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甘く、蕩けて、ひらく:前編
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春のうららかな三月の中旬、無事秋槻学園高等部を卒業した憂璃は、玉霞会本家──つまりは椿の生家で祝言を挙げることとなった。
いずれ義父の柾の跡を継ぎ会を支えることが約束された椿と婚姻する以上、避けられないことだと言ったのは、義母である葵衣だった。
『ボクは平気だったんだけどね。年齢も年齢だったし。でも、一応過去のことも含めて、参加者はかなり人数を絞ったから。しきたりだからごめんね、憂璃君』
真っ白な紋付袴の上にこれまた同じ白の:唐衣(からぎぬ)を羽織る。
これは代々玉之浦家に嫁ぐオメガが着た花嫁衣裳だそうだ。
「女性なら、普通に打掛らしいけどね。正直、柾と結婚する時にこれじゃなかったら、ボク逃げてたかもしれない」
と、苦笑しながら着付けてくれる葵衣に、この人ならどっちも似合いそうだな、と思ったのは内緒だ。
今日の式はそれこそ挙式と披露目だけを行い、披露宴とされる食事会は身内だけで玉之浦家のプライベートルームで開催されることになった。
というのも、本来ならば嫁いだ時点で憂璃は葵衣につき、玉霞会を影で支える勉強をしなくてはならないものの、それは四年後となったため身内で祝おうとなったからだ。
椿と結ばれてからというもの、憂璃は相変わらず勉学に励んだ。その功績が認められ、憂璃は秋槻学園の大学部のひとつ、経済学部の推薦を貰ったのだ。
しばらく進路で悩んだ。
当初は卒業したら椿と結婚をして家に入ろうと思っていた憂璃を説得したのは、仮番の椿だった。
あれから椿は明確に憂璃へと愛情を示し、友人の彗からは「甘い甘い、本当の番になったら、これ以上だから覚悟したほうがいいよ」とからかわれた。
その彗はなんと、椿の従兄弟だったというのだから驚きだ。
義母となった葵衣と彗の母である楓が兄弟で、昔から付き合いがあったとのこと。
しかも花楓は玲司とも縁があるそうで、世間は狭いものだと思ったものである。
「すみません。開けても大丈夫ですか?」
「はい、どうぞ」
襖越しに聞こえた声に、憂璃は馳せていた意識を現実に戻し振り返る。
すっと音もなく襖が開かれ姿を見せたのは、憂璃の実母である杏と、杏が押している車椅子に座る久志のふたりだった。
「わぁ、綺麗だね。そう思うでしょ、久志も」
「……あぁ」
嬉しそうに声を上げる杏に追従するように久志も頷く。
ふたりが春の街に戻ってから、憂璃は何度か椿と壱岐と三人で『フルール・ド・リス』を訪ねた。本人が人気店と嘯いてたけど、頷けるほど大繁盛しており、三人が通された個室で対応してくれたのは、車椅子を器用に操り接客する久志だった。
椿と壱岐は甘いものが得意ではないためコーヒーだけだったが、憂璃には季節のフルーツのタルトや、ツヤツヤとしたオペラ、なぜか『誕生日おめでとう』のプレートが乗った小さなショートケーキの盛り合わせが。
久志曰く『杏が長年食わせたかったものらしい』と言ってくれて、憂璃の胸は熱くなり、涙が滲んでしまったのを、椿が優しく唇で吸ってくれた。
遅れて姿を見せた母と、久しぶりの再会にわく。そんな母のうなじには、真新しい噛み跡がついていた。
話を聞くと、何度も話し合った末に年が明けてすぐに番契約をし、入籍をしたそうだ。
『だから今は素香杏だよ』と幸せそうに笑う母に、憂璃もつられて笑顔になった。
そんなふたりに祝ってもらいたくて、今日の食事会に招待をしたのは憂璃だ。同時に、ウエディングケーキの発注もさせてもらった。
このことに喜んだのは葵衣で、なかなか外に出る機会がなく、噂のパティシエのケーキが食べれるとはしゃいだ位だ。
もちろん、彗も彼の母である花楓も招待客である。
更に食事会のシェフは玲司と桔梗のふたりで、なんとも豪華な祝いとなりそうだ。
「本当はこんなに早く結婚するとは思わなかったけど、憂璃はこれまで沢山頑張ってきたから絶対幸せになるからね」
「うん、お母さんもお父さんと幸せになってね」
「っ!? ……うんっ」
憂璃が久志を父だと認めたからか、母の両目からはブワリと涙が溢れてこぼれた。久志は車椅子を母の傍に停めると、そっと腰を引き寄せ自分の膝に乗せて肩に押し付けるように頭を抱く。そんなふたりを見て。
(ああ……ふたりは互いをとっくに赦していたんだな)
と、睦まじい両親を眺め微笑んでいた。
玉之浦家の大広間で、憂璃と椿は並んで柾から朱塗りの盃に酒を注がれている。
主要の役員と一部の組員しか来ていないとのことだが、大広間はびっしりと厳つい顔で埋め尽くされている。普段だったらおののく光景だが、隣に心強い番がいるためか憂璃の心は思っていたよりも凪いでいた。
小さい盃が椿から憂璃に渡され、未成年なのもあり飲んだふりをして柾に返す。
中くらいの盃を柾から頂き、今度は憂璃から椿へと渡す。見事な飲みっぷりに憂璃の胸がときめく。
そして最後の大盃で椿から盃を受け取った時にそれは起こった。
(……ん?)
