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終
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SIDE:K
自分以外の人間と会話したことを『楽しかった』と言った壱に、俺は足元がガラガラと崩れ落ちていく感覚に襲われた。
『おれ、父ちゃんに……すてられた……』
暗闇の土砂降りの雨の中、そう言ってびしょ濡れの姿で俺の前に立った壱を見て一番に抱いた感情は、かわいそうでも、哀れでもなく純粋に【嬉しい】だった。
壱と一緒に遊んだあと、サヨナラをするのが嫌いだった。他の誰かと別れるのは辛くなかったけど、壱にバイバイと手を振られるのが心底嫌いだった。
彼の帰る家にはいつだってひと気はなく、夕方になれば電気の点いていない真っ暗闇の寂しい建物に見えた。それなのに、壱は嬉しそうにその家に駆けていく。その間どれだけ皆と楽しく遊んでいても、あの暗闇の広がる家に帰る時が一番嬉しそうだった。
なぜ、壱を一番に大切にしてくれない人の元に帰ってしまうのだろう。なぜ壱の帰りを待っていてくれない人を待つのだろう。ずっとずっと、そう思っていたある日、ついにあの家に帰る人間が壱だけになった。そうして漸く壱は、一番に俺の元に来てくれた。
泣くことも忘れて呆然と玄関先に立つ壱を見て、確かに俺は歓喜していたのだ。
誰のことも信用できなくなって引きこもった壱の側にずっといた。両親は壱に同情し、できる限りのことをしてあげなさいと後押ししてくれた。そのお陰で何にも邪魔されることなく、壱の隣に立つ権利をもぎ取った。
自分の存在が壱を世間から遠ざけていることに気付いた時にはもう、壱に向ける感情は手遅れな場所まで来ていた。
自分に羨望の眼差しを向ける妹にも、サポートしてくれていた両親さえも流石に俺を止めようとしていたが、それは何の楔にもなりはしなかった。
俺の中で、大切なものは壱だけ。ただ彼だけを大切にしたくて、誰よりも独占したくて、壱の意思よりも自分の欲望を優先して動いた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
俺以外との時間に楽しさを感じた壱に絶望した。壱にも俺と同じように、自分の世界には俺しか要らないと思って欲しかった。思ってくれると思っていたのに。
でもそんなものは夢のまた夢だった。壱はしっかりと他人の存在を求めていた。俺にもあまり見せてくれていなかった笑顔を、昨日話したばかりだと言うクラスメートに向けていた。
兎川という少年に笑顔を見せる壱を見た瞬間、ショックで心臓が止まりそうだった。
「光司、どうした? 何で泣くの?」
俺を見つめる壱の瞳は優しさで溢れている。俺に対しての怒りなど、少しもそこには無かった。だからこそ余計に悲しくなる。
これから本当のことを話せば、この優しさはきっと消えてしまうのだろう。
「今までずっと、俺に縛りつけててごめん。ごめんなさい……許して」
「何言ってんの? 今まで縛りつけてたのは俺の方だろ?」
「違う」
「違わないよ」
「違うっ!!」
大声を上げた俺を壱がポカンとした顔で見ている。そんな顔だって俺は大好きなんだ。
「俺は縛られてなんかいない。ずっと、俺の意思で壱の側にいた。壱が俺以外の人間を怖いと思ったままでいいと思ってたし、わざと周りの人間との接触を増やさなかった。壱を誰にも取られたくなくて……壱が俺だけを必要とするように仕向けてきたんだ」
壱の顔は見られなかった。
「壱のことが好き……好きになって、ごめん」
みっともなく涙を流す俺を、壱が無言で見下ろしている。軽蔑しただろうか、もう俺のことなんて嫌いになっただろうか。
怖くて顔を上げられず床を見つめている視線の先に、壱の手が入った。その手はそっと、俺の涙を優しく拭う。
「俺も好きだよ、光司」
思わず顔を上げた俺の唇に、そっと柔らかい何かが触れる。
「でも俺の好きは、こっちの好き。光司、彼女できたんだってね」
「え……?」
「俺はもう光司と同じ好きを返してやれないから、一緒にいられない。俺は光司離れするって決めたんだ」
諦めの色を濃くした瞳が哀しげに細められる。
そんな顔して笑わないで。そんな笑顔が見たかったんじゃない。昔みたいに、太陽みたいな笑顔で笑って欲しかった。
「こうっ」
目の前にあった壱の唇に、今度は自分から熱を重ねた。外でドッと雨が降る音が聞こえる。まるであの日の大雨みたいにひどい音。気温も下がってきたからか、緊張しているからか、壱の唇は冷たかった。
