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第七章〈王太子の都落ち〉編
7.17 迷いの森(3)鳥の声
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いつの間にか鳥のさえずりは消え失せ、森の奥からばさばさと不気味な羽音が聞こえた。
暗くなる前に寝床へ帰るのだろう。
夜目の利かない生き物にとって、暗闇に取り残されることは死を意味する。
人も例外ではない。長い戦火の影響で、死体の味を知った狼が群れをなして人を襲う話もある。
私は思わず身震いした。
(怖いことを想像するのはやめよう)
臆病で無力な王太子だが、せめて元気でいようと、努めて明るく「野宿する方法をライルに教えてもらえば良かった」と言った。
「野宿ですか?」
「ライルは町の宿屋よりも野宿の方がいい、気楽だと言っていたんだ」
「いい訳がない。あいつが特殊なのです。あまり真に受けませんように」
当たり前だが、やはり野宿は良くないらしい。
いま、私は流木に敷物をかぶせて座っているが、そろそろ尻が痛い。
代用品では本物の椅子の座り心地には敵わないのだ。
ということは、かたい地面に寝るよりもやわらかいベッドで寝た方が寝心地はいいのだろう。
それとも何かコツがあるのだろうか。野宿が好きだという本人に聞いてみないと分からない。
ライルが戻ってこなければ何も進まない。
「遅いな。森のどこかで迷ってなければいいけど」
「それなら心配ご無用です。この辺りはあいつのテリトリーですから」
「テリトリー?」
妙だ、と思った。
ライルの出身はアルマニャック伯と同じガスコーニュ地方だと聞いた。
いま私たちが立ち往生しているロワール渓谷よりもずっと南にある。
イベリア半島の境界ピレネーに近い。
「ライルに、殿下の御身を託そうかとも考えました」
「私を? ライルに?」
「ええ。次の町までお連れするようにと。しかし、私はライルを信用しきれなかった」
意外だった。
ライルを雇ったシャステル自身も、ライルを信用していなかったとは。
「ライルを信じられず、殿下をここに残したがために……」
馬車の故障は不運としか言いようがない。
だが、私の身柄を危険な夜の森に残したことは、シャステルの判断ミスだと、失策だったと言いたいらしい。
「あのときライルに託していれば、今ごろ町に着いている頃でしょう。殿下を町の宿に預けて、ライルは修理道具を調達してここへ戻る。そうすれば良かった。しかしもう遅い」
シャステルは馬車を背に立ち上がると、修理の邪魔になるからと外していた剣を取り上げた。
「ライルが帰ってきても来なくても、今夜は私がお守りします。日が昇ったら、壊れた馬車をここに捨てて町へ向かいましょう」
シャステルの気骨ある信念を聞きながら、私は別のことを考えていた。
「ライルを雇ったのはシャステルなのに、信じていないのか?」
「あいつは元盗賊です。馬上槍試合で結果を残しても、その経歴が知れれば士官の道は閉ざされます」
元・盗賊。
女将のささやきは真実だった。
そして、シャステルもライルの過去を知っていた。
「あいつの体には罪人の烙印がある。経歴を詐称してもいつか必ずばれます。嘘をつくほどに信用は落ち、誰もライルを信じなくなる。誰もライルを認めない。私も信じていません」
「ならば、なぜシャステルはライルを雇った?」
「私は強いですから」
シャステルは「ライルを上回る力をもって制御し、ライルが切望する餌をもって躾けられる」と、事もなく言い放った。
ライルが切望するもの。それは——
「あいつを雇うとき、私は『信じてほしいならば行動で示せ』と命じました。信じるに足る男か否か、いまだに判断がつきかねます」
「元、ということは今はもう盗賊ではないのだろう?」
「さぁ、どうでしょう」
人は、先行きの見えない未知の道を進むより、見慣れた過去の道へ戻ることも多いのだとシャステルは持論を語った。
