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第四章〈王太子デビュー〉編
4.3 旅立ちの朝(1)
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フランス王国では、王位継承順位第一位の王子を「ヴィエノワの王太子」という称号で呼ぶ。
王太子専用の所領ドーフィネを授かり、王家の金百合とイルカを組み合わせた専用の紋章を授かる。イルカはドーフィネの紋章だ。
私は父王の10番目の子、末弟の五男だ。
王太子になるとは、誰も予想しなかったのではないだろうか。
新しい王太子、つまり次期国王の身辺調査が急いで進められた。
所有している称号と財産、心身の健康状態など、身体の隅々まで念入りに調べられ、さまざまなことを聞かれた。
しかし、私はまだ14歳の王子だ。
覚えている記憶、知っている情報などたかが知れている。
「王子の称号はポンティユ伯とお聞きしていますが」
「はい、間違いありません」
「その他には、何かございますか」
「それだけです」
「ま、まさか……王太子殿下ともあろう御方が称号ひとつなどということは……?」
兄たちの訃報の知らせは私を動揺させたが、使者たちも動揺していた。
「そんなことを言われても、私にはよく分かりません」
「困りましたね……」
「すみません」
「きっと、記録洩れか何かの手違いでしょう。悪いようにはしません。必ず善処いたします」
「お願いします」
王侯貴族の称号は、国と時代によって色々ある。
この物語を読んでいる読者諸氏には馴染みがないだろうから、簡単に説明しよう。
王国を統治する「王」を筆頭に、その下が「公爵」、その下が「伯爵」。
さらにその下には有象無象の領主と地主たちがいる。
私が世話になっているアンジュー公。
リッシュモンの兄ブルターニュ公。
母妃の愛人ブルゴーニュ公。
父王の王弟オルレアン公——今はシャルル・ドルレアンが継承している。
彼ら、○○公はみな公爵位をもつ偉大な貴族だ。大諸侯とも呼ばれる。
次期国王が、大諸侯より格下のポンティユ伯では示しがつかない。
私が王太子になると同時に、新たな称号——ベリー公とトゥーレーヌ公——が追加された。
宮廷で見劣りしないように格上げされたというわけだ。
余談だが、前のベリー公は祖父シャルル五世の弟で、世界でもっとも高価な装飾写本「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」を作らせた人物として知られている。ベリー公には後継となる息子がいなかったため、死後にその財産・領地は王領に返還されていたが、私が相続することになった。
余談になるが、私が王太子になった当時、「いとも豪華なる時祷書」は未完成で、のちにルネ・ダンジューが連れてきた初期フランドル派の宮廷画家ヤン・ファン・エイクとバーテルミー・デックの手によって完成する。
もう一つの称号・トゥーレーヌ公は、亡くなったばかりの兄ジャンのものだった。
話を戻そう。
私はまだ無知な子供で、周りに言われるがまま、時勢に流されるだけだった。
何か質問しても「我が国のしきたりです」で済ませられた。
本人の戸惑いと不安をよそに、新しい王太子の「宮廷入り」に備えて着々と準備が進められた。
***
兄の訃報と王太子就任を知らせる使者が来てから何日経っただろうか。
「ごきげんよう」
朝の支度を済ませると、アンジュー公妃ヨランド・ダラゴンが面会に来てくれた。
「ああ、公妃!」
久しぶりに生きた心地がして、思わず駆け寄ろうとしたが、ヨランドは微笑みを浮かべながらやんわりと私を制した。
距離を取ったままでうやうやしく屈膝礼をとり、私もぎこちなく返礼した。
「もういいでしょう?」
「ええ」
私はほっとしてヨランドの手を握った。
「会いたかった。みんなにも!」
「王子、わたくしと一緒に礼拝堂へ来ていただけませんか」
私はヨランドに手を引かれ、城内の離れにある礼拝堂へ連れて行かれた。
護衛がぞろぞろとついてくる。私たちを先導するように前にも数名いる。王太子の護衛はパリの宮廷から来た人たちだ。
(護衛たちは部外者なのに、礼拝堂の場所を知っている?)
