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32氷解のきざし
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夏のある夜、ルイス王子と共にジークヴァルトはある伯爵家での舞踏会へ来ていた。
シュタルラント国では春から晩夏までが社交のシーズンだ。王都ではあちこちで華やかな社交が繰り広げられる。
世継ぎであるルイス王子やその側近であり公爵家嫡男そして次期宰相であるジークヴァルトへの招待は引きも切らない。
だが、彼らの出欠は貴族社会に大きな影響を与えるため、王家と古くからの付き合いのある伝統ある数家の貴族の招待のみ受けることを慣例としていた。
もちろん、ジークヴァルトの実家の公爵家でも舞踏会が開かれるが、こちらも招待される貴族は代々の付き合いのある貴族たちとその同伴者に限っている。
つまり、謁見以外で社交シーズン中にルイス王子とジークヴァルトと直接会えるのはこの数家で催される舞踏会のみで、王子たちを招待することができる貴族はいわゆる「名門」と称されている。
ルイス王子の婚約者マリアンヌを養女とするホージ侯爵家からもルイス王子を招待したいと招待状が送られてくるが、婚約式を済ませた正式な婚約者ではないこと、そして慣例を盾に拒みつづけている。
今日の二人はもちろん本日の特別ゲストだ。
貴族たちは挨拶をするために列をつくり、ルイス王子は笑顔を絶やさない。
その横に控えるジークヴァルトも同様で誰もが挨拶にやってくる。
二人はそんな貴族たちとの短い会話をそつなくこなしていった。
✴︎
「はあ、やっと一息ついた。
僕、お客様なのにこんなに忙しいのおかしいよね?
こんなことならエマのところへ行きたい。彼女のところで飲む果実水は本当に心身共に疲れが取れる。それに、甘さをひかえた素朴な菓子がまたいいよね。
もう何日行っていないだろう?ええと、十日…いや二週間たつか。
そろそろ癒されたいっ!」
ルイス王子がぼやくのをジークヴァルトは否定しない。確かにこれは仕事と割り切らなければやっていられるものではない。
こんなところで中身のない社交辞令を言い合っているのなら王子の言うことはやぶさかではなかった。
エマの元に足を運ぶきっかけとなったのは、あることの調査がきっかけだった。
幻覚作用のある異国の植物が巷で出回っているとの報告があったからだ。
貴族が関わっていた場合の情報漏れを防ぐため、ジークヴァルトが部下を使い直接調べることになった。犯罪が多い地域などに部下を潜入させ、情報を集め調べを進めていた。
そんな中、状況が知りたいと街へ付いてきたルイス王子がエマの働く『スーラのパン屋』に寄ると言い出したのだ。
確信犯だ。はじめからそれが目的だった。
「何を馬鹿な」と無視することも出来たが、ふとあの強かな女がどんな暮らしをしているのかと思い黙って従った。
突然現れたジークヴァルトたちにただただ驚いていたエマは、ルイス王子がついた嘘の身分を否定することなく、世継ぎの王子たちが自分に会いに来てくれたのだと家人に吹聴することもなかった。
ジークヴァルトは、そこまでは愚かではないのか、はたまた急なことで悪知恵が及ばなかっただけかと相変わらずの目で見ていた。
椅子に座る気もなく、ルイス王子の護衛に徹しようと立ったままのジークヴァルトにも出された昼食は、素朴な材料だがとても食欲をそそった。
『家庭的な温かみ』のある食事とはこういうものなのだろうなと思った。
だから、あんな狭量な嫌がらせを言ってしまったのだ。
美味しそうだと言い、嬉しそうに食べようとするルイス王子に、
嫌悪する女がこんなものを作ることに、
何より、昼食はもう済んだと嘘をついて黙って自分の昼食を差し出す謙虚さに、
イラついた。
ーー得体の知れないモノを不用意に口にするのはどうかと思います。何かあっても知りませんよーー
口から出たのはあんな稚拙な嫌がらせだった。
凛々しいほどにきっぱりとした態度で否定され、榛色のエマの瞳に見つめられた時、不快感よりもバツの悪さが先に立った。
だから、ルイス王子の咎めをジークヴァルトは適当にかわせなかった。まるで叱られた子供のように促されるまま目の前の果実水に口を付ける体たらく。
だが、その果実水が一口喉を通ればゴクゴクと飲み干していた。嘘でも美味しくないなどとは言わせないとばかりに、ジークヴァルトの中に染み渡った。
ニ度目の訪問をするとルイス王子が言い出したとき、ジークヴァルトが思ったのはエマはどんな顔をするのだろうか、だった。
訪れたジークヴァルトたちにエマは驚き恐縮していたが、嫌な顔はしなかった。自分の言った嫌味を引きずっていなさそうなエマをみて、何を自分はこんな女の機嫌を気にしているのだ?と自分が分からなかった。
それからまた次に訪問したときには、質素で簡単だがエマの作った菓子が冷たい果実水とともに出されるようになり、あの時食べなかった昼食のことが思い出され、自然と菓子に手が伸びていた。
家人にはジークヴァルトたちの身分は伏せられたままで訪れれば自然な出迎えを受けられた。
エマとの会話はルイス王子に聞かれたことにエマが答えるということがほとんどだった。道理の通った話し方で、言葉を選びながら街のことや暮らす民たちのことを知ってもらおうという思いが織り込まれることもあった。
だが、そんな会話をするようになっても、エマはジークヴァルトたちとの間に明確な線を引き決して踏み込まない。
むしろ、慇懃さで壁を作っているような。
ジークヴァルトはエマに違和感を感じるようになっていた。エマの纏う雰囲気は自分が持っていたイメージとはかけ離れたもののように思うようになっていた。
「俺は…エマのことを誤解していたのか……?」
ふと頭に浮かんだ言葉がジークヴァルトの口をついた。
シュタルラント国では春から晩夏までが社交のシーズンだ。王都ではあちこちで華やかな社交が繰り広げられる。
世継ぎであるルイス王子やその側近であり公爵家嫡男そして次期宰相であるジークヴァルトへの招待は引きも切らない。
だが、彼らの出欠は貴族社会に大きな影響を与えるため、王家と古くからの付き合いのある伝統ある数家の貴族の招待のみ受けることを慣例としていた。
もちろん、ジークヴァルトの実家の公爵家でも舞踏会が開かれるが、こちらも招待される貴族は代々の付き合いのある貴族たちとその同伴者に限っている。
つまり、謁見以外で社交シーズン中にルイス王子とジークヴァルトと直接会えるのはこの数家で催される舞踏会のみで、王子たちを招待することができる貴族はいわゆる「名門」と称されている。
ルイス王子の婚約者マリアンヌを養女とするホージ侯爵家からもルイス王子を招待したいと招待状が送られてくるが、婚約式を済ませた正式な婚約者ではないこと、そして慣例を盾に拒みつづけている。
今日の二人はもちろん本日の特別ゲストだ。
貴族たちは挨拶をするために列をつくり、ルイス王子は笑顔を絶やさない。
その横に控えるジークヴァルトも同様で誰もが挨拶にやってくる。
二人はそんな貴族たちとの短い会話をそつなくこなしていった。
✴︎
「はあ、やっと一息ついた。
僕、お客様なのにこんなに忙しいのおかしいよね?
