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4 ロンダリア
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幼少期は聖ファルムスの貧民街で過ごし、物心ついてからは聖女としての職務に追われていた。
そのせいだろう。世間知らずのシリカにとって、外の世界は新鮮だった。
山々や木々、自然の中に時々現れる人工物の看板や人家、時には商人や旅人たちとすれ違う。
それだけで妙な高揚感と、期待感を抱いた。
牧歌的な雰囲気に、シリカは少しずつ心が癒されるのを感じる。
数日前が嘘のようにシリカは笑顔を取り戻していた。
もちろん、忘れたわけではない。
半ば自棄になっている部分もあるが、それでも前を向こうとしていた。
そして出立から一か月が経過した。
初めての旅で疲労が凄まじかったが、愚痴も漏らさず、疲れを顔に出さなかった。
そんなシリカには、ここ数日で気になっていたことがある。
一週間ほど前まではすれ違う人たちに、活気があったように見えた。
足取りは軽く、仕事に熱心で、表情は活き活きとしていた。
だが、今はどうもそういったものがない。
農民は疲れた様子でふらふらと歩いているし、商人や旅人はほとんど見ない。
土地は荒涼としており、青々とした自然はほとんど見えず、岩々が視界を占めている。
風は乾いているし、妙に気怠さを感じるほどだ。
気温が高いわけではない。空気が淀んでいる、と言った方が近いだろう。
「なんだか様子が変ですね」
おもわず独りごちると、御者が肩越しに振り返りながら答える。
「もうロンダリアなんでね」
それはつまりロンダリアがそういう国である、と暗に言っていた。
国民に元気がない、そんな国なのだと。
ずっと教会の中で生きてきたシリカが、異国の情勢など知るはすもなく。
世間一般の常識がないのだから仕方がない。
聖女として活動するため、最低限の教養は得ているのだが。
「貧困国と聞きましたが、事実なのですか?」
「ああ。小国なため領土は少なく、観光地もない。市場も開かれてないため、商人や旅人を誘致できない。農業も畜産業も工業も盛んじゃないから、経済は滞っている。かなり貧乏な国だって噂だ。まあ、あんなことがありゃあな……」
あんなこと?
シリカがさらに疑問を口にしようとしたとき、御者が声を上げた。
「ほら、見えてきたぞ。あれがロンダリアの王都だ」
言われて窓から顔を出すシリカ。
遠くの方に小さな街が見えた。
そう、『街』であった。
一か月の旅の中で、何度も食料や必要品を街で買う機会があった。
シリカ自身はほとんど金銭を持ち合わせていなかったが、御者がすべて支払ってくれた。
教団の経費として賄える範囲内のことだったのだろう。
あるいはそうまでしてロンダリアへ嫁がせようとしているのかもしれない。
閑話休題。
その街と同程度の街。
それが目の前に見えている『ロンダリア王都』であった。
館のような小さな城が奥に見え、手前には百に満たない家屋が立ち並んでいるだけ。
聖ファルムス独立行政区の十分の……いや二十分の一程度の広さしかない。
「噂にゃ聞いてたが、本当にあれが王都なのか」
御者が驚くように呟き、慌てて言葉を紡いだ。
「い、いや、ま、まあ、うん。風情があって悪くないな」
明らかな誤魔化しと気遣いだった。
しかしシリカはそんな御者の言葉を気にしてはいなかった。
王都としては明らかに貧相であったが、シリカの内心に影響はなかった。
小さな安堵と不安、そして徐々に大きくなる期待感に胸を膨らませる。
(あれが私の住む場所!)
シリカは胸躍らせながら笑顔を浮かべ、愛しそうに街並みを眺めた。
数時間かけ、馬車は王都へ到着する。
王都であるというのに正門は小さく、三人ほどが横に並べるほどの幅しかない。
門が小さすぎて脇戸がないほどだった。
やる気のなさそうな門衛が一人。手入れのされていない槍とボロボロの鎧姿の初老の男性で、眠そうに半目の状態で立っていた。
門は開いた状態で、誰でも入れそうだった。
シリカは珍しそうに門衛や正門、防壁を眺め、感心したように「おー」と声を漏らしていた。
他に人の姿はなく、辺りはしんとしている。
王都周辺は平原が広がり、その奥に丘と森林があるだけで、見張り塔などはなかった。
御者が馬車を止めると面倒くさそうに近づいてくる。
「聖ファルムス国から陛下のご婚約者シリカ様をお連れしました」
「……通れ」
門衛に敬意も何もなく適当に返答した。
だらだらと門の横まで戻ると、先ほどと同じように佇んだ。
シリカが乗っているのは普通の馬車だし、賓客用としてはかなり見劣りがするのは間違いない。
しかし、本来君主の伴侶を迎えるとなれば、国を挙げて出迎えるべきだが、そんな素振りは微塵もなく町は平穏そのものだった。
