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少年期 大学入学編
(14)ドロシーの目覚め
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全身に及ぶ火傷はその範囲に比べて軽度のものであったがめ、ドロシーの回復魔術で凡そは完治したが、皮下にまで及んだ火傷はフィンを苦しめた。魔力過剰使用と火傷のために少年が気を失ってから三日が経とうとしている。
フィンは大学付属治療院での処方を受けてからドロシーの研究室兼私室に運ばれた。今はドロシーのベッドで横になっている。フィンは日に何度かは意識が浮上するのか苦しそうに呻いた。ドロシーはその都度、治療術と睡眠魔術を施し、額の氷嚢を冷やしてやった。
日は既に西に傾きつつあった。この日三度目の処置を終えてドロシーは研究所の山積みになった机についた。腕を組んで額に当てて、机に覆いかぶさるような姿勢で大きな溜息をついた。
私は、もっと上手く立ち回れたのでは?
ここ連日ドロシーの頭を支配している問いだった。
何故もっと全力で試合を止めなかったのか。どうしてオリヴァントが提案した時点で強く反対しなかったのか。何故、フィンから目を離してしまったのか。
何度も何度も、どうすれば正解だったのかを考えていた。フィンを連れ出したことが、とだけは意識して考えないようにしていた。彼の敬意を貶めることだけはしたくなかった。
フィンが小康状態になってきたからか、あるいは三日も泣きぬれて落ち着きを取り戻したのか。ドロシーの頭は思索に堪えられそうであった。もう一度検証しようと思った。
そもそも自分だけが学長室に残されたのはオリヴァントから持ち掛けられた交渉のためであった。一刻も早く彼を生活に馴染ませるために、籍を与えるためにできることはないか、という内容であった。そのうちのいくつかはドロシーにさらなる労力の供出を求める内容で、フィンが同席していた場合は出来るようなものでもなかった。その提案は内容がドロシー個人の心情としても承服しかねるものであった。
「それならば」
そういってオリヴァントが提案した内容は次の通りだった。
「フィン君自身が大変有能で稀有な人材である、ということを客観的に見せつけてやれば、大学側から是非にとスカウトした、という面目が立って話も実に円滑なんだがね。例えばレオン辺りと試合をさせるとかして勝てば誰も文句は言うまい」
恐らく、ここが誤りだったのだろうと、そう思った。
ドロシーは教授ではあるが基本的には一人で研究室に引きこもり、オリヴァントが勝手に組んだ時間割に従って講演をするのみで学生と主体的に関わりを持たないできてしまった。レオン学生が優秀だ、とは聞いてはいたが、具体的にどのように、ということを把握はしていなかった。
次に、ドロシー自身、フィンならば勝てるのではないかと期待してしまったことが誤りだった。初めて会った日の彼の身のこなし、判断の速さ、状況観察力に思い切りの良さ。これは常人ならざるものと思い込みを持っていたことは否定できない。
――そこに果たして、下心がなかったと言い切れるだろうか。
フィンならレオン学生にだって勝ってくれる、という期待感の補強に、自分が選んだ人間が優秀であってほしいという下心が本当に、一片もなかったと言い切れるだろうか。いや、無いなどと断言することなぞ最初から出来はしない。だから、オリヴァントが嬉々として「ほらね、レオン学生が彼を見たらこうなると思っていたんだ」と耳打ちしてきたときに反意を示せなかったのだ。いや、示さなかったのだろう。
ドロシーは体が震えるのを止められなくなる。喉の奥から呼気が掠れる。知らず、涙があふれる。
「先生として私は……失格です」
口に出してしまうと、一層申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「レオン学生は常に自分が一番でなくては気が済まない。その気持ちが振る舞いにも表れてしまっていて最近は我々でも持て余していてね。向こうから喧嘩を吹っかけてきたというならちょうどいいじゃないか」
