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茫と夢見る
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「……藤宮、湊……」
名前を口にしただけで、胸の奥がかすかに熱を帯びる。
シャワーの湿り気が肌に残るまま、亜嵐はベッドに身を預けた。
天井の模様がぼんやり滲む。
(妙だな……こんな感覚は、しばらくなかったはずだが……)
素直な青年だった。
話をすれば、まっすぐこちらを見て、子供のように目を輝かせる。
その姿を思い返すだけで、知らず苦笑が漏れた。
(蘊蓄を語ると、煙たがられることのほうが多いのにな……)
「見た目はいいのにね、西園寺くんって」
そんな声が、いつかの記憶の端で薄く笑う。
亜嵐は自らの容貌の効果を、よく知っている。
外見は常に先行するが、近付けば近付くほど相手の興味は離れていく。
その扱いには慣れている――はずなのに。
「彼は……どうだろうな」
アフタヌーンティーの約束は交わした。
では、その次は?
どれくらいなら語っていいのか。あるいは――語らないほうがいいのか。
そんなことを考えている自分に気付いて、亜嵐はわずかに驚いた。
(私は……どうして、こんなに慎重になっているんだ?)
藤宮湊もまた、孤独を抱えていた。
食という、人の温度に触れる学問を選びながら、その実誰かと分かち合う機会を得られていない青年。
(……どこか、似ているのかもしれないな)
答えはまだ霧の向こうにある。
いつもなら瞬時に形を成す思考が、今夜ばかりは手探りだ。
亜嵐は瞼を閉じ、心に残った笑顔へ意識を向けた。
「西園寺さん、ありがとうございます!」
あの瞬間の眩しさが、胸に優しく触れる。
(……湊、か……)
微笑のまま、意識は静かに沈んでいった。
***
ふと気づけば、温度のない闇の中にいた。
(夢……か)
恐怖はない。
昔から時折訪れる世界。息を潜めるような沈黙に満ちた、ただの闇。
亜嵐はそっと息を吐いた
そのとき――遠くの水面に小さな波紋が広がった。
それは次第に寄せ波となり、何度も足元を浚う。
(……また、この感覚か)
波にのまれ天も地も曖昧な空間で、亜嵐はとっさに手を伸ばした。
何かに掴まりたいわけではない。寄る辺など、とうに諦めている。
それなのに。
伸ばした指先を、誰かがそっと握った。
驚きが胸を打った瞬間、世界が裏返るように揺れ――火花が弾けた。
「……っ!」
亜嵐は跳ね起きた。
荒い息が耳の奥で脈打つ。
(はぁ……っ)
間接照明が、天井の模様を鈍く照らしている。
両手で顔を覆うと、思わずくつくつと笑った。
(……まさか)
夢の中で、自分の手を取ったのは。
「……湊」
名前をこぼした唇に、微かな痺れが残る。
出会ったばかりの青年に、自分は何を――。
「くっ……はは……」
次に会うのが楽しみで。それでいて――どこか怖い。
胸に巣くう感情の形を知る日が来るのも、同じくらいに恐ろしい。
波紋は立った。波が近付いてくる。
それを覚悟して吐いたため息は、淡い闇に静かに溶けていった。
秘密はいつもティーカップの向こう側 BONUS TRACK
茫と夢見る / 完
◆・◆・◆
秘密はいつもティーカップの向こう側
本編もアルファポリスで連載中です☕
ティーカップ越しの湊と亜嵐の物語はこちら。
秘密はいつもティーカップの向こう側の姉妹編
・本編番外編シリーズ「TEACUP TALES」
シリーズ本編番外編
・番外編シリーズ「BONUS TRACK」
シリーズSS番外編
・番外SSシリーズ「SNACK SNAP」
シリーズのおやつ小話
よろしければ覗いてみてください♪
名前を口にしただけで、胸の奥がかすかに熱を帯びる。
シャワーの湿り気が肌に残るまま、亜嵐はベッドに身を預けた。
天井の模様がぼんやり滲む。
(妙だな……こんな感覚は、しばらくなかったはずだが……)
素直な青年だった。
話をすれば、まっすぐこちらを見て、子供のように目を輝かせる。
その姿を思い返すだけで、知らず苦笑が漏れた。
(蘊蓄を語ると、煙たがられることのほうが多いのにな……)
「見た目はいいのにね、西園寺くんって」
そんな声が、いつかの記憶の端で薄く笑う。
亜嵐は自らの容貌の効果を、よく知っている。
外見は常に先行するが、近付けば近付くほど相手の興味は離れていく。
その扱いには慣れている――はずなのに。
「彼は……どうだろうな」
アフタヌーンティーの約束は交わした。
では、その次は?
どれくらいなら語っていいのか。あるいは――語らないほうがいいのか。
そんなことを考えている自分に気付いて、亜嵐はわずかに驚いた。
(私は……どうして、こんなに慎重になっているんだ?)
藤宮湊もまた、孤独を抱えていた。
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亜嵐は瞼を閉じ、心に残った笑顔へ意識を向けた。
「西園寺さん、ありがとうございます!」
あの瞬間の眩しさが、胸に優しく触れる。
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微笑のまま、意識は静かに沈んでいった。
***
ふと気づけば、温度のない闇の中にいた。
(夢……か)
恐怖はない。
昔から時折訪れる世界。息を潜めるような沈黙に満ちた、ただの闇。
亜嵐はそっと息を吐いた
そのとき――遠くの水面に小さな波紋が広がった。
それは次第に寄せ波となり、何度も足元を浚う。
(……また、この感覚か)
波にのまれ天も地も曖昧な空間で、亜嵐はとっさに手を伸ばした。
何かに掴まりたいわけではない。寄る辺など、とうに諦めている。
それなのに。
伸ばした指先を、誰かがそっと握った。
驚きが胸を打った瞬間、世界が裏返るように揺れ――火花が弾けた。
「……っ!」
亜嵐は跳ね起きた。
荒い息が耳の奥で脈打つ。
(はぁ……っ)
間接照明が、天井の模様を鈍く照らしている。
両手で顔を覆うと、思わずくつくつと笑った。
(……まさか)
夢の中で、自分の手を取ったのは。
「……湊」
名前をこぼした唇に、微かな痺れが残る。
出会ったばかりの青年に、自分は何を――。
「くっ……はは……」
次に会うのが楽しみで。それでいて――どこか怖い。
胸に巣くう感情の形を知る日が来るのも、同じくらいに恐ろしい。
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それを覚悟して吐いたため息は、淡い闇に静かに溶けていった。
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