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神の名を冠する国
第六百一 話 裁定
しおりを挟む「さて。ゴレアス殿。あなたが探していた仲間はこの中にいるのかな?」
縛られている赤狼族のリーダー、ゴレアスに問い掛けるバニシュ。同時にゴレアスは並ぶ獣人達へと視線を走らせていた。
「レイチェル!」
しかし答えは聞くまでもなかった。
ゴレアスはその中の一人、まだ幼い一人の少女だけを見て叫ぶ。
「ミモザさん。あれってやっぱり」
「ええ。さっきのが嘘だったって可能性があるわね」
町長の返答が嘘という可能性。
となればバニシュがどういう裁定を下すのかということ。
「でも」
「ええ」
ヨハンとミモザの二人が懸念しているのは、互いの種の違い。現状獣人達は縛られている。
「せ、聖女様! これは何かの間違い、い、いえ、コイツラは嘘をついております!」
「そうさね。確かにそれも否定できないさね。自分達が助かるために、この中の一人を探していると嘘をついた可能性が、ね」
「なっ!?」
「そ、そうですとも!」
バニシュの言葉を聞いたゴレアスと町長は互いに目を見開いたのだが、その反応は対照的。
「そんなわけないだろうッ!」
「その通りです聖女様! なんて汚く卑しい奴だッ! 聖女様! コイツラに神の裁きを!」
「ぐぅっ……」
嬉々とした表情を浮かべる町長に対して奥歯をギリッと鳴らすゴレアス。
「そうさねぇ。ユリウス」
「はっ!」
バニシュへと歩いて行く様を町長は不思議そうに見ている。ユリウスの手にはいくつかの紙の束。
「そ、それは……まさか…………」
その紙束がなんなのかということに察しがついた町長は僅かに動揺し始めた。
「さて町長。ドロンという商人を知っているさね?」
「ど、ドロンとは?」
明らかに目が泳ぎ始める町長。
「今言っておく方が良いとは思うのだがまぁいいさね。とにかく、ここにあるのはとあるお宅で手に入れた資料なのだがね」
町長に見えるようにして紙を見せるバニシュ。
「ど、どこでそれを?」
「おや? これに見覚えがあるさね? おかしいさねぇ。これはどうやら私が見る限り人身売買のリストなのだが?」
「ぐ、ぐぐぐ」
「今なら知っていることを正直に話せば神もお許しになるだろう」
「……い、いえ、どうやら見間違いのようでした。そんなものは知りませぬ」
顔を俯かせて脂汗を垂らし始める町長なのだが、意を決した様子で顔を上げるなり口を開く。
「そ、そんなことよりも聖女様! 早くコイツラに神の裁きを!」
「それもそうさね。これ以上無駄な時間を過ごすわけにもいかない」
「そうですとも! 聖女様の貴重なお時間をこのような下賎の者に使うべきではありません!」
流し目でバニシュが町長を見ながらパチンと指を鳴らすのと同時に火蜥蜴は口腔内に溜め込んでいた炎を一気に吐き出した。
「は?」
まるで予期していなかった展開。笑みを浮かべていた町長の顔が絶望の色へと変わる。
「なにをっ!?」
大きく声を発すヨハン。
突然の出来事にヨハンが驚きを隠せないのは、町長の眼前へと迫る巨大な火炎。ドウッと音を立てて町長へと直撃した。
「ぐぎゃあああああああ」
業火にまかれた町長は絶叫を上げながら地面を転がる。
「早く消さないとっ!」
「ダメよヨハンくん!」
火を消そうとするヨハンを制止させるミモザ。
「で、でも!」
「ここは我慢して。今は見極めることが必要なのよ」
「……ぐっ。見極めるって、いったい何をですか…………?」
「それをこれから確認するのじゃない」
ミモザの制止を振り切るよりも先に、町長は身じろぎ一つしていなくなっており、それが示すのはもう手遅れだということ。
「どう、して……」
止めたのか、ミモザをきつく見るのだが、ミモザもまた同様に厳しい眼差しをヨハンへと向けていた。
「じゃあ聞くけど、何が正義で何が悪なのか、ヨハンくんにわかるの?」
「…………」
ヨハンとミモザが会話をしている中、それ以上に呆気に取られていたのは捕らえられている獣人達。先程までは町長の、いや、人間の味方をしていたはずの聖女がどうして町長を焼き殺したのかと。
「あーあ。正直に言えば死なずに済んだのに」
ピッと指先をレイチェルと呼ばれた獣人の少女に向けると、少女を縛っていた隷属の首輪が少女の首を傷つけることなく二つに割れる。
(今のは魔法か)
横目で視界に捉えたのはバニシュから放たれた小さな火の粉。それが隷属の首輪を焼き切っていた。