普段は襖で仕切られている座敷を開放し、遠くは霞むほどに黒い人で埋め尽くされている。まさに圧巻と感じる。
彼らの視線は憂璃と椿、そして長である柾に注がれ、衣擦れの音ですら緊張を高めていく。
この場にいる人間は、いずれ椿を支えてくれる人たちだ。緊張してどうすると、己を律する。
そんな中、ふと静寂が逆に憂璃の視線をひとりの人物にとどめた。
なぜその人に目が止まったかは分からない。どうしてか胸がザワリと不安に揺れたからとしか言いようがない。
緊張とも違う心臓の高鳴りが耳に雑音をもたらす。
ダメだと思うのに、鼓動が憂璃の集中力を阻害する。
それでも目だけは男から縫い付けられたように留めたまま。
やつれ、目だけがやけにギラつく若い男。この場に合わせて真っ黒なスーツを着ているけども、どこかくたびれたようすが場にそぐわず逆に目立っていた。その証拠に男の周囲だけ少し距離が開いている。
(どこで見たんだろう……え?)
憂璃はその人物をどこかで見たような気がする、と頭の中で過去に会った人物の記憶を発掘していると、やつれた男がおもむろに立ち上がり、その手にギラリと光る短刀が握られハッとなる。
「椿さん!!」
憂璃は盃を投げ、咄嗟に椿に抱きつき盾になろうとする。
まるでスローモーションのように時の流れがゆっくりとなる。
振り返ると、ざわめき男を避けるように道が拓かれ男は一直線に、椿に向かって駆けてくる。
「死ねやぁ!!」
「憂璃!」
男の声を椿の声が重なり、憂璃は椿の首に抱きつき夫の身を守る。
この人はまだ番になっていなくても最愛の男なのだ。
たとえ自分の身に何があっても守ってみせる。
ぎゅっと椿にしがみつく。だが……
「カシラ、憂璃さん大丈夫ですか!?」
壱岐の案じる声が、多くの怒号でかき消される。
(……え?)