おそらく、ヨランドが前もって行き先を伝えていたのだろう。
「公妃、聞いてください。私は今日ここを発つそうです。だから、もうアンジュー家のみんなに会えないのかと思って……」
「王子、移動中はお静かに」
「……はい」
ここへ来た四年前も、こうしてヨランドに手を引かれて礼拝堂へ向かった。
あの時は私の方が小さかったけれど、今はそれほど変わらない。
アンジェ城には家族用の小さな礼拝堂がある。
ヨランドは、「子供たちが祈祷中に体を冷やさないように煖炉をつけた」と言っていた。
私も、アンジュー家の身内として何度も礼拝堂に足を運んだ。
(もしかしたら)
私は、礼拝堂にアンジュー家の家族がいるかもしれないと期待したが、残念ながら無人だった。
先導の護衛が室内を点検し、「異常ありません」と告げた。
「王子の胸の中にさまざまな想いがおありでしょう。重荷はここへ置いていきなさい。私も護衛たちも礼拝堂の外へ出ます。ですから、王子の声は誰にも聞こえません。思う存分、ここで想いを吐き出して……」
ヨランドはひと呼吸置いてから、労るように微笑みを浮かべた。
「旅立ちを祝福しましょう」
私はひとり、がらんどうの礼拝堂に取り残された。
王太子専用の所領ドーフィネを授かり、王家の金百合とイルカを組み合わせた専用の紋章を授かる。イルカはドーフィネの紋章だ。
私は父王の10番目の子、末弟の五男だ。
王太子になるとは、誰も予想しなかったのではないだろうか。
新しい王太子、つまり次期国王の身辺調査が急いで進められた。
所有している称号と財産、心身の健康状態など、身体の隅々まで念入りに調べられ、さまざまなことを聞かれた。
しかし、私はまだ14歳の王子だ。
覚えている記憶、知っている情報などたかが知れている。
「王子の称号はポンティユ伯とお聞きしていますが」
「はい、間違いありません」
「その他には、何かございますか」
「それだけです」
「ま、まさか……王太子殿下ともあろう御方が称号ひとつなどということは……?」
兄たちの訃報の知らせは私を動揺させたが、使者たちも動揺していた。
「そんなことを言われても、私にはよく分かりません」
「困りましたね……」
「すみません」
「きっと、記録洩れか何かの手違いでしょう。悪いようにはしません。必ず善処いたします」
「お願いします」
王侯貴族の称号は、国と時代によって色々ある。
この物語を読んでいる読者諸氏には馴染みがないだろうから、簡単に説明しよう。
王国を統治する「王」を筆頭に、その下が「公爵」、その下が「伯爵」。
さらにその下には有象無象の領主と地主たちがいる。
私が世話になっているアンジュー公。
リッシュモンの兄ブルターニュ公。
母妃の愛人ブルゴーニュ公。
父王の王弟オルレアン公——今はシャルル・ドルレアンが継承している。
彼ら、○○公はみな公爵位をもつ偉大な貴族だ。大諸侯とも呼ばれる。
次期国王が、大諸侯より格下のポンティユ伯では示しがつかない。
私が王太子になると同時に、新たな称号——ベリー公とトゥーレーヌ公——が追加された。
宮廷で見劣りしないように格上げされたというわけだ。
余談だが、前のベリー公は祖父シャルル五世の弟で、世界でもっとも高価な装飾写本「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」を作らせた人物として知られている。ベリー公には後継となる息子がいなかったため、死後にその財産・領地は王領に返還されていたが、私が相続することになった。
余談になるが、私が王太子になった当時、「いとも豪華なる時祷書」は未完成で、のちにルネ・ダンジューが連れてきた初期フランドル派の宮廷画家ヤン・ファン・エイクとバーテルミー・デックの手によって完成する。
もう一つの称号・トゥーレーヌ公は、亡くなったばかりの兄ジャンのものだった。
話を戻そう。
私はまだ無知な子供で、周りに言われるがまま、時勢に流されるだけだった。
何か質問しても「我が国のしきたりです」で済ませられた。
本人の戸惑いと不安をよそに、新しい王太子の「宮廷入り」に備えて着々と準備が進められた。
***
兄の訃報と王太子就任を知らせる使者が来てから何日経っただろうか。
「ごきげんよう」
朝の支度を済ませると、アンジュー公妃ヨランド・ダラゴンが面会に来てくれた。
「ああ、公妃!」
久しぶりに生きた心地がして、思わず駆け寄ろうとしたが、ヨランドは微笑みを浮かべながらやんわりと私を制した。
距離を取ったままでうやうやしく屈膝礼をとり、私もぎこちなく返礼した。
「もういいでしょう?」
「ええ」
私はほっとしてヨランドの手を握った。
「会いたかった。みんなにも!」
「王子、わたくしと一緒に礼拝堂へ来ていただけませんか」
私はヨランドに手を引かれ、城内の離れにある礼拝堂へ連れて行かれた。
護衛がぞろぞろとついてくる。私たちを先導するように前にも数名いる。王太子の護衛はパリの宮廷から来た人たちだ。
(護衛たちは部外者なのに、礼拝堂の場所を知っている?)
おそらく、ヨランドが前もって行き先を伝えていたのだろう。
「公妃、聞いてください。私は今日ここを発つそうです。だから、もうアンジュー家のみんなに会えないのかと思って……」
「王子、移動中はお静かに」
「……はい」
ここへ来た四年前も、こうしてヨランドに手を引かれて礼拝堂へ向かった。
あの時は私の方が小さかったけれど、今はそれほど変わらない。
アンジェ城には家族用の小さな礼拝堂がある。
ヨランドは、「子供たちが祈祷中に体を冷やさないように煖炉をつけた」と言っていた。
私も、アンジュー家の身内として何度も礼拝堂に足を運んだ。
(もしかしたら)
私は、礼拝堂にアンジュー家の家族がいるかもしれないと期待したが、残念ながら無人だった。
先導の護衛が室内を点検し、「異常ありません」と告げた。
「王子の胸の中にさまざまな想いがおありでしょう。重荷はここへ置いていきなさい。私も護衛たちも礼拝堂の外へ出ます。ですから、王子の声は誰にも聞こえません。思う存分、ここで想いを吐き出して……」
ヨランドはひと呼吸置いてから、労るように微笑みを浮かべた。
「旅立ちを祝福しましょう」
私はひとり、がらんどうの礼拝堂に取り残された。
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