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#082 『玉露』
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30年近く前の話だという。
茅原さんは当時、神奈川県に在住して服飾関係のお仕事をされていたが、ある日ちょっとした用事があって、千葉にある大学時代の恩師のお宅を訪ねた。
「教授、しばらくです」
「おーぅ、君も立派な社会人になったな!ま、お上がりなさい」
教授のお宅は、古い二階建ての日本家屋だった。大正時代から建っているらしく、しっかりした風格ある佇まいだ。
鯉の滝登りの図が描かれた掛け軸のある部屋に通され、一人待っていると、
『玉露がはいりましたよ』
――微かだが確かに、女性の声が聞こえた。
あっ、と思って出入り口の襖の方へ目をやるが、
何故か一向に 開く気配はない。
聞き違えか。それにしてもやけにはっきり聞こえたな・・・と訝しんでいると、漸くして 家の主人である教授自身がお茶を持って現れた。
「いやいや待たせた。女房が留守にしててね。女手が無いと、お茶一つ淹れるのも一苦労ってわけさ」
それじゃ、さっきの声は?
茅原さんは、何やら余計に 奥歯にものが挟まったような気分になった。
と。教授はそんな彼の様子に気付いたのであろう。小首を傾げた後、「ああ」と得心したような顔になってニッコリ笑い、
「君、どうやら〝聞いた〟みたいだね」
「えっ、あの・・・」
「隠さなくてもいいよ。『玉露がはいりました』だろ?」
実はね、あれは幽霊の声なのさ。 教授は、自分の武勇伝を友達に語る悪戯小僧のような調子で言った。
ええっ、幽霊?!思わず呆気に取られる茅原さん。そのリアクションが嬉しかったのか、教授は更にご満悦な表情になり、
「はっはっは!この家にも長く住むが・・・ 2、3年前だったかな?気付いたら、あの声がたまに聞こえるようになっていた。忘れた頃に決まって『玉露がはいりました』と言う。そのくせ、何処にも玉露の茶など用意されていないのだけどね」
本当に玉露を淹れてくれる幽霊だったら、こんな来客の際には重宝するのだが―― と、教授は冗談とも本気ともわからぬ口調で言って、自ら淹れた茶を啜る。
「――で、今回の話だけれど」
「あ! はいはい、そうでしたね・・・」
その時は、幽霊の声に関する話はそれきりだった。
一時間ばかり教授宅には お邪魔していたが、もう声を聞くことは無かった。
楚々とした感じの〝幽霊の声〟はしばらく耳にこびり付くように残っていたが、日々を暮らすうちに次第と忘れ去ってしまった。
※ ※ ※ ※
茅原さんが、この不思議な一件を思い出すのは 約一年後のことである。
「えっ、あの教授、亡くなられたのか?!」
久しぶりに出会った大学時代の友人・松村氏との会話の中。
「驚くかも知れないが・・・」と前置きされて語られた恩師の死に、果たして茅原さんは目を丸くして驚いた。
「ああ。一月ほど前だ。 ――いい人だったよな。人情味があって」
「いい人も何も・・・俺はちょっと前に、野暮用でお宅まで行ったよ。信じられない、あんなに元気そうだったのに・・・」
病気か何かだったのか、お前は葬儀に出席したのか? 矢継ぎ早、友人に質問を浴びせかける茅原さん。
しかし対する松村氏は、何ともそれに答えづらそうに しばらくムッツリ 黙り込んだ後、
「葬儀は・・・身内だけでやったんじゃないかな。 新聞の訃報欄にも出なかったらしいし」
「・・・? どういうことだ?」
「自殺だったんだよ。首吊りだ」
――今度は茅原さんが言葉を失う番である。
「何故・・・」と やっと声を絞り出した時、「実はな、」 松村氏も、同時に言葉を発した。
「実は―― 俺も、亡くなる前に教授とお会いした。 たぶん、死の数日前とかだ」
その日、松村氏が恋人と一緒に街を歩いていると、雑踏の中に見覚えのある顔を見つけ、思わず立ち止まってしまったという。
(あ、教授・・・)
間違いない。いろいろお世話になった、大学時代の恩師の姿。
