7番目のシャルル、狂った王国にうまれて【少年期編完結】

しんの(C.Clarté)

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第七章〈王太子の都落ち〉編

7.15 迷いの森(1)不慮の事故

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 小さな馬車は小回りが利き、軽快によく走るが、ちょっとした丘を越えるだけでも盛大に跳ねた。
 重量のある車体は鈍重だが、乗り心地が良く安定しているのかもしれない。
 私が乗り馴れていたのは、後者の重い馬車だ。

「くっ……」

 私は歯を食いしばり、天井から吊り下がっている組紐にしがみついていた。
 馬車は上下左右に激しく揺れるから、どこかに捕まっていないと、私自身が狭い空間でかき回されてしまう。
 もし、内鍵をかけ忘れたら、扉が開いて私は外へ投げ出されてしまうだろう。

(むぐぐ……)

 激しい振動で舌を噛まないように、私はまた口にハンカチをくわえた。
 ポケットにしのばせていたジャンのハンカチがまた役に立った。

(うぅ、きもちわるい……)

 いままで乗り心地を重視した馬車ばかり乗っていたから、目が回って酔いそうだ。
 だが、もしここで吐いたら吐瀉物は飛び散って、掻き回されて、車内も私も悲惨なことになる。

 ゲロまみれの王太子ドーファンはいただけない。
 耐えなければ。


***



 私たちが目指すアンジューは、ロワール渓谷の下流にある。
 河畔に広がる森は、ボカージュと呼ばれる生垣に覆われた丘陵地だ。
 起伏に富んでいるため、それほど見晴らしは良くない。

 ときどき木々の合間から城塞が見える。
 森の奥には洞窟が点在しているらしい。
 その中には、山賊の隠れ家があるという噂もある。

 かつて、修道院からアンジューへ、あるいはアンジューから王都パリへ向かったときとは違い、いまは車窓を楽しむ余裕はまったくない。

 私は小さな馬車に乗り、シャステルが御者に扮している。
 ライルは単騎で、馬車を先導したり後方に回るなどして護衛の任務に就いている。

「おっさん、馬車を止めてくれ」

 突然ライルがシャステルに声を掛け、シャステルは馬車を停止させた。

「敵か?」 
「あやしい気配は見えねぇ」
「ならば何事だ。急ぎでないなら後で聞く」
「ちょっと確認したいんだけどよ」

 ふたりが何か話し合っているが、車内の私の耳には入らなかった。

「助かった……」

 もう少しで吐きそうだった。
 私は、唾液を吸って湿り気のあるハンカチを外すと一息ついた。
 シャステルに声をかけて、少し休憩するか水を飲ませてもらおうかと考えていたら、コツコツと馬車の扉が叩かれた。

「王太子殿下、いらっしゃいますか」

 シャステルの小声が聞こえた。
 この旅路では、名前不詳の「坊ちゃん」で通しているが、シャステルは近くにライルがいないときに限り、私を本来の称号で呼んだ。

「何かあった?」
「少し休憩いたしましょう」

 シャステルは逐一、私の体調を気遣ってくれる。
 だが、急ぐ旅だ。
 旅の行程ルートを確認するときを除き、ずっと走りっぱなしだった。

「ライルの提案です」
「わかった」

 数時間ぶりに馬車から解放された。膝がガクガクする。
 以前もロワール川流域を往来したが、森の中に降り立ったのは初めてだ。

 ライルは馬車の前方にいて、車体から馬車馬を外していた。
 私だけじゃない、馬にも休息が必要だ。

 辺りを見回すと、手ごろな流木があったので椅子代わりに座ることにした。
 洪水で上流からここまで流れてきたのだろうか、尖った枝は削ぎ落とされ、ささくれた木の皮もだいぶなめらかで、全体的に丸みを帯びている。
 シャステルが気を利かせて、馬車にしつらえてある羽毛入りの敷物を敷いてくれた。
 椅子のように背もたれはないが、座り心地は悪くない。

