S級冒険者の子どもが進む道

干支猫

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碧の邂逅

第 四百二 話 水中遺跡⑮

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「……はぁ、はぁ」

ようやく崖の上に辿り着いたのだが、思うように身体が動かない。まるで自分の身体ではないような感覚。

目の前には強風で揺らされ、グラグラとしている大岩。今にも落ちそう。
曇天の空から降っている雨は徐々に雨脚を強くしてボタボタと身体を打っている大きな雨粒。

「よ、良かった」

眼下、海面を覗き込むと雨粒が海面を叩いている中、動いている大きな影と小さな影。
まだ大丈夫なのだと。

「失敗はできない」

グッと大岩に両の手の平を押し当てる。

「上手く落とさないと」

自分の身体ではないのだが、全力で押せば落とせそうに感じられた。
しかし、落とした先にサナがいれば目も当てられない。
ドクドクと訪れる緊張。本当に上手くいくのかという怖気。

「…………すぅ」

それでも大きく息を吸い、思考を冷静にさせる。
ピタと吸い込んだ息を止め、ふぅと大きく吐き出した。

タイミングが命。
雨で視界ははっきりとしないのだが、水棲魔物アイアンシャークとサナの動きをしっかりと感じ取る。

「いまだっ!」

失敗はできない状況であっても、サナが突進を回避した後にできる僅かな距離。その一瞬のタイミングを突いた。

「なっ!?」

途端に吹き荒れる逆風。風の勢いを利用して落とすつもりだったのだが、逆風が吹いたことで押しきれない。

「どうしてこんな時に!?」

ゴロゴロと雷鳴を轟かせている曇天。
これもウンディーネが言っていた干渉できない力の影響なのかと。
歯痒さに奥歯をギリッと鳴らし、下唇を噛む。

「くそっ!」

もう既にタイミングは逸した。
強く噛んだことで下唇から僅かに漏れる血。ポタポタと地面に落ちて雨水と混ざっていく。

「くそっ! くそっ! くそおおおぉぉぉぉっ!」

ガンッと地面を叩き、何もできない状況、自身の力の無さ、その無力さを思わず呪ってしまった。

『ウンディーネも悪い奴だね。この試練に与えられる影響力などたかが知れているだろうに』

雨音の中に混じるヨハンに届かない声。

「……ごめん、サナ」

ヨハンの血が混じった雨水がポッと光り出す。

「え?」

その光に目を奪われ、光は一筋の光の柱となって上空に立ち昇った。
曇天を突き刺すなり、ゴロゴロと轟いている雲から次に起きた事象は落雷。

「がっ!」

それがヨハンの目の前、大岩目掛けて一直線に落ちる落雷は大岩を砕き、近くにいたヨハンをも巻き込んだ。

「――――」

ガラガラと海面に向けて落下していく大岩の破片と共に意識を失くしたヨハンも落下する。

『仕方ないねこの子は。ボクにできるのはこれぐらいさ。あとはあの子が自分でなんとかしないとね』

ザブンと落下するヨハンの姿を見送る空にある光の粒子は小さな少女の姿を形作っていた。


◇ ◆


「!?」

ドボドボと音を立てて海中に落ちてくる岩の数々。

「落石!?」

こんな時にどうしてと思うのは、アイアンシャークに気を付けなければいけない中での落石への注意の払い方。アイアンシャークを警戒しながら落石を躱し続けるなどできはしない。

「……あっ」

そう思いアイアンシャークを見たのだが、違和感を覚える。
突然の衝撃に驚いているのは何も自分だけではない。

「そっか……――」

アイアンシャークもキョロキョロと顔を振っていた。

「――……だったら!」

アイアンシャークに喰われようと、落石に巻き込まれようと、結果死ぬことに変わりはない。
それならば一縷の望みに賭けるのは今しかない。

「ガッ!?」

落石がアイアンシャークの背を叩き、痛みに悶絶している。

「いまっ!」

アイアンシャークの注意が逸れた今がチャンスだと、これまで回避に専念していた中で初めて自らアイアンシャークに向けて距離を詰める。

「やあっ!」
「ギャ!」

ナイフをブスっとアイアンシャークの左目に深々と刺し、すぐさま抜き取ると血が海中に流れた。

「お生憎様。私にはどうせ後がないのよ」

落石を恐れずの突進。背水の陣に立っているサナ。これまでどちらが優位だったのかは一目瞭然なのだが、ここに来て事情が変わる。

(やっぱり逃げないよね)

しかしそれでもギロッと睨みつけてくるアイアンシャークの片目。
片目を潰したところで逃げるなどという期待はハナからしていない。

(……私も逃げるわけにはいかないのよ)

逃げたくて逃げたくて仕方なかったはずなのにどうしてそう思ったのかはわからない。だが何故かそう思わずにはいられなかった不思議な感覚に襲われる。

「さぁ、決着を付けましょう」

満身創痍の身体を押して、アイアンシャークを正面に見据えた。
いつの間にか、それまで抱いていた死への恐怖が薄らぎ、決してなくなっていないのはわかっていたのだが、どこか背中を押してもらえる感覚。

『頑張って、サナ』
「うん。私頑張るよ、ヨハンくん」

無意識に口にしていたヨハンの名前。同時に身体を包み込むのは間違いなく闘気の光。
もう目の前には物凄い勢いで突進してくるアイアンシャーク。

「ぐっ、ぐうぅぅぅぅっ!」

ナイフを横に構えて鋭い牙を受け止めていた。

「片目だと見えにくいようね」

それならばと、視界から消えるように右に身体をずらす。これまでと一線を画する機敏な動き。

「ギッ!?」

サナはアイアンシャークの背びれを掴むとその背に跨った。

「これで、終わりよ!」

もう片方の目、右目にもナイフを突き刺す。

「ギィッ!?」

ずぶッと深く差したナイフを抜き取る力はもうサナには残されていなかった。
しかし、両目を潰されたアイアンシャークはその場から逃げていく。

「お、おい!」
「ああ! わかってる!」

その様子を見ていたジズーは慌てて小舟を出す。

「乗せろっ!」

サナの父、ガッシュも船に飛び乗り、サナの近くに船が近付くなり勢いよく海に飛び込んだ。

「サナっ! サナっ!」

父の腕の中で意識を朦朧とさせるサナ。

「すげぇよサナちゃん! アイアンシャークを追い払うなんてよぉ!」
「んなことはいいから早く岸に着けろ! 病院だ!」
「あ、ああ!」

ジズーの船が岸に着くなり、ガッシュはサナを抱きかかえて町の病院に向かって走り出す。

『今回は特別だよヨハン』

空、曇天に浮かぶ光がその輝きを薄めていた。
霧散する光の粒子は海の中に沈むヨハンを包み、優しく声を掛ける。

『たまたまボクが力を貸せる状況にあったから良かったけど、いや、ウンディーネも確かめたかったんだろうね。でも、これから辛い選択を迫られることはきっと訪れる』
「――――」
『あと、何よりカレンちゃんを一番大事にしてよね』
「――――」

不意に聞こえたような気がする久しぶりに聞く声。

「――……ティ、ア?」

久しぶりに声を聞いたと思いながら、そのまま深い海の底に沈んでいった。

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