彼女連れなので見て見ぬフリをしても良かったが、松村氏は在学時代、とくにこの教授には迷惑をかけた御仁であった。自分でも「無事に卒業出来たのは教授のおかげ」だと切に感謝してもいたので、彼女に「ちょっと知った人が居たから・・・」と素直に話し、少し待って貰うことにしたという。
「教授!お久しぶりです。覚えていますか、僕――」
そう言いかけ、ギョッとする。
これがあの、いつもパリッと糊の利いた洋服を着こなしていた男伊達の教授か、と思うくらいに くたびれたスーツを着ている。幾分か姿勢も猫背気味になっており、表情からも明らかにやつれた様子が見て取れた。
「・・・・・・やぁ・・・君か。元気かね」
顔の筋肉だけで作った笑顔で、教授は返してくれたという。
教授こそどうしたんですか、何処かお悪いのですか?! ――あまりにビックリし過ぎたので、松村氏は街中であるにも関わらず、不躾とも言える心配の言葉をかけた。
すると教授、「ああ、」「うん、」「実はね・・・」と歯切れの悪い反応の後、
「実は少し前に大学を辞めて、隠居生活を送っていたんだが―― ちょっとした弾みで、先物相場に手を出してしまった。するとみるみる間に、老後の為に貯めていた資金が倍になってね・・・ これが悪かった。調子に乗って、小豆に手を出した。 そしたら、あっという間に一文無し。いや、多額の借金まで背負って・・・ もう、どうしていいやらわからない」
教授はたどたどしい口調で、そういう意味のことを語ったという。
松村氏が絶句している間にも更に教授の告白――むしろ独白は続き、「妻や息子に合わす顔がない」「家を売ることになるかも知れない」などと虚ろな目で呟いた末に、
「・・・最近、幽霊もひどいんだ。 ああ、君は知らないだろうね。うちには幽霊が出る。女の幽霊でね。玉露を淹れてくるんだ・・・」
ここで初めて、松村氏は「ああ。教授は精神の均衡を欠いてしまわれたんだな」と悟ったという。
――それをかつての教え子の表情から読み取ったか、はたまた ひとしきり身の上話をして満足でもしたか―― 教授は〝幽霊の話〟を終えるや否や、「それではまた。行く所があるんでね」と言い残し、その場をとぼとぼ、去って行った。
何処へ行かれるのですか、とは どうしても尋ねられなかったという。
※ ※ ※ ※
「そういうことだ・・・それから直ぐ、教授が自宅の一室で首を吊ったと聞いた。もしかして、俺と話をしたその日のうちに―― ・・・・・・やめよう、こんな話」
それから何だか雰囲気が白けてしまい、松村氏とは程なく別れた。
幽霊に関することは自分自身も体験したことだったので、茅原さんは少しツッコんで訊いてみたというが、松村氏はあまり関心を持っていない様子で「さぁ」「俺も詳しく聞かなかったし」「どうせ幻覚だろ」と素っ気の無い受け答えだったらしい。
〝玉露がはいりました、という女幽霊の声が聞こえる〟ではなく〝玉露を淹れる女幽霊が出る〟と話が微妙に変わっていたところが、とても気になった。
後日、別の知人から「あの教授が亡くなったらしいぞ」と再び知らされた。
その方が風の噂で聞いたところによると、教授は遺言の類を一切残していなかったらしい。ただし遺体の胸ポケットの中にはクシャクシャのメモ帳の切れ端が一枚 入っており、
『玉露、飲んじゃった』
その一言だけ ひどく乱れた筆跡で書き残されていたという。
茅原さんは当時、神奈川県に在住して服飾関係のお仕事をされていたが、ある日ちょっとした用事があって、千葉にある大学時代の恩師のお宅を訪ねた。
「教授、しばらくです」
「おーぅ、君も立派な社会人になったな!ま、お上がりなさい」
教授のお宅は、古い二階建ての日本家屋だった。大正時代から建っているらしく、しっかりした風格ある佇まいだ。
鯉の滝登りの図が描かれた掛け軸のある部屋に通され、一人待っていると、
『玉露がはいりましたよ』
――微かだが確かに、女性の声が聞こえた。
あっ、と思って出入り口の襖の方へ目をやるが、
何故か一向に 開く気配はない。
聞き違えか。それにしてもやけにはっきり聞こえたな・・・と訝しんでいると、漸くして 家の主人である教授自身がお茶を持って現れた。
「いやいや待たせた。女房が留守にしててね。女手が無いと、お茶一つ淹れるのも一苦労ってわけさ」
それじゃ、さっきの声は?