「俺の好きも、同じ好き。ずっとずっと、壱が好き」
壱は目を大きく見開いた。
「でも光司、彼女……弓道部の部長さんと」
「付き合ってないよ。告白はされたけどちゃんと断った」
「え、でも」
「嘘を言いふらしてるみたい。どうでもいいから放っておいたけど……壱の耳に入るならちゃんとしておけばよかった」
誤解させてごめんね。互いの唇が触れ合いそうな距離で壱の瞳を見つめれば、諦めの滲んでいたそれが大きく揺れた。
「ほんとに? ほんとに付き合ってない?」
「うん、ほんと」
「嘘じゃない?」
「嘘じゃないよ。俺が好きなのは、昔も今もこれからも、ずっと壱だけ」
揺れる瞳からポロリと雫が溢れ落ちた。まだまだ溢れそうな涙を堪えるために唇を噛み締める壱が愛おしくて、目の前で震える体をぎゅっと抱きしめた。
「俺、光司離れしなくていいの?」
「そんな恐ろしいこと、今すぐやめて。あと調理部に行くのももうナシにしてよ。料理なら俺が教えるから、あの調理室に居た奴にはもう近づかないで」
「……うーん」
「壱ッ!」
叫ぶと壱がへへっと笑った。
「じゃあ俺、ずっと光司の側にいていい?」
「うん」
「ずっとずっと、ずーーーっとだよ?」
「離れようとしたって、俺が離さない」
ずっと、俺の手を握ってて───
今度こそ涙を堪えられなくなった壱が、俺の肩口に顔を押し付けて嗚咽をあげた。さっきと逆になっている立場に少し笑って、抱きしめる壱の体温に俺もまた、泣いた。
きっと明日から、壱の世界は一気に広がり始める。あの調理室にいたクラスメートとも、きっともっと仲良くなるだろう。俺と同じように、性別の垣根を超えて壱の魅力に気付く人が現れるかもしれない。
ほんとはそんなの嫌だけど。嫌なんだけど……。
壱を閉じ込め縛りつけたって決して手に入らない幸せを手に入れるため。今日から俺たちは、新たな一歩を踏み出すのだ。
激しく降っていた雨は、いつの間にか止んでいた。
*
*
*
「壱、歯磨いた?」
「磨いた」
「じゃあ行こうか」
「あ、弁当」
「俺が持ってるから大丈夫。……壱、」
靴を履き終えた後に差し伸べられる手に、壱が躊躇うことなく手を重ね握る。
「「行ってきます!」」
新たな世界へと踏み出したその先は、ただただ、希望に満ちていた。
END
自分以外の人間と会話したことを『楽しかった』と言った壱に、俺は足元がガラガラと崩れ落ちていく感覚に襲われた。
『おれ、父ちゃんに……すてられた……』
暗闇の土砂降りの雨の中、そう言ってびしょ濡れの姿で俺の前に立った壱を見て一番に抱いた感情は、かわいそうでも、哀れでもなく純粋に【嬉しい】だった。
壱と一緒に遊んだあと、サヨナラをするのが嫌いだった。他の誰かと別れるのは辛くなかったけど、壱にバイバイと手を振られるのが心底嫌いだった。
彼の帰る家にはいつだってひと気はなく、夕方になれば電気の点いていない真っ暗闇の寂しい建物に見えた。それなのに、壱は嬉しそうにその家に駆けていく。その間どれだけ皆と楽しく遊んでいても、あの暗闇の広がる家に帰る時が一番嬉しそうだった。
なぜ、壱を一番に大切にしてくれない人の元に帰ってしまうのだろう。なぜ壱の帰りを待っていてくれない人を待つのだろう。ずっとずっと、そう思っていたある日、ついにあの家に帰る人間が壱だけになった。そうして漸く壱は、一番に俺の元に来てくれた。
泣くことも忘れて呆然と玄関先に立つ壱を見て、確かに俺は歓喜していたのだ。
誰のことも信用できなくなって引きこもった壱の側にずっといた。両親は壱に同情し、できる限りのことをしてあげなさいと後押ししてくれた。そのお陰で何にも邪魔されることなく、壱の隣に立つ権利をもぎ取った。
自分の存在が壱を世間から遠ざけていることに気付いた時にはもう、壱に向ける感情は手遅れな場所まで来ていた。
自分に羨望の眼差しを向ける妹にも、サポートしてくれていた両親さえも流石に俺を止めようとしていたが、それは何の楔にもなりはしなかった。
俺の中で、大切なものは壱だけ。ただ彼だけを大切にしたくて、誰よりも独占したくて、壱の意思よりも自分の欲望を優先して動いた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
俺以外との時間に楽しさを感じた壱に絶望した。壱にも俺と同じように、自分の世界には俺しか要らないと思って欲しかった。思ってくれると思っていたのに。