そっと振り返ると、小さな黒山が築かれていて、その下から短刀を引き寄せようとする手が見て取れる。
椿に抱きついたまま呆然としている中、壱岐が小山に近づきサッと手を挙げて下で潰れている人間を引きずり出すよう指示を出す。
警戒しながら山から人がどき、ようやく姿を現した人物を見て、憂璃が「あ」と声を上げてしまう。それは椿の最愛である憂璃を襲い、怪我をさせた元茶咲組組長の息子である、茶咲真矢だったからだ。
「どうしますか、カシラ」
「大事な祝言に水を差してくれたからなぁ。ひとまずは、いつもの所で丁重におもてなししろ」
「分かりました。……天竹!」
壱岐は声を張り上げ、近くに控えていた天竹と、茶咲を押さえつけている屈強な人たち数人とともに、まだも暴言を吐いて暴れる茶咲と引きずるようにして広間を出て行った。
「椿さん……」
「もう大丈夫だ」
「うん。でも、あの人は……」
どうなるの、という問いは厳しい顔をした椿を見た途端、喉の奥で消えてしまった。
親の組が破門され、次期組長の椅子が約束されていた茶咲にしてみれば財産も地位も奪われ、青天の霹靂だっただろう。
しかし、彼は自分の居場所を奪ったのが椿だと恨み、こうして凶行に及ぼうとした。
まだ自分ならいい。だけど椿は絶対にダメだ。この人だけは死なせてはいけない。
言葉を失った憂璃の頬から破裂する音が響き、追いかけるようにジンジンと痛みが湧き上がる。
「お前はっ! どうして俺の盾になった! 誰がそれを望んだ!?」
「……でも……」
「でも、じゃない! あの馬鹿のせいで死ぬな! 他の奴が理由で死ぬなんて、俺は絶対に許さないからな!!」
そう叫んで憂璃の体を強く抱きしめる。
うなじに触れる吐息、抱きしめる腕が微かに震えている。
椿でも怖かったのだ、と気づいた途端、憂璃の両目からボロボロと涙があふれて止まらなかった。
結局、憂璃のお披露目は後日に延期となり、憂璃はプライベートルームで待機している葵衣たちに託し、椿は柾とともに茶咲が入れられている地下の座敷牢へと向かうことにした。
玉之浦家が居を構える前からあったという牢は、元はオメガが発情した時に入れられたという曰くのある場所だった。
かろうじて上部に格子の嵌った天窓はあるものの、周囲は薄暗く湿気が鼻をつく。
「御足労いただきありがとうございます、会長」
「お疲れ様です、カシラ」
見張りに立つ紋付袴の男たちが、ふたりの姿を認めると腰を直角に折り、頭を下げてくる。
「ヤツはどうしている?」
「はい。このような有様で……」
男のひとりがチラリと牢へと視線を馳せる。
まだ興奮が冷めていないのか、牢の中を蹴り飛ばしたり拳で殴っては、出せだのふざけるなだの騒いでいる様子が格子越しに垣間見ることができた。
「愉快な眺めだな、おい」
「貴様…っ!」
若頭である椿に向かって茶咲が放った言葉に、警備をしていた連中の怒気が膨らむのを背後で感じる。椿は軽く手を振って気にするなと無言で告げ、改めて茶咲に向かい合う。
「それはそうと、俺と憂璃の祝言にわざわざ足労いただくとは、心が広いな。……ところで、お前、どうやってうちに入ってこれた……?」
「はっ! 誰がベラベラ謳うってかっての。なぜ憂璃が来ない。アレは俺の番だぞ!」
目を血走らせ、格子越しに唾を飛ばして訴えてくる茶咲の世迷言に頭痛がしてくる。
「馬鹿を言うな。憂璃は俺の番だ。だからこそ祝言を挙げたんだろうが。馬鹿か? あぁ、先に言っておくが、お前のように無理やり憂璃を抑え込んだじゃないぞ。ちゃんと互いに意志の確認をした上で、こうして今日を迎えたんだ。でなきゃ、お前がさっき襲った時、憂璃は俺の前に立ちはだからないはずだ。それが答えなんだよ、阿呆が」
「──っ」
「それから、お前んとこで流した粗末な誘発剤な、アレのおかげで憂璃がかなり危険な状態になってな。それについては礼を言わなきゃなぁ?」
いつの間にか溢れ出る威圧フェロモンのせいで、茶咲は頭を抱えるようにうずくまり、ヒィヒィ泣いていた。
匂いフェロモンが機能していなくとも、威圧フェロモンは全身から出るのもあり、こうして若頭という立ち位置にいられるのも、ソレがあったからだ。
さすが『四季』の血族の覇気というべきか。
ひとまず茶咲は殺しはしないものの、命をかけた原発掃除のために売り飛ばすことにした。
表では人身売買はしないが、裏には裏のルートというのが存在するのだ。
「……あれで良かったのか?」
座敷牢を出て憂璃たちが待つリビングに向かう途中、柾からの質問に椿はふっと唇をほころばせる。
「まあな。……本当は八つ裂きにしたいが、憂璃を抱きしめる手を汚すわけにはいかないから」
「……そうだな。俺も血まみれの手で葵衣を抱きたくはないな」
