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第七章〈王太子の都落ち〉編
7.8 キレやすい用心棒(4)
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私とシャステルの対話が途切れた瞬間、ライルが「俺様の話も聞け!」と割り込んできた
「何だ」
「何だじゃねぇよ、無視すんじゃねぇ!」
ライルは怒りの形相で、シャステルの胸に中指を突き立てた。
あまり見慣れないが、どこかで見たような仕草だ。
ライルは中指を何度も突き上げながら一気にまくしたてた。
「いいか、よく聞け! 俺様は馬鹿じゃねぇ。機転を利かせて仕事をした。しかも、いい仕事をした。評価しろ!」
「ああ、よくやった」
「チッ、今の言葉、絶対に忘れんじゃねーぞ!」
少々押し付けがましいが、ライルの見張りと機転がなければ私たちは追っ手の存在に気づかなかった。
見過ごしていたら、今ごろ襲撃されていたかもしれない。
***
私たちは廃教会の裏へ回り込んだ。
ライルが隠した馬車を引き出し、すぐにでもここから立ち去らなければならない。
「クソが! 俺様はできる男だってことを証明してやる……」
ライルの短気と不満は収まらず、なおもぶつぶつと苛立っていた。
現在、ライルの上官はシャステルで、シャステルの主君は私だ。
シャステルに任せきりにしないで、私からも何か声をかけた方がいいかもしれない。
「ライル、先刻の働きは大儀であった。私からも礼を……」
「ああッ?!」
思い切って声をかけたら、こわい顔で凄まれてしまった。
シャステルがいたらまた拳骨が飛んできそうだが、あいにく今は席を外している。
私は、怒ったように大声をぶつけられた経験がない。
言い終わる前に、話を遮られた経験もあまりない。
(こういう時はどうしたらいいんだろう)
長旅の供をしてもらうのだから、いい関係を築きたいと思う。
けれど、失言したら噛み付かれそうで、少しこわい。
「何だよ、言いかけてやめるんじゃねぇよ! それとも俺様のやり方に文句でもあんのか?!」
そんなつもりはない。私はただ礼を言いたかっただけだ。
私は無言でぶんぶんと首を横に振った。
「ワケがわかんねぇ……どいつもこいつも馬鹿にしやがって……」
私はライルを馬鹿になどしていない。
誤解を解く手がかりはないかと、しばらくライルを観察することにした。
ライルは正直だ。感情の起伏を隠さない。
だが、常日ごろから怒鳴っている訳ではないようだ。
黙っているときは大抵、爪をがじがじと噛んだり、ときどき頭をかきむしる。
ライルはとても短気だったが、癇癪が爆発しないように彼なりに抑制しているのかもしれない。
私は唐突に「ああ、そうか」と腑に落ちた。
ライルは回りくどい宮廷言葉がわからないのだ。
私にも覚えがある。子供の頃、アンジュー公やヨランドやリッシュモンたちの難しい会話が分からなくて、肩身の狭い思いをしていた。
私はもう一度、ライルと話をしようと試みた。
「さっきの礼を言おうと思ったんだ」
「あッ?!」
私はめげなかった。
今度は、子供のころから話していたやさしい言葉遣いに切り替えて「私たちはライルのおかげで助かった。ありがとう」と言いながら、ライルの真似をして中指を立てた。
「あなたは正直な人だと思う。だから」
「おい、これは何だ」
ライルは怪訝な表情を浮かべて、また私の話を遮った。
「これ?」
「その中指だ。どういう意味か分かってんのか?」
私はこくりとうなずいた。
いつだったか、古英語と風俗文化について書かれた本で見かけたことがある。
「あの本には『こんにちは、愛している』という意味だと書いてあった」
「はぁ?!」
「ライルはイングランド出身なの?」
私は世俗のことを知らなすぎる。
本で知ったことを試して、こうして反応を返してもらえると少し楽しい気分になる。
「急に大きな声をかけられると驚いてしまうけど、じきに慣れると思う。ライルは短気だけど正直な人で、そういう性格は愛すべき美徳だ。だから」
「おいおい、ちょっと待ってくれ」
ライルにまたもや話を遮られた。これで何度目だろう。
「もしかして俺様、褒められてんの?」
「私はライルを正直で機転が利く人物だと評価しているよ」
「マジか!」
「うん」
ようやく話が通じたようだ。
ライルは消え入りそうな小さな声で「あざっす」とつぶやいた。
(あざ……?)
