悪役令息に転生したので婚約破棄を受け入れます

藍沢真啓/庚あき

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悪役令息に転生したので婚約破棄をうけいれます

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「キルシェ・セントリア公爵子息! お前は第二王子である俺の婚約者という権力を使い、神子で俺の最愛のカズキを虐げただけでなく、とうとう殺害未遂までやらかすとは。神の使徒のカズキを弑するとは不届き千万! 今日という今日こそ、お前との婚約を破棄し、カズキを新たな婚約者としてここに宣言する!」

 ルミリオン国第二王子で、キルシェの長年の婚約者だったダグラスは、傍らに立つ黒髪の美少年の肩を抱いて高らかに声を張り上げる。
 それまで、卒業パーティで賑わっていた会場は、しんと静まり返った。彼らの視線は糾弾されたキルシェと、壇上のダグラスとカズキに分かれる。どちらかに向けられる視線は、スキャンダル好きな貴族令息や令嬢の好奇心にぎらついていた。

 キルシェはとうとうきたか、と胸の内で気を引き締める。ここでやり方を間違えれば、キルシェの記憶にある未来と同じになる。
 そうならないためにも、幼いキルシェが前世の記憶を取り戻してからというもの、両親やキルシェを溺愛する兄たちを巻き込んでまで準備をしてきたのだ。

「おそれながら、ダグラス第二王子殿下、発言をお許しいただけますか?」

 まだキルシェの『切り札』が登場するには少しの時間がかかる。この騒動が始まってすぐ、侍従騎士のアベルが会場から飛び出していくのを、目の端で認めた。彼なら確実に『切り札』を連れてきてくれるだろう。

「発言を許そう。申し開きがあるなら、言ってみるがいい。俺は非道な行為をしたお前にも耳を傾ける優しい王子だからな」
「素敵です! ダグ!」
「おお、カズキ。可愛いやつめ」

 突然寸劇をはじめた彼らを、白けた眼差しで一瞥した学友一同は、キルシェに顔を向ける。
 銀色の髪とアメジストの瞳は冷たい印象を人に与えるが、彼は家格に関係なく生徒たちと交友し、いつも人が囲っていた。
 幼少期から第二王子殿下の婚約者として、厳しく辛い王子妃教育を怠ることなく、学園での成績は優秀。多忙のため、生徒会には在籍していなかったものの、頼られれば応じる優しさを持ち合わせていた。
 故に、キルシェの味方は学園生徒のほぼ全員を占める。これも、今日この場の断罪劇に対抗するための布石だった。
 ちなみに第二王子殿下は生徒会長だったが、カズキの登場により生徒会室にも現れず、完全に仕事を放棄していた。恋愛ボケで仕事放棄とか、民の上に立つ王族として如何なものだろう。
 元々快楽主義の傾向が垣間見えたが、カズキの登場により、取り戻しのつかないところまで来ている自覚はあるのだろうか。
 それも今となってはどうでもいい事ではあるが。

「では」

 キルシェの薔薇色の唇から言葉が切り出されると、会場の生徒たちは固唾を飲みこむ。
 『セントリアの白薔薇』と賞賛されるキルシェは、凛と紫の双眸をひたりとダグラス第二王子とカズキに据えて口を開いた。

「まずひとつ。僕は神子様を害した記憶はございません」
「嘘だ!」

 反論するとは思っていたが、こうも感情に任せていては、人の上に立つ王族として短絡ではないか。

「虐げたとおっしゃいますが。そもそも、それはいつ、どこでの出来事なのでしよう?」

 淡々と事実確認を指摘するキルシェに、ダグラスは一瞬気圧されるものの、すぐに立ち直り「昨日の放課後だ!」と声を張った。カズキもダグラスの言葉に乗っかり、コクコクと首肯している。
 自分のことは自分で言えよ、キルシェは小さく吐息で唇を湿らせる。下手に口を挟めばダグラス殿下が吠えるだろうから。まだうちの『飼い犬』のほうが可愛げがある。
 それに可憐といえば言葉はよいが、カズキの態度はただの他力本願ではないのか、とキルシェは内心で悪態をつく。

「ダグの言ったことは本当です。昨日授業が終わってから、ダグの待つサロンへ向かってる時に、階段の踊り場でキルシェ様が……」
「可哀想に、カズキ。これからは俺が守ってやるから、悲しまなくてもよい」
「ダグ……嬉しい」

 またもふたりの世界に突入しかけたものの「それはありえません」とキルシェの否定が挟む。
 本当ならば国の王子を愛称で呼ぶなど不敬そのものだが、それは横に置いておく。
 逆にキルシェは呼ぶことを許された立場だったが、前世を思い出してからというもの、常にダグラス第二王子殿下と言い続けていた。そもそも愛称を呼ぶほど距離を縮めたいとも思わなかったし。

「昨日の放課後ですが、僕だけでなく、両親共々王宮にいました。僕の無罪は両親ならびに王と王妃様……ダグラス第二王子殿下のご両親が証言していただけるかと」
「ばかな! 父上も母上もそんなことは言ってなかった! どうせ、お前の妄言だろう!」
「いや、本当だ。昨日は放課後以降、キルシェは私と一緒だったからね」

 喚き立てるダグラスの言葉を遮り姿を見せたその存在に、周囲から驚愕のどよめきがあちこちで湧き上がる。

「あ、兄上……どうして、ここに」
「随分と勝手な妄言を吐き散らかしているようだな」
「アレキサンドリア王太子殿下、御足労いただき感謝します」
「ああ、大変だったねキルシェ。愚弟が申し訳ない」
「いいえ」