「おっさん、ここから見てくれ。やっぱ、ちょっと傾いてるぜ」
「なるほど」

 馬車のかたわらで、ライルとシャステルが話し込んでいる。
 ふたりは、軟弱な私と違って長旅にへこたれた様子は微塵もない。
 車体から解放された馬車馬は、のんびりと草を食んでいる。
 河畔と森林から風が吹き抜け、旅の間に少し伸びた髪を撫でた。

 宮廷ではもう少し高い位置で毛先を切りそろえ、襟足を短く刈り上げている。
 この物語を読んでいる読者諸氏の時代風にたとえると、ぱっつん+おかっぱ+刈り上げ——ようするにツーブロックというヘアスタイルだ。
 私は少々うっとうしい前髪をかき上げると、青空と木立を見上げた。

(あぁ、空気がおいしいな)

 私は大きく深呼吸した。
 爽やかな風が初夏の暑さを和らげてくれる。
 鳥のさえずりが耳に心地よい。

「うわ、やべぇじゃん!」

 人心地がついた頃、ライルが叫んだ。
 視線を下ろすと、馬車の下に潜り込んだシャステルが「何か」を確認し、渋面で這い出てきた。

「どうしたの?」
「どうしたもこうしたもねぇよ!」
「一大事です」

 馬車の車輪を支える車軸が折れかかっているらしい。
 あのまま走らせていたら、まもなく完全に折れて車輪が脱落し、大事故になっていただろう。
 宿屋を出発する前に入念に整備をしていたにも関わらず、過酷な旅路で部品が傷んだのか、それとも——

(誰かが細工したか)

 私の心に暗い影が差す。

「もうひとりの従者のことだけどね、あの男は盗賊だよ。せいぜい寝首をかかれないように……」

 宿屋の女将のささやきは、私を疑心暗鬼にさせていた。
 一方で、「従者を疑うのは良くない」という思いもある。
 馬車が揺れすぎるとライルが気づいたおかげで、私は命拾いしたのだ。
 もし馬車が脱輪していたら、舌を噛む程度のケガでは済まなかっただろう。



***



 人気のない森で、馬車を修理するのは難しい。
 人手も部品も修理道具も足りない。
 誰かに出会うとしたら、たまたま私たちのような旅人が通りがかるか、あるいは森を根城にする山賊くらいか。

 せめて次の町まで走れるように、シャステルは手持ちの道具を利用して応急処置を試みていた。
 徒歩では夜になってしまうからだ。
 幸い、昼時間の長い季節だったが、遅い時間に森をうろつくのは危険すぎる。

 ライルは「修理道具を調達してくる」と言い残し、どこかへ行ったまま帰ってこない。

 今日の旅程は半分以上進んでいるから、前の町に戻るより、先に進んだほうがいい。
 ライルが次の町へ先回りして助けを呼ぶか、代わりの馬車を用意するとしても、戻る頃にはやはり夜になっているだろう。

「シャステル、私に手伝えることはないか」
「気遣いはご無用です。私にお任せください」

 私は暇を持て余していた。
 それに、じっとしていると疑心暗鬼な思考にとらわれる。
 気分が落ち着かなくて、立ったり座ったり、馬車のまわりを歩いてみたり。
 シャステルは車体の下に潜り込み、長い間、熱心に作業している。

「いまは非常事態だ。身分のことは抜きで考えよう。私にも何か……」
「恐れながら」

 シャステルは「私をねぎらっていただけるならば、私の視界に入る場所で大人しく待っていてください」と言った。

「わかった」
「恐れ入ります」

 あまりうろうろと立ち歩かない方がいいようだ。
 私はまた椅子代わりの流木に腰を下ろした。
 仕方がない。手慰みに、その辺にある木切れで鳥笛バードコールを作ってみようと思い立ち、しばらく熱中した。
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