難攻不落の異名を持つ乙女ゲーム攻略対象騎士が選んだのは、モブ医者転生者の俺でした。

一火

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2章

45.

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「つか、れた……」


「医局」と書かれたドアを横に開き、倒れ込むように目の前に置かれたパイプ椅子へと腰掛ける。
 深い息を吐きながら、無機質な天井を見上げる。全体重を乗せた背もたれが「ギィ」と音を立てた。

 ――どうにか無事処置が終わった……

 職場であるERに辿り着いたときには、既に診察台に何度も患者が運ばれている状態だった。
 先輩達と手分けをして、ひとまず俺は軽傷患者の処置にあたる。
 その間も、2つある電話が次々と鳴り響く。
 次から次へと処置をこなし――ようやくひと段落したのは、正午を過ぎた頃だった。

「あっつい……流石に動き回ってたもんな……」

 暖房の効きがお世辞にも良いとは言えない処置室だが、集中し続けていた為か、いつの間にか身体中に汗が滲んでいた。
 スクラブの首元に指を掛け、クイッと引っ張る。
 そこに空気が通るだけで、それまで感じていた不快感がスッと引いていくようだった。

「少ししたら飯、食いに行くか……」

 いかんせん急ぎ足で家を出た為に、朝からゼリー飲料しか食べていない。
 空腹を感じつつはあるが、正直「いまは動きたくない」が上回っていた。

 ――まぁとりあえず、何事もなく終わって良かった。

 天を仰ぎながら目を閉じ、安堵の息を吐く俺の頬に――何か冷たい物が触れ、思わず肩が大きく揺れる。
 「ヒッ」と声を挙げ、そちらに顔を向けると、同じ紺色のスクラブ姿の男が片手に缶を持ったまま立っていた。

「お疲れ、蒼生アオ。いや、助かった。まじお前居なかったら俺絶望してたわ」
姫嶋ひめじま先輩。先輩こそお疲れ様です。当直明けに大変でしたね」

 そう返すと「女が途切れる事がない」と噂の、アイドルみたいな顔をした彼が「ニッ」と微笑んだ。

 「早速頂きますね」とコーヒーを受け取った俺の頭を、彼は容赦なく、子犬を可愛がるようにわしゃわしゃと撫で回す。

「早出要請にも嫌な顔ひとつせず……ホントにいい子だなー蒼生は。可愛い可愛い」
「やめてくださいよ、この後診察に戻るんですから」
「少しぐらいいいだろー? 蒼生は俺と違ってサラサラ超ストレートヘアなんだから」
「……姫嶋先輩みたいに毛先を遊ばせたり出来ないから、つまんない毛質ですよ」

 姫嶋先輩は、俺がこのERで初日から世話になっている指導医。
 最初は「どこからどう見ても遊び人だけれど大丈夫か」なんて心配したけれど、今ではプライベートで飲みに行く程の仲。

 ――実際面倒見は良いし、ポジティブで優しいし……まぁ、女性が放っておかないのも頷けるよな。

 医師としての腕や、判断の速さももちろん素晴らしいが――茶色に染めた猫毛を毎日オシャレにセットしてくる辺りも、俺からすれば尊敬に値する。そりゃモテるわな。

 対して俺は、恋愛にさほど興味が無いというか……成り行きで出来た彼女に「貴方は私に興味ないんでしょ」なんて捨てられて以来、もうしばらくの間そういう事には縁遠い状態。

 ――間違えてはいない。
 少なくとも俺は、誰かに固執する程、誰かを好きになったことがない。
 そんな自分が大恋愛をする日なんて……このまま死ぬまで訪れないだろ。

 プシュッと音を立てながら缶を開け、漸く俺はコーヒーに口を付ける。喉を通り過ぎる液体が、なんだかいやにほろ苦く感じた。
 半分程中身が残った缶を、茶色のテーブルに置いた時、ドアがガラッと開く。

「おー、2人ともお疲れ。大変だったな」

 俺たちを見るなり「よっ」っと軽く手を挙げ部屋に入った男は、迷うこと無く俺の隣に置かれたパイプ椅子を引く。

本宮もとみや先輩、お疲れ様です」
「本宮ー! 今日休みなのにありがとな、まじで助かったァ」

 姫嶋先輩は、羽織った白衣のポケットから新しい缶コーヒーを取り出し、短髪の男に向かって指し出す。
 彼はそれを受け取り、細い銀のフレーム越しに目を細め「ありがとう」と上品な笑顔を浮かべた。