 ルミリオン……輝ける明星が体現したかのような星の光を集め溶かした淡い金の髪に、暁のような紺から橙のグラデーションの瞳を持つ国の王太子であるアレキサンドリア・ルミリオンはそう言い放ち、キルシェの隣に立つと当然のように細い肩をいだく。シトラスミントの香りに思わずホッとしている自分がいる。

「そもそも、お前とキルシェの婚約は昨日時点で解消されている」
「え? それでは……」

 ダグラスはこれでカズキとの婚約が認められると確信したのか、喜悦に頬を緩ませる。同じようにカズキもダグラスと結ばれると信じて一層ダグラスの腕にしがみついた。
 だが、彼らの喜びはアレクサンドリアの放つ言葉に凍りついた。

「ダグラス、お前はこの場を混乱に招き、なおかつ王太子である『私の婚約者であるキルシェ』に、あらぬ疑いをかけた罪で北の離宮にて幽閉。また、カズキ・シイバはその身分上処刑するわけにはいかないため、教会の預かりとする」
「は?」
「え?」

 鳩が豆鉄砲食らうという言葉が、キルシェの脳裏をよぎる。間抜け面がふたつ並んでるのを、キルシェは吹き出しそうになるものの、グッと腹に力を入れて耐える。こんなクライマックスシーンで爆笑とか台無しだろう。

「な、なぜ! 王子である俺が幽閉なんて! いや、その前に兄上には隣国の姫という、婚約者がいたではありませんか!」
「いつの話をしているのか。その婚約は、あちらの姫が妊娠したために破談となった。前にもその話はしたと思うが、そこのカズキ・シイバの色欲に溺れて聞いてなかったようだね」
「兄上こそ、カズキを淫売呼ばわりはやめてください!」
「淫売を淫売と呼んでなにが悪い」

 ギャンギャン喚くダグラスに、アレクサンドリアは美しく整った眉を不快にゆがめ「これでも温情なのだがな」と呆れたような声を落とす。

「ダグラス。本当ならば王位権を剥奪したうえで市井に放り出すつもりだったし、俺も王に進言した。そこの神子と虚偽しているカズキについても幽閉にするべきだと。だがキルシェがお前たちの減刑を懇願したのだ」
「は?」
「え?」

 アレクサンドリアの言ったことは事実だ。懇願ではなく提案だったが。
 ダグラスの父……つまり国王だけでなく、キルシェの父で国王の側近ですらも、ダグラスとカズキの最近の所業が目に余ると憤っていた。
 とくにカズキは異世界から召喚した負い目と、教会の介入もあって自由にさせていたのが徒となった。
 彼はダグラスだけで満足すればいいものの、見目好い男たちを次々と籠絡し、溺れさせていった。
 当初は子供の戯れだと一笑していた大人たちも、あちこちでカズキに落された者たちの欠勤やミスが目立ち、一時期混乱を極めていった。そういった苦情は最終的に国王の元に集まり、話し合いの場が持たれた。それが昨日、キルシェが王宮に呼び出された理由のひとつだ。
 やはり最初はダグラスを御しきれなかったキルシェも責められた。実際こうなることがわかった上で放置していたのは否めないため、追求を甘んじて受けていると、庇ってくれたのは王太子であるアレクサンドリアだった。

「彼はダグラスの尻拭いをずっとやらされていたのです。それも自分がと前に出たがるカズキと違い、キルシェはダグラスを立てていた。しかも最近のダグラスを理路整然と窘めていたと、生徒会に在籍している学生たちも言っていました。そんな彼をどうして咎めることができるのでしょうか」
「それは婚約者であるセントリア公爵子息の役割であろう」
「それならば王は父としてダグラスを諭す必要があったのでは。全てキルシェに丸投げしておいて都合がよろしいのでは」
「ぐぅ」

 アレクサンドリアは淡々と自らが調べ上げた事実を述べ、此度の召喚で喚んだカズキは国を滅ぼす害悪になる可能性があると示唆。もしかしたら国では御法度の精神系魔法……魅了を使用している可能性が高いとも。信頼ある神官のひとりに鑑定してもらったところ、神子が持ち得ない魅了魔法を保持していると報告があった。つまりはカズキ・シイバは神子や神の使徒ではなく、何らかの偶然で異世界よりやってきた凡人ただひとと結論づけられた。
 あまりにも堂に入ったプレゼンテーションに、国王だけでなくこの場に会した面々はアレクサンドリアの言葉に耳を傾け、カズキの処罰について頷かせたのだ。
 確かにゲームの知識のあるキルシェは、その可能性があると内心で頷く。当時はシステムの一環でハーレムエンドが存在するのだろうと思っていたが、こうして現実世界にいると、多情を保持するのは絶対に難しい。魅了魔法かカズキが多重人格ではい限り成立しない。
 カズキが現れてすぐに、とある人物に問いただしたところ、体はカズキだが魂は別の人間のものであると。その別の人間が魅了魔法保持者と聞かされた時には、めまいがしたものだ。

「それでは、ダグラスは王族の身分剥奪。カズキは実際に魅了魔法を使用していたのであれば、封印具で封じて幽閉とします。よろしいですね」
「ま、待ってください。アレクサンドリア王太子殿下」
「キルシェ?」

