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第四章〈王太子デビュー〉編
4.7 宮廷の洗礼(1)
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修道院からアンジューへ旅をしたときは、「治安が良くない」という理由で、馬車の車窓から景色を見ることを禁じられた。
アンジューから王都パリまでの旅路は、4年前とは比較にならないほど厳戒態勢だった。
護衛隊長のタンギ・デュ・シャステルは王太子に付きっきりで、ちょっとした連絡事項もすべてシャステルを通さなければならない。
旅の途中でどこかの城館に宿泊するときなど、私は薄衣のベールをかぶって顔を隠してから馬車を下りなければならなかった。
「うぅ、またか。息苦しいな……」
「城内の案内が済むまで、しばらくご辛抱ください」
「何時間も馬車に閉じ込められていたのだから、少しくらい深呼吸させてよ!」
護衛のやり方がちょっと大げさ過ぎると感じて何度か抗議してみたが、シャステルは譲らなかった。
「城主に問題がなくても、下働きの人間や出入りの商人の中に敵意を持つ者がいるかもしれません」
「ひとりだけ頭からベールをかけられていたら、かえって怪しまれる気がしないか?」
「どうかご辛抱ください」
私は宮廷の作法をよく知らない。
ゆえに、大人しくしていたが内心では呆れていた。
(一体、どこの貴人だか)
王太子の身分はたしかに「貴人」に値するのかもしれないが、まったく自覚はなかった。
(貴人というより、まるで奇人だな)
生まれてこのかた、ずっと放置・冷遇していたのに王太子になった途端、この手のひら返しである。
私の性格が次第にひねくれていくのも無理もない。
***
当時の私は知らなかったのだが。
11年前、のちのスコットランド王ジェームズ一世が王太子だったとき、パリの宮廷に留学する途上、航海中にイングランド勢に襲撃されて捕らわれ、いまだにロンドンのウインザー城に幽閉されていた。
もしかしたら、シャステルの念頭にこの事件の記憶があったのかも知れない。
過剰すぎる護衛のおかげだろうか。少なくとも私が感知する範囲では何事もなく、王太子一行は無事に王都パリの城門をくぐった。
フランス王国が誇る王都パリは、別名「花の都」とも称される。
私が生きた15世紀当時は、およそ15万から28万人もの人々が暮らしていた。
14世紀から続く黒死病の大流行で人口は減っていたが、それでもヨーロッパ最大規模の都市である。
花の都パリと聞くと、華やかなイメージを思い浮かべるだろう。
実際は、風通しの悪い陰気な街だと感じた。
私が都入りしたときは車窓から外を見れなかったため、人づてに聞いた話になってしまうが、近年は水害が多くてじめじめしていること、半世紀前にペストが猛威を振るい人口が激減していたことが一因だろうと言われた。
なお、フランス王国全体の人口は1100万人だ。
ペスト禍で500万人減少したが、ヨーロッパ最大の王国であることに変わりなかった。
春だというのに、王都には暗い影が差していた。
4年前のパリでは、ブルゴーニュ公が煽動した「カボシュの乱」という暴動が起きていた。
私がアンジューへ移る少し前の事件だ。
兄のルイ・ド・ギュイエンヌ公はこのときの心労がもとで倒れたとも、追放したブルゴーニュ公に謀殺されたとも噂されていた。どちらにしても痛ましい。
長い間、私は宮廷から放置され冷遇されていた。
その一方で、災いの禍中から遠ざけられていたことも事実だった。
(兄の代わりに、私は王太子にならなければいけない)
厳戒態勢の旅路は、実にばかばかしかった。
だが、護衛が神経質になるほどに、やはり「兄たちの死」は異常事態なのだと思い知らされた。
水害で壊れた橋を回避するためか、それとも敵方の目を欺くためか、馬車は都中をぐるぐると遠回りしながらようやく王城へ入った。
「やっと新鮮な空気を吸える!」
馬車の外で人々が控えている気配を感じる。
第一印象で侮られてはいけない。気を引き締めなければ。
もう顔を隠すベールをかぶらなくていいと言われて、ほっとしたのも束の間。
「ごきげんよう」
出迎えの宰相やシャステルを押しのけて、鈴のような声が聞こえた。
「まぁ、今度の王太子さまはずいぶんと可愛らしい御方ですのね」
声の主はくすくすと笑いながら、私を値踏みしているようだった。
想定外の事態に、私は馬車から降りるなり立ち尽くしてしまった。
シャステルが間に入ろうとしたが、その人は柔らかな声で「控えなさい」と言った。
柔らかな、どちらかといえば甘い声色なのに不思議な威圧感があった。
「感動的な母子の対面なんですもの。護衛ごときが水を差すのは無粋でしてよ」
フランス王国国王シャルル六世妃、イザボー・ド・バヴィエール。
別名、淫乱王妃。
初めて会った母はずいぶんと可愛らしく、得体の知れない貴婦人だった。