首輪が外れたことに対して信じられないといった眼差しを向けるレイチェル。
「レイチェル」
「ゴレアス!」
そのまま一直線でゴレアスへ――獣人の仲間達へと向かって駆け出すレイチェル。動向を見守っていた町の住人達は困惑してしまっている。
(確かにこの人も獣人を騙して連れ去っていたのかもしれないけど)
もう既に死体となっている町長が焼けた跡を見つめながら考えていたところ、不意に耳に飛び込んで来る小さな破裂音。パチン、と。
「え?」
それはバニシュが指を鳴らした音なのだと理解はしたのだが、何故今その音がしたのかと。
「ぐあああああっ!」
突如響き渡る悲鳴。視線をゴレアスに向けると、ゴレアスは炎に包まれていた。
「何をする貴様ッ!?」
「私達を許したのではないのか!?」
縛られながらも怒気を帯びた声を荒げる赤狼族の戦士たち。その場には明らかな動揺が広がるのだが、それは住人達も同様。混乱していないのは聖騎士を始めとした火の聖女の部隊のみ。
「ゴレ、アス?」
ぺたんと両膝を着くレイチェル。
「何を言ってるのさね? おかしなことを言う者たちだ。お前達は自分達がしたことの罪を忘れたとでもいうのさね?」
「罪……だと?」
「ああ。この惨状をどうするつもりだい?」
両手を広げるバニシュ。そこには倒れている衛兵や獣人達。被害は人間と獣人の両方に見られていた。
「そ、それは……し、しかし先に手を出したのはお前達人間だろッ!?」
「ああそうさね。状況的には間違いはない。だからこそ神の名の下に先に彼に裁きを下した。だが、お前達に非はないのか?」
「だ、だが……」
「神罰は常に平等であり、それはこの火の聖女、バニシュ・クック・ゴードの名の下に振るわれたのさ」
「バニシュ・クック・ゴード様に敬礼!」
聖騎士ユリウス・マリウスの号令と共に火の聖女の部隊は全員が両の手の平で騎士剣の柄を持つ。そのまま剣先を上に向け、胸の前に持つと真上に掲げた。
「「「聖女様万歳ッ!」」」
周囲に響き渡る部隊の声。
「これにて神の裁定は下された! これよりは事後処理に移る!」
「「「はっ!」」」
ユリウスの言葉と共に即座に動き始める火の部隊。呆気に取られていた住人達なのだが、これが神の名の下に行われた裁きなのだと、相手の獣人にも等しく裁きが下されたのだということを目にすると納得する。それも致し方なし、だと。
「まったく。町長の悪趣味のおかげでこっちまで飛び火してるじゃねぇかよ」
「ほんとだぜ。いい迷惑だよ」
「さ、仕事に戻ろうかね」
「次の町長は誰がなるのかねぇ」
あるがままに受け入れていた。
「……ミモザさんは、これが正しいことだと?」
「それを決めるのは私じゃないわ。もちろんヨハンくんでもないの」
「それは……そうですけど。でも……――」
しかし釈然としない。
「――……ええその通りよ。これは誰が決めるものでもない。今すぐ導き出せる答えなどないもの」
「…………」
国ごとのルールがあるのは理解している。種族として隔たりがあるのも理解しているつもりでもあった。
しかし、これまで触れて来なかった思想。宗教が持てる力がこれほどまでなのだろうかと。全く以て自分の感覚とかけ離れている。
「でもねヨハンくん」
「なんですか?」
「これだけは確実に言えるわ」
一体何を言おうとしているのか。ミモザの表情は真剣そのもの。
「この答えを導き出すのは、バニシュのような聖女でも、ましてや神でもないわ。でも、これがこの国の事実なのよ」
はっきりと、力強く口にする。
「……僕には、わからないです」
「大丈夫よ。君は君の信じるものの為に戦えばいいから」
「……はい」
困惑を抱いていたところにバニシュがヨハンとミモザの下へと歩いて来た。
「さて。今回の一件は喧嘩両成敗という沙汰が下された。あとのことは私の部隊に任せようさね」
「……バニシュ。あなた変わったわね」
両肘を抱えながら溜め息を吐くミモザ。
「時の流れは人を変えるものだと思うのだが、違うのかい? 人はいつまでも同じ場所にいないさね」
「そんなこと……」
「いるとすれば、それはただの停滞さね。進むことは必要なのさ」
「確かにそれもそうね。間違ってはいないとは思うわ」
そうして不意に訪れた一件の、なんとも言い切れない気持ちを抱いたままパルストーンへと戻ることになる。
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