 毅然と言い放つアレクサンドリアの言葉を止めたのは、一番の被害者であるキルシェだった。
 彼らを罰することは簡単だが、ダグラスもカズキもまだ若い。浅慮は否定しないが今はふたりの距離を置いて様子を見るべきではと進言した。
 そして、自分は彼らを諫めることができなかったので、ダグラスとの婚約は無効にしてほしいとも。
 慌てたのは大人たちだ。
 国におけるキルシェの影響は絶大だ。セントリア公爵領はキルシェの声によって土地は富み、領民の雇用率も高い。更には識字率も高く、優秀な者が多くいる。
 当然、国としてはキルシェを王族として囲い込み、その知識を活かして国全体に向けて欲しいと思っていた。
 そこで国王はダグラスとの婚約を解除する代わりにアレクサンドリアとの婚約を打診した。
 驚いたのはキルシェの父を始めとした王の側近たちだった。いくらキルシェが優秀といえども、王太子であるアレクサンドリアとは同性同士である以上、世継ぎを残すことはできない。
 故に後継争いが起きぬよう、ダグラスとの婚約を結んだというのに、次の国王となるアレクサンドリアの婚約を推奨するとは。
 混乱に喘ぐ場を、アレクサンドリアは淡々と、だがはっきりとキルシェを婚約者として受け入れたのである。もしかしたら、王と示し合わせていたのかもしれない。でなければ、こうも簡単にその提案が出るはずがない。
 更に後押しをしたのはずっと静観していた王妃なのもあり、王族が揃ってキルシェを認めた以上、反論は誰からも発されることはなかった。
 キルシェは内心で失敗したと後悔した。こんなことなら彼を巻き込むべきではなかったと。もう決定した以上、どれだけ反対を叫ぼうとも王命と言われるだけなので、押し黙るしかなかった。

 結局、ダグラスもカズキも、カズキに唆された者たちもそれぞれが騎士に連れられ会場を後にした。何やら喚いていたようだが、キルシェの耳には雑音でしかなく、振り返ることはなかった。


 麗らかな午後。セントリア公爵家の庭園で、キルシェはアレクサンドリアと向かい合い、お茶を楽しんでいた。人払いをしているため、護衛騎士しか見える場所にはいない。
 鮮やかな緑に白い花が輝くように花開き、青い空は澄み、まるで風景画のような穏やかな時間。
 学園を卒業し、本格的に王族として城に入る前の、短い自由時間。アレクサンドリアは毎日馬を走らせセントリア公爵家の街屋敷タウンハウスにやってくる。
 暇なのかと問えば、すでに仕事は終えて時間を作っていると美しく微笑まれ、キルシェはアレクサンドリアの優秀さに歯噛みする。確かにゲームのダグラスが兄の優秀さと比べて苦悩するシーンがあったが、今の彼は監視つきの幽閉をされて二度と会うこともない。カズキも同じく監視されながら、神殿でのお勤めをしているようだ。

「……キルシェ。君の悪夢はこれで終わったのかい?」

 カチャリ、とカップとソーサーが触れる音に顔を上げたキルシェの目線の先には、愉しげに微笑む美貌の貴人の姿。
 アレクサンドリアの問いかけに「はい」と笑みで返し、自らが持つカップの湖面に視線を落とした。

 幼い頃、キルシェはたいそう我が儘で癇癪持ちの、手に負えない子供だった。両親もほとほと困り果て、既に内定していた第二王子の婚約者など務まるのかと、心配と不安で悩んでいたところ。原因不明の熱に倒れ、約一週間ほど生死の境を彷徨い続けたキルシェが目を覚ますと、目の前に広がる光景に混乱した。

 キルシェの記憶にあった景色とは全く違うものだったから。
 狭く汚い安アパートの部屋、テーブル代わりのこたつには積み重なったカップ麺の容器。外に出ればすし詰めされた満員電車に揺られて生産性を感じない会社に向かう。それがキルシェの知っている世界だった。
 父と呼ぶ人も母と呼ぶ人もキルシェの記憶になかった。彼らは心の底からキルシェを心配してくれた。酒とギャンブルに溺れていたキルシェの知る両親ではない。
 だが、いやいや見舞いにこさせられたダグラスを見た途端、自分が自分でない頃にプレイしたBLゲームのスチルが、頭の中ではらはらと舞っては積もっていった。
 逃げるように家を出て大人になって初めて買ったスマートフォンはキルシェに沢山の知識と夢を与えてくれた。

 そのひとつにBLゲームの存在があった。

 おかげで自分がいわゆる『悪役令息』に生まれ変わっていて、これから何が起こるのかを理解することができた。
 ゲームのキルシェは、王子の婚約者で公爵令息なのもあり、傍若無人に振る舞っても許された。それが彼の高慢さに磨きをかけた結果となる。
 次第に我が儘なキルシェに嫌気が差したダグラスの前にある日、ひとりの青年が召喚された。ゲームの主人公であるカズキだ。

 この世界での異世界人は神の使徒と言われ、存在するだけで国が栄えるとされている。しかし今のカズキが現れてからというもの、国の気候は安定しないどころか、各領地でも諍いが絶えない状態だった。そこで疑問に気づきべきだったが、シナリオ展開に頭が行き過ぎた。後の祭りではあるが。

 ゲームのカズキには五人の攻略対象者がいた。
 言わずもがなな、第二王子のダグラス。宰相子息、騎士団長の子息、学園長。それから隠し攻略対象のキルシェの侍従騎士であるアベル。

