化け物バックパッカー

オロボ46

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★化け物バックパッカーは、人間だったころのことを覚えていない。【後編】

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 男性がすべてを失った日。

 キッチンの前で、彼は猟銃を構えて震えてた。

 その震えの4割は恐怖で、

 3割は怒りで、

 5割は目の前で起きていることがまだ理解できないことへの理不尽さで。



 その猟銃の先には、オオカミの変異体が立っている。

 上半身ごと開かれた口を閉じるその足元は、



 赤い血の海だ。



 白い腕が、男性に向かって落ちていた。





「娘が今までお世話になりました」

 朝日が差し込むログハウスの中、トイレから出てきた老人に男性はお辞儀をする。
「あ……ああ、ところで、あの子は本当にあなたの娘さんで間違いないんだろうな?」
「はい。間違いありません。あの変異体に母親を殺され、娘が行方不明となったあの日から……今日の日が来ることを待っていました」
「……」
 老人はまだ何か引っかかっているのか、感慨に浸りまぶたを閉じている男性の前で首をひねっていた。
「そういえば、蝶野はどこに行きましたか?」
「あ、ああ、“タビアゲハ”……いや、蝶野さんは外に出ているが……」

 老人の言葉を最後まで聞かずに、男性は上機嫌に歩いて行った。






 朝日に照らされた草原。

 その周辺には、もうオオカミの気配はない。

 ログハウスの玄関の前で座り景色を眺めているのは、ローブの変異体だ。

 右腕の裾が元に戻っているが、これは変えのローブなのだろうか。

 風に揺れる草原を、フードの下の触角で見つめていた。

 後ろの扉が開き、ローブの変異体は反射的に顔を上げる。

 扉から出てきた男性は、彼女に向けて優しい笑みを浮かべる。

 ローブの変異体は、よそよそしく首をかしげた。



「父さんのこと、まだ思い出さないかい?」
 隣に座り込んだ男性に、ローブの変異体は口を開ける。
「ウン。アナタノ娘ッテ言ワレテモ……全然実感ガナイ」
 その声は震えているが、恐怖という感情ではなく、もともとこのような声帯のように感じられる。
「そうか、それは仕方ない。変異体になったものは人間のころの記憶を失うことがある。この辺をうろついている変異体のように理性を失うことだってある。しかし心配はいらない。父さんと一緒に暮らせば、きっと思い出せる」
 その言葉に、ローブの変異体は初耳だと言わんばかりにフードの下で触覚を出し入れした。
「……どうしたんだ?」
「エ、暮ラスッテ……コノ家ニ?」
 戸惑う変異体に、男性はやさしくうなずく。
「もちろんだ。母さんを失ったあの日、私はおまえが来る日をどんなに待ち望んでいたか――」

 男性がふと変異体を見ると、彼女は何かを考えているかのようにうつむいていた。

「――やっぱり怖い?」
「……ウウン」
「いや、正直に言ってもいい。父さんは変異体ハンターだったからな、変異体になった蝶野が怖がるのも無理はない」
「……」



 ローブの変異体は、草原の空気を深呼吸で取り入れる。

 そして、ゆっくりと不要な空気を口から吐き出した。

 言葉が不要な空気で詰まることを、防ぐために。



「私、旅ヲシテイルノ。コレマデモ、コレカラモ」

「……旅をするって……あのおじいさんと?」

「ウン。アナタト一緒ニイタ記憶ハナイケド、タブン、コノ姿ニナル前カラズット思ッテイタ。世界ヲ見テ周リタイッテ」

「そ、それじゃあ……」

「モシモ、本当ニ私ガアナタノ子供ダッタラ……ゴメンナサイ。モウ少シ、旅ヲサセテ。マダ見テイナイコトガ、イッパイアルカラ」

「……」

 今度は男性がうつむいてしまった。

「ネエ、私ガ人間ダッタコロッテ、ドウダッタ?」



 変異体の問いかけに、男性は少しだけ顔を上げた。



「ああ……君の言うとおりの……子だったよ」



 人間らしいその声の震え方から、真実を告げていないことが読み取れた。





 差し込む光が長く入り込む昼、

 ローブの変異体はリビングで出発の支度を始めた。

 慣れた手つきでバックパックの中身を確認し、黒い手がファスナーを閉じる。

 黒いローブの上に、黒いバックパックを背負う。

 触覚が見えないように、フードを深く被る。



 玄関には、支度を済ませた老人が立っている。

 反対側には、男性が立っている。

 変異体は、迷うことなく前者の方に向かった。

 玄関の前で再び振り返り、男性に向かって口を開く。



「イッテキマス。エット……トウ……サン……」

 言葉を間違えないように、ゆっくりと声を出す。

 その声に、男性は決心したようにうなずいた。



「ああ、いってらっしゃい」





 ログハウスから離れた草原の中、ふたりの人影が歩いていた。

「さて……またややこしくなったな」
 道なりに進む老人は、ローブの変異体を見て腕を組んでいた。
「ヤヤコシクッテ……名前ノコト?」
「ああ、名前が思い出せないと言うから、ひとまず“タビアゲハ”と呼んでいたが……あの男が言っていた“蝶野”という名前が本当の名前だとしたら、どっちの方で呼んだほうがいいんだろうな」
 ローブの変異体は悩む老人の顔をのぞき、笑みを浮かべた。

「ソノ顔、アノ人ガ本当ノ父親トハ思ッテイナイヨネ」

 老人は眉を上げた。といっても、衝撃を受けているわけではないようだ。
「……やはり、あの男はおまえの父親ではないのか?」
「ソレハヨクワカラナイ。本当ニアノ人ガ父親カモシレナイ。ダケド、アノ人ノ顔……自分ヲ思イ込マセヨウトシテイル顔ダッタ。何カヲ認メナイ代ワリニネ」
「ああ、そういうことか……」
「デモ、ソレトハ関係ナシデ、私ハ“タビアゲハ”ノ方ガイイナ。コッチノ方ガ、気ニ入ッテイルカラ」

 ローブの変異体こと、タビアゲハは歩きながらのびをした。





 ふたりが通った道の側の草むら。

 そこから、むくりと起き上がる姿があった。

 草むらに擬態していた、緑色のオオカミの変異体だ。

 それに続くように、周辺の草むらが起き上がり、姿を現すオオカミの群れ。

 その内、最初に起き上がったオオカミは、他よりも一回り大きかった。

 群れのリーダーとも思えるそのオオカミは、遠くなるふたりの後ろ姿を見て、

 真っ二つに分けた口で、何かをつぶやいた。



 ふたりが見えなくなると、群れのリーダーは振り返り、駆けだした。

 他のオオカミの変異体たちも、後に続いていく。



 その方向は、ふたりが向かった方向でも。ログハウスの方向でもなかった。



 先頭を走るリーダーの目は、輝いている。





 心配という名の首輪が、外れたかのように。
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