る前にあるのは「走りたいか、走りたくないか」だけじゃないのか?」
瑠那は諭すつもりも説教じみた話をするつもりも、ましてや名言を言おうともしていないのだろう。
それでも、素直な瑠那の疑問は伊緒に深く刺さった。
物心がついたときには陸上を見ていた。
誰の影響だったのか、たまたまテレビで見たからかもしれない。
いずれにせよ、伊緒は小学生の頃には陸上競技場に通うようになっていた。
どの種目にも面白さがあり、スタンドの色々な場所から観戦をした。
棒高跳びならバックスタンドに、幅跳びなら前列へ、やり投げはあえてスタンドの上の方から俯瞰的に……。
しかし、一番のお気に入りはやはりリレーだった。
陸上競技で唯一の団体種目。
それでいて、走っているときは一人。
仲間がいなければ走れない、けれども走るときは一人。
ライバル達とコンマ1秒を争いながら、ただバトンを繋ぐという使命だけを背負って走る。
激しく、残酷で……それでいて熱く美しい、伊緒はすぐにリレーの魅力の虜になった。
いつか自分もあの舞台に立ちたい。願いをそう胸に秘めてから数年も経たないうち、伊緒は現実を知る。
自分には陸上競技の才能がない。
現実を知ってもなお、伊緒の情熱は冷めなかった。
自分が走れないなら、走る選手を助けたい。
自分の助けで、もっと選手を輝かせたい。
伊緒はいつしか、陸上部のマネージャーになることを願うようになった。
中学時代には陸上部がなく、願いは高校までお預けとなった。
それでも競技場通いは続け、地元である東京南地区のレースは全て見てきたといっても過言ではない。
夏の森陸上部は、そんな伊緒にとってホームの英雄であり、スター達だった。
希望を抱いて入学した高校。
選んだのはもちろん、夏の森女子高校。
少数精鋭ながら東京南地区で最強の陸上部は、個性的だが優秀な顧問の率いるチーム。
これから自分は、新たなスター達をさらに輝かせるために尽くそう。
そんな気持ちで迎えた入学式、隣の席にはかつて憧れたスターの一人がいた。
日向陽子。
伸びやかな走りと向日葵のような笑顔、他校の生徒にも振りまくファンサービス。
まさに伊緒にとって太陽のようなスターだった。
しかし彼女の顔から笑顔が消える瞬間を、太陽が沈んだ日を伊緒は知っている。
全てを知っていたが、伊緒は知らないフリをした。
本音を言えば、陽子にまた走ってもらいたい。
一緒に陸上部に入り、自分がさらに陽子を輝かせる。そんな妄想をした。
しかし自分にできることはなかった。
陸上競技の残酷さは、伊緒もよく分かっている。
ズタズタに傷付けられた心を持った陽子に、また残酷な世界へ戻れとは、伊緒には到底言えなかった。
もしも自分が走っていたら。
同じ世界で戦っていたら、言えただろうか。
分からないが、少なくとも、走っていない伊緒には言えなかった。
しばらくして、伊緒にとって予想外の出会いがあった。
有力選手達の進学先は雑誌やコミュニティサイトでチェックしていたものの、一切情報のなかった選手だ。
湖上瑠那。
中学3年生にして突如現れた超新星にして、東京南地区一のスプリンター。
彼女の出場レースは地区から全国の準決勝まで僅かに11本。
その内、本気で走ったであろうレースはさらに減って4本。
伊緒はそれらの動画を収集し、何度も再生した。
我ながら気持ち悪いとも思う。
言葉を交わしたこともない少女の走る姿を、自分が走る参考にする訳でもないのに見返しているのだ。
何度も何度も何度も何度も……。
そんな彼女が目の前に現れた。
競技場で見た姿と同じ、人を寄せ付けない孤高のオーラを感じた。
そして、憧れの2人のスプリンターが目の前で走る。
伊緒にとって奇跡のような出来事があった。
さらに伊緒には分からなかったが、何かを感じ取った陽子は、この出来事を切っ掛けに再び火を灯した。
沈んだ太陽が、再び昇った。
傍らには、薄く遥かに、それでいてしっかりと存在する白昼の残月。
陽子と瑠那、二人の出会いはドラマだと思った。
二人が輝くため、自分はこれから精一杯尽くそう。
伊緒にとって、これだけで十分な幸せで、奇跡だった。
もう何も、望むものはない。
……本当にそうか?
心の奥底から声がする。
「走りたくないのか?」
瑠那の声が心から、そして頭へ至りぐるぐると何度も繰り返される。
「私は……走りたい。残酷でも、自分の小さな存在じゃ太刀打ちできなくても、純粋に輝く世界で……私も走りたい!」
「そうか。それなら、走ろう」
「えっ!?」
瑠那の声で現実に引き戻される。
今の声は、現実の瑠那? 困惑してから状況を把握し、自分が口走った言葉の恥ずかしさに赤面する。
「瑠那さん、わ、忘れてっ!」
「ん? 一緒に走るんだろう? やめるのか?」
やはり、瑠那さんは少し天然かもしれない。
そう思いつつ手で顔を隠しながら伊緒は答える。
「走ります! 走らせてください! 遅くても、走りたいの。こんな状況でまで自分に嘘をついて、本当にしたかったことを見失ってた私の馬鹿!」
「そうか」
瑠那は少し首をかしげてから、瑠那をスタート位置へ送り出す。
「陽子までバトンを繋げ。あとは私達に任せろ」
「りょ、了解!」
こくんと頷いた伊緒はまだ少し緊張した顔をしているが、その緊張は走ることへの不安ではない。
バトンを繋ぐという使命を背負うと覚悟した上での、興奮と使命感からくる緊張だ。
「いい顔だ」
満足そうに頷き返す瑠那に、伊緒は無言で感謝を述べる。
(瑠那さん。私はあなたのお陰で、今日からスプリンターになります)
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