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第三章〈アジャンクールの戦い〉編
3.9 アジャンクールの死闘(4)挿絵つき
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援護の老騎士が討たれたのか、それとも気が変わって立ち去ったか。
敵は標的をリッシュモンひとりに定めて、一斉射撃を始めた。
矢の雨を浴びながら、リッシュモンは器用に小剣を振るい、顔に当たりそうな矢だけを最小限の動きで叩き落とした。
(ロングボウならここまで届く。だが、クロスボウでヘンリーを撃つことは不可能だ……)
人並み外れて武芸全般に優れ、才能に溺れることなく鍛錬し、リッシュモン本人も自分の能力に自信を持っていたが、決して過信することはなかった。
(騎乗して駆けながらロングボウで三本同時発射、か……)
リッシュモンとてクロスボウとショートボウの心得はある。
だが、ロングボウは構え方からして違う。ましてやあの老騎士のような芸当はそう簡単に真似できない。
昨夜のうちに老騎士からもっと話を引き出せば良かったと後悔した。
(老いてなお、これほどの精鋭が傭兵に甘んじているとは恐れ入る)
リッシュモンは矢の雨をかいくぐりながら、淡々と「面白いものを見せてもらった」と思っていた。気分は悪くなかった。
フランス王国はこの戦いで敗北するが、戦果がなかったわけではない。
プレートアーマーは矢のダメージを防ぐことに成功した。
しかし、遠距離攻撃の能力はあいかわらずフランスが劣っている。
集団の熟練度だけでなく、個人技でも敵わないだろう。
(敵の攻撃は届くのに、こちらの攻撃は届かない。戦略を考え直さなければ)
リッシュモン自身に矢は当たらなかったが、馬に何本か命中した。
よく調教された軍馬でも足を負傷したら走り続けることはできない。
倒れる予兆を感じると、リッシュモンは馬の下敷きになる寸前に鞍から飛び降りた。
落ちながら体勢を丸めて転がり、うまく衝撃を逃がすと即座に立ち上がり、今度は大剣を抜いた。
(遠距離が無理なら、近接戦に持ち込むまでだ)
落馬した時に落とした小剣を拾うと、二刀流でなおも進んだ。
(※)アジャンクールの戦いのヘンリー五世(King Henry V at the Battle of Agincour, John Gilbert)
イングランド陣営は、トラップにはまって泥まみれになった重騎士を見ていたから先入観があったのだろう。
「下馬した重騎士は動きが鈍い」
ヘンリーを護衛する騎士たちは、鈍重な重騎士など簡単に討ち取れると考えた。
しかし、リッシュモンは軽装と変わらない動きで翻弄し、想像以上に手こずらせた。
身につけている防具はイングランド兵の方がやや薄い。
リッシュモンは左手の小剣で攻撃を受け流し、なぎ払い、ときには搦め手で敵の武器を跳ね飛ばした。
そして、右手の大剣でアーマーの弱点を正確に突き刺した。
一対多数にも関わらず、ヘンリーを護衛する近衛騎士たちは何人も討ち取られて傷を負った。
ヘンリーを守る壁は薄くなる一方だ。
「奴を止めろ! 陛下に近づかせるな!」
近衛騎士の叫びに応えるように、斧を持って近づく者がいた。
前夜、杭のトラップを作るために森の木を切り出した道具だろうか。
だが、雑兵ごときが王の近くに侍っているとは思えない。
一般的に、寄せ集めの民兵・歩兵は弓矢や手斧を、訓練された貴族出身の騎士たちは剣や槍を武器とするが、例外もなくはない。ヘンリー五世の弟ベッドフォード公ジョンは戦斧さばきが得意だった。
乱戦の死角から、男は戦斧で力任せにリッシュモンの側頭部を叩いた。
その瞬間、金属が弾けて火花が飛んだ。
骨が折れたかのような鈍い音がして、兜もろとも頭部が飛んだかに見えた。
実際は、兜だけが吹き飛んだ。
兜の面を上げていたおかげで、頭部から兜が脱げて外れたのだろう。
幸い、リッシュモンの首と胴体は離れなかったが、兜越しとはいえ、戦斧で頭を殴られたダメージは大きかった。
衝撃を受けたと同時に、地面に横向けに倒れ伏していた。
(不覚だ……)
死角からの攻撃に気づかなかったのはリッシュモン自身の落ち度だが、気づいたとしても小剣で戦斧をまともに受けることは不可能だろう。
起き上がろうにも視界はブレて、次第にかすみ始めた。
(立て……ない……)
王を護衛する騎士たちに取り押さえられ、倒れたまま制圧された。
動けないリッシュモンの前に誰かが近づいてきた。
「これはこれは……どこぞの狂戦士かと思えば、ブルターニュ公の弟君ではないか」
楽しそうな声が聞こえた。
顔が見えなくても、声の主に聞き覚えがあった。
「こそこそと隠れて人の食料をかすめ取るとは、穴熊の一族らしい行動だと思わないか」
声に賛同するように、侮辱を含んだ笑い声が上がった。
白地に穴熊の尾を模したブルターニュの旗が泥水に浸かり、みるみる黒く染まっていった。
そのシンボルはアーサー王の末裔をあらわす。
ケルトの、ブリテン島の本当の王の名を知らない者はいない。
「アーサー・オブ・リッチモンド伯。久しぶりだな、我が弟よ」
イングランド国王ヘンリーは、泥水に染まったブルターニュの白い旗を踏みつけた。
びしゃりと泥が跳ねてリッシュモンの顔にかかったが、拭う力はもう残されていなかった。
***
1415年10月25日、アジャンクールの戦い。
フランス王国軍の戦力は2万人。うち、死者は1万人。