御者が呆れたように馬車を進ませる。
正門近くの地面は石畳だったが、少し進むとすぐに土の地面に変わる。
どうやら舗装する金がなかったらしい。
左右には石造木造の家屋が立ち並ぶが、どれもボロボロで手入れがされていない。
大通り――実際は馬車二台分くらいの幅しかない――には、宿らしき建物が一つあるだけで他に店はないようだった。
シリカが遠目で見た感じでは、大通りの左右に一つ細い通りがあり、中央に川が流れているだけで、他に目立った部分はなかった。
路地裏には他に店があるのかもしれないが、それにしても少ない。
都内の就労者はどうやって身銭を稼いでいるのだろうか。
大通りには人がほとんどいない。
若者は片手で数える程度、大半は老人か初老の男女だった。
誰もが顔に覇気がない。猫背で笑顔なくとぼとぼと歩いている。
王都に住まう人々なのに服は簡素で、むしろ泥や土で汚れている人も散見された。
「こりゃ想像よりも酷いな」
思わず御者が言葉を漏らした。
シリカは興味深そうに辺りを見回していた。
(やっぱりみんな元気ないなぁ。疲労? いえ、それだけじゃないような……)
シリカは自分自身の感情よりも、周りの様子を気にした。
中心都市である王都がこの様子では、貧困国という噂は恐らく事実なのだろう。
少なくとも裕福には決して見えなかった。
馬車が大通りを進み、小城へとたどり着く。
近くで見ると余計に、城というより館のようだった。
外壁はところどころ剥がれ落ち、老朽化していることが見て取れる。
跳ね橋もなく、落とし格子もない。
外敵から身を守ることなど到底できない造りだった。
城の門衛に声をかけるとさっさと奥へと誘われる。
馬車は城の奥へと進み、中庭まで行くと止まった。
「ほら、着いたよ」
「ありがとうございます」
小窓越しに御者が言うと、シリカは笑顔で返した。
あまりに素直な反応だったからか、御者は気まずそうに顔を伏せる。
「感謝なんぞいらんよ。仕事だからな。それに……俺はあんたをこんな場所まで連れてきちまったんだから……むしろ恨み言の一つでも――」
「大丈夫です」
御者の言葉を遮るようにシリカは言った。
笑顔で、恨みも憎しみもなく、ただ純粋に頷いた。
御者は驚きを隠せなかった。
シリカが馬車から降りると出迎えの守衛たちが近づいてくる。
そんな中、御者も台から降り、シリカに向き直ると地面に跪いた。
シリカに傅くように祈り、そして一言漏らす。
「……あなたに聖神様のご加護があらんことを」
シリカは笑顔で大きく頷いて返す。
御者は苦虫を噛み潰したような顔で立ち上がる。
その顔は、何かの呵責に苛まれているように見えた。
しかしそれ以上は互いに何も言わない。
御者は無言で御者台に戻り、そして馬車を操り、去っていった。
「こちらです」
やる気がなさそうな守衛に導かれ、シリカは城の中へと足を踏み入れた。
その足取りは妙に軽かった。
そのせいだろう。世間知らずのシリカにとって、外の世界は新鮮だった。
山々や木々、自然の中に時々現れる人工物の看板や人家、時には商人や旅人たちとすれ違う。
それだけで妙な高揚感と、期待感を抱いた。
牧歌的な雰囲気に、シリカは少しずつ心が癒されるのを感じる。
数日前が嘘のようにシリカは笑顔を取り戻していた。
もちろん、忘れたわけではない。
半ば自棄になっている部分もあるが、それでも前を向こうとしていた。
そして出立から一か月が経過した。
初めての旅で疲労が凄まじかったが、愚痴も漏らさず、疲れを顔に出さなかった。
そんなシリカには、ここ数日で気になっていたことがある。
一週間ほど前まではすれ違う人たちに、活気があったように見えた。
足取りは軽く、仕事に熱心で、表情は活き活きとしていた。
だが、今はどうもそういったものがない。
農民は疲れた様子でふらふらと歩いているし、商人や旅人はほとんど見ない。
土地は荒涼としており、青々とした自然はほとんど見えず、岩々が視界を占めている。
風は乾いているし、妙に気怠さを感じるほどだ。
気温が高いわけではない。空気が淀んでいる、と言った方が近いだろう。
「なんだか様子が変ですね」
おもわず独りごちると、御者が肩越しに振り返りながら答える。
「もうロンダリアなんでね」
それはつまりロンダリアがそういう国である、と暗に言っていた。
国民に元気がない、そんな国なのだと。
ずっと教会の中で生きてきたシリカが、異国の情勢など知るはすもなく。
世間一般の常識がないのだから仕方がない。
聖女として活動するため、最低限の教養は得ているのだが。
「貧困国と聞きましたが、事実なのですか?」
「ああ。小国なため領土は少なく、観光地もない。市場も開かれてないため、商人や旅人を誘致できない。農業も畜産業も工業も盛んじゃないから、経済は滞っている。かなり貧乏な国だって噂だ。まあ、あんなことがありゃあな……」
あんなこと?