私たちは互いに知らない言葉が多すぎる。意思疎通には時間がかかりそうだ。
***
「ところで坊ちゃん、ヒトに向かって中指を立てちゃぁいけねぇ」
ライルがきまずそうに、私の手を握った。
「どうして? ライルの真似をして信頼の証しを示したかったのに」
「そうじゃねぇし、そういう意味じゃねぇよ」
「古英語の仕草とは違うの? ならば、ライルはどうして中指を立てたの?」
私はいままで宮廷以外の人付き合いの経験がなく、ライルの不思議な仕草や言葉遣いにとても興味を持った。
だが、ライルは私の質問には答えず、「とにかくやめろ。シャステルのおっさんにばれたら俺様がしばかれる!」と厳命された。
言われてみれば、シャステルは私やジャンの振る舞いに厳しいところがある。
「そうか。もしシャステルに見つかったら、こういう仕草は王太子にふさわしくないと叱られてしまうかもしれないな」
「ふさわしいとかふさわしくねぇとか、そういう問題じゃ……」
ライルは少し言いよどむと、「坊ちゃんの敵はイングランドなんだろ? だったら、古英語の仕草はやめた方がいい」と忠告してくれた。
実際、私が昔読んだ古英語と風俗文化の本はたいそう上品に意訳した内容だったようだ。
イングランド人が「相手に手の甲を向けて指を立てる」仕草は、長弓兵が「おまえに弓を討つ」という挑発を意味する。
アジャンクールの戦いでも、戦闘直前に英仏の兵が向かい合ってこのような挑発行為をしていたし、フランス軍に捕らわれた長弓兵は二度と弓が引けないように指を切断するのが常であった。
生身で焼き殺されるよりマシかもしれないが、痛ましい風習である。
「何だ」
「何だじゃねぇよ、無視すんじゃねぇ!」
ライルは怒りの形相で、シャステルの胸に中指を突き立てた。
あまり見慣れないが、どこかで見たような仕草だ。
ライルは中指を何度も突き上げながら一気にまくしたてた。
「いいか、よく聞け! 俺様は馬鹿じゃねぇ。機転を利かせて仕事をした。しかも、いい仕事をした。評価しろ!」
「ああ、よくやった」
「チッ、今の言葉、絶対に忘れんじゃねーぞ!」
少々押し付けがましいが、ライルの見張りと機転がなければ私たちは追っ手の存在に気づかなかった。
見過ごしていたら、今ごろ襲撃されていたかもしれない。
***
私たちは廃教会の裏へ回り込んだ。
ライルが隠した馬車を引き出し、すぐにでもここから立ち去らなければならない。
「クソが! 俺様はできる男だってことを証明してやる……」
ライルの短気と不満は収まらず、なおもぶつぶつと苛立っていた。
現在、ライルの上官はシャステルで、シャステルの主君は私だ。
シャステルに任せきりにしないで、私からも何か声をかけた方がいいかもしれない。
「ライル、先刻の働きは大儀であった。私からも礼を……」
「ああッ?!」
思い切って声をかけたら、こわい顔で凄まれてしまった。
シャステルがいたらまた拳骨が飛んできそうだが、あいにく今は席を外している。
私は、怒ったように大声をぶつけられた経験がない。
言い終わる前に、話を遮られた経験もあまりない。
(こういう時はどうしたらいいんだろう)
長旅の供をしてもらうのだから、いい関係を築きたいと思う。
けれど、失言したら噛み付かれそうで、少しこわい。
「何だよ、言いかけてやめるんじゃねぇよ! それとも俺様のやり方に文句でもあんのか?!」
そんなつもりはない。私はただ礼を言いたかっただけだ。
私は無言でぶんぶんと首を横に振った。
「ワケがわかんねぇ……どいつもこいつも馬鹿にしやがって……」
私はライルを馬鹿になどしていない。
誤解を解く手がかりはないかと、しばらくライルを観察することにした。
ライルは正直だ。感情の起伏を隠さない。