 その当のアベルは現在、キルシェとアレクサンドリアがお茶をしている、庭の東屋で待機している。先ほどキルシェが差し入れしたおにぎりを、頬をパンパンに膨らませて食べていた。美形が崩れて台無しだ。ちなみにおにぎりの中身は、セントリア領名産の鰹節を使ったおかかと、昆布を煮込んだ佃煮。いずれは梅干しにも挑戦したい。
 もっもっ、とリスかと思うくらい食べることに集中するアベル。
 こんなのがカズキを呼ぶきっかけになった神だとは、誰が思うものか、と思わず遠い目になる。

 幼少期にここがBLゲームの世界で、自分がのちに断罪される悪役令息になってしまったと気づいた時には、もう前日譚が進んでいる状態だった。
 つまり高慢悪役令息なキルシェが爆誕した後だった。起こってしまった出来事を覆すのは無理だ。確実にダグラスには最悪な印象を与えてしまっているだろう。

 そこで最初に前世の記憶を戻したキルシェがやったことは、当時すでに護衛騎士として仕えていたアベルに真実を告げることだった。
 この世界はBLという男性同士で恋愛するゲームと同じで、なおかつキャラクターの名前や立ち位置も同じ、そんな記憶を自分は持ってしまったと。そしてアベルは世界が崇める神である、と。
 荒唐無稽だとは頭で理解していた。が、アベルはすんなりと受け入れ、更には大爆笑された。解せぬ。だが、アベルはひとしきり笑った後、ニヤリと笑ってこう言った。

『なるほど、それは面白い。お前の運命を捻じ曲げる手伝いをしてやろう。その代わり、前世の世界というのは、ここより珍しい物が多いのだろう? それを俺に供じよ』

 という訳で神と提携を結び、次にアベルに珍しい物を提供するために、兄や両親を巻き込むことにした。流石に真実を話せば頭の病気を疑われるため、高熱を出して心を入れ替えたとかなんとか都合の良い内容を、たどたどしく話せば、彼らは滂沱して協力を快諾してくれた。前世では家族の縁が薄かったのもあり、キルシェはゲームのキルシェはもっと家族に寄り添わなかったのか、と少しだけ怒ったのは内緒だ。

 そうしてアベルのために慣れない手つきで地球の食べ物を作った。とはいえ、異世界の食材では限度がある。代替になるものはないかと模索する傍らで、キルシェは前世チート知識でセントリア公爵領を改革していった。
 海に近い公爵領はミネラル豊富な土を持っているから、塩分に強い野菜の改良を行ったり、新鮮な海産物があるのだから串焼きの屋台を作って観光客を呼ぶとか。あれやこれやと口を出す内に、セントリア公爵領は王都に続く観光地となっていた。

 おかげで婚約破棄はできなかったけども。異世界の勉強はとても面白かった。知識が自分の物になっていくことは、何かあったとしても生きていける糧になる。キルシェは積極的に勉学も、王族教育も頑張った。
 そんな様変わりしたキルシェに興味を持ったのは、王太子のアレクサンドリアだった。登城した時にはお茶に誘われ、よくふたりでお茶やお菓子を楽しみながら色んな話をした。
 ふとキルシェは、彼を味方に引き込んだらバッドエンド回避できるのではと、ひらめいた。
 そこで『夢の話ですが、聞いていただけますか?』とゲームのキルシェが辿る最悪のストーリーを語って聞かせた。
 いつか自分の未来が夢のようになってしまうので苦しい、と涙目で訴えた。それがアレクサンドリアの言う『悪夢』である。

「アレクサンドリア王太子殿下のおかげです」

 うっすらと微笑めば、アレクサンドリアは柳眉を不機嫌に歪め立ち上がり、そのままキルシェの傍に立つ。

「もう私たちは婚約者なのだから、堅苦しい呼び方ではなく、アレクと呼んでくれるかい?」

 クイと顎を持ち上げられて視線を交わしながら告げてる彼の暁の瞳が甘く溶ける。ゆっくり端正な顔が近づき、キルシェはそっと目を閉じる。ほどなくして唇に温かい皮膚の感触と共にアレクサンドリアの清涼な匂いが強くなる。昔、前世の記憶で作ったミントとシトラスのアロマオイルの香り。たまたま作って、たまたま近くにアレクサンドリアがいてあげたものだが。ことのほか彼は気に入ってくれて、定期的に渡していた物。

 少しだけ離れた唇で「アレク」と囁くように呼べば、もう一度呼んでと言いながらも、彼の舌がぬるりとキルシェの中へと侵入してきた。
 清廉な景色に響く舌が絡み合って奏でる淫靡な水音。甘くて蜜のような唾液を飲み込めば、体の芯に熱が灯る。
 アベル曰く、魂同士の相性がいいと、体液が甘く感じるそうだ。なんてBLファンタジーあるあるなんだと言ったら、よくわからないと小突かれた。アベルは自分が人ならざる存在だとキルシェにバレてから、やたらと横柄で自己中になった。それでもゲームのキルシェの不遇に何か思うところがあるのか、今のキルシェに対して好意的だった。

「……だめだよ、他の男のことを考えたら」

 濡れた暁の瞳を細め、唾液に染まる唇を舐めるアレクサンドリアは、妖艶に笑って窘めてくる。どうしてキルシェがアベルの事を考えてたと気づいたのか。この人こそ人外なのでは、と内心ひやりとする。
 またも唇を塞がれて、好き勝手にキルシェの口腔をアレクサンドリアの舌が蠢く。腰をするりと撫でられ背筋がわななく。誰もいない(アベルは除外)とはいえ、庭でなんて恥ずかしい、とキルシェは必死でアレクサンドリアの胸を押すがびくともしない。
 ひとしきり味わったのか、アレクサンドリアの唇が離れる頃には、キルシェの体はぐったりと蕩けていた。
 ちょっと強引だが、まっすぐに愛情を示してくれるアレクサンドリアが好ましい。まだ愛と呼ぶには至らないけど、彼と一緒なら王太子の伴侶として生きていけるのでは、と思っていた。

