難攻不落の異名を持つ乙女ゲーム攻略対象騎士が選んだのは、モブ医者転生者の俺でした。

一火

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1章

21

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 いつもは綺麗に上を向いている花が、今日も下を向いている。

 数日間降り続いている雨は、一向に止む気配がない。そんな路肩の花壇に目をやりながら、傘を片手に診療所へと戻って来た。

「よく降るな」
 強い雨足のおかげで診療所を訪れる人は少なく、今日は午前の診療のみで閉める事にした。
 傘を閉じ軽く水を払いながら、真っ黒な空を見上げる俺の顔は、きっと前世の記憶が戻る前の様に感情を失って居るのだろう。

 あれから、6日が過ぎようとしていた。

 当然の事ながら、毎日のように来ていたイーサンが診療所を訪れる事は無かった。シャーロットさんは不思議がって俺に聞いてきたけれど、「仕事が忙しいんじゃないかな」と濁すのが精一杯だった。
 いつもと変わらぬ様子を装っているつもりだったが、常連のおばあさんには「顔色が悪いねぇ。働きすぎじゃないかい?」と言われ「これでも食べて元気出しなよ」と差し入れまで貰うことに。
 ……それは、初めてイーサンが俺の部屋で料理を振舞ってくれた時に出された、デザートの果実と同じもの。「ありがとう」と受け取りながら、震える唇を噛んでその場を取り繕った。

「……いつになったら、晴れるんだろうな」

 篠突く雨の音は、俺の小さな声を掻き消していった。


「にゃぁ」
 不意に左足に、温もりを感じて目線を落とす。
「猫……?」
 ズブ濡れの黒猫が、俺の足に擦り寄っている。
「っクシュ」
「野良猫かな? 可愛い。待っててタオル持ってくるよ」
 猫にそう話し掛け診療所の鍵を開け、紙袋に入った食料を待合のソファに置き、診察室に入ると台の上に置かれていた1枚のタオルを手に取った。


「……これで寒くないかな」
 入口でちょこんと待っていた猫の全身を、タオルで丁寧に拭いてやると、徐々にフワッとした毛が蘇る。
「まだ湿ってはいるけどズブ濡れよりはいいよね」
 ブルブルと顔を振り「にゃー」と機嫌の良さそうな声を上げる猫の頭を優しく撫でた。
「お前、黒猫だと思ってたけど……焦げ茶色の毛なんだね」
 診療所の明かりを付けると、その毛色がよく分かる。栗皮色のそれはまるで、誰かの艶やかな髪の毛のようだった。

「……っ……」

 連想される男の顔が、頭に過ぎる。

「っ、……ダメだよ、忘れろって……」
 猫の頭を撫でながら、反対の手で熱くなる目頭を抑える。

『アオ……』

 あの優しい声が、鮮明に蘇る。
 小刻みに震える手を、顔を上げた猫がペロッと舐めた。
「ありがとう、慰めてくれているのかな。ちょっと待ってて、ミルクか何か持ってくるよ」
 赤くなった鼻をズッと啜りながら立ち上がり、自室の部屋へと向かう。冷蔵庫を開け。半分程減った牛乳の瓶を取り出す。
「平たい皿のがいいよね」
 いつの間にか種類の増えた食器の中から、平たい小皿を1枚手にする。……その横に置かれていた2人分のカラトリーを、敢えて視界に入れないようにした。


「お待たせ。……あれ」
 ミルクを零さぬよう階段を降り入口へと向かうと、開かれたドアの向こうにあるのは、地面に跳ね返る水飛沫のみ。
「どこか行ったのかな」
 少しだけ肩を落とし、受付に皿を置き静かにドアを閉める。

「また……1人になっちゃったな」

 誰もいない部屋の中で聞こえるのはくぐもった雨の音と、俺のそんな静かな呟きだった。


 一応……と買った食料を紙袋から取り出し、冷蔵庫へと移動する。
 あの日から、何を食べても美味しいと感じられない。
 無意識に彼と共に摂ったメニューは避けたせいで、そこにはゼリーやヨーグルト、栄養素をたらふく含んではいるが美味しくは無いパンという簡素な食料が並んでいた。パタンと冷蔵庫を閉めると、そのままベッドまで行き力なく倒れ込む。

 ――正直、自分が生きているのか死んでいるのか分からない。
 無論生命活動は維持している。だが、心は枯れ果てた大地のように乾き切っていた。

「……そんなに、好きだったんだ」
 
 まるで他人事の様な台詞を、俺は呟いた。こんなにも誰かに、情緒を揺すぶられた事なんて無かった。だから何だかこの気持ちが、自分の物のように思えなかった。
 わかっている……そうやって痛みから逃げようとしている事くらい。そうでもしないと、自我が保てないと云う事にも。

「こんなにも、好きだったんだ……」

 あと何度泣けば、泪は枯れてくれるのだろうか。張り裂けそうな程に痛む心臓を、服の上からガリッと抉る。

「初恋は成就しないって。そんな話あったよな」

 最初から分かっていた……だって相手が相手だったんだから。叶わぬ恋だと分かっていて、足を踏み入れたのは自分自身。あの、熱くなった身体をどうにかして欲しいと彼に助けを求めた。あの瞬間からきっともう、俺の何かがおかしくなり始めていたんだ。

「彼と出会わなければ良かった」

 前世の記憶なんて戻らなければよかった……何度そう思ったか。
 でも、あんな幸せで暖かで、情熱的に誰かを求める気持ちは、彼に出逢わなければ知ることはなかった。

 横にした身体から投げ出された左手には、いまだに青い宝石の付いた指輪が輝いている。「治療をするのに必要だから」と自分に言い訳をして、薬指にそれは嵌められたままにしていた。

 ――『この指に嵌めたかっただけだ。悪いかよ』

 あれを言われた時に、愛の言葉を返していれば未来は変わって居たのだろうか。
「……そんなわけない。結末はもう、決まっている」
 諦め癖が付いたのは一体何時から。
 ……妹が生まれて、我が家の中が妹中心に回り始めた時からもう、何かを言う事を止めたんだったな。
「今更なに考えてんだよ、そんなガキの時の事……」
 「アホくさ」と、これ以上何かを考えるのが億劫になり、俺はそのまま目を閉じた。





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