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2章
44.
しおりを挟む真っ暗な長い長い廊下は、まるで地獄へと繋がる道のようだった。
冷たいコンクリートの床を、ピタッピタと素足で歩く俺の足音が響く。
部屋を出る時、首には黒い首輪が巻かれ、スーツを着た男がそれらから伸びた鎖を引き、俺の前を歩いている。
――これから何が起こるんだろう。
正直「闇オークション」「売られる」などの言葉にはいまだ実感が持てない。
部屋を出る時、ルキラが「最後に会えたのが、アオさんで良かった」と涙を浮かべていた時ですら、彼が何を言っているのか理解が出来ない程だった。
「随分お似合いじゃないですか、アオさん。これはこれは……相当な高値が付きそうだ」
闇の中から、憎らしい声が聞こえる。
「クラークさん……何の用ですか」
いつの間にか、俺を引いて歩いていた男が眼鏡を掛けた嫌味ったらしい顔の男に変わっていた。
「いえ、最後にご挨拶をと思いましてね。貴方には感謝しているんですよ。……今から貴方が落札された金額の8割が懐へと入るんです。最高でしょう」
「くっくっく」とクラークの気味の悪い笑い声が、静かな廊下に響く。
「……アークに言われて俺を捕まえたんじゃないんですか」
「残念ながら自分は天子信仰とは何ら関係はありません。確かにアーク王子から依頼あり、それを受けました――ですが、実際の貴方を見て気が変わったんです。あぁこれは金の卵だ、とね」
高らかに笑い、平然とした顔でそう言ってのける彼の顔を、眉間が痛くなるほどに寄った形相で睨み付ける。
「……っ!! そんなにお金が大事ですか」
「えぇ、大事です。己の命と金……それさえあれば、自分は他に何も望みません」
「……何が貴方を、そうさせるんです」
「貴方には関係ない事です、アオさん。……さぁ、着きましたよ。では……御達者で」
「待ってください!! イーサンは……彼は無事なんですか」
あの襲撃の主犯はこの男――間違いなく何か知っている筈。
先程とは打って変わって、不安で仕方がない面持ちを浮かべる俺を彼は、悪魔のような笑いで一蹴した。
「さぁ。角材で後頭部を思い切り殴られた、と言えば医者の貴方なら察しは付きますか?」
「……ッッ!! う、そ……」
立っていることがやっとだった。
「嘘……嘘だ、イーサンが……」
一瞬にして、目の前が真っ暗になった。
呼吸が荒くなり過ぎて、きちんと息が出来ているのかすら自分で分からない。
――医者でなくとも分かる……人間が角材で強打されれば、どうなるのか……くらいは。
「……だから、貴方は俺を選んでおけばよかったのに」
「いま、何て……」
「みぃつけたァ。裏切り者のクラークくんッ」
ピタッ、とクラークの首に銀色の鋭利な何かが突き付けられている。
その鈍い光が、ピッと後ろへ動いたかと思えば――勢い良く首からドス黒い物が吹き出す。
「クラークさん!? ちょっ、クラー……」
――待って、それ血じゃないか……しかも今の場所って頸動脈……
ドサッと大きな音を立て、その場に崩れ落ちるモノに、近づこうとする俺の前に――ひとつの影がそれを制するように立ち塞がる。
まるで辺りの血を吸い上げたかのような深紅のローブから、こちらを見下ろす顔。その感情の欠片もない凍てつくような目。
「れ、お、ん……?」
手に握るナイフに滴る血を、ペロリと舐める――その顔を忘れる筈がない。
「久しぶりだなァ、アオ。さぁ、夢の時間はお終いだよ」
――今や天子信仰の実権を握っている、アーク第2王子の恋人――
「殺し屋、レオン・ブラッド――」
――
無機質な廊下は静寂に満ちたまま――いま飲み込んだ唾の音さえも、響くような錯覚に陥る。
その中で俺とレオンは、互いに睨み合ったまま動かない。
――背筋に、一筋の汗が流れた。
「アークがね、その腕輪をご所望なんだ。ついでにお前も連れてこいって」
アークは手にしたナイフの先で、俺の腕に巻かれた腕輪を指す。
どうにかそれを隠そうと両手を後ろへと隠す。
「……嫌だ、って……言ったら?」
「当然、お前を殺して腕輪は貰う。アークはお前ごとって言ってたけど……正直どうでもいい。俺はお前に興味がない、嬲り甲斐もなさそうだし」
1歩、レオンが前に足を進めれば、俺は同じだけ後退る。
「絶対お前たちに、この腕輪は渡さない」
この腕輪が何なのか、結局のところ分かってはいない。
――けれどこれは何度も俺を守ってくれた。絶対手放したらいけない気がする。
「残念だなァ、折角イーサンの場所に送ってやろうとおもったのに」
彼はナイフを持った手を動かし、トントンと自分の後頭部を叩いて見せる。
その仕草を見た瞬間、カァッと身体の血が逆流し、沸き立つ感覚に襲われた。
「まさか――まさかお前がイーサンを」
『角材で後頭部を思い切り殴られた、と言えば医者の貴方なら察しは付きますか?』
てっきりクラークの手下か、狂信者がやったものかと思っていた。
――どうして、気付かなかった……
あの時、俺たちを囲った中に……この憎らしいレオンがいた事に。
「鉄壁の騎士様も、不意打ちには弱いようだねぇ」
高らかに声を上げまるで嘲り笑うかのようなレオンに、俺は「ふざけるなッ!」と声を上げる。
「イーサンが、イーサンが――しん、だ、なんて」
――信じられない――いや、信じられるはずが無い。
『愛してる、アオ』
脳裏に、優しく名前を呼び抱き締めてくれる彼と――最後に見た、俺の腕の中で力無く崩れ落ちるイーサンの姿が蘇る。
――全身の力が、一気に抜け落ちていく。
本当に、もう……会えないの? イーサン。
「安心しなよ、同じ場所に送ってあげるからさ」
その場にへたり込みガクガクと震える俺に、レオンの持つナイフが容赦なく襲いかかってくる。
それはもう、すぐに首を掻っ切る所まで来ていた。
――逃げなきゃ。……でも、俺――イーサンが居ない世界で、生きる意味……あるのかな。
身体が石みたいに重たい。
この世に生の意味を見出せなくなった脳は、身体は――こんなにも何も出来ないんだな。
そんな事をぼんやりと思っていると、首元にチリッとした痛みを感じた――その瞬間だった。
だらんと垂れた俺の手元から、眩しいばかりの白い光がピカッと放たれる。
それはもう、目を開けていられない程の。
「……チッ、何だこれ……」
遠くから聞こえる苦悶の声はレオンだろうか。
――眩し過ぎて、目が……何がどうなって……
目を閉じていても感じるほどの眩しさに、ピクピクっと反射で眉間に皺が寄る。
俺の手元から光った……ということは腕輪が……?