***
昼の鳥のさえずりは心地よい。
それなのに、なぜ夜の鳥の声は恐怖をかき立てるのだろう。
私は、作ったばかりのバードコールの試作品を鳴らしてみた。
キュイキュイと可愛い音が鳴った。見た目は不格好だが上手く作れたようだ。
「何の音ですか」
「バードコールだよ。クレルモン伯に作り方を教えてもらったんだ」
前に、父王シャルル六世の侍女オデットの子マルグリットと約束した。
小鳥を見に、ヴァンセンヌの森へ連れて行ってあげると。
マルグリットに渡したバードコールはクレルモン伯からもらったモノだったから、いつか私が手づから作った笛をあの子に……妹にプレゼントしたかったのだ。
(また会えるだろうか)
オデット母子の行方は分からない。
父王の隠し子だと知れたらただでは済まないだろう。
物思いにふけっていると、シャステルが「お言葉ですが」と口を挟んだ。
「むやみに鳴らしてはなりません」
またシャステルに禁じられてしまった。
「なぜ?」
「こちらが獲物と間違われてしまいます。危険です」
言われてみれば、確かにそうかもしれない。
だが、今は獲物を探す狩人がいるなら、ここへおびき寄せたいくらいだ。
助けが欲しかった、切実に。
その思いが通じたのだろうか。かすかに馬の蹄の音が聞こえた。
はっとして立ち上がると、視界の奥に見える獣道の向こうに影が見えた。
「ライルだ!」
シャステルは歳のせいか、暗がりでは目が利きにくいようだ。
疑っていたはずなのに、戻ってきたことに安堵した。そしてとても嬉しかった。
助かったと思った次の瞬間、視界の端で季節外れの雪が舞った。
(雪? いまは初夏なのに?)
本物の夜が近づき、気温が下がったと言っても雪が降ることはあり得ない。
白い雪片はやわらかかったが溶けなかった。
(これは白い羽根か?)
雪ではなく、背後で真っ白な羽毛が散っていた。
流木を椅子代わりにして腰掛けたとき、シャステルが「座り心地が良くなるように」と羽毛の敷物をかけてくれた。
ずっと座っていたから、すっかりぬるくなってしまったその「椅子」に矢が突き刺さっていた。
暗くなる前に寝床へ帰るのだろう。
夜目の利かない生き物にとって、暗闇に取り残されることは死を意味する。
人も例外ではない。長い戦火の影響で、死体の味を知った狼が群れをなして人を襲う話もある。
私は思わず身震いした。
(怖いことを想像するのはやめよう)
臆病で無力な王太子だが、せめて元気でいようと、努めて明るく「野宿する方法をライルに教えてもらえば良かった」と言った。
「野宿ですか?」
「ライルは町の宿屋よりも野宿の方がいい、気楽だと言っていたんだ」
「いい訳がない。あいつが特殊なのです。あまり真に受けませんように」
当たり前だが、やはり野宿は良くないらしい。
いま、私は流木に敷物をかぶせて座っているが、そろそろ尻が痛い。
代用品では本物の椅子の座り心地には敵わないのだ。
ということは、かたい地面に寝るよりもやわらかいベッドで寝た方が寝心地はいいのだろう。
それとも何かコツがあるのだろうか。野宿が好きだという本人に聞いてみないと分からない。
ライルが戻ってこなければ何も進まない。
「遅いな。森のどこかで迷ってなければいいけど」
「それなら心配ご無用です。この辺りはあいつのテリトリーですから」
「テリトリー?」
妙だ、と思った。
ライルの出身はアルマニャック伯と同じガスコーニュ地方だと聞いた。
いま私たちが立ち往生しているロワール渓谷よりもずっと南にある。
イベリア半島の境界ピレネーに近い。
「ライルに、殿下の御身を託そうかとも考えました」
「私を? ライルに?」
「ええ。次の町までお連れするようにと。しかし、私はライルを信用しきれなかった」
意外だった。
ライルを雇ったシャステル自身も、ライルを信用していなかったとは。
「ライルを信じられず、殿下をここに残したがために……」
馬車の故障は不運としか言いようがない。