 ここから先はゲームの物語とは違う人生が始まる。
 式まであまり時間もないことから、色々頑張ろうとした矢先、キルシェは何者かによって攫われたのだった。


 習慣となっていた孤児院の訪問を終え、馬車を先に返したキルシェは、アベルを連れて街を歩くことにした。きっと王城に入ってしまえば、気軽に街歩きなんてできないだろう。アベルに屋台の食べ物を奢るからと独身最後の時間を謳歌することにした。

「お、あれ美味そうだな。あれも食いたい」
「……はいはい」
「ちょっと人が増えてきてるみたいだから、そこのベンチで待ってる」
「護衛の意味分かってるの」
「俺を誰だと思ってる?」

 はあ、とため息をつき、キルシェは追い払うように手を振る。いくら変装をしていても、悪目立ちするのは避けたい。
 キルシェは屋台に足を向け、いくつか海鮮の串焼きを購入し、ついでに果実水の屋台で飲み物を買う。屋台の食べ物は美味しいが、少し塩分が多い。いい加減喉も乾いたし、ベンチでゆっくりしようと踵を返したところで、細い路地に体ごと引っ張られる。
 人並みの間から見えるアベルに助けを求めようと、必死で手を伸ばすものの、悲鳴もキルシェの体も暗がりに掻き消えてしまった。


 寒さにブルリと体を震わせ、落ちてた意識が浮上する。ソファやテーブルに埃よけの布が掛けられ、カーテンのない窓から見えるのは紺色の空に瞬く星。アベルと街に出ていたのは昼頃だったから、少なくとも三刻(六時間)は経っているだろう。この時期は前世の春と同じ気候で太陽の動きも準じていた。
 絨毯の敷かれていない床で体が痛く、身動ごうとしても両手は後ろで拘束され、足もひとつに縛られている。明らかに誘拐と分かる状態に、キルシェはため息をついた。
 こういったことは一度や二度ではない。それにすぐにアベルが気づいている筈だ。もしかしたらアレクサンドリアにも話が伝わっているかもしれない。それならば下手に動くよりかは、おとなしく待っていたほうが得策だろう。

「……」

 それにしても、目を凝らして状況を確かめてみるが、長年使っていない屋敷ということしか分からない。唯一気づいたのは、キルシェを誘拐したのは少人数、またはひとりの可能性が高い。大人数であれば、扉の向こうに人の気配があるはず。それに耳を澄ませても微かに聞こえる足音はひとりないしふたり分。さて、どうしたものか、と思案していると、耳に伝わる足音が近づいてくる。
 キルシェは咄嗟に目を閉じて、まだ意識のないふりで情報収集をしようと決めた。

「おい、起きたか……って、まだ気が付いてないのか」
「ね、ねぇ、ダグラスさま、こんなことやめようよ」
「カズキは悔しくないのか、コイツのせいで、俺たちは引き離されてしまったんだぞ」

 感情のままに叫ぶ馬鹿と諌めているがちゃんと反対しないふたり。元第二王子のダグラスと、元神子のカズキだ。一体、ダグラスもカズキもどうやって離宮や神殿を抜け出したのか。

「でも……」
「もう俺にはこれを成功させるしか道がないんだ。そうだ全部キルシェが悪い。キルシェが俺の婚約者にならなければカズキと上手くいけたはずだし廃嫡なんて惨めを味わうこともなかった。全部ぜんぶキルシェのせいだ!」
「だ、ダグラスさま」

 カズキが宥めるにもかかわらず、ダグラスはイラついたように動き回り、爪を噛むカチカチという音が聞こえる。多動に爪を噛む癖。ダグラスは自分の思うままにならないと、よく癇癪を起こしていた。その時によくやる行動だった。しかし、言動がおかしい。記憶にある限りの彼は、もう少し理性的だった気がする。
 ……もしかして魅了魔法の後遺症なのだろうか、とひとつの原因が閃く。だが。

「起きろ、キルシェ! 俺の言うことがきけないのか!」
「っ、ぐっ」

 背中を思い切り硬い靴先で蹴られ、キルシェは息を詰めてうめき声をあげる。蹴られた場所からじわりじわりと痛みが広がるようだ。

「ふん、親切な俺が貴様を起こしてやったんだ、感謝しろ」
「暴力で訴えるなんて、王族の風上にもおけませんね」

 痛みを庇いながら起き上がると、濁った目をギラつかせ、ダグラスがキルシェを見下ろしていた。その後ろにカズキがおろおろと狼狽えてる姿が見える。

「もう俺は王族ではない。お前のせいで」
「違うでしょ、全部自分の犯した行いによるものでしょう? あなたは昔からそうでした。自分の都合が悪くなると何でも他人ひとのせいにしたがった」
「うるさい!」

 耳にキーンと響く怒鳴り声を眉をしかめてやり過ごし、キルシェはカズキに視線を移す。

「あなたも、どうしてここにいるんです。神殿の監視をよく抜けることができましたね」

 しかも監視付きだったはずだ。神殿は王城の警備並なのに、ふたり揃ってこんな場所にいるのか疑問だった。それに、カズキには魔法封じのチョーカーが施されていたはずだ。それなのに今の彼の首には何もついていない。