目を閉じたまま腕を動かしてみる――するとそこには、いつも腕に感じていたはずの重みが無い。
――腕輪が、ない……?
もう片方の手で確認しようと、腕を動かした時だった。
『ごめんなさい――こうするしか……貴方の答えを探して』
耳元で誰かがそう囁く。
「だ、誰……!?」
確かに聞こえた――あれは女性の声? どこかで聞いた事が……
「――ッッ!! 痛ッ……」
突如として、頭に激しい痛みが走る。
「頭が、割れ――」
そう考えた次の瞬間には、もう俺の意識は彼方へと飛び始めた。
「――イー……サン……」
――――
ピピピッ……ピピピッ……
「ん、ぅ……」
まだ目を閉じたまま、枕元をゴソゴソと探る。
すると決まった場所へと到達した指先が、コツンっと固いものに触れる。
「……ふぁ、起きないと……」
重いまぶたをゆっくりと開きながら、指先に触れたスマホをギュッと握り締める。
アラームが鳴り終わった画面は、スヌーズへと移行し始めていた。
決して寝心地の良いとは言えないベッドから起き上がり、大きく伸びをする。
ふと、自分の目元がじんわりと湿り気を帯びている事に気が付いた。
「なんか、すごい夢見た気がする……」
夢の内容は思い出すことは出来ないが――なんだろう、この……心にぽっかりと穴が空いたような違和感は。
「ま、いいか。仕事の準備しなきゃ……」
スマホを充電器から外し、もうすっかりと冷え切った床を裸足で踏みながら、俺は洗面所へと向かった。
『12月21日。今日の天気――〇□市はすっきりとした晴れ、洗濯物を干すには絶好の日でしょう』
歯磨きをしながら、リビングの小さなテレビを付け朝のニュースを流す……これはもう、何年も続く朝のルーティンとなっている。
シャカシャカと歯ブラシを動かしながら、ぼんやりと女性キャスターが喋る画面を眺めていた。
するとそれまで笑顔で喋っていた女性へ、何やら紙が渡され――それまでの穏やかな表情から一変、険しいものへと変わった。
『ここで臨時ニュースが入ってきました。〇□駅前で、暴走した普通乗用車が、交差点へと侵入――』
「え、それって此処の近く――」
それまでぼんやりとした頭が一気に覚醒する。食い入るように画面を見つめると同時に、テーブルに置いたスマホが大きな音を立てた。
慌てて洗面所へと走って口を濯ぎ、すぐにテーブルへと走る。
――朝のこの時間になる電話って、大抵が決まってるんだよね。
しかも、この近隣で大事故が起きている。
手に取った画面には案の定、職場からの電話だった。
「はいもしもし――」
『あっ、すみません結城先生……あの、先生今日9時出社の予定と存じているんですが……』
電話の向こうで喋る女性は、妙に歯切れが悪い。
確かこの声は、先日入った新人の看護師では無かったか――であれば、まぁ……言いづらいよな。
「あ、大丈夫ですよ、俺――」
『いいよ、俺が変わるね。もっしもーし蒼生! ニュース見た? なら察しつく感じィ?』
まだ少し水気の残る口元をイスに掛けていたタオルで拭い、その足で冷蔵庫へと向かい、中にぎっしりと詰め込まれたゼリー飲料のひとつを手に取る。
「姫嶋先輩……あぁ、今日当直でしたっけ。もちろん察しはついてます。すぐに支度して向かいますんで」
スマホを首に挟んだままカチッと蓋を開け、冷え切ったレモン味のゼリーを一気に口内へと吸い込んだ。
『悪いねー、重軽傷者合わせて13名。今んとこすぐ来れるの、お前と本宮しか居ねーんだわ』
「問題ないですって。じゃぁ先輩、後程」
通話を終え空になった容器を捨てると、すぐに俺は部屋着のスエットから手近にあるシャツへと着替える。
「まぁ、そこの駅からはウチの総合病院が1番近いもんな……」
手早く準備を終え、部屋を出ようとした瞬間だった。
――『アオ……』
誰かに呼ばれたような気がして、ふと後ろを振り返る。
だがそこに広がるのは、自分が何年もの間、模様替えのひとつもしていない変わり映えのない室内。
「……気の所為、かな」
「まぁいいか」と、黒いスニーカーを履き、そのまま外へと駆け出していった。
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