賛同する親子は、互いを見てクツクツと笑いをこぼしていた。
いずれ義父の柾の跡を継ぎ会を支えることが約束された椿と婚姻する以上、避けられないことだと言ったのは、義母である葵衣だった。
『ボクは平気だったんだけどね。年齢も年齢だったし。でも、一応過去のことも含めて、参加者はかなり人数を絞ったから。しきたりだからごめんね、憂璃君』
真っ白な紋付袴の上にこれまた同じ白の:唐衣(からぎぬ)を羽織る。
これは代々玉之浦家に嫁ぐオメガが着た花嫁衣裳だそうだ。
「女性なら、普通に打掛らしいけどね。正直、柾と結婚する時にこれじゃなかったら、ボク逃げてたかもしれない」
と、苦笑しながら着付けてくれる葵衣に、この人ならどっちも似合いそうだな、と思ったのは内緒だ。
今日の式はそれこそ挙式と披露目だけを行い、披露宴とされる食事会は身内だけで玉之浦家のプライベートルームで開催されることになった。
というのも、本来ならば嫁いだ時点で憂璃は葵衣につき、玉霞会を影で支える勉強をしなくてはならないものの、それは四年後となったため身内で祝おうとなったからだ。
椿と結ばれてからというもの、憂璃は相変わらず勉学に励んだ。その功績が認められ、憂璃は秋槻学園の大学部のひとつ、経済学部の推薦を貰ったのだ。
しばらく進路で悩んだ。
当初は卒業したら椿と結婚をして家に入ろうと思っていた憂璃を説得したのは、仮番の椿だった。
あれから椿は明確に憂璃へと愛情を示し、友人の彗からは「甘い甘い、本当の番になったら、これ以上だから覚悟したほうがいいよ」とからかわれた。
その彗はなんと、椿の従兄弟だったというのだから驚きだ。
義母となった葵衣と彗の母である楓が兄弟で、昔から付き合いがあったとのこと。
しかも花楓は玲司とも縁があるそうで、世間は狭いものだと思ったものである。
「すみません。開けても大丈夫ですか?」
「はい、どうぞ」
襖越しに聞こえた声に、憂璃は馳せていた意識を現実に戻し振り返る。
すっと音もなく襖が開かれ姿を見せたのは、憂璃の実母である杏と、杏が押している車椅子に座る久志のふたりだった。
「わぁ、綺麗だね。そう思うでしょ、久志も」
「……あぁ」
嬉しそうに声を上げる杏に追従するように久志も頷く。
ふたりが春の街に戻ってから、憂璃は何度か椿と壱岐と三人で『フルール・ド・リス』を訪ねた。本人が人気店と嘯いてたけど、頷けるほど大繁盛しており、三人が通された個室で対応してくれたのは、車椅子を器用に操り接客する久志だった。
椿と壱岐は甘いものが得意ではないためコーヒーだけだったが、憂璃には季節のフルーツのタルトや、ツヤツヤとしたオペラ、なぜか『誕生日おめでとう』のプレートが乗った小さなショートケーキの盛り合わせが。
久志曰く『杏が長年食わせたかったものらしい』と言ってくれて、憂璃の胸は熱くなり、涙が滲んでしまったのを、椿が優しく唇で吸ってくれた。
遅れて姿を見せた母と、久しぶりの再会にわく。そんな母のうなじには、真新しい噛み跡がついていた。
話を聞くと、何度も話し合った末に年が明けてすぐに番契約をし、入籍をしたそうだ。
『だから今は素香杏だよ』と幸せそうに笑う母に、憂璃もつられて笑顔になった。
そんなふたりに祝ってもらいたくて、今日の食事会に招待をしたのは憂璃だ。同時に、ウエディングケーキの発注もさせてもらった。
このことに喜んだのは葵衣で、なかなか外に出る機会がなく、噂のパティシエのケーキが食べれるとはしゃいだ位だ。
もちろん、彗も彼の母である花楓も招待客である。
更に食事会のシェフは玲司と桔梗のふたりで、なんとも豪華な祝いとなりそうだ。
「本当はこんなに早く結婚するとは思わなかったけど、憂璃はこれまで沢山頑張ってきたから絶対幸せになるからね」
「うん、お母さんもお父さんと幸せになってね」
「っ!? ……うんっ」
憂璃が久志を父だと認めたからか、母の両目からはブワリと涙が溢れてこぼれた。久志は車椅子を母の傍に停めると、そっと腰を引き寄せ自分の膝に乗せて肩に押し付けるように頭を抱く。そんなふたりを見て。
(ああ……ふたりは互いをとっくに赦していたんだな)
と、睦まじい両親を眺め微笑んでいた。
玉之浦家の大広間で、憂璃と椿は並んで柾から朱塗りの盃に酒を注がれている。
主要の役員と一部の組員しか来ていないとのことだが、大広間はびっしりと厳つい顔で埋め尽くされている。普段だったらおののく光景だが、隣に心強い番がいるためか憂璃の心は思っていたよりも凪いでいた。
小さい盃が椿から憂璃に渡され、未成年なのもあり飲んだふりをして柾に返す。
中くらいの盃を柾から頂き、今度は憂璃から椿へと渡す。見事な飲みっぷりに憂璃の胸がときめく。
そして最後の大盃で椿から盃を受け取った時にそれは起こった。
(……ん?)