(※国別人口推定値の資料:McEvedy & Jones (1978) )
(※都市別人口推定値の資料:ターシャス・チャンドラー(TC))
アンジューから王都パリまでの旅路は、4年前とは比較にならないほど厳戒態勢だった。
護衛隊長のタンギ・デュ・シャステルは王太子に付きっきりで、ちょっとした連絡事項もすべてシャステルを通さなければならない。
旅の途中でどこかの城館に宿泊するときなど、私は薄衣のベールをかぶって顔を隠してから馬車を下りなければならなかった。
「うぅ、またか。息苦しいな……」
「城内の案内が済むまで、しばらくご辛抱ください」
「何時間も馬車に閉じ込められていたのだから、少しくらい深呼吸させてよ!」
護衛のやり方がちょっと大げさ過ぎると感じて何度か抗議してみたが、シャステルは譲らなかった。
「城主に問題がなくても、下働きの人間や出入りの商人の中に敵意を持つ者がいるかもしれません」
「ひとりだけ頭からベールをかけられていたら、かえって怪しまれる気がしないか?」
「どうかご辛抱ください」
私は宮廷の作法をよく知らない。
ゆえに、大人しくしていたが内心では呆れていた。
(一体、どこの貴人だか)
王太子の身分はたしかに「貴人」に値するのかもしれないが、まったく自覚はなかった。
(貴人というより、まるで奇人だな)
生まれてこのかた、ずっと放置・冷遇していたのに王太子になった途端、この手のひら返しである。
私の性格が次第にひねくれていくのも無理もない。
***
当時の私は知らなかったのだが。
11年前、のちのスコットランド王ジェームズ一世が王太子だったとき、パリの宮廷に留学する途上、航海中にイングランド勢に襲撃されて捕らわれ、いまだにロンドンのウインザー城に幽閉されていた。
もしかしたら、シャステルの念頭にこの事件の記憶があったのかも知れない。
過剰すぎる護衛のおかげだろうか。少なくとも私が感知する範囲では何事もなく、王太子一行は無事に王都パリの城門をくぐった。
フランス王国が誇る王都パリは、別名「花の都」とも称される。
私が生きた15世紀当時は、およそ15万から28万人もの人々が暮らしていた。
14世紀から続く黒死病の大流行で人口は減っていたが、それでもヨーロッパ最大規模の都市である。
花の都パリと聞くと、華やかなイメージを思い浮かべるだろう。
実際は、風通しの悪い陰気な街だと感じた。
私が都入りしたときは車窓から外を見れなかったため、人づてに聞いた話になってしまうが、近年は水害が多くてじめじめしていること、半世紀前にペストが猛威を振るい人口が激減していたことが一因だろうと言われた。
なお、フランス王国全体の人口は1100万人だ。
ペスト禍で500万人減少したが、ヨーロッパ最大の王国であることに変わりなかった。
春だというのに、王都には暗い影が差していた。
4年前のパリでは、ブルゴーニュ公が煽動した「カボシュの乱」という暴動が起きていた。
私がアンジューへ移る少し前の事件だ。
兄のルイ・ド・ギュイエンヌ公はこのときの心労がもとで倒れたとも、追放したブルゴーニュ公に謀殺されたとも噂されていた。どちらにしても痛ましい。
長い間、私は宮廷から放置され冷遇されていた。
その一方で、災いの禍中から遠ざけられていたことも事実だった。
(兄の代わりに、私は王太子にならなければいけない)
厳戒態勢の旅路は、実にばかばかしかった。
だが、護衛が神経質になるほどに、やはり「兄たちの死」は異常事態なのだと思い知らされた。
水害で壊れた橋を回避するためか、それとも敵方の目を欺くためか、馬車は都中をぐるぐると遠回りしながらようやく王城へ入った。
「やっと新鮮な空気を吸える!」
馬車の外で人々が控えている気配を感じる。
第一印象で侮られてはいけない。気を引き締めなければ。
もう顔を隠すベールをかぶらなくていいと言われて、ほっとしたのも束の間。
「ごきげんよう」
出迎えの宰相やシャステルを押しのけて、鈴のような声が聞こえた。
「まぁ、今度の王太子さまはずいぶんと可愛らしい御方ですのね」
声の主はくすくすと笑いながら、私を値踏みしているようだった。
想定外の事態に、私は馬車から降りるなり立ち尽くしてしまった。
シャステルが間に入ろうとしたが、その人は柔らかな声で「控えなさい」と言った。
柔らかな、どちらかといえば甘い声色なのに不思議な威圧感があった。
「感動的な母子の対面なんですもの。護衛ごときが水を差すのは無粋でしてよ」
フランス王国国王シャルル六世妃、イザボー・ド・バヴィエール。
別名、淫乱王妃。
初めて会った母はずいぶんと可愛らしく、得体の知れない貴婦人だった。
(※国別人口推定値の資料:McEvedy & Jones (1978) )
(※都市別人口推定値の資料:ターシャス・チャンドラー(TC))
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