レオンの氷魔術で怪我を負った弟子を心配に思った気持ちには偽りはなかったと思う。揉め事を起こさないと決め、自分から手出しをしなかったフィンを褒めてもやりたかった。
オリヴァントが試合を提案したその瞬間、その心配や気遣いは一体どこになりを潜めてしまっていたのか。結局、期待感と見誤りによって、強く停止を求めることも出来ずに、こうなってしまった。
オリヴァントが使えそうな物は親でも子でも状況でも政情でも使う人間だと知っていたはずだ。レオン学生の実力だって、普段から注視していれば把握できていたはずだった。
何より、今まさに自分が落とす涙の正体が見栄であるらしいことが一番に腹立たしかった。一瞬だけではあるがこんな考えが過ってしまった。
「出来ることをせずに招いてしまった失敗を二度も、フィンに晒してしまった」
ドロシーは呼吸が苦しくなり、胸をギュッと掴む。こんな自分は嫌だと、そう思う。こんなに自分が嫌だと思ったのは八十年に及ぶ人生の中で初めてだった。
目も耳も鼻も、これはいい。致し方のない身体面のものだ。しかし、少しでも他者と関わっていれば、少しでも外の世界に興味を持っていれば、少しでも自己の精神性を見つめなおしていれば、大学の世話になってからの五十年を無為に過ごしたことを後悔しなかったはずだった。
研究と開発と、それだけをしていればいいと、そう思っていたし、どうせ、と思っていた。
「どうせ皆私より早くいなくなってしまうのだから、親しみをわざわざ持つ必要性も持たせる必要性もないと思われます。お互いにつらい思いをするだけです」
その考えは今になっても誤りだとは思えないし思わない。しかしながら、こうして悔いているのも間違いないことである。
眼鏡に涙の雫が零れて、零れて、眼鏡としての役割を為さない。
自分は間違いなく先生として失格だと思うし、不適格だとも確信している。けれど、あの少年が先生と呼んでくれる限り、いや、仮にそうでなくなったとしても彼が誇れる先生にならなければと、ドロシーは心にした。
「私は、フィンの先生になる」
涙に震える声で、けれど力いっぱいに自分に言い聞かせるように呟いた。
フィンは大学付属治療院での処方を受けてからドロシーの研究室兼私室に運ばれた。今はドロシーのベッドで横になっている。フィンは日に何度かは意識が浮上するのか苦しそうに呻いた。ドロシーはその都度、治療術と睡眠魔術を施し、額の氷嚢を冷やしてやった。
日は既に西に傾きつつあった。この日三度目の処置を終えてドロシーは研究所の山積みになった机についた。腕を組んで額に当てて、机に覆いかぶさるような姿勢で大きな溜息をついた。
私は、もっと上手く立ち回れたのでは?
ここ連日ドロシーの頭を支配している問いだった。
何故もっと全力で試合を止めなかったのか。どうしてオリヴァントが提案した時点で強く反対しなかったのか。何故、フィンから目を離してしまったのか。
何度も何度も、どうすれば正解だったのかを考えていた。フィンを連れ出したことが、とだけは意識して考えないようにしていた。彼の敬意を貶めることだけはしたくなかった。
フィンが小康状態になってきたからか、あるいは三日も泣きぬれて落ち着きを取り戻したのか。ドロシーの頭は思索に堪えられそうであった。もう一度検証しようと思った。
そもそも自分だけが学長室に残されたのはオリヴァントから持ち掛けられた交渉のためであった。一刻も早く彼を生活に馴染ませるために、籍を与えるためにできることはないか、という内容であった。そのうちのいくつかはドロシーにさらなる労力の供出を求める内容で、フィンが同席していた場合は出来るようなものでもなかった。その提案は内容がドロシー個人の心情としても承服しかねるものであった。
「それならば」
そういってオリヴァントが提案した内容は次の通りだった。
「フィン君自身が大変有能で稀有な人材である、ということを客観的に見せつけてやれば、大学側から是非にとスカウトした、という面目が立って話も実に円滑なんだがね。例えばレオン辺りと試合をさせるとかして勝てば誰も文句は言うまい」
