129 / 202
第八章〈殺人者シャルル〉編
8.12 ラ・ロシェル視察(2)二つの塔
しおりを挟む
めまいがするのは寝不足のせいではない。
祖父が作ったへんてこな塔のせいだ。
「ラ・ロシェルが誇る海の玄関口、こちらは第一の塔『サン・ニコラ塔』でございます」
5階建ての構造物で、高さはおよそ36メートル。
外から見ると五角形をしているが内装は八角形だ。
外壁の厚さは6メートルもある。投石機で攻撃されても塔の内側にそれほどダメージはない。
反対側には少し小ぶりな第二の塔『シャインの塔』がある。
二つの塔は巨大な鎖で繋がっていた。
シャインの塔の番人は、24時間・年中無休で港を出入りする船を監視している。問題がなければ鎖を操作して開閉する。
サン・ニコラ塔は、非常時には海側の防衛拠点となる。いまは静かだが。
「殿下、足元にご注意ください」
市長の案内で、サン・ニコラ塔に足を踏み入れた。
一階の床面は、地面よりもだいぶ高い。
資料によると、二つの塔は祖父・シャルル五世時代に建造が始まった。
オーク材の大きな木杭を海底に何本も打ち込み、塔の重量を支える基礎とした。この塔は海の上に建っているのだ。
だが、建造中に地盤沈下が起きて塔全体が歪んでしまったという。
「杭が腐食したのだろうか」
海底に打ち込んだ杭はずっと潮水にさらされているのだから……と、単純に疑問に思った。
「ベニスの商人たちが言うには、金属の杭は錆びますが、完全に浸水させた木杭は腐らないそうです」
土木技術者たちは「基礎工事は問題ない、このまま計画を進めるべき」と進言した。
だが、もし木杭の腐食が地盤沈下の原因なら、塔はいずれ崩壊する。
建造計画を進めるか、木杭の基礎工事からやり直すか。
最悪、計画そのものを白紙にするか。
一時は事業の存続まであやぶまれたが、さらなる地盤沈下に備えて、はじめの計画よりも床面の位置を高くした。
幸い、塔はそれ以上沈まなかった。
「なんというか、無骨な塔だな」
「装飾をこしらえても、潮風で錆びてしまうのです。殺風景ですが上階からの眺めは絶景ですよ」
内装は殺風景だが、侵入者を惑わせるためにいくつも仕掛けが施されている。
樽型空間と二重らせん階段を組み合わせた循環構造をしているから、塔内の位置関係を知っていれば、どこからでも、どこへでも行ける。
だが、慣れていない者はたちまち迷うだろう。
窓が少ない八角形の内装は、位置と方向感覚を狂わせる。
前夜は、二つの塔に関する資料を読み漁り、一夜漬けで頭に詰め込んだ。
いまは寝不足がたたり、少しめまいがしていた。
「こちらは、賓客を迎える客間です」
「わぁ……」
促されて天井を見上げると、脳天がくらりとした。
一瞬ふらつきそうになり、シャステルがさりげなく背中を支えた。
「殿下、大丈夫ですか」
先導する市長が振り向いた。
王太子は頼りないと思われてはいけない。
「はは、美しすぎて少し目がくらんだみたいだ」
そう言ってごまかした。
美しいのは事実だ。
飾り気のない塔だが、中央にある客間は美麗な聖堂のようだった。
天井は半球形で、繊細なレリーフが彫り込まれている。
「王太子殿下が塔へお越しになると聞き、はじめはこの客間へお通しする予定でした。ですが、殿下はすべてをご覧になりたいとおっしゃるものですから」
市長は「客間以外は質素でつまらないでしょう」と言って肩をすくめた。
私はじっと天井を見上げながら「確かに、この部屋は素晴らしい」と称賛した。
だが、観光目的で来たのではない。
視察なのだから、すべてを見せて欲しいと繰り返し頼んだ。
「……仰せのままに。では、上階へご案内しましょう」
***
私は塔の高みから街を見下ろした。
市街地はなだらかで、海側は浅瀬が広がっている。
「すばらしい眺めだね。遠くまでよく見える」
「恐れ入ります」
ラ・ロシェルは三重の城壁で守られている。
街を制圧されない限り、海側にある塔を地上から攻撃することは不可能に近い。
「海側はどうなってる?」
「もちろん、どこから見ても絶景ですとも」
市長は、あいかわらず観光目的の案内人のようだった。