「それに、あなた。神殿の者が着けた魔法封じをなぜ外しているのです。あれは特殊な魔法でないと外せないでしょう?」
「あ……それは……」

 カズキは言い淀み、視線を彷徨わせる。まさか。

「あなた、神殿の者を堕としましたね」
「っ」

 キルシェの指摘に、カズキは弾けたように顔を上げる。どうやら図星のようだ。
 なんてことだ、と頭を抱えたくなった。どういった方法でチョーカーを外させたか分からないが、神殿の神官は魅了魔法によって堕落させられた。もう、その神官は神殿に仕える事はできないだろう。
 咎めるキルシェの言葉にカズキは「違う」「僕は悪くない」とブツブツと言い訳を呟いている。その間も、ダグラスはせわしなく動き回ってはキルシェに対する悪態を漏らしている。
 ふたりとも出てくる言い訳は、自分は悪くない、全てはキルシェが悪い、の繰り返しだった。
 それに付き合わされているキルシェはため息をつきたくなった。頭痛までしてくる。

 きっと今頃アベルはアレクサンドリアと共にこちらに向かっているだろう。
 アベルは神だ。人間ひとりの居場所などとっくに分かっているはずだ。あえてアレクサンドリアを連れてくるということは、人間の問題は人間同士で解決させるべき、というらしい考えの上に違いない。

「俺を無視するのか! 貴様の命なぞ、俺の手の内にあるのだぞ!」

 眉を逆立て、唾を飛ばしまくるダグラスは、とてもではないが王族らしい気品などない。ただのゴロツキだ。これ以上神経を逆撫でして怪我を増やすわけにはいかないから言葉にするつもりはないが。
 しかし彼が取り出した鈍く光るソレに、キルシェの喉がひきつった。悲鳴が出なかったのは幸いだ。興奮している人間の前で怯えて見せるのは増長させるだけでなく、嗜虐心の加速にも繋がる。

「ダグラスさま!」
「……僕を殺すつもりですか。離宮に身を置いているとはいえ、あなたの身分は平民。貴族であり、王太子の婚約者である僕に危害を加えたら、どうなるかお分かりですか、『元』第二王子」
「ふん、そんな強気でいられるのも今だけだぞ、キルシェ」

 ダグラスはニヤリと笑い、キルシェの着ていたシャツのボタンへと刃を滑らせる。今日は街歩きをするからと、簡易な服装なのが災いした。シャツから離れた貝のボタンは、床に落ちて音もなく割れた。キルシェは呆然とそれを眺めるしかできなかった。
 彼は……ダグラスは高慢な性格が鼻持ちならないが、第二王子としてのプライドはあった。それが今はどうだ。やろうとしていることは、ただのゴロツキと大差ない。
 かつての彼の自尊心に訴えたものの、ダグラスは鼻で笑うだけだった。それが少しだけ悲しいのは、まともに向き合わなかったものの、長年婚約者だったという感情だからか。

 抵抗すれば、へたをしたら命を狩られる可能性だってある。
 ただ初めてがこんな埃臭い場所で、好きでもない相手じゃないのが、キルシェには幸運だった。
 キルシェはすでにアレクサンドリアによって体を開かれている。彼はあの断罪劇があった夜、わざわざ王たちに許可を取り、婚前に体を交わったのだった。
 痛かったけど、アレクサンドリアはどこまでもキルシェを慮り、彼の熱に貫かれた時には多幸感に満たされた。
 これから汚れてしまうが、この記憶さえあれば、アレクサンドリアと偽装伴侶だったとしても耐えられる。キルシェはひとつずつボタンが床に落ちていく音を聞きながら目を閉じた。だが。

「俺の伴侶になにをしている、ダグラス」

 怒気を孕んだ低く唸る声に、場の空気が凍りつくのが分かった。多分、声の主の魔力が溢れているのだろう。ダグラスの瞳は茶色だが、希な暁の瞳を持つ彼は、膨大な魔力の持ち主なのだ。

「あ……兄上……どうして」
「お前は俺の弟ではない」

 ガッ、という音の次に重い何かが倒れる音がして、キルシェはそこで目を開く。すると、怒りに美しい顔を歪め睥睨するアレクサンドリアの姿があった。急いで来たのだろう。いつもは整えられた髪は乱れ、寸分の隙もなく身にまとう服は着崩されていた。壮絶な美貌で立つ婚約者の姿に、キルシェの胸が歓喜に震える。
 やはり助けに来てくれたのだと。

「こいつらを城の牢に入れておけ」

 アレクサンドリアは同行させていた騎士たちに命じ、床に倒れるダグラスと呆然としているカズキを連れて、部屋を出て行った。まるで嵐のような短い時間。ほう、と息をつく間もなく、キルシェの体は大きな体に包まれていた。

「アレに何かされなかったか?」
「いいえ、シャツのボタンは壊されましたが、僕の身はあなた以外の手垢はついていません」
「……そうか。迎えが遅くなりすまない。怖かっただろう?」
「アレクが来るって分かっていたので、そこまでは」

 シトラスミントの清涼な香りを胸いっぱいに吸い込んで、キルシェはアレクサンドリアの背中に手を這わせてホッと息をついた。
 ダグラスとの間に安堵という言葉はなかった。寄り添わなかった自分にも否があったかもしれない。だけど裏切ったのはダグラスだ。
 ゲームの破滅ルートを回避するために、アレクサンドリアまでも巻き込んでしまったが、キルシェは後悔していなかった。

