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禊の対価
第二百八十二話 待ち構える相手
しおりを挟むアッシュの後ろから姿を見せる男。その防具は他の兵よりも少しばかり頑強な物。
「あなたは、確かハルマン少将」
カレンが覚えのあるその男は帝国兵団の将校。今回の遠征で兵を束ねる役割を任されている男の一人。
「これまでカレン様とはほとんど会話も交わしておりませんのに覚えておいて頂き、恐縮至極でございます」
「わたしに出来ることは限られているので、顔と名前を覚えるぐらいなら、ね。さすがに全員というわけにはいかないけど」
政務に関わる事にはカレンの立場であるならば限度がある。それならば、と可能な限り帝国に関係する人物の役職と人柄を覚えておけば何かの拍子に役に立つかもしれないと考えていた。
ジョーンズ・ハルマン少将は忠義と仁義に厚い男だと。
「それで、さっきのはどういう意味かしら?」
「無論、先程あなた様がおっしゃられた言葉そのものでございます」
ジッと見られるその眼差しは目を逸らすことなくカレンの眼を見つめている。
「…………」
カレンは無言でハルマン少将を見つめ返した。
「それはつまり、わたしを信じて欲しいと言ったことでいいのよね?」
「はい。先程の言葉を聞いて、私はカレン様を信じることに決めました。この冒険者のように私はいくら強くともその子ども達を信用するほどに知らないので」
はっきりと断言するハルマンは小さく微笑む。
「でも、あなた達は彼らと違って命令があるのでは?」
彼ら。アッシュ達冒険者は所詮雇われ。依頼を放棄したとしても報酬が得られないだけ。対して帝国兵団はカサンド帝国に帰属している。それが出兵ともあれば有事の際には命を賭してでも任務が遂行できるように務めなければならない。
それを放棄するということは程度によるが罰則が設けられ、重いものでは反逆を意味すると捉えられても致し方ない。重罰に処される。
今回の一件に、詳細は定かではないが皇族であるカレンが逆賊になった。それを捕らえるという命令は最上に位置するはず。その逆賊扱いされているカレンを帝国兵が独断で信用をするということがどういうことなのかということを目の前のハルマン少将が知らないはずがない。
「確かにカレン様のおっしゃられる通り、私の判断が間違いであれば下手をすれば私は打ち首になるやもしれません」
「ならどうして?」
それだけの危険を冒す必要があるのだろうかと疑問が浮かぶ。
「先程はカレン様のお言葉と答えましたが、実際はカレン様の真摯な姿勢に私は賭けることに決めました」
「…………」
「もう認めざるを得ませんが、その凄腕のお連れの護衛、少々我々も見くびっておりましたがまさかこれほどだったとは思いもしませんでした。数的不利であるにも関わらずこれだけの突破を見せたのですから。胆力もかなりのもの。その彼らを信頼するカレン様がここでも強行突破が出来たでしょうに、今は話し合いを持った上で、更にこの冒険者にも頭を下げたこと。それがなにより私の心を動かしました」
「……そう」
ヨハンとニーナがレグルスの兵を突破した上でここまで進んで来ていることは帝国兵も十分に見ていた。だからこそ今も同じようにして踏み込めずにいる。
事実、ニーナが口にしたこととはいえ、そのまま再度帝国兵をなぎ倒しながら歩を進めることは十分に可能だった。
「兵を無為に傷付けない判断はこちらとしても助かります」
「もしそれが全て計算だったとしたら?」
「でしたら私の眼が曇っていたという話です。それに…………申し上げにくいのですが、常日頃から彼らはカレン様のことを見ております」
ハルマンはそのまま周囲の兵に向けて腕を広げる。
「彼らは一様にしてカレン様のことを慕っております。無論私も」
帝国城内で一部から粗雑、邪険な扱いを受けるカレンなのだが、ルーシュに向けられる姉としてのその優しい眼差し、言葉かけ。国政に関わることは多くはないのだが、それでも地位ある皇族。
その確かな立場にありながらも気さくな性格と見知らぬ兵に対しても気軽に話し掛けるカレンの姿は兵たちにとっては癒しに他ならなかった。身分が低い兵としては分け隔てなく接してもらえるカレンに尊敬と憧れを抱いている。そんなカレンの城内での扱いに関して不憫でならなかった。しかし当然口を出すことなど適わない。
「(そぅ……なんだ)」
初めて聞かされるその話。加えて兵たちは、そんな扱いをされるカレンがそれでも胸を張って堂々と公務を務めている姿、その力強さと前向きさには胸を打たれている。
「(何度も逃げ出そうと思ったのだけどね)」
いつ話し掛けても挨拶程度で終わってしまっていたので兵側の気持ちを聞いたことはなかった。