普段は襖で仕切られている座敷を開放し、遠くは霞むほどに黒い人で埋め尽くされている。まさに圧巻と感じる。
彼らの視線は憂璃と椿、そして長である柾に注がれ、衣擦れの音ですら緊張を高めていく。
この場にいる人間は、いずれ椿を支えてくれる人たちだ。緊張してどうすると、己を律する。
そんな中、ふと静寂が逆に憂璃の視線をひとりの人物にとどめた。
なぜその人に目が止まったかは分からない。どうしてか胸がザワリと不安に揺れたからとしか言いようがない。
緊張とも違う心臓の高鳴りが耳に雑音をもたらす。
ダメだと思うのに、鼓動が憂璃の集中力を阻害する。
それでも目だけは男から縫い付けられたように留めたまま。
やつれ、目だけがやけにギラつく若い男。この場に合わせて真っ黒なスーツを着ているけども、どこかくたびれたようすが場にそぐわず逆に目立っていた。その証拠に男の周囲だけ少し距離が開いている。
(どこで見たんだろう……え?)
憂璃はその人物をどこかで見たような気がする、と頭の中で過去に会った人物の記憶を発掘していると、やつれた男がおもむろに立ち上がり、その手にギラリと光る短刀が握られハッとなる。
「椿さん!!」
憂璃は盃を投げ、咄嗟に椿に抱きつき盾になろうとする。
まるでスローモーションのように時の流れがゆっくりとなる。
振り返ると、ざわめき男を避けるように道が拓かれ男は一直線に、椿に向かって駆けてくる。
「死ねやぁ!!」
「憂璃!」
男の声を椿の声が重なり、憂璃は椿の首に抱きつき夫の身を守る。
この人はまだ番になっていなくても最愛の男なのだ。
たとえ自分の身に何があっても守ってみせる。
ぎゅっと椿にしがみつく。だが……
「カシラ、憂璃さん大丈夫ですか!?」
壱岐の案じる声が、多くの怒号でかき消される。
(……え?)