「気にするな。俺は蒼生が居るなら、休みでも喜んで出勤するさ」

 そう言って本宮先輩は、流れるように俺の肩に腕を回す。
 姫嶋先輩と同期である本宮先輩は、ここに入った時からずっと俺を「可愛い後輩」と気に入っている。プライベートでもよく遊びに誘われるし、ついでにこのような行為ボディータッチは日常茶飯事。
 「本宮先生と結城先生は実は付き合ってる」なんて噂で、一時期ナースステーションが沸いたとか。
 俺も俺で別にそれを気にしたこともなかったし、拒否する理由もなかったから静かに受け入れていた。

 ――でも今日は、彼の腕が触れた瞬間……全身にゾワッと寒気が走った。

「相変わらずお熱いことで。お前らいつ付き合うの?」
「それは蒼生次第だろ」
「ははは……またご冗談を」

 このやり取りだって、もはやお決まりと言える。
 けれどいま――俺の脳内は、これまで感じたことのない嫌悪感でいっぱいだし、なんなら吐き気まで込み上げてくる。

 ――つ、疲れてるのかな。それでなんか過敏になってるとか?

 ザワつく心を静める為に、俺は残ったコーヒーをグイッと飲み干した。

「そいやさー、お前らやった? 幻想夜想曲ファンタジーノクターン

 聞き覚えのない単語に、思わず首を捻る。
 すると姫嶋先輩は「ゲームだよ、忘れた?」なんて、苦笑いをしながら俺の向かいに座った。

 ――そういえば、姫嶋先輩に「間違いなく名作だから、食わず嫌いせずにやってみろよ」ってめちゃくちゃ勧められたゲームが、そんな名前だった気がする。

「あー、ね。半分くらいはやったかな」
「俺はまだ――ダウンロード終わったとこから進んでなくて」

 俺たちの返事を聞くや、姫嶋先輩はテーブルの上に置いたままになっていた私物のタブレットを手に取り、慣れた手つきで画面を触る。

「まじで神ゲーなの、頼むからプレイして。あの素晴らしさを、俺は早くお前らと分かち合いたい」

 俺たちの前に出されたタブレットには『幻想夜想曲』のキャラ一覧が表示されていた。
 乙女ゲームであるが故に、そこにはキラキラした美しい男達がズラっと並んでいる。

「姫嶋は推しかなんかがいるんだったか?」
「そうッ! もうね、レオンが本気で可愛いの。俺あれなら男でもイける」

 そう言って姫嶋先輩は、1番左に立つ黒髪の男を指さした。

「殺し屋のレオン・ブラッドだっけ。俺もレオンかな。ストーリー良かったし、まぁサイコパス気質はあるが――それも悪くない」
「レオン・ブラッド……」

 画面の向こうに立ち、じっとこちらを見つめるレオンの顔を見ていると、どういうわけか心が落ち着かない。
 白に近いグレーの瞳で、ニヤリとした笑いを浮かべる彼の顔を……なぜだか怖いと思った。

「蒼生は? まぁ今日やるとして……最初は誰にするとか決めてんの?」
「今日って……勝手に決めないでくださいよ。でも俺は――そうだな……」

 画面に目を向けると――ふと、あるキャラが目に留まる。
 どうしてだろうか、彼から目が離せない。
 他のキャラには目もくれず、俺はをスッと指で撫でる。

 ――その瞬間、トクンと心臓が音を立てた。

「やっぱりレオンでしょ? ビジュも強いしさぁ」

 向かいからタブレットを覗き込む姫嶋先輩の言葉に、俺は首を横に振った。

「いや俺は……この、イーサン……かな」
「「はぁ!?」」

 俺の言葉を聞くや、2人が同時に大きな声を上げる。
 確かに仲が良いが、片やゆるっとした陽キャ男、片や気品漂うインテリ系の男――2人が全く同じ反応をする事は滅多にない。ましてや、声を揃えて言うことなんて。

「まじ止めとけ、イーサンだけは止めとけ。癒やされるどころかメンタル破壊されるぞまじで」

 姫嶋先輩は見た事も無いほど真面目な顔で、俺にそう告げる。すると隣の本宮先輩も、それに大きく頷いている。

「えっ、なにそれどう言う……」
「乙女ゲームにあるまじき存在、ゲームのバグって言われてるんだっけな。攻略サイトですら攻略不可能って書いてあったもんな」
「そー! まじで、『そうか』とか『だから何だ』しか言わねぇから。喧嘩売ってんのかコイツって、俺画面殴りそうになったからね」