だが、私の身柄を危険な夜の森に残したことは、シャステルの判断ミスだと、失策だったと言いたいらしい。
「あのときライルに託していれば、今ごろ町に着いている頃でしょう。殿下を町の宿に預けて、ライルは修理道具を調達してここへ戻る。そうすれば良かった。しかしもう遅い」
シャステルは馬車を背に立ち上がると、修理の邪魔になるからと外していた剣を取り上げた。
「ライルが帰ってきても来なくても、今夜は私がお守りします。日が昇ったら、壊れた馬車をここに捨てて町へ向かいましょう」
シャステルの気骨ある信念を聞きながら、私は別のことを考えていた。
「ライルを雇ったのはシャステルなのに、信じていないのか?」
「あいつは元盗賊です。馬上槍試合で結果を残しても、その経歴が知れれば士官の道は閉ざされます」
元・盗賊。
女将のささやきは真実だった。
そして、シャステルもライルの過去を知っていた。
「あいつの体には罪人の烙印がある。経歴を詐称してもいつか必ずばれます。嘘をつくほどに信用は落ち、誰もライルを信じなくなる。誰もライルを認めない。私も信じていません」
「ならば、なぜシャステルはライルを雇った?」
「私は強いですから」
シャステルは「ライルを上回る力をもって制御し、ライルが切望する餌をもって躾けられる」と、事もなく言い放った。
ライルが切望するもの。それは——
「あいつを雇うとき、私は『信じてほしいならば行動で示せ』と命じました。信じるに足る男か否か、いまだに判断がつきかねます」
「元、ということは今はもう盗賊ではないのだろう?」
「さぁ、どうでしょう」
人は、先行きの見えない未知の道を進むより、見慣れた過去の道へ戻ることも多いのだとシャステルは持論を語った。
***
昼の鳥のさえずりは心地よい。
それなのに、なぜ夜の鳥の声は恐怖をかき立てるのだろう。
私は、作ったばかりのバードコールの試作品を鳴らしてみた。
キュイキュイと可愛い音が鳴った。見た目は不格好だが上手く作れたようだ。
「何の音ですか」
「バードコールだよ。クレルモン伯に作り方を教えてもらったんだ」
前に、父王シャルル六世の侍女オデットの子マルグリットと約束した。
小鳥を見に、ヴァンセンヌの森へ連れて行ってあげると。
マルグリットに渡したバードコールはクレルモン伯からもらったモノだったから、いつか私が手づから作った笛をあの子に……妹にプレゼントしたかったのだ。
(また会えるだろうか)
オデット母子の行方は分からない。
父王の隠し子だと知れたらただでは済まないだろう。
物思いにふけっていると、シャステルが「お言葉ですが」と口を挟んだ。
「むやみに鳴らしてはなりません」
またシャステルに禁じられてしまった。
「なぜ?」
「こちらが獲物と間違われてしまいます。危険です」
言われてみれば、確かにそうかもしれない。
だが、今は獲物を探す狩人がいるなら、ここへおびき寄せたいくらいだ。
助けが欲しかった、切実に。
その思いが通じたのだろうか。かすかに馬の蹄の音が聞こえた。
はっとして立ち上がると、視界の奥に見える獣道の向こうに影が見えた。
「ライルだ!」
シャステルは歳のせいか、暗がりでは目が利きにくいようだ。
疑っていたはずなのに、戻ってきたことに安堵した。そしてとても嬉しかった。
助かったと思った次の瞬間、視界の端で季節外れの雪が舞った。
(雪? いまは初夏なのに?)
本物の夜が近づき、気温が下がったと言っても雪が降ることはあり得ない。
白い雪片はやわらかかったが溶けなかった。
(これは白い羽根か?)
雪ではなく、背後で真っ白な羽毛が散っていた。
流木を椅子代わりにして腰掛けたとき、シャステルが「座り心地が良くなるように」と羽毛の敷物をかけてくれた。
ずっと座っていたから、すっかりぬるくなってしまったその「椅子」に矢が突き刺さっていた。
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