こんなことならエマのところへ行きたい。彼女のところで飲む果実水は本当に心身共に疲れが取れる。それに、甘さをひかえた素朴な菓子がまたいいよね。
もう何日行っていないだろう?ええと、十日…いや二週間たつか。
そろそろ癒されたいっ!」
ルイス王子がぼやくのをジークヴァルトは否定しない。確かにこれは仕事と割り切らなければやっていられるものではない。
こんなところで中身のない社交辞令を言い合っているのなら王子の言うことはやぶさかではなかった。
エマの元に足を運ぶきっかけとなったのは、あることの調査がきっかけだった。
幻覚作用のある異国の植物が巷で出回っているとの報告があったからだ。
貴族が関わっていた場合の情報漏れを防ぐため、ジークヴァルトが部下を使い直接調べることになった。犯罪が多い地域などに部下を潜入させ、情報を集め調べを進めていた。
そんな中、状況が知りたいと街へ付いてきたルイス王子がエマの働く『スーラのパン屋』に寄ると言い出したのだ。
確信犯だ。はじめからそれが目的だった。
「何を馬鹿な」と無視することも出来たが、ふとあの強かな女がどんな暮らしをしているのかと思い黙って従った。
突然現れたジークヴァルトたちにただただ驚いていたエマは、ルイス王子がついた嘘の身分を否定することなく、世継ぎの王子たちが自分に会いに来てくれたのだと家人に吹聴することもなかった。
ジークヴァルトは、そこまでは愚かではないのか、はたまた急なことで悪知恵が及ばなかっただけかと相変わらずの目で見ていた。
椅子に座る気もなく、ルイス王子の護衛に徹しようと立ったままのジークヴァルトにも出された昼食は、素朴な材料だがとても食欲をそそった。
『家庭的な温かみ』のある食事とはこういうものなのだろうなと思った。
だから、あんな狭量な嫌がらせを言ってしまったのだ。
美味しそうだと言い、嬉しそうに食べようとするルイス王子に、
嫌悪する女がこんなものを作ることに、
何より、昼食はもう済んだと嘘をついて黙って自分の昼食を差し出す謙虚さに、
イラついた。
ーー得体の知れないモノを不用意に口にするのはどうかと思います。何かあっても知りませんよーー
口から出たのはあんな稚拙な嫌がらせだった。
凛々しいほどにきっぱりとした態度で否定され、榛色のエマの瞳に見つめられた時、不快感よりもバツの悪さが先に立った。
だから、ルイス王子の咎めをジークヴァルトは適当にかわせなかった。まるで叱られた子供のように促されるまま目の前の果実水に口を付ける体たらく。
だが、その果実水が一口喉を通ればゴクゴクと飲み干していた。嘘でも美味しくないなどとは言わせないとばかりに、ジークヴァルトの中に染み渡った。
ニ度目の訪問をするとルイス王子が言い出したとき、ジークヴァルトが思ったのはエマはどんな顔をするのだろうか、だった。
訪れたジークヴァルトたちにエマは驚き恐縮していたが、嫌な顔はしなかった。自分の言った嫌味を引きずっていなさそうなエマをみて、何を自分はこんな女の機嫌を気にしているのだ?と自分が分からなかった。
それからまた次に訪問したときには、質素で簡単だがエマの作った菓子が冷たい果実水とともに出されるようになり、あの時食べなかった昼食のことが思い出され、自然と菓子に手が伸びていた。
家人にはジークヴァルトたちの身分は伏せられたままで訪れれば自然な出迎えを受けられた。
エマとの会話はルイス王子に聞かれたことにエマが答えるということがほとんどだった。道理の通った話し方で、言葉を選びながら街のことや暮らす民たちのことを知ってもらおうという思いが織り込まれることもあった。
だが、そんな会話をするようになっても、エマはジークヴァルトたちとの間に明確な線を引き決して踏み込まない。
むしろ、慇懃さで壁を作っているような。
ジークヴァルトはエマに違和感を感じるようになっていた。エマの纏う雰囲気は自分が持っていたイメージとはかけ離れたもののように思うようになっていた。
「俺は…エマのことを誤解していたのか……?」
ふと頭に浮かんだ言葉がジークヴァルトの口をついた。
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