「ありがとうございます、アレク」
「無事でよかったキルシェ」

 自然と顔を近づけ、お互いの唇が重なる。どちらともなくあわいから出た舌を絡ませ、お互いの熱に陶酔する。甘い唾液と体温が上がって強くなるシトラスミントの香りに、全てが終わったのだと実感したのだった。


 王宮のアレクサンドリアの私室。そのひとつの寝室では、絶え間なくベッドの軋む音が鳴り続ける。

「あっ、あ、アレ……クぅ、奥まで……深く、きてっ」
「もう奥も随分綻んでいるね、さっきから俺の先端に可愛らしくキスをしてくれてる」
「あぁんっ」

 あの古びた屋敷から助け出され馬車で王城に向かう最中も、キルシェはアレクサンドリアの膝の上に乗せられ、延々とキスを繰り返していた。このままでは唇が腫れてしまう、と危ぶんでいると、馬車は王城の人目ない場所に停められた。そのまま横抱きにされ連れて行かれたのは、アレクサンドリアの私室にある浴室。彼はキルシェの全身を舐めるように確認して、汚れとダグラスの匂いを落とされた。そこから時間の感覚がないほど、アレクサンドリアに抱かれ続けている。
 何度も最奥にアレクサンドリアの熱が注がれ、自身も白蜜を飛ばしているのに、一部の隙もなく肌を重ね合わせた。それこそ引き離されたら壊れてしまうとばかりに。
 好きで、愛している。喘ぎの合間にキルシェは何度もアレクサンドリアに告げる。同じようにアレクサンドリアも愛を囁き、キルシェの肉輪を突き破った。

「あぁっ、あ、あぁぅ、あっ、ぁ!」
「ああ……気持ちいいね、キルシェ。俺も良すぎて、すぐに、果てそうだ」
「ひっ……も、むりぃ……っ」
「大丈夫。キルシェのナカは俺のを、美味しそうにモグモグしているよ」

 普段理知的なアレクサンドリアからは想像もできないほどの荒々しい行為に、キルシェは息も絶えだえになりながら、縋るように皺だらけのシーツを掴む。
 何回かアレクサンドリアと体を重ねたことがあるが、まるで別人のように激しい。きっと彼は自分のことを考えて手加減してくれたのだと、今頃になって知った。
 過ぎた快感は毒になる。自分からねだっておきながら、鋭い快感にまたも絶頂を繰り返す。

 飲み込まれそうな快感の波に、キルシェは喉を反らして硬直する。全身からドッと汗が噴き出し、上り詰めて降りてこない恐怖に、双眸から涙がポロリと転げ落ちた。
 本能が訴える。そこは異物が入ってはいけない場所だと。にもかかわらず、キルシェの肉襞は、アレクサンドリアの熱を離さないよう強く抱きしめる。それがまた快感を呼び、果てのない法悦地獄へと落ちていった。


 幼少期にダグラスと婚約をし、それから前世の記憶を戻し、ここがゲームの世界だと知ると、ダグラスと距離を置いた。結末が見えていたから、ダグラスとの関係を構築するのを早々と諦めた。無駄な時間を使うくらいなら、自分が助かる道を探したほうが得だ。
 キルシェは両親や兄に、いずれ自分はダグラスに断罪されるだろうと告げた。彼らも息子の様子に薄々感じるものがあったのだろう。
 なんとか穏便に婚約を解消できないか模索していたようだが、結局前世チートで領地を豊かにさせたがために、王族としては優秀なキルシェを手放したくないようだった。ある意味自分で自分の首を絞めている状態だ。
 それでも両親も兄も王と交渉を重ねてくれた。貴族なんて親子の情が薄いと聞くが、セントリアの家族はキルシェを大切に愛してくれた。
 だからこそ、両親が提案してくれた案で譲歩しようと思った。
 そんな時、カズキが異世界より召喚され、ゲームのような展開になっていった。故にキルシェはゲームシナリオとは真逆に、ダグラスにもカズキにも関わらないようにし、物語の先手を取って断罪を封じてきた。まさか強硬手段に出られるとは思わなかったが。

 だけどいいこともあった。自分の愛する運命の片割れが近くにいると知れたから。
 ゲームではスチールもなく、ダグラスの独白でのみ語られる王太子の存在。優秀で次期王らしく風格もあり、自分は太刀打ちできない。だけど兄を尊敬している、と。
 実際のダグラスに比べると何とも前向きで努力家なメインヒーロー。堕ちた現実のダグラスは、ただの犯罪者で、平民だ。
 ゲームでは兄王太子を支える第二王子が、好きな人と結ばれ幸せになりました、とハッピーエンドになるが、現実は無情で厳しい。いくら王族でも勝手なことをすれば王から咎められる。あの断罪劇も、ダグラスはじめカズキの魅了に汚染された者たちが仕組んだ。

 そのダグラスだが、牢の中で自害した。自らの胸を掻き毟り、皮膚をズタズタにしながら、喚いてた際に舌を断絶するほど噛んで。その姿はかつての第二王子の高慢な姿とは程遠く、無惨な最期だった。
 ダグラスにもう少し理性があれば、あのような行動をするような人間ではなかったと、キルシェは思う。彼は自尊心が高い。胸を抉るように掻き毟るなど、自分に傷を残すような真似はしないだろう。
 魅了魔法は精神に作用する。つまりは、一番カズキを寵愛していたダグラスが壊れたのは、全てはカズキの無意識の支配によるものだった。
 他の者も生きてはいるものの、まともに正常な判断もできないため、もう社交界には戻れないそうだ。おかげで代わりの後継者選びに苦慮している貴族も多いという。

