冬の一陽

聿竹年萬

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少年期 港町小旅行編

(43)波音絶えず

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 海沿いの道を歩いている。海岸線に沿って伸びる道には屋台が軒を連ねており、食べ物に飲み物に土産物にと様々な店が品が所狭しと敷き詰められている。この通りは名をコスカ通りといった。
 フィンとドロシーは心地よい潮風を浴びつつ、腹ごなしに宛もなく歩いている。

「先生にも嫌いな食べ物があったんですね」

「誰しも多かれ少なかれそういったものはあるものですよ」

 言葉の調子は普段通りを装ってはいるが鼻をツンと上に向けて不貞腐れている。

「でもブロッコリーが嫌いだなんて珍しいですよね」

「あれは……なんというか凝縮された森ではなかろうかと思われます。それと一応訂正しておきますが好きではないだけで、食べられない訳ではありませんからね」

 ドロシーは人差し指を立て、平時より何段か教師らしい所作でフィンに言い聞かせる。頬が赤らんでいるのは苦手な物がある、ということを知られたことがそうさせているものと見えた。

 ドロシーの、というよりは師のそんなあどけなさを感じさせる所作にフィンは頬がゆるんでしまう。普段は年相応――実はドロシーの実際の年齢がいくつであるかはフィンは知らない。意図的にドロシーが言わないようにしているらしい。オリヴァント含め他の大学職員や外の知人の様子を見るに自分の倍どころではない年嵩があるらしいとは見ているが――落ち着いた所作と言動とで人によっては近寄り難さを覚えるくらいであったが、時折こうして見た目の相応の――フィンと同じくらいの十歳そこそこの――少女のような振る舞いが平時との落差もあってたまらなく可愛らしく感じられ、フィンはどうにも堪えがきかなくなる。

「でも、先生の苦手なものが出てくるのに先生お勧めのお店なんですね」

 フィンの言葉にドロシーはしばし口を噤んだ。人通りが少なくない道の中程で足を止めてしまう。その目はフィンのことを見るともなく見ている。

「あのお店は――というよりは今まで私がフィンを連れて行った場所のほとんどは私のかつての友人が教えてくれた場所がそのほとんどだったんです」

「先生のお友達、ですか?」

「ええ、先方がそう思っていてくれていたのであれば、ですが」

 そう口にするドロシーの言葉はいかにもたどたどしかった。あたかも自らの恥部を告白するかのようでさえあった。
 その様子があまりにも寂しそうに見え、フィンは雑踏の中佇むドロシーの手を取ろうとした。取ろうとしたがその行動も意識も、遠く海に突き出た突堤の方から届いた声に中断させられた。

「ドワーフが海に落ちたぞーっ!」

 野太い男の声が辺りに響きわたった。
 現場と思しき突堤にもコスカ通りにも人は多くあったが、この数多くの人並みの内、誰よりも早く動き出したのは他ならぬフィン少年であった。ドワーフは――ダグもそうであったが、町中で見かけた多くのドワーフもまた――巌のように固く重そうな肉体をしていた。よく発達した筋肉は重量を伴うため、浮力は弱いと推察された。恐らくはドワーフは泳ぐことに長けてはいないと思えば、急を要するとフィンは直覚した。

 数瞬遅れてドロシーがフィンの後に続いたが、その距離はグングン離されていく。ドロシーが突堤の口に差し掛かる頃には既にフィンは人だかりの中に入り込もうとするところであった。

 人だかりはそのほとんどがドワーフであった。数人の監督者らしき人間が「この忙しいときに」と悪態を吐いていた。フィンはドワーフ達の視線の先、貨物船と桟橋の隙間を一瞥しそこに溺れるドワーフの姿を認めるとそのままの速度で飛び込んでいった。

 そのドワーフは必死に手を上へ上へと伸ばして、水しぶきを立てながら「助けて」と叫ぼうとしていた。叫ぼうとしていたのであるが、声を上げようとする間に体が沈み声は掻き消えていた。

 フィンは一度深くまで潜水するとドワーフのドワーフの背後に回り込み、脇の下に腕を通すと自身の体に軽量化の魔術を施した。体は水に押しのけられるようにして水上へと持ち上がっていく。腕にかかる重さがドワーフの浮力の無さを物語っていた。ドワーフは自分よりいくらか小さく見える少女であった。少女は冷静さを欠いて、矢鱈滅法に身を捩る。

「ぷはっ」

「ごふっ! たっ、助けて! ゲホッゲホッ!」

 ドワーフの声は口内から大量の水と共に吐き出される。どうにか呼吸をしようと水面に顔が出た瞬間に息を吸おうとして、タイミングを誤って海水を肺に流し込んでしまっていたらしく、咽を裂くような苦しそうな吸気音がしている。

「もう大丈夫ですよ。落ち着いて、力を抜いてください」

 フィンは努めて冷静に声をかけた。ともかくも安心させねばならないと理解していた。
 ドワーフの少女は努めて落ち着こうとするようであったが止まらない咳と海水によって痛む肺とに緊張はとれないままであった。

「フィン、これを体に巻き付けてください」

 師の声に上を見ると桟橋の上からドロシーが縄を落としてくれていた。指示通りにドワーフと自分の体に縄を巻き付けるとすぐに体が引っ張られ始めた。

 縄を通じて軽量化の効果を持った魔力が伝わってきていた。自分がすぐに疲労感と頭痛に襲われた魔術をこともなげに操作する彼女の姿にフィンは「ああ、もう大丈夫だ」と自身もようやく安心した。

 どうにか頭痛と眩暈に堪えながら引き続きドワーフに軽量化を施しながら桟橋の上に身を投げるとようやく一心地ついた。軽量化を解除したのもあるが、衣服が海水を吸ってしまってとにかく全身が重くて仕方なかった。脳の奥が冷えるような感覚に吐き気も覚える。

 ドロシーは、いまだに四つん這いになって咳込み海水を吐き出し続けるドワーフの少女に駆け寄ると背中側から肺の辺りに手をかざす。

「少し、痛みますよ」

 そう言うなり魔力を込めると少女は嘔吐するようにえづき、大量の海水を吐き出した。

「よく、頑張りましたね」

 ドロシーが柔らかな声音でそう語りかける。ドロシーは海水を吐き出しきった少女の頭を撫でながら彼女の喉に治癒魔術を施していた。

 ドワーフの少女は見た目には年も変わらぬ目の前のエルフの声にようやく緊張の糸が解けたかボロボロと涙を落とし始めていた。言葉を発するのもままならず「ありがとう」と口にしようとしては声が震えて形にならなかった。

 よかった、とフィンも安堵するとどうにも違和感があった。周囲の空気が、どうにも、彼女の無事を喜ばないまでも安心したような、弛緩するような雰囲気ではないようであった。平時の通り、日常の通り。
 一人のドワーフの少女が命を落とすかもしれなかった、という事実がなかったかのような、賑やかさと波の音と、ぎしぎしと船の鳴くような音ばかりが、いやにフィンの耳に貼り付いていた。
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