イングランド王国の戦力は7000人。うち、死者は112人。
フランス王国は三倍の戦力を保有しながら、歴史的な大敗を喫した。
敵は標的をリッシュモンひとりに定めて、一斉射撃を始めた。
矢の雨を浴びながら、リッシュモンは器用に小剣を振るい、顔に当たりそうな矢だけを最小限の動きで叩き落とした。
(ロングボウならここまで届く。だが、クロスボウでヘンリーを撃つことは不可能だ……)
人並み外れて武芸全般に優れ、才能に溺れることなく鍛錬し、リッシュモン本人も自分の能力に自信を持っていたが、決して過信することはなかった。
(騎乗して駆けながらロングボウで三本同時発射、か……)
リッシュモンとてクロスボウとショートボウの心得はある。
だが、ロングボウは構え方からして違う。ましてやあの老騎士のような芸当はそう簡単に真似できない。
昨夜のうちに老騎士からもっと話を引き出せば良かったと後悔した。
(老いてなお、これほどの精鋭が傭兵に甘んじているとは恐れ入る)
リッシュモンは矢の雨をかいくぐりながら、淡々と「面白いものを見せてもらった」と思っていた。気分は悪くなかった。
フランス王国はこの戦いで敗北するが、戦果がなかったわけではない。
プレートアーマーは矢のダメージを防ぐことに成功した。
しかし、遠距離攻撃の能力はあいかわらずフランスが劣っている。
集団の熟練度だけでなく、個人技でも敵わないだろう。
(敵の攻撃は届くのに、こちらの攻撃は届かない。戦略を考え直さなければ)
リッシュモン自身に矢は当たらなかったが、馬に何本か命中した。
よく調教された軍馬でも足を負傷したら走り続けることはできない。
倒れる予兆を感じると、リッシュモンは馬の下敷きになる寸前に鞍から飛び降りた。
落ちながら体勢を丸めて転がり、うまく衝撃を逃がすと即座に立ち上がり、今度は大剣を抜いた。
(遠距離が無理なら、近接戦に持ち込むまでだ)
落馬した時に落とした小剣を拾うと、二刀流でなおも進んだ。
(※)アジャンクールの戦いのヘンリー五世(King Henry V at the Battle of Agincour, John Gilbert)
イングランド陣営は、トラップにはまって泥まみれになった重騎士を見ていたから先入観があったのだろう。
「下馬した重騎士は動きが鈍い」
ヘンリーを護衛する騎士たちは、鈍重な重騎士など簡単に討ち取れると考えた。
しかし、リッシュモンは軽装と変わらない動きで翻弄し、想像以上に手こずらせた。
身につけている防具はイングランド兵の方がやや薄い。
リッシュモンは左手の小剣で攻撃を受け流し、なぎ払い、ときには搦め手で敵の武器を跳ね飛ばした。
そして、右手の大剣でアーマーの弱点を正確に突き刺した。
一対多数にも関わらず、ヘンリーを護衛する近衛騎士たちは何人も討ち取られて傷を負った。
ヘンリーを守る壁は薄くなる一方だ。
「奴を止めろ! 陛下に近づかせるな!」
近衛騎士の叫びに応えるように、斧を持って近づく者がいた。
前夜、杭のトラップを作るために森の木を切り出した道具だろうか。
だが、雑兵ごときが王の近くに侍っているとは思えない。
一般的に、寄せ集めの民兵・歩兵は弓矢や手斧を、訓練された貴族出身の騎士たちは剣や槍を武器とするが、例外もなくはない。ヘンリー五世の弟ベッドフォード公ジョンは戦斧さばきが得意だった。
乱戦の死角から、男は戦斧で力任せにリッシュモンの側頭部を叩いた。
その瞬間、金属が弾けて火花が飛んだ。
骨が折れたかのような鈍い音がして、兜もろとも頭部が飛んだかに見えた。
実際は、兜だけが吹き飛んだ。
兜の面を上げていたおかげで、頭部から兜が脱げて外れたのだろう。
幸い、リッシュモンの首と胴体は離れなかったが、兜越しとはいえ、戦斧で頭を殴られたダメージは大きかった。
衝撃を受けたと同時に、地面に横向けに倒れ伏していた。
(不覚だ……)
死角からの攻撃に気づかなかったのはリッシュモン自身の落ち度だが、気づいたとしても小剣で戦斧をまともに受けることは不可能だろう。
起き上がろうにも視界はブレて、次第にかすみ始めた。
(立て……ない……)
王を護衛する騎士たちに取り押さえられ、倒れたまま制圧された。
動けないリッシュモンの前に誰かが近づいてきた。
「これはこれは……どこぞの狂戦士かと思えば、ブルターニュ公の弟君ではないか」
楽しそうな声が聞こえた。
顔が見えなくても、声の主に聞き覚えがあった。
「こそこそと隠れて人の食料をかすめ取るとは、穴熊の一族らしい行動だと思わないか」
声に賛同するように、侮辱を含んだ笑い声が上がった。
白地に穴熊の尾を模したブルターニュの旗が泥水に浸かり、みるみる黒く染まっていった。
そのシンボルはアーサー王の末裔をあらわす。
ケルトの、ブリテン島の本当の王の名を知らない者はいない。
「アーサー・オブ・リッチモンド伯。久しぶりだな、我が弟よ」
イングランド国王ヘンリーは、泥水に染まったブルターニュの白い旗を踏みつけた。
びしゃりと泥が跳ねてリッシュモンの顔にかかったが、拭う力はもう残されていなかった。
***
1415年10月25日、アジャンクールの戦い。
フランス王国軍の戦力は2万人。うち、死者は1万人。
イングランド王国の戦力は7000人。うち、死者は112人。
フランス王国は三倍の戦力を保有しながら、歴史的な大敗を喫した。
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