 俺が言い終わる前に、矢継ぎ早に2人は声を大にして交互にそう言った。
 「へ、へぇ」なんて少し引き気味に返事をしながら、再びタブレットへと目を向ける。
 確かに腕を組みながら偉そうな立ち方しているし、目付きも鋭い彼は、所謂「俺様」のキャラなのだろう。他の皆がニッコリと微笑む中で、1人ムスッとした表情なあたり、性格も気難しく作られている事が窺える。

 でもどういう訳か俺は、彼以外が目に入らない。
 紺碧色の瞳と1度視線が交われば、そこから目を離す事が出来ないのだ。

 ――ドクンドクンと、心音が段々と早まるのがわかる。

「そう、なんだ……こんなにかっこいいのに」

 いま一度、彼の頬を指で撫でた時――医局のドアが、勢いよくガラッと開いた。

「失礼します! 結城先生、10歳の子供が運ばれてきました。診察お願いします」

 勢いよく掛けられた声に、俺は思わずガタッと立ち上がった。
 
「は、はいっ! すぐ行きます!」

 テーブルの空き缶をゴミ箱に投げ、同じ紺のスクラブを着た2人に「じゃあまた、姫嶋先輩ご馳走様でした!」と声を掛ける。

「じゃあなー蒼生、がんばれよー! 話の続きは今度飲みながらしようぜー」
「無理するなよ、蒼生」
 
 軽く手を挙げる2人に会釈を返し、呼びに来た看護師に続いて、そのまま処置室へと向かった。

――

 何台も並んだベッドの前で、看護師の女性が「結城先生、こちらです」と俺を促す。
 手渡された問診票にはきれいな字で「今朝転んで、落ちていたガラスで手を切った」と書かれていた。
 仰向けで処置台に横たわっている男の子は、一しきり泣いた後なのだろうか。口元をタオルで押さえ「ひくっひく」と嗚咽をしながら、真っ赤に腫れた目で俺をじっとみていた。

「まさひろくん、だね。痛いところすぐ治すからね。まずは切ったところ見せてくれるかな?」

 彼の目の前にしゃがみ笑顔で頭を撫でると、男の子は「うん」と小さくうなずいた。

「傷は深くは無さそうかな。レントゲンは?」
「モニターに出してます」

 スッと縦に1本入った切り傷は、出血はまだあるものの、さほど深くは見えない。
 「異物混入が無ければ大丈夫だろう」と、続けて診察台の横に置かれたPCモニターへと移す。

「ガラス片も大丈夫そうだね。ならすぐに縫合しよう」

 隣に立つ看護師に器具の指示を送りながら、銀盤の上に置かれたグローブ入りの紙袋を手に取る。
 ペリッと中の封を開け、慣れた手つきでゴム製の手袋を取り出した――その時だった。

『こんなもの、この世界にあるはずがない。……俺が使っていたメーカーの滅菌グローブ、なんて』

 突然、外国の子供が腹から血を流しながら診察台の上に横たわっている光景が、パッと目の前に現れた。

「えっ……」

 手にしたグローブの片方が、ヒラリと床に落ちる。

 ふるふると首を軽く振り診察台の方を見ると、そこに居るのは先ほど話し掛けた、日本人の男の子で相違無かった。

 ――なん、だ。……いまの……

「……先生?」

 後ろから看護師の心配そうな声が聞こえる。俺が固まっているのを不審に思っているのだろう。

「あ、ああごめん……手が滑った。悪いけど新しいの貰えるかな」

 申し訳無さそうにうにそう言うと、彼女は少し眉を寄せながらも、新しい袋を俺に手渡してくれた。

 再び中のグローブを装着するも――頭の中はこの不可思議な感覚で真っ白になっている。
 ――いや、なに考えてるんだ俺。目の前に患者がいる、集中しろ、余計な事考えるな。

「『ごめんね、ちょっとチクッとするけど……段々痛くなくなるからね。がんばろうね』」

 診察台に横たわる子供にそう告げたとき――再び既視感にも似た、不思議な感覚に襲われた。
 だが今はそれに気付かないふりをして器具を取り、黙々と目の前の処置を進めて行った。

「もう大丈夫だよ。痛くない?」

 縫合も終わりガーゼで被った施術部を見ながら、横たわる子供にそう問う。涙を滲ませた男の子は「うん」と頷いたので、「良かった」と返した俺はほっと胸を撫で下ろした。

 ――けれど頭の中は、先程のえも知れぬ幻覚の事でいっぱいだった。

 

 
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