 そしてカズキは秘密裏に処刑された。これは神殿も了承した。当然だろう。今回の件でカズキは神殿の神官をひとり壊した。本人にその気がなくとも、魔封じを外させるようにした時点で故意だというのが、極秘会議に参加した者たちの一致した感想だったからだ。
 そして国では二度と召喚を行わないと、世界に発信した。他国には王族のみ事実を打ち明けて。その惨い内容に、ほかの国でも次々と召喚を封じる旨を公布した。もう二度と、歪んだ神子が現れることはないだろうと思いたい。


 晴れやかな雲ひとつない空の下、真っ白なジュストコールとウエストコートにボトムと、前世で言えば結婚式の花婿姿のキルシェは、目の前の同じ格好をした美丈夫をジトリと睨む。彼は笑みを浮かべて前を見据えているせいで、その余裕さに腹が立つ。

「あれほど、式の前には、やめてくださいと、あれほど」

 ぼそぼそと、でも確実にエスコートするアレクサンドリアにはっきり聞こえるように、言葉を細かく切って訴える。

「あれほど、を二回も言うキルシェが可愛いね。だから抱き潰されても仕方ないと思うよ」

 すん、とした澄まし顔で、自分の主張は正しいと宣う王太子の腕を抓りたいと何度思ったことか。だが、彼がこうして支えながら歩いてくれないと、腰が引けてみっともなくなる。
 結婚式前夜は体調を整えたいので肉体交渉は控えてくれと申し出た。にもかかわらず、アレクサンドリアは朝方までキルシェの体を愛し、おかげで立っているのもやっとの寝不足状態だった。

 あれから一年。表向きはダグラスの廃嫡は発表していないのもあり、死因は病死とされた。王族一同喪に服すことになる。アレクサンドリアとしては一刻も早くキルシェを囲いたかったが、流石に自分の弟の死を哀れむ時間も必要だと感じていたようだ。そのため、王と話し合った結果、喪が明けてすぐの挙式となったのである。
 後継者問題はやはり出てきたが、それを上回るキルシェの有能さに、貴族たちの満場一致で婚姻が認められた。問題については、おいおい考えていけばいいと、後回しにして。

 荘厳な神殿内に敷かれた真紅の絨毯の上をふたりで歩く。
 恥ずかしさもあるけど、両親や王と王妃だけでなく参列者たちの嬉しそうな笑顔で、自分の選択は間違っていなかったと言い聞かせる。
 そして神官長の後ろで、自分を模した石像に腰掛け、アベルが半透明でニヤニヤ笑っていた。

 ゲームでは詳細を語られなかったが、キルシェは断罪された後、ダグラスを世界を恨んで自害した。セントリア公爵家も没落し、歴史からキルシェや家族は秘かに消えたと。数行のテキストで綴られただけだった。
 自分がキルシェ・セントリアだと気づいて、ゲームのように死にたくなかったし、それよりも家族まで不幸にしたくないと思った。だからシナリオに逆らった。
 その歪みのせいか、召喚されたカズキは、ゲームの中にあった人物とは違う魂を持ってしまった。本来であれば、元々のカズキの清浄な性格でダグラスたちを救い、生きる道を示す。だが今のキルシェの前に現れたカズキはただの淫売で、悪しき魔法で攻略対象者たちを汚染した。それが本人の意思かどうか別にして。
 結局、ゲームの登場人物で残ったのは、キルシェひとりとなってしまったのだ。アベルは神だし隠し攻略対象者だから別として。彼はキルシェが王城に入ってからというもの、護衛騎士を辞して好き勝手に生きている。

 生き残るために、キルシェはゲームのキャラクターの骸の上に立つことを選んだ。その罪は永遠に消えることはないだろう。

「キルシェ」

 ありがたい神官長の言葉を聞き、アレクサンドリアの声に顔を上げる。そっと頬に手を添えられ、微笑むその姿に見とれていると。

「君の罪も悲しみも俺が半分肩代わりする。だから一緒に幸せになろう」
「アレク……」

 なんて人だ、とキルシェはどうにもならない気持ちが涙となって頬を伝う。
 この人と結ばれて良かった。
 キルシェは震える声で「ありがとうございます」と呟き、生涯の共犯者の口づけを受け入れた。



 のちの歴史書に、アレクサンドリア王の伴侶であるキルシェの事が綴られていた。彼は男性でありながら子を孕み出産したとされる。人々はそれを神の祝福と賞賛し、王であるアレクサンドリアと共に大切に育てたという。

 政治にしても、キルシェは王を支えながらも、様々の法案を打ち立てた。そのひとつが召喚の永劫廃止。それからありもしない断罪が横行する貴族社会に、貴族と平民合同の調査室を開いた。不貞や冤罪などを、第三者の視点から調べるチームである。のちにキルシェ自ら『探偵』と呼ぶようになった彼らは、最初は衝突を繰り返しながらも、精度の高い調査内容に重宝されたという。
 そんな政務に邁進した王と伴侶だったが、彼らは子どもが成人して数年後、生前退位をした。
 かつて病死した第二王子が住んでたとされる離宮にて、死すまで穏やかに仲睦まじく暮らしたとされている。

 そしてキルシェとアレクサンドリアの子どもであるハインリヒは、若くして王を継承したあと父と母の礎を元に国を発展させる。彼は賢王と讃えられ、そんな彼の傍には黒髪の美しい護衛騎士がいつも傍にいたと記されていた。


     【終】
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