そっと振り返ると、小さな黒山が築かれていて、その下から短刀を引き寄せようとする手が見て取れる。
椿に抱きついたまま呆然としている中、壱岐が小山に近づきサッと手を挙げて下で潰れている人間を引きずり出すよう指示を出す。
警戒しながら山から人がどき、ようやく姿を現した人物を見て、憂璃が「あ」と声を上げてしまう。それは椿の最愛である憂璃を襲い、怪我をさせた元茶咲組組長の息子である、茶咲真矢だったからだ。
「どうしますか、カシラ」
「大事な祝言に水を差してくれたからなぁ。ひとまずは、いつもの所で丁重におもてなししろ」
「分かりました。……天竹!」
壱岐は声を張り上げ、近くに控えていた天竹と、茶咲を押さえつけている屈強な人たち数人とともに、まだも暴言を吐いて暴れる茶咲と引きずるようにして広間を出て行った。
「椿さん……」
「もう大丈夫だ」
「うん。でも、あの人は……」
どうなるの、という問いは厳しい顔をした椿を見た途端、喉の奥で消えてしまった。
親の組が破門され、次期組長の椅子が約束されていた茶咲にしてみれば財産も地位も奪われ、青天の霹靂だっただろう。
しかし、彼は自分の居場所を奪ったのが椿だと恨み、こうして凶行に及ぼうとした。
まだ自分ならいい。だけど椿は絶対にダメだ。この人だけは死なせてはいけない。
言葉を失った憂璃の頬から破裂する音が響き、追いかけるようにジンジンと痛みが湧き上がる。
「お前はっ! どうして俺の盾になった! 誰がそれを望んだ!?」
「……でも……」
「でも、じゃない! あの馬鹿のせいで死ぬな! 他の奴が理由で死ぬなんて、俺は絶対に許さないからな!!」
そう叫んで憂璃の体を強く抱きしめる。
うなじに触れる吐息、抱きしめる腕が微かに震えている。
椿でも怖かったのだ、と気づいた途端、憂璃の両目からボロボロと涙があふれて止まらなかった。
結局、憂璃のお披露目は後日に延期となり、憂璃はプライベートルームで待機している葵衣たちに託し、椿は柾とともに茶咲が入れられている地下の座敷牢へと向かうことにした。
玉之浦家が居を構える前からあったという牢は、元はオメガが発情した時に入れられたという曰くのある場所だった。
かろうじて上部に格子の嵌った天窓はあるものの、周囲は薄暗く湿気が鼻をつく。
「御足労いただきありがとうございます、会長」
「お疲れ様です、カシラ」
見張りに立つ紋付袴の男たちが、ふたりの姿を認めると腰を直角に折り、頭を下げてくる。
「ヤツはどうしている?」
「はい。このような有様で……」
男のひとりがチラリと牢へと視線を馳せる。
まだ興奮が冷めていないのか、牢の中を蹴り飛ばしたり拳で殴っては、出せだのふざけるなだの騒いでいる様子が格子越しに垣間見ることができた。
「愉快な眺めだな、おい」
「貴様…っ!」
若頭である椿に向かって茶咲が放った言葉に、警備をしていた連中の怒気が膨らむのを背後で感じる。椿は軽く手を振って気にするなと無言で告げ、改めて茶咲に向かい合う。
「それはそうと、俺と憂璃の祝言にわざわざ足労いただくとは、心が広いな。……ところで、お前、どうやってうちに入ってこれた……?」
「はっ! 誰がベラベラ謳うってかっての。なぜ憂璃が来ない。アレは俺の番だぞ!」
目を血走らせ、格子越しに唾を飛ばして訴えてくる茶咲の世迷言に頭痛がしてくる。
「馬鹿を言うな。憂璃は俺の番だ。だからこそ祝言を挙げたんだろうが。馬鹿か? あぁ、先に言っておくが、お前のように無理やり憂璃を抑え込んだじゃないぞ。ちゃんと互いに意志の確認をした上で、こうして今日を迎えたんだ。でなきゃ、お前がさっき襲った時、憂璃は俺の前に立ちはだからないはずだ。それが答えなんだよ、阿呆が」
「──っ」
「それから、お前んとこで流した粗末な誘発剤な、アレのおかげで憂璃がかなり危険な状態になってな。それについては礼を言わなきゃなぁ?」
いつの間にか溢れ出る威圧フェロモンのせいで、茶咲は頭を抱えるようにうずくまり、ヒィヒィ泣いていた。
匂いフェロモンが機能していなくとも、威圧フェロモンは全身から出るのもあり、こうして若頭という立ち位置にいられるのも、ソレがあったからだ。
さすが『四季』の血族の覇気というべきか。
ひとまず茶咲は殺しはしないものの、命をかけた原発掃除のために売り飛ばすことにした。
表では人身売買はしないが、裏には裏のルートというのが存在するのだ。
「……あれで良かったのか?」
座敷牢を出て憂璃たちが待つリビングに向かう途中、柾からの質問に椿はふっと唇をほころばせる。
「まあな。……本当は八つ裂きにしたいが、憂璃を抱きしめる手を汚すわけにはいかないから」
「……そうだな。俺も血まみれの手で葵衣を抱きたくはないな」
賛同する親子は、互いを見てクツクツと笑いをこぼしていた。
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