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第八章〈殺人者シャルル〉編
8.24 悪夢の記憶(3)母の手紙
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不幸の連鎖はとどまることを知らない。
底なし沼の一番下にいると思ったのに、私の運命は沈み続けた。
事件直後、ブルゴーニュ公殺害を喜んだ人たちから祝福の手紙や贈り物が届いていた。
一度は片付けてもらったが、「そろそろ礼状を書かなければ」と考えた。
飾りたてた派手な包みは、王太子への期待の表れのようで気が重かった。
私はアルマニャック派の期待を裏切った。もう返事など要らないかもしれないが、一度も開封しないで仕舞ったままでは申し訳ない気がする。
端の方に、一通だけ仕分けされて盆に入っている手紙があった。
後になって思い返すと、きっとこの手紙は私に見せる前に処分するために仕分けられていたのだろう。
私は深く考えずに、それを手にとって開けてみた。
親愛なる友へ
最愛の恋人へ
敬愛する師へ
一般的な手紙は、冒頭に差出人から送り主へ向けたあたたかい言葉が添えられているものだ。
美しい姫君へ
勇敢な若君へ
狂える父君へ
怒れる母君へ
詩人シャルティエなら彼らしい独自の美辞麗句をひねり出すだろう。
その手紙は斬新な書き出しで始まっていた。
——殺人者シャルルに告ぐ
ついに残忍な狂気をあらわしたな、殺人者シャルルよ、
おまえは王国最高位の身分と権力を握りながら、
それでも飽き足らず、あの御方の生命を屠り、
血をすすり、王国を不幸に陥れようというのか。
恩知らず! 王権の敵! 公共の敵にして破壊者!
神と正義に敵対する邪悪な殺人鬼!——
それは、母妃イザボー・ド・バヴィエールからの弾劾状だった。
目を背け、耳を塞いだがもう遅い。私を糾弾する罵詈雑言が、勝手に母の声色に変換されて私の耳に流れ込んでくる。
「殺人者! 恩知らず! 王権の敵! 公共の敵にして破壊者!」
母の言葉は、私の心の中にある柔らかい部分に爪を立てた。
毒が臓腑に染み渡るようだった。特に「殺人者」という語句は、これがお前の本性だと言って聞かせるように、何度も繰り返された。
「神と正義に敵対する邪悪な殺人鬼!」
母をおぞましいと思ったのか。
それとも自分をおぞましいと感じているのか、もう分からなかった。
姉ミシェル王女は、新ブルゴーニュ公フィリップの妃である。
和解のために協力してくれたのに、無怖公の死と和平の決裂は、姉の身に決定的な危機をもたらした。端的に言うと、ミシェル王女は母の手で毒殺されてしまった。
もしかしたら、王太子と内通していることがばれてしまったのかもしれない。
あるいは、無怖公の死の報復として私の代わりに殺されたのかもしれない。
悔やんでも悔やみきれない。痛恨の悲劇だった。
「聖ラドゴンドさま……」
王太子の宮廷があるベリー領ポワティエには、聖ラドゴンド教会と呼ばれる聖堂がある。
私は聖女の像を見上げ、ひざまずいて祈りを捧げた。
聖ラドゴンドは、小国の王女で元フランス王妃だ。
滅亡した祖国を再興するため、弟王子を王位に就ける約束でフランス王の妃になったが、王は約束を破って弟王子を殺した。ラドゴンドは嘆き悲しみ、城を出て修道女になった。王は妃を捕らえるために追っ手を放ち、ラドゴンドは麦畑で奇跡を起こした。
幼かったころ、私は聖ラドゴンドに母の面影を投影してあこがれた。
時代はくだり、姉王女ミシェルは殺されて弟王子シャルルは生き残った。
これは忌まわしい王家の因果だろうか。もし、ラドゴンドが先に殺されていたら弟王子はどうしただろう。亡国の再興か、姉を殺した義兄への復讐か、それとも——
***
アンジュー公妃ヨランド・ダラゴンは、子供たちとともに南仏プロヴァンスへ移り住んでいた。
長女のマリー・ダンジューは、婚約者の王太子と一時的に行動を共にしていたが、やがて母のもとへ戻った。あれから数ヶ月が経っている。
「お母様、どうなさったの?」
王都パリは遠く、半ば隠居生活に近い。
しかし、未亡人とはいえヨランドはまだ35歳の貴婦人である。
マリーは15歳になっていた。
「何かしら」
「だって、このようなことを言っては失礼かもしれないけれど」
マリーはしばし躊躇したが、「なんだか、怒ってらっしゃるみたいだから」と告げた。
ベルトラン・ド・ボーヴォーを通じて、ブルゴーニュ公殺害の経緯と王太子の不始末についてすでに聞き及んでいたようだ。だが、ヨランドの心に怒りを生じさせたのは、別のことだった。
王妃イザボー・ド・バヴィエールは、私の義母で養母でもあるヨランドに手紙を送っていた。王太子にパリへ戻るように、貴女からも説得してもらえないかと。
「シャルル兄様に何かあったのでしょう?」
ヨランドは、マリーの問いかけに否定も肯定もしなかった。
「ふふ、賢い子ね。そして優しい子。お父様に似たのかしら」
「お母様ったら、はぐらかさないで!」
「大丈夫、心配しないで。子供を愛している母親は誰よりも何よりも強いの。血が繋がっていても、そうでなくてもね」
ヨランドはマリーを抱きしめると、弟たちを安心させるためにも席を外すようにと言い含めた。
ひとりになると、質のいい羊皮紙と羽ペンを用意させて王妃へ返書をしたためた。
「王妃陛下におかれましては……」
アンジュー公妃ヨランド・ダラゴンがフランス王妃イザボー・ド・バヴィエールに宛てた手紙は、痛快な宣戦布告といえる内容であった。
——兄王子・姉王女のように命を奪われ、
父王陛下のように心を狂わされ、
ましてやイングランドに売り渡すために、
あの子を慈しんで育ててきたのではありません。
シャルルは貴女に渡しません。
わたくしが保護します。
奪えるものならやってみるがいい!——
(※)第八章〈殺人者シャルル〉編、完結。
底なし沼の一番下にいると思ったのに、私の運命は沈み続けた。
事件直後、ブルゴーニュ公殺害を喜んだ人たちから祝福の手紙や贈り物が届いていた。
一度は片付けてもらったが、「そろそろ礼状を書かなければ」と考えた。
飾りたてた派手な包みは、王太子への期待の表れのようで気が重かった。
私はアルマニャック派の期待を裏切った。もう返事など要らないかもしれないが、一度も開封しないで仕舞ったままでは申し訳ない気がする。
端の方に、一通だけ仕分けされて盆に入っている手紙があった。
後になって思い返すと、きっとこの手紙は私に見せる前に処分するために仕分けられていたのだろう。
私は深く考えずに、それを手にとって開けてみた。
親愛なる友へ
最愛の恋人へ
敬愛する師へ
一般的な手紙は、冒頭に差出人から送り主へ向けたあたたかい言葉が添えられているものだ。
美しい姫君へ
勇敢な若君へ
狂える父君へ
怒れる母君へ
詩人シャルティエなら彼らしい独自の美辞麗句をひねり出すだろう。
その手紙は斬新な書き出しで始まっていた。
——殺人者シャルルに告ぐ
ついに残忍な狂気をあらわしたな、殺人者シャルルよ、
おまえは王国最高位の身分と権力を握りながら、
それでも飽き足らず、あの御方の生命を屠り、
血をすすり、王国を不幸に陥れようというのか。
恩知らず! 王権の敵! 公共の敵にして破壊者!
神と正義に敵対する邪悪な殺人鬼!——
それは、母妃イザボー・ド・バヴィエールからの弾劾状だった。
目を背け、耳を塞いだがもう遅い。私を糾弾する罵詈雑言が、勝手に母の声色に変換されて私の耳に流れ込んでくる。
「殺人者! 恩知らず! 王権の敵! 公共の敵にして破壊者!」
母の言葉は、私の心の中にある柔らかい部分に爪を立てた。
毒が臓腑に染み渡るようだった。特に「殺人者」という語句は、これがお前の本性だと言って聞かせるように、何度も繰り返された。
「神と正義に敵対する邪悪な殺人鬼!」
母をおぞましいと思ったのか。
それとも自分をおぞましいと感じているのか、もう分からなかった。
姉ミシェル王女は、新ブルゴーニュ公フィリップの妃である。
和解のために協力してくれたのに、無怖公の死と和平の決裂は、姉の身に決定的な危機をもたらした。端的に言うと、ミシェル王女は母の手で毒殺されてしまった。
もしかしたら、王太子と内通していることがばれてしまったのかもしれない。
あるいは、無怖公の死の報復として私の代わりに殺されたのかもしれない。
悔やんでも悔やみきれない。痛恨の悲劇だった。
「聖ラドゴンドさま……」
王太子の宮廷があるベリー領ポワティエには、聖ラドゴンド教会と呼ばれる聖堂がある。
私は聖女の像を見上げ、ひざまずいて祈りを捧げた。
聖ラドゴンドは、小国の王女で元フランス王妃だ。
滅亡した祖国を再興するため、弟王子を王位に就ける約束でフランス王の妃になったが、王は約束を破って弟王子を殺した。ラドゴンドは嘆き悲しみ、城を出て修道女になった。王は妃を捕らえるために追っ手を放ち、ラドゴンドは麦畑で奇跡を起こした。
幼かったころ、私は聖ラドゴンドに母の面影を投影してあこがれた。
時代はくだり、姉王女ミシェルは殺されて弟王子シャルルは生き残った。
これは忌まわしい王家の因果だろうか。もし、ラドゴンドが先に殺されていたら弟王子はどうしただろう。亡国の再興か、姉を殺した義兄への復讐か、それとも——
***
アンジュー公妃ヨランド・ダラゴンは、子供たちとともに南仏プロヴァンスへ移り住んでいた。
長女のマリー・ダンジューは、婚約者の王太子と一時的に行動を共にしていたが、やがて母のもとへ戻った。あれから数ヶ月が経っている。
「お母様、どうなさったの?」
王都パリは遠く、半ば隠居生活に近い。
しかし、未亡人とはいえヨランドはまだ35歳の貴婦人である。
マリーは15歳になっていた。
「何かしら」
「だって、このようなことを言っては失礼かもしれないけれど」
マリーはしばし躊躇したが、「なんだか、怒ってらっしゃるみたいだから」と告げた。
ベルトラン・ド・ボーヴォーを通じて、ブルゴーニュ公殺害の経緯と王太子の不始末についてすでに聞き及んでいたようだ。だが、ヨランドの心に怒りを生じさせたのは、別のことだった。
王妃イザボー・ド・バヴィエールは、私の義母で養母でもあるヨランドに手紙を送っていた。王太子にパリへ戻るように、貴女からも説得してもらえないかと。
「シャルル兄様に何かあったのでしょう?」
ヨランドは、マリーの問いかけに否定も肯定もしなかった。
「ふふ、賢い子ね。そして優しい子。お父様に似たのかしら」
「お母様ったら、はぐらかさないで!」
「大丈夫、心配しないで。子供を愛している母親は誰よりも何よりも強いの。血が繋がっていても、そうでなくてもね」
ヨランドはマリーを抱きしめると、弟たちを安心させるためにも席を外すようにと言い含めた。
ひとりになると、質のいい羊皮紙と羽ペンを用意させて王妃へ返書をしたためた。
「王妃陛下におかれましては……」
アンジュー公妃ヨランド・ダラゴンがフランス王妃イザボー・ド・バヴィエールに宛てた手紙は、痛快な宣戦布告といえる内容であった。
——兄王子・姉王女のように命を奪われ、
父王陛下のように心を狂わされ、
ましてやイングランドに売り渡すために、
あの子を慈しんで育ててきたのではありません。
シャルルは貴女に渡しません。
わたくしが保護します。
奪えるものならやってみるがいい!——
(※)第八章〈殺人者シャルル〉編、完結。
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