私は少し質問の仕方を変えた。
「海からこの塔を攻撃されたらどうなる?」
市長は何も言わなかった。
「爽やかな潮風、穏やかな街、眺めのいい塔、誠実な人々、おいしい食事。私はこの魅力的な都市を守りたいんだ」
ラ・ロシェルは貿易都市だが、フランス西海岸最大の漁港でもある。
ビスケー湾の入江は水深が浅いから塩も取れる。
水と塩、海産物に恵まれ、交易品でうるおう都市だ。
ゆえに、百年戦争の初期、イングランドに奪われた。
賢明王シャルル五世は陸路から王国軍を派遣して市街地を包囲した。海側は、フランスの同盟国カスティリヤ王国が艦隊を派遣し、海上へ逃げ出したイングランド艦隊と戦って勝利を収めた。
二つの塔は、この海戦の教訓から建てられた。
「ねえ市長、イングランド王が戦争を再開したとき、セーヌ川の河口ラ・エーヴから侵略を始めたのは知っているだろう」
あれから三年が経つ。
当時はまだアンジューにいたから知らなかったが、小競り合いのような海戦が何度も起き、フランス海軍は負け続けていた。
「敵はまた海からやってくる」
ラ・ロシェルの市街地は、三重の城壁が守っている。
陸路から侵略される可能性はまずない。
防衛に穴があるとしたら、貿易と漁のために開港している港湾部分だろう。
「この街も塔も確かに美しい。だが、私は街の備えを見に来たんだ」
「左様でしたか」
市長は慇懃にうなずいた。
「ご心配には及びません。ラ・ロシェルは難攻不落です」
あやしい艦隊が港へ近づいた場合、シャインの塔の番人がサン・ニコラ塔へ通知する手はずになっている。
市長は、「海路からの侵略は現実的ではない」と言った。
「この塔の壁はおそろしく厚い。投石機ではびくともしません」
「近ごろ流行りの火砲なら?」
「よくご存知ですね」
「いや、実物を見たことはないんだけど」
だが、火薬の射出力は、投石機を上回ると聞いたことがあった。
「では、試してみますか」
サン・ニコラ塔の最上階には、組み立て式の火砲が備え付けられていた。
祖父が作ったへんてこな塔のせいだ。
「ラ・ロシェルが誇る海の玄関口、こちらは第一の塔『サン・ニコラ塔』でございます」
5階建ての構造物で、高さはおよそ36メートル。
外から見ると五角形をしているが内装は八角形だ。
外壁の厚さは6メートルもある。投石機で攻撃されても塔の内側にそれほどダメージはない。
反対側には少し小ぶりな第二の塔『シャインの塔』がある。
二つの塔は巨大な鎖で繋がっていた。
シャインの塔の番人は、24時間・年中無休で港を出入りする船を監視している。問題がなければ鎖を操作して開閉する。
サン・ニコラ塔は、非常時には海側の防衛拠点となる。いまは静かだが。
「殿下、足元にご注意ください」
市長の案内で、サン・ニコラ塔に足を踏み入れた。
一階の床面は、地面よりもだいぶ高い。
資料によると、二つの塔は祖父・シャルル五世時代に建造が始まった。
オーク材の大きな木杭を海底に何本も打ち込み、塔の重量を支える基礎とした。この塔は海の上に建っているのだ。
だが、建造中に地盤沈下が起きて塔全体が歪んでしまったという。
「杭が腐食したのだろうか」
海底に打ち込んだ杭はずっと潮水にさらされているのだから……と、単純に疑問に思った。
「ベニスの商人たちが言うには、金属の杭は錆びますが、完全に浸水させた木杭は腐らないそうです」
土木技術者たちは「基礎工事は問題ない、このまま計画を進めるべき」と進言した。
だが、もし木杭の腐食が地盤沈下の原因なら、塔はいずれ崩壊する。
建造計画を進めるか、木杭の基礎工事からやり直すか。
最悪、計画そのものを白紙にするか。
一時は事業の存続まであやぶまれたが、さらなる地盤沈下に備えて、はじめの計画よりも床面の位置を高くした。
幸い、塔はそれ以上沈まなかった。
「なんというか、無骨な塔だな」
「装飾をこしらえても、潮風で錆びてしまうのです。殺風景ですが上階からの眺めは絶景ですよ」
内装は殺風景だが、侵入者を惑わせるためにいくつも仕掛けが施されている。