「ですので、カレン様がルーシュ様に反旗を翻すなどとは私達は全く以て信じられません。今回の一件、何かの間違いではないかと。しかしながら、先程カレン様が申されました通り、命令が下ると私たちの独断では行動を起こせないので仕方なくこうして参戦させて頂いた次第であります」
「でも、もしもわたしが本当に裏切っていたとすれば?」
問いかけるように尋ねるカレンを周囲の兵はゴクリと息をのむ。
「私も相当に悩みましたが、先程それをこの冒険者が提案に来たのです。『あいつらはそんなことをする奴じゃねぇ』と」
「彼らが?」
ハルマンが見るのは横にいるアッシュ達。モーズが恥ずかしそうに横を向いているのをロロが脇腹を小突いていた。
「アッシュさん達がどうして?」
ずっとそのやりとりを聞いていたヨハンも話が見えない。
「あー、すまんヨハン。いくら皇女様がそんな計画をしていたとしてもだ、君たちがそんなことに手を貸すはずないと思っていたからね。それに、念のためカレン様のことも試させてもらったのだよ」
「ニーナの嬢ちゃんが早とちりして襲い掛かってこようとした時はさすがに肝を冷やしたぜ!」
「まったくさね!」
やっと不安から解消されたモーズとロロも不安と緊張から気の抜けた声を出していた。
「どうしてそこまでしてくれたんですか?」
ただの雇われ冒険者がここまでの提案など通常できはしない。意見を言ったところでまともに扱ってもらえるものでもない。それどころか下手をすればその場で斬り殺されてもおかしくない。
「それはまぁ、ロロのおかげだな」
途端に口笛を吹き始めるロロを次にはモーズが脇腹を小突くのだが、逆に頬へ張り手を受けていた。
「ロロさんが?」
アッシュの後ろでモーズが頬を押さえているのを苦笑いしながら問い掛ける。
「ロロは兵士と――」
「――た、ただの飲み仲間さねっ!」
グイっとロロはアッシュの肩を掴みながら笑顔で答えた。
「子どもに何を言おうとしてんのさッ!」
アッシュに小さく耳打ちするロロ。
ヨハン達と別行動をしているアッシュ達、特にロロに至ってはとりわけ兵士たちと仲良くやっていた。
「ま、まぁ、そんな時に聞いたカレン様の評判って思ったよりも良かったのさ」
アッシュとモーズも似たような評判を聞いていたのだが、カレンの評判はすこぶる良い。その見た目だけに留まらず、性格的なことを称賛している。懐疑的に聞いていたロロなのだが、誰に聞いても同じように語ることからして、カレンの人柄はそれなりに信に値するのだと。
「だから俺たちに一度確かめさせてくれってな」
「それにまぁ俺からすれば、死にかけたのを助けてもらったんだ。ここらで恩を返しとかないと、後々寝覚めが悪くなりそうだったしな」
手の平で頬を擦り、次に鼻の下を指で擦るモーズがぶっきらぼうに答える。
「それでさっきの話だったんですね」
「俺としても一度は落とした命だからね。これで前のことの借りはなし、ということで」
ニコリと笑いかけるアッシュ。
「わかりました。ありがとうございます」
別に貸したつもりもないのだが、結果的に無駄な戦いが避けられた。
「ふぃー。良かったねカレンさん」
「むしろあなたは少しは反省しないといけないのじゃないかしら?」
あっけらかんと答えるニーナをキッと睨みつけるカレン。後先考えない行動の多さ。
「まぁいいじゃない。上手くいったんだから」
「…………はぁ」
まるで悪気を見せないニーナの姿勢に呆れてしまう。
「まぁいいわ」
そのまま顔を上げて周囲にいる兵士を見回した。
「みんなもありがとうね」
口元に両手を持っていき、大きく声を発して笑いかける。
「と、とんでもないっす!」
「こちらこそありがとうございます!」
途端、兵達からは歓声が上がった。
「これ、お前たち! 静かにしろッ!」
少し前の緊迫した空気とは打って変わるその空気。急に和やかな場に変わる。
「カレンさん、人気あるんですね」
「わたしも今初めて知ったけどね」
兵たちがわいわいする様をカレンは嬉しそうに見ていた。
「では行きましょう」
その場から先はハルマンを先頭にしてカレン達を誘導して歩く。
そのままもうすぐ天幕というところに着いた。
「もうすぐですね」
「ええ」
アッシュ達のおかげで無用な戦いを避けられ、ルーシュのいるところまであと少し。
「っ!?」
直後、瞬間的に強烈な殺気を感じ取った。
「……お兄ちゃん」
「うん。これはあの人だね……――」
奥に天幕が見えるその少し手前にいる人物が四人。
その中で殺気を放っているのは、地面に長槍を刺して腕を組んでいる男。
「――……ジェイドさん」
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シンとローズの仲間である男、ジェイドが立ち塞がっている。
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