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神の旋律
月夜の幻想曲(ファンタジア)/5
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リョウカがサイドブレーキを引くと、タクシーを運転するものは誰もいなくなった。ドアを蹴り開けて、彼女は雨上がりの路上に足を下ろし、ため息をつく。
「さっそく悪魔。もう、駅までも徒歩なの?」
幸先思いやられる。大人の色恋沙汰を知っていれば、ふたりが男女の仲でないことぐらいわかるというものだ。子供ではないのだから。
彼女のあとに続いて降りたレンは、路上を通り過ぎてゆく他のタクシーに視線をやる。おそらく、どれを捕まえても同じだ。
「しょうがないわね。歩きましょ?」
リョウカは言い残して、上り坂をずんずん歩いてゆく。自分と違って、動きも決断力も早い。
針のような銀の髪を街灯の光に照らし出して、細い路地からレンが離れると、つり上がった赤い目が闇の中から何十個も現れた。
*
都会の路上なのに、二十一時代で、ほとんど通らない車。時折、思い出したように、レンとリョウカの脇をタクシーが通り過ぎてゆくが、彼らを追い越すとすぐに、すうっと煙に巻かれたように消え去る。
街灯の向こうの暗闇から何度も何度も同じ人が現れては、背後で幻影のように形を失くす、すれ違う歩行者のふりをする悪魔。
襲ってこないまでしても、目指すカスルディカ城の悪魔が力を持っているのは想像に容易い。下級の悪魔を使役するほどの存在。
ねじ曲がった異空間という言葉が似合う夜道をしばらく歩いてゆくと、霧に煙る駅の暖かな黄色の光が大きく広がった。
電車が到着するたび、構内から外へと人がどっと流れ出す。人々は無口で、バタバタと足音が鈍く足元で絶え間ない波を打つ。
ガラス張りのアーチの上には、星々の小さな光を蝕むように、紫のクレーターが見えるほど大きな月がかかる。
それをピントの合わない背景にして、リョウカのどこかずれているクルミ色の瞳は駅の時計のアラビア数字を指す二本の針を見上げた。
「二十二時ちょっと前……」
改札口の上にある、時刻パネルがパタパタと音を立てて、列車が発車したことを知らせる。白線を猛スピードで追ってゆくように、様々な文字と数字が流れていたが、ピタリと止まった。
「――マキル行き、二十二時十七分……これね」
横へと流れている人混みを、リョウカは気にした様子もなく、縫うように入ってゆく。
「あたし、切符買ってくるわ」
残像が残るような列を横切ってゆくリョウカの後ろ姿を見送る。百九十七センチの長身のレン。対する彼女は百六十ぐらいだろう。相手が小さかろうと、自分の背丈なら十分目で追えるはずだった。
だが、見逃したのだ。いやどれが彼女なのかわからなくなった。流れていた人の群れは、全員がリョウカの顔をして、ポニーテールしたブラウンの長い髪をしていた。
「…………」
三百六十度見渡したが、ミラーハウスに迷い込んだように同じ。全てに銃弾を打ち込むべきなのか。濁流のようにホームからあふれ出てくるリョウカの群れ。彼女が脳裏にこびりつくようで、めまいが襲い始める。
惑わされてはいけない。ここは普通の駅で、歩いている人の姿形は、悪魔が見せた幻で、現実として存在は決してしていない。シャットダウンするために、目を閉じて……。
「――はい」
暗闇という水面に一石投じたような女の声が響き渡った。不浄が弾かれるように消え去ってゆくのが、まぶたの裏に見えた気がして、
「…………」
目を開けると、切符が一枚差し出されていた。
「ん」
お遣いご苦労と言わんばかりに、態度デカデカでレンは受け取り、先に歩いてゆく。リョウカは両方の手のひらを天井へ向け、降参のポーズを取った。
「目を閉じるなんて、何か見たくないものでもあったのかしら……?」
歩幅の大きな違いで、リョウカは急いで改札を抜けて、プラットホームへとあとを追いかける。
朝のそれぞれの家から出てきた孤独なラッシュアワーとは違って、友達や同僚などと一緒のはずの帰宅ラッシュ。