樽型空間と二重らせん階段を組み合わせた循環構造をしているから、塔内の位置関係を知っていれば、どこからでも、どこへでも行ける。
だが、慣れていない者はたちまち迷うだろう。
窓が少ない八角形の内装は、位置と方向感覚を狂わせる。
前夜は、二つの塔に関する資料を読み漁り、一夜漬けで頭に詰め込んだ。
いまは寝不足がたたり、少しめまいがしていた。
「こちらは、賓客を迎える客間です」
「わぁ……」
促されて天井を見上げると、脳天がくらりとした。
一瞬ふらつきそうになり、シャステルがさりげなく背中を支えた。
「殿下、大丈夫ですか」
先導する市長が振り向いた。
王太子は頼りないと思われてはいけない。
「はは、美しすぎて少し目がくらんだみたいだ」
そう言ってごまかした。
美しいのは事実だ。
飾り気のない塔だが、中央にある客間は美麗な聖堂のようだった。
天井は半球形で、繊細なレリーフが彫り込まれている。
「王太子殿下が塔へお越しになると聞き、はじめはこの客間へお通しする予定でした。ですが、殿下はすべてをご覧になりたいとおっしゃるものですから」
市長は「客間以外は質素でつまらないでしょう」と言って肩をすくめた。
私はじっと天井を見上げながら「確かに、この部屋は素晴らしい」と称賛した。
だが、観光目的で来たのではない。
視察なのだから、すべてを見せて欲しいと繰り返し頼んだ。
「……仰せのままに。では、上階へご案内しましょう」
***
私は塔の高みから街を見下ろした。
市街地はなだらかで、海側は浅瀬が広がっている。
「すばらしい眺めだね。遠くまでよく見える」
「恐れ入ります」
ラ・ロシェルは三重の城壁で守られている。
街を制圧されない限り、海側にある塔を地上から攻撃することは不可能に近い。
「海側はどうなってる?」
「もちろん、どこから見ても絶景ですとも」
市長は、あいかわらず観光目的の案内人のようだった。
私は少し質問の仕方を変えた。
「海からこの塔を攻撃されたらどうなる?」
市長は何も言わなかった。
「爽やかな潮風、穏やかな街、眺めのいい塔、誠実な人々、おいしい食事。私はこの魅力的な都市を守りたいんだ」
ラ・ロシェルは貿易都市だが、フランス西海岸最大の漁港でもある。
ビスケー湾の入江は水深が浅いから塩も取れる。
水と塩、海産物に恵まれ、交易品でうるおう都市だ。
ゆえに、百年戦争の初期、イングランドに奪われた。
賢明王シャルル五世は陸路から王国軍を派遣して市街地を包囲した。海側は、フランスの同盟国カスティリヤ王国が艦隊を派遣し、海上へ逃げ出したイングランド艦隊と戦って勝利を収めた。
二つの塔は、この海戦の教訓から建てられた。
「ねえ市長、イングランド王が戦争を再開したとき、セーヌ川の河口ラ・エーヴから侵略を始めたのは知っているだろう」
あれから三年が経つ。
当時はまだアンジューにいたから知らなかったが、小競り合いのような海戦が何度も起き、フランス海軍は負け続けていた。
「敵はまた海からやってくる」
ラ・ロシェルの市街地は、三重の城壁が守っている。
陸路から侵略される可能性はまずない。
防衛に穴があるとしたら、貿易と漁のために開港している港湾部分だろう。
「この街も塔も確かに美しい。だが、私は街の備えを見に来たんだ」
「左様でしたか」
市長は慇懃にうなずいた。
「ご心配には及びません。ラ・ロシェルは難攻不落です」
あやしい艦隊が港へ近づいた場合、シャインの塔の番人がサン・ニコラ塔へ通知する手はずになっている。
市長は、「海路からの侵略は現実的ではない」と言った。
「この塔の壁はおそろしく厚い。投石機ではびくともしません」
「近ごろ流行りの火砲なら?」
「よくご存知ですね」
「いや、実物を見たことはないんだけど」
だが、火薬の射出力は、投石機を上回ると聞いたことがあった。
「では、試してみますか」
サン・ニコラ塔の最上階には、組み立て式の火砲が備え付けられていた。
10
あなたにおすすめの小説
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる