記憶喪失の婚約者は私を侍女だと思ってる

4.

時間が過ぎれば、窓の外は橙に染まり、やがて、月明かりが部屋の中で薄く影を落とした。
そして、サフィルはそっと息をつく。

「少し……眠いな」

「では、灯りを落としますね」

灯りを消すと、部屋は柔らかな薄闇にさらわれ、薄らとした月明かりだけがこの部屋に満ちた。
衣擦れの音と微かな寝息、外の風が窓を叩く音なんかのそういう静かな音が悠々と眠気を誘ってくる。

思えば、一緒に寝台に入っていた頃、サフィルはいつも髪を撫でてくれていた。その感触を思い出したからかもしれない。どこかその音を懐かしく感じてしまう自分がいた。

「私を選んでくれるのでしょうか……」

ふと、不安をつぶやく。
自分でも驚くほど弱々しい声だった。
それでも、それは部屋の空気がわずかに震え、静けさの中に溶けていく。
また、彼の笑顔を見ながら指先を絡められるだろうか。

サフィルの寝台の傍らで、彼の指先にそっと絡めないくらいの軽さで触れる。
返事は返ってこない——そもそも返ってくるはずはないのに、心は勝手に期待して、勝手に怯えていた。

——今の私は彼にとっての何だろうか。
……普通の侍女なのだろう。
それならば、私は彼の記憶喪失を利用して、傍にいるだけに過ぎないのかもしれない。
元の関係などはとうに無いし、今も私のわがままで。

そう嫌に気分を落ち込ませていれば、ふと、彼の喉が微かに震えた。

「……っ」

呻くようなかすかな声だった。
閉じられたままの瞼が、痛みに耐えるようにわずかに寄る。
その反応がまるで自分の不安に応えたかのように見えて、胸に鋭い熱が走った。

「サフィル様！ 大丈夫ですか？」

その声に反応するように、彼はゆっくりと痛みに耐えるような動きで瞼が開かれる。
その奥で、濁りを含んだ青が必死に焦点を合わせようとしている。

私は息を呑み、触れていた指先がかすかに動く。その瞬間——指先は迷うことなく、絡めとられた。

「ここにいてくれ……」

声になりきらない呟きは傷ついた子犬のような鳴き声だった。
それでも確かに、私を求めている。

「……はい。そばにおります」

サフィルの手は弱々しく震えながら、それでも、強い意志で私を離さなかった。
その温もりに偽りなどなく、愛おしく。
しかし、確かに私の胸を痛めつけていた。