茅原さんは、何やら余計に 奥歯にものが挟まったような気分になった。
と。教授はそんな彼の様子に気付いたのであろう。小首を傾げた後、「ああ」と得心したような顔になってニッコリ笑い、
「君、どうやら〝聞いた〟みたいだね」
「えっ、あの・・・」
「隠さなくてもいいよ。『玉露がはいりました』だろ?」
実はね、あれは幽霊の声なのさ。 教授は、自分の武勇伝を友達に語る悪戯小僧のような調子で言った。
ええっ、幽霊?!思わず呆気に取られる茅原さん。そのリアクションが嬉しかったのか、教授は更にご満悦な表情になり、
「はっはっは!この家にも長く住むが・・・ 2、3年前だったかな?気付いたら、あの声がたまに聞こえるようになっていた。忘れた頃に決まって『玉露がはいりました』と言う。そのくせ、何処にも玉露の茶など用意されていないのだけどね」
本当に玉露を淹れてくれる幽霊だったら、こんな来客の際には重宝するのだが―― と、教授は冗談とも本気ともわからぬ口調で言って、自ら淹れた茶を啜る。
「――で、今回の話だけれど」
「あ! はいはい、そうでしたね・・・」
その時は、幽霊の声に関する話はそれきりだった。
一時間ばかり教授宅には お邪魔していたが、もう声を聞くことは無かった。
楚々とした感じの〝幽霊の声〟はしばらく耳にこびり付くように残っていたが、日々を暮らすうちに次第と忘れ去ってしまった。
※ ※ ※ ※
茅原さんが、この不思議な一件を思い出すのは 約一年後のことである。
「えっ、あの教授、亡くなられたのか?!」
久しぶりに出会った大学時代の友人・松村氏との会話の中。
「驚くかも知れないが・・・」と前置きされて語られた恩師の死に、果たして茅原さんは目を丸くして驚いた。
「ああ。一月ほど前だ。 ――いい人だったよな。人情味があって」
「いい人も何も・・・俺はちょっと前に、野暮用でお宅まで行ったよ。信じられない、あんなに元気そうだったのに・・・」
病気か何かだったのか、お前は葬儀に出席したのか? 矢継ぎ早、友人に質問を浴びせかける茅原さん。
しかし対する松村氏は、何ともそれに答えづらそうに しばらくムッツリ 黙り込んだ後、
「葬儀は・・・身内だけでやったんじゃないかな。 新聞の訃報欄にも出なかったらしいし」
「・・・? どういうことだ?」
「自殺だったんだよ。首吊りだ」
――今度は茅原さんが言葉を失う番である。
「何故・・・」と やっと声を絞り出した時、「実はな、」 松村氏も、同時に言葉を発した。
「実は―― 俺も、亡くなる前に教授とお会いした。 たぶん、死の数日前とかだ」
その日、松村氏が恋人と一緒に街を歩いていると、雑踏の中に見覚えのある顔を見つけ、思わず立ち止まってしまったという。
(あ、教授・・・)
間違いない。いろいろお世話になった、大学時代の恩師の姿。
彼女連れなので見て見ぬフリをしても良かったが、松村氏は在学時代、とくにこの教授には迷惑をかけた御仁であった。自分でも「無事に卒業出来たのは教授のおかげ」だと切に感謝してもいたので、彼女に「ちょっと知った人が居たから・・・」と素直に話し、少し待って貰うことにしたという。
「教授!お久しぶりです。覚えていますか、僕――」
そう言いかけ、ギョッとする。
これがあの、いつもパリッと糊の利いた洋服を着こなしていた男伊達の教授か、と思うくらいに くたびれたスーツを着ている。幾分か姿勢も猫背気味になっており、表情からも明らかにやつれた様子が見て取れた。
「・・・・・・やぁ・・・君か。元気かね」
顔の筋肉だけで作った笑顔で、教授は返してくれたという。
教授こそどうしたんですか、何処かお悪いのですか?! ――あまりにビックリし過ぎたので、松村氏は街中であるにも関わらず、不躾とも言える心配の言葉をかけた。
すると教授、「ああ、」「うん、」「実はね・・・」と歯切れの悪い反応の後、
「実は少し前に大学を辞めて、隠居生活を送っていたんだが―― ちょっとした弾みで、先物相場に手を出してしまった。するとみるみる間に、老後の為に貯めていた資金が倍になってね・・・ これが悪かった。調子に乗って、小豆に手を出した。 そしたら、あっという間に一文無し。いや、多額の借金まで背負って・・・ もう、どうしていいやらわからない」
教授はたどたどしい口調で、そういう意味のことを語ったという。
松村氏が絶句している間にも更に教授の告白――むしろ独白は続き、「妻や息子に合わす顔がない」「家を売ることになるかも知れない」などと虚ろな目で呟いた末に、
「・・・最近、幽霊もひどいんだ。 ああ、君は知らないだろうね。うちには幽霊が出る。女の幽霊でね。玉露を淹れてくるんだ・・・」
ここで初めて、松村氏は「ああ。教授は精神の均衡を欠いてしまわれたんだな」と悟ったという。
――それをかつての教え子の表情から読み取ったか、はたまた ひとしきり身の上話をして満足でもしたか―― 教授は〝幽霊の話〟を終えるや否や、「それではまた。行く所があるんでね」と言い残し、その場をとぼとぼ、去って行った。
何処へ行かれるのですか、とは どうしても尋ねられなかったという。
※ ※ ※ ※
「そういうことだ・・・それから直ぐ、教授が自宅の一室で首を吊ったと聞いた。もしかして、俺と話をしたその日のうちに―― ・・・・・・やめよう、こんな話」
それから何だか雰囲気が白けてしまい、松村氏とは程なく別れた。
幽霊に関することは自分自身も体験したことだったので、茅原さんは少しツッコんで訊いてみたというが、松村氏はあまり関心を持っていない様子で「さぁ」「俺も詳しく聞かなかったし」「どうせ幻覚だろ」と素っ気の無い受け答えだったらしい。
〝玉露がはいりました、という女幽霊の声が聞こえる〟ではなく〝玉露を淹れる女幽霊が出る〟と話が微妙に変わっていたところが、とても気になった。
後日、別の知人から「あの教授が亡くなったらしいぞ」と再び知らされた。
その方が風の噂で聞いたところによると、教授は遺言の類を一切残していなかったらしい。ただし遺体の胸ポケットの中にはクシャクシャのメモ帳の切れ端が一枚 入っており、
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