だが、常日ごろから怒鳴っている訳ではないようだ。
黙っているときは大抵、爪をがじがじと噛んだり、ときどき頭をかきむしる。
ライルはとても短気だったが、癇癪が爆発しないように彼なりに抑制しているのかもしれない。
私は唐突に「ああ、そうか」と腑に落ちた。
ライルは回りくどい宮廷言葉がわからないのだ。
私にも覚えがある。子供の頃、アンジュー公やヨランドやリッシュモンたちの難しい会話が分からなくて、肩身の狭い思いをしていた。
私はもう一度、ライルと話をしようと試みた。
「さっきの礼を言おうと思ったんだ」
「あッ?!」
私はめげなかった。
今度は、子供のころから話していたやさしい言葉遣いに切り替えて「私たちはライルのおかげで助かった。ありがとう」と言いながら、ライルの真似をして中指を立てた。
「あなたは正直な人だと思う。だから」
「おい、これは何だ」
ライルは怪訝な表情を浮かべて、また私の話を遮った。
「これ?」
「その中指だ。どういう意味か分かってんのか?」
私はこくりとうなずいた。
いつだったか、古英語と風俗文化について書かれた本で見かけたことがある。
「あの本には『こんにちは、愛している』という意味だと書いてあった」
「はぁ?!」
「ライルはイングランド出身なの?」
私は世俗のことを知らなすぎる。
本で知ったことを試して、こうして反応を返してもらえると少し楽しい気分になる。
「急に大きな声をかけられると驚いてしまうけど、じきに慣れると思う。ライルは短気だけど正直な人で、そういう性格は愛すべき美徳だ。だから」
「おいおい、ちょっと待ってくれ」
ライルにまたもや話を遮られた。これで何度目だろう。
「もしかして俺様、褒められてんの?」
「私はライルを正直で機転が利く人物だと評価しているよ」
「マジか!」
「うん」
ようやく話が通じたようだ。
ライルは消え入りそうな小さな声で「あざっす」とつぶやいた。
(あざ……?)
私たちは互いに知らない言葉が多すぎる。意思疎通には時間がかかりそうだ。
***
「ところで坊ちゃん、ヒトに向かって中指を立てちゃぁいけねぇ」
ライルがきまずそうに、私の手を握った。
「どうして? ライルの真似をして信頼の証しを示したかったのに」
「そうじゃねぇし、そういう意味じゃねぇよ」
「古英語の仕草とは違うの? ならば、ライルはどうして中指を立てたの?」
私はいままで宮廷以外の人付き合いの経験がなく、ライルの不思議な仕草や言葉遣いにとても興味を持った。
だが、ライルは私の質問には答えず、「とにかくやめろ。シャステルのおっさんにばれたら俺様がしばかれる!」と厳命された。
言われてみれば、シャステルは私やジャンの振る舞いに厳しいところがある。
「そうか。もしシャステルに見つかったら、こういう仕草は王太子にふさわしくないと叱られてしまうかもしれないな」
「ふさわしいとかふさわしくねぇとか、そういう問題じゃ……」
ライルは少し言いよどむと、「坊ちゃんの敵はイングランドなんだろ? だったら、古英語の仕草はやめた方がいい」と忠告してくれた。
実際、私が昔読んだ古英語と風俗文化の本はたいそう上品に意訳した内容だったようだ。
イングランド人が「相手に手の甲を向けて指を立てる」仕草は、長弓兵が「おまえに弓を討つ」という挑発を意味する。
アジャンクールの戦いでも、戦闘直前に英仏の兵が向かい合ってこのような挑発行為をしていたし、フランス軍に捕らわれた長弓兵は二度と弓が引けないように指を切断するのが常であった。
生身で焼き殺されるよりマシかもしれないが、痛ましい風習である。
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