それなのに、話し声がまったく聞こえない。それどころか、構内放送も発車のベルも鳴り響かない、最終電車間近の駅だった。
「さっそく悪魔。もう、駅までも徒歩なの?」
幸先思いやられる。大人の色恋沙汰を知っていれば、ふたりが男女の仲でないことぐらいわかるというものだ。子供ではないのだから。
彼女のあとに続いて降りたレンは、路上を通り過ぎてゆく他のタクシーに視線をやる。おそらく、どれを捕まえても同じだ。
「しょうがないわね。歩きましょ?」
リョウカは言い残して、上り坂をずんずん歩いてゆく。自分と違って、動きも決断力も早い。
針のような銀の髪を街灯の光に照らし出して、細い路地からレンが離れると、つり上がった赤い目が闇の中から何十個も現れた。
*
都会の路上なのに、二十一時代で、ほとんど通らない車。時折、思い出したように、レンとリョウカの脇をタクシーが通り過ぎてゆくが、彼らを追い越すとすぐに、すうっと煙に巻かれたように消え去る。
街灯の向こうの暗闇から何度も何度も同じ人が現れては、背後で幻影のように形を失くす、すれ違う歩行者のふりをする悪魔。
襲ってこないまでしても、目指すカスルディカ城の悪魔が力を持っているのは想像に容易い。下級の悪魔を使役するほどの存在。
ねじ曲がった異空間という言葉が似合う夜道をしばらく歩いてゆくと、霧に煙る駅の暖かな黄色の光が大きく広がった。
電車が到着するたび、構内から外へと人がどっと流れ出す。人々は無口で、バタバタと足音が鈍く足元で絶え間ない波を打つ。
ガラス張りのアーチの上には、星々の小さな光を蝕むように、紫のクレーターが見えるほど大きな月がかかる。
それをピントの合わない背景にして、リョウカのどこかずれているクルミ色の瞳は駅の時計のアラビア数字を指す二本の針を見上げた。
「二十二時ちょっと前……」
改札口の上にある、時刻パネルがパタパタと音を立てて、列車が発車したことを知らせる。白線を猛スピードで追ってゆくように、様々な文字と数字が流れていたが、ピタリと止まった。
「――マキル行き、二十二時十七分……これね」
横へと流れている人混みを、リョウカは気にした様子もなく、縫うように入ってゆく。
「あたし、切符買ってくるわ」
残像が残るような列を横切ってゆくリョウカの後ろ姿を見送る。百九十七センチの長身のレン。対する彼女は百六十ぐらいだろう。相手が小さかろうと、自分の背丈なら十分目で追えるはずだった。
だが、見逃したのだ。いやどれが彼女なのかわからなくなった。流れていた人の群れは、全員がリョウカの顔をして、ポニーテールしたブラウンの長い髪をしていた。
「…………」
三百六十度見渡したが、ミラーハウスに迷い込んだように同じ。全てに銃弾を打ち込むべきなのか。濁流のようにホームからあふれ出てくるリョウカの群れ。彼女が脳裏にこびりつくようで、めまいが襲い始める。
惑わされてはいけない。ここは普通の駅で、歩いている人の姿形は、悪魔が見せた幻で、現実として存在は決してしていない。シャットダウンするために、目を閉じて……。
「――はい」
暗闇という水面に一石投じたような女の声が響き渡った。不浄が弾かれるように消え去ってゆくのが、まぶたの裏に見えた気がして、
「…………」
目を開けると、切符が一枚差し出されていた。
「ん」
お遣いご苦労と言わんばかりに、態度デカデカでレンは受け取り、先に歩いてゆく。リョウカは両方の手のひらを天井へ向け、降参のポーズを取った。
「目を閉じるなんて、何か見たくないものでもあったのかしら……?」
歩幅の大きな違いで、リョウカは急いで改札を抜けて、プラットホームへとあとを追いかける。
朝のそれぞれの家から出てきた孤独なラッシュアワーとは違って、友達や同僚などと一緒のはずの帰宅ラッシュ。
それなのに、話し声がまったく聞こえない。それどころか、構内放送も発車のベルも鳴り響かない、最終電車間近の駅だった。
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