恐らく、ここが誤りだったのだろうと、そう思った。
ドロシーは教授ではあるが基本的には一人で研究室に引きこもり、オリヴァントが勝手に組んだ時間割に従って講演をするのみで学生と主体的に関わりを持たないできてしまった。レオン学生が優秀だ、とは聞いてはいたが、具体的にどのように、ということを把握はしていなかった。
次に、ドロシー自身、フィンならば勝てるのではないかと期待してしまったことが誤りだった。初めて会った日の彼の身のこなし、判断の速さ、状況観察力に思い切りの良さ。これは常人ならざるものと思い込みを持っていたことは否定できない。
――そこに果たして、下心がなかったと言い切れるだろうか。
フィンならレオン学生にだって勝ってくれる、という期待感の補強に、自分が選んだ人間が優秀であってほしいという下心が本当に、一片もなかったと言い切れるだろうか。いや、無いなどと断言することなぞ最初から出来はしない。だから、オリヴァントが嬉々として「ほらね、レオン学生が彼を見たらこうなると思っていたんだ」と耳打ちしてきたときに反意を示せなかったのだ。いや、示さなかったのだろう。
ドロシーは体が震えるのを止められなくなる。喉の奥から呼気が掠れる。知らず、涙があふれる。
「先生として私は……失格です」
口に出してしまうと、一層申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「レオン学生は常に自分が一番でなくては気が済まない。その気持ちが振る舞いにも表れてしまっていて最近は我々でも持て余していてね。向こうから喧嘩を吹っかけてきたというならちょうどいいじゃないか」
レオンの氷魔術で怪我を負った弟子を心配に思った気持ちには偽りはなかったと思う。揉め事を起こさないと決め、自分から手出しをしなかったフィンを褒めてもやりたかった。
オリヴァントが試合を提案したその瞬間、その心配や気遣いは一体どこになりを潜めてしまっていたのか。結局、期待感と見誤りによって、強く停止を求めることも出来ずに、こうなってしまった。
オリヴァントが使えそうな物は親でも子でも状況でも政情でも使う人間だと知っていたはずだ。レオン学生の実力だって、普段から注視していれば把握できていたはずだった。
何より、今まさに自分が落とす涙の正体が見栄であるらしいことが一番に腹立たしかった。一瞬だけではあるがこんな考えが過ってしまった。
「出来ることをせずに招いてしまった失敗を二度も、フィンに晒してしまった」
ドロシーは呼吸が苦しくなり、胸をギュッと掴む。こんな自分は嫌だと、そう思う。こんなに自分が嫌だと思ったのは八十年に及ぶ人生の中で初めてだった。
目も耳も鼻も、これはいい。致し方のない身体面のものだ。しかし、少しでも他者と関わっていれば、少しでも外の世界に興味を持っていれば、少しでも自己の精神性を見つめなおしていれば、大学の世話になってからの五十年を無為に過ごしたことを後悔しなかったはずだった。
研究と開発と、それだけをしていればいいと、そう思っていたし、どうせ、と思っていた。
「どうせ皆私より早くいなくなってしまうのだから、親しみをわざわざ持つ必要性も持たせる必要性もないと思われます。お互いにつらい思いをするだけです」
その考えは今になっても誤りだとは思えないし思わない。しかしながら、こうして悔いているのも間違いないことである。
眼鏡に涙の雫が零れて、零れて、眼鏡としての役割を為さない。
自分は間違いなく先生として失格だと思うし、不適格だとも確信している。けれど、あの少年が先生と呼んでくれる限り、いや、仮にそうでなくなったとしても彼が誇れる先生にならなければと、ドロシーは心にした。
「私は、フィンの先生になる」
涙に震える声で、けれど力いっぱいに自分に言い聞かせるように呟いた。
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