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禊の対価
第二百六十六話 言葉の齟齬
しおりを挟む「久しぶりだね。サリー」
慣れ親しんだ父の声に驚き顔だけ振り返る。
改めて声の主を確認しても、それは確かに父の顔に他ならなかった。
「な、んで!?」
だがサリーは死んだはずの父がどうしてこの場にいるのか理解できない。
「お、お父さん!? どうして!? 死んだはずじゃないの!?」
突然父の姿を目にして目の前の状況に困惑する。
「そーれはお前の記憶違いだよサリー」
「……きおく、ちがい?」
「お前の記憶は私が操作しておいたのだから」
「そう、さ? うっ!」
シトラスの言葉を聞いた途端、サリーは頭痛に襲われた。
「お前はサリナスになれなかった」
「…………サリ、ナス……?」
吐息のように呟きながら疑問符を浮かべるサリーに対して、シトラスはニヤリと笑みを浮かべる。
「だ……れ、サリナスって……?」
だが確かにその名前に聞き覚えがあった。頭痛は徐々に大きくなり、堪えきれないほどの激痛が響き始めた。
「つぅッ!」
「死んだのは私ではない……――」
「えっ?」
突然のことにサリーは激しい痛みの中、シトラスのその言葉を耳にする。
「言うなッ! シトラスッ!」
シトラスがサリーに対して何を口にしようとしているのかをすぐさま察したヨハンは真っ直ぐにシトラスに向かって走り出した。
しかし間に合わない。
「――……死んだのは、お前の方だよ。サリー」
「…………え?」
一体どういうことなのかと、その懐かしい声に耳を傾けながらゆっくりと胸元を掴むサリー。
ドクンと鼓動が大きく響く。
「死んだのが、わた、し?」
「ああ。お前は死んだサリナスの模造品だ。だがサリー。お前は決してサリナスにはなれない」
「サリナス…………さりなす…………さりな、ス……――」
知らない筈の名前、だが確実に知っているその名前を繰り返し声に出し始めた。
「――……死んだのは……私…………?」
ドクン、ドクン、と何度も大きく鳴り響く鼓動。
「かはっ!」
胸の奥から込み上げる衝動に耐え切れなくなる。
ドクン、とその胸を、得も知れぬ感情と共に幾多もの衝動が駆け抜け、上体を前のめりに動かすその核心的な言葉。
「サリーさんっ!」
「ふははっ!」
そのままサリーはドサッと倒れた。
「フハハハハハッ!」
「シトラス、お前というやつはッ!」
サリーはシトラスによって造られた、サリナスの別個体。だがそれもサリナス、その存在ただ一人の再生を望まれた過程で生まれた結果的には副産物。
死んだ人間の複製などと、信じられないような事実。それでも確かにサリーは一人の人間として存在している。
「外道ね」
カレンのその呟き。思い返してみても、これまでのサリーの態度や仕草は人間そのもの。造られたものとはとても思えなかった。
それに、シトラス自身もあの日記の中に、サリーを一つの個体、つまり個人として確立しているのだということを認めている。
ここへ来た時のサリーの様子からもわかっていた。
自分と全く同じ姿の人間達を見て崩れ落ちたことからしても、順を追って冷静に伝えないと、今事情を話したところですぐに受け入れられないのだということは。どう伝えればいいのか考えも及ばなかったのだが、まさかこの様な形で伝わるとは思いもしなかった。
「サリーさん!」
意識を失くしたサリーを抱き起こす。
「感謝するよサリー。こーこで父を助けるとーは、でーきた娘だ!」
嬉々とするシトラスはすぐさま部屋の外に姿を消していった。
「くそっ!」
「ティア!」
カレンもすぐさまセレティアナに魔力を送り、獅子の姿に変身させる。
「乗せなさい!」
「えっ?」
「早くッ!」
「…………はい」
有無を言わせぬカレンの物言い。カレンの表情には怒りが漲っていた。
セレティアナに意識を失くしたサリーを背負わせる。
「彼女のことはティアに任せておいたらいいから、わたし達はいくわよっ!」
「わかりました。ごめんねティア」
「いいよ。でもここでアイツを逃がす方が厄介だよ?」
「大丈夫。シトラスは逃げないよ」
なんの保証もないのだが、どこか確信を持っていた。
そのままカレンと一緒になって部屋の外に向けて急ぐ。
「しっかりしなさい」
ヨハンが浮かべる沈痛な面持ちを見てカレンは小さく息を吐いた。
「彼女の今後のことはわたしも一緒になって考えるから。一人ぐらいわたしの力でなんとかしてみせるわよ」
「でも……――」
「いいから」
皇女のカレンの立場であるならば確かにできないことはないのだろうが、カレンの立場はそれほど高くない。強権を持ち得ない。それどころか、時折ないがしろにされていることも含めると、本来そういったことに乗り気にならないということはヨハンも知っている
「――……いいんですか?」
「当り前じゃない。彼女も帝国民の一人なのよ」
「わかりました」
柔らかな笑みを向けてくれたことでいくらか安堵した。
どこかその顔を見ていると先の言葉を信じられる。
「ありがとうございます」
ここを出た後のことはカレンに任せておけるのだと、笑顔を向けた。
「い、いいのよっ。任せておきなさい!」
途端に顔を赤らめたカレンはフイっと横を向く。
「どうかしましたか?」
「な、なんでもないわよっ!」
「はあ」
どうして語気を強められたのか、先程向けられた笑みと言葉の調子と打って変わったその態度。
「なんだかすいません」
とにかく謝ってみることにした。
それに、ここを無事に切り抜けたとしてもカレンには相当な仕事量があるというのは容易に想像がつく。
「あ、あなたが謝ることじゃないわ」
「そうですか?」
深く息を吐きながら顔を戻すカレンなのだが、その目が僅かに泳いだ。
「(な、なによこの気持ち!)」
トクン、と胸を突くその鼓動。
兄と対面する時にも同様に胸が高鳴るのだが、それとはまた別の感覚。
「(ま、まさか……――)」
チラリと横を見るヨハンのその表情を見ると、胸の鼓動が僅かに速くなる。
「(――……わたしがこんな子に…………そ、そんなはずないじゃない!)」
もしかしたらの脳裏を過る考えを即座に否定した。
「カレンさん。ここを出たら…………」
部屋の扉を前にしてそっと手首を握られる。
「(な、なに? ここを出たらって…………何を言う気なの!? ダメよ、まだそんなことを考えることなんてできないわよっ! それに、わたしには兄さんが……――)」
真っ赤にさせるカレンの横でヨハンは首を傾けた。
「カレンさん?」
「な、なにかにゃ!?」
緊張して上手く呂律が回らない。
「かにゃ?」
「そ、そんなことはいいから早く用件を言いなさいッ!」
「はあ……」
怒鳴られることにヨハンは意味がわからない。先程からどうしてこれだけ感情が起伏しているのか。
「あの、ここを出ればまたどこから攻撃をされるかわからないので気を付けましょうと言いたくて」
直後、その場に鈍い音が響き渡る。
「っつぅぅぅ。な、なにするんですかカレンさん?」
頭上を押さえるヨハンの横で、カレンは拳を握って息を吐いていた。
「わ、わかってるわよそんなことはっ!」
その背後で巨体の獅子。セレティアナは大きな溜息を吐く。
「(これは長期戦になりそうだね、カレンちゃん)」
カレンの気持ちの整理にある程度の時間が掛かるのだろうということを覚悟していた。
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