でもそんなものは夢のまた夢だった。壱はしっかりと他人の存在を求めていた。俺にもあまり見せてくれていなかった笑顔を、昨日話したばかりだと言うクラスメートに向けていた。
兎川という少年に笑顔を見せる壱を見た瞬間、ショックで心臓が止まりそうだった。
「光司、どうした? 何で泣くの?」
俺を見つめる壱の瞳は優しさで溢れている。俺に対しての怒りなど、少しもそこには無かった。だからこそ余計に悲しくなる。
これから本当のことを話せば、この優しさはきっと消えてしまうのだろう。
「今までずっと、俺に縛りつけててごめん。ごめんなさい……許して」
「何言ってんの? 今まで縛りつけてたのは俺の方だろ?」
「違う」
「違わないよ」
「違うっ!!」
大声を上げた俺を壱がポカンとした顔で見ている。そんな顔だって俺は大好きなんだ。
「俺は縛られてなんかいない。ずっと、俺の意思で壱の側にいた。壱が俺以外の人間を怖いと思ったままでいいと思ってたし、わざと周りの人間との接触を増やさなかった。壱を誰にも取られたくなくて……壱が俺だけを必要とするように仕向けてきたんだ」
壱の顔は見られなかった。
「壱のことが好き……好きになって、ごめん」
みっともなく涙を流す俺を、壱が無言で見下ろしている。軽蔑しただろうか、もう俺のことなんて嫌いになっただろうか。
怖くて顔を上げられず床を見つめている視線の先に、壱の手が入った。その手はそっと、俺の涙を優しく拭う。
「俺も好きだよ、光司」
思わず顔を上げた俺の唇に、そっと柔らかい何かが触れる。
「でも俺の好きは、こっちの好き。光司、彼女できたんだってね」
「え……?」
「俺はもう光司と同じ好きを返してやれないから、一緒にいられない。俺は光司離れするって決めたんだ」
諦めの色を濃くした瞳が哀しげに細められる。
そんな顔して笑わないで。そんな笑顔が見たかったんじゃない。昔みたいに、太陽みたいな笑顔で笑って欲しかった。
「こうっ」
目の前にあった壱の唇に、今度は自分から熱を重ねた。外でドッと雨が降る音が聞こえる。まるであの日の大雨みたいにひどい音。気温も下がってきたからか、緊張しているからか、壱の唇は冷たかった。
「俺の好きも、同じ好き。ずっとずっと、壱が好き」
壱は目を大きく見開いた。
「でも光司、彼女……弓道部の部長さんと」
「付き合ってないよ。告白はされたけどちゃんと断った」
「え、でも」
「嘘を言いふらしてるみたい。どうでもいいから放っておいたけど……壱の耳に入るならちゃんとしておけばよかった」
誤解させてごめんね。互いの唇が触れ合いそうな距離で壱の瞳を見つめれば、諦めの滲んでいたそれが大きく揺れた。
「ほんとに? ほんとに付き合ってない?」
「うん、ほんと」
「嘘じゃない?」
「嘘じゃないよ。俺が好きなのは、昔も今もこれからも、ずっと壱だけ」
揺れる瞳からポロリと雫が溢れ落ちた。まだまだ溢れそうな涙を堪えるために唇を噛み締める壱が愛おしくて、目の前で震える体をぎゅっと抱きしめた。
「俺、光司離れしなくていいの?」
「そんな恐ろしいこと、今すぐやめて。あと調理部に行くのももうナシにしてよ。料理なら俺が教えるから、あの調理室に居た奴にはもう近づかないで」
「……うーん」
「壱ッ!」
叫ぶと壱がへへっと笑った。
「じゃあ俺、ずっと光司の側にいていい?」
「うん」
「ずっとずっと、ずーーーっとだよ?」
「離れようとしたって、俺が離さない」
ずっと、俺の手を握ってて───
今度こそ涙を堪えられなくなった壱が、俺の肩口に顔を押し付けて嗚咽をあげた。さっきと逆になっている立場に少し笑って、抱きしめる壱の体温に俺もまた、泣いた。
きっと明日から、壱の世界は一気に広がり始める。あの調理室にいたクラスメートとも、きっともっと仲良くなるだろう。俺と同じように、性別の垣根を超えて壱の魅力に気付く人が現れるかもしれない。
ほんとはそんなの嫌だけど。嫌なんだけど……。
壱を閉じ込め縛りつけたって決して手に入らない幸せを手に入れるため。今日から俺たちは、新たな一歩を踏み出すのだ。
激しく降っていた雨は、いつの間にか止んでいた。
*
*
*
「壱、歯磨いた?」
「磨いた」
「じゃあ行こうか」
「あ、弁当」
「俺が持ってるから大丈夫。……壱、」
靴を履き終えた後に差し伸べられる手に、壱が躊躇うことなく手を重ね握る。
「「行ってきます!」」
新たな世界へと踏み出したその先は、ただただ、希望に満ちていた。
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