シリカがさらに疑問を口にしようとしたとき、御者が声を上げた。
「ほら、見えてきたぞ。あれがロンダリアの王都だ」
言われて窓から顔を出すシリカ。
遠くの方に小さな街が見えた。
そう、『街』であった。
一か月の旅の中で、何度も食料や必要品を街で買う機会があった。
シリカ自身はほとんど金銭を持ち合わせていなかったが、御者がすべて支払ってくれた。
教団の経費として賄える範囲内のことだったのだろう。
あるいはそうまでしてロンダリアへ嫁がせようとしているのかもしれない。
閑話休題。
その街と同程度の街。
それが目の前に見えている『ロンダリア王都』であった。
館のような小さな城が奥に見え、手前には百に満たない家屋が立ち並んでいるだけ。
聖ファルムス独立行政区の十分の……いや二十分の一程度の広さしかない。
「噂にゃ聞いてたが、本当にあれが王都なのか」
御者が驚くように呟き、慌てて言葉を紡いだ。
「い、いや、ま、まあ、うん。風情があって悪くないな」
明らかな誤魔化しと気遣いだった。
しかしシリカはそんな御者の言葉を気にしてはいなかった。
王都としては明らかに貧相であったが、シリカの内心に影響はなかった。
小さな安堵と不安、そして徐々に大きくなる期待感に胸を膨らませる。
(あれが私の住む場所!)
シリカは胸躍らせながら笑顔を浮かべ、愛しそうに街並みを眺めた。
数時間かけ、馬車は王都へ到着する。
王都であるというのに正門は小さく、三人ほどが横に並べるほどの幅しかない。
門が小さすぎて脇戸がないほどだった。
やる気のなさそうな門衛が一人。手入れのされていない槍とボロボロの鎧姿の初老の男性で、眠そうに半目の状態で立っていた。
門は開いた状態で、誰でも入れそうだった。
シリカは珍しそうに門衛や正門、防壁を眺め、感心したように「おー」と声を漏らしていた。
他に人の姿はなく、辺りはしんとしている。
王都周辺は平原が広がり、その奥に丘と森林があるだけで、見張り塔などはなかった。
御者が馬車を止めると面倒くさそうに近づいてくる。
「聖ファルムス国から陛下のご婚約者シリカ様をお連れしました」
「……通れ」
門衛に敬意も何もなく適当に返答した。
だらだらと門の横まで戻ると、先ほどと同じように佇んだ。
シリカが乗っているのは普通の馬車だし、賓客用としてはかなり見劣りがするのは間違いない。
しかし、本来君主の伴侶を迎えるとなれば、国を挙げて出迎えるべきだが、そんな素振りは微塵もなく町は平穏そのものだった。
御者が呆れたように馬車を進ませる。
正門近くの地面は石畳だったが、少し進むとすぐに土の地面に変わる。
どうやら舗装する金がなかったらしい。
左右には石造木造の家屋が立ち並ぶが、どれもボロボロで手入れがされていない。
大通り――実際は馬車二台分くらいの幅しかない――には、宿らしき建物が一つあるだけで他に店はないようだった。
シリカが遠目で見た感じでは、大通りの左右に一つ細い通りがあり、中央に川が流れているだけで、他に目立った部分はなかった。
路地裏には他に店があるのかもしれないが、それにしても少ない。
都内の就労者はどうやって身銭を稼いでいるのだろうか。
大通りには人がほとんどいない。
若者は片手で数える程度、大半は老人か初老の男女だった。
誰もが顔に覇気がない。猫背で笑顔なくとぼとぼと歩いている。
王都に住まう人々なのに服は簡素で、むしろ泥や土で汚れている人も散見された。
「こりゃ想像よりも酷いな」
思わず御者が言葉を漏らした。
シリカは興味深そうに辺りを見回していた。
(やっぱりみんな元気ないなぁ。疲労? いえ、それだけじゃないような……)
シリカは自分自身の感情よりも、周りの様子を気にした。
中心都市である王都がこの様子では、貧困国という噂は恐らく事実なのだろう。
少なくとも裕福には決して見えなかった。
馬車が大通りを進み、小城へとたどり着く。
近くで見ると余計に、城というより館のようだった。
外壁はところどころ剥がれ落ち、老朽化していることが見て取れる。
跳ね橋もなく、落とし格子もない。
外敵から身を守ることなど到底できない造りだった。
城の門衛に声をかけるとさっさと奥へと誘われる。
馬車は城の奥へと進み、中庭まで行くと止まった。
「ほら、着いたよ」
「ありがとうございます」
小窓越しに御者が言うと、シリカは笑顔で返した。
あまりに素直な反応だったからか、御者は気まずそうに顔を伏せる。
「感謝なんぞいらんよ。仕事だからな。それに……俺はあんたをこんな場所まで連れてきちまったんだから……むしろ恨み言の一つでも――」
「大丈夫です」
御者の言葉を遮るようにシリカは言った。
笑顔で、恨みも憎しみもなく、ただ純粋に頷いた。
御者は驚きを隠せなかった。
シリカが馬車から降りると出迎えの守衛たちが近づいてくる。
そんな中、御者も台から降り、シリカに向き直ると地面に跪いた。
シリカに傅くように祈り、そして一言漏らす。
「……あなたに聖神様のご加護があらんことを」
シリカは笑顔で大きく頷いて返す。
御者は苦虫を噛み潰したような顔で立ち上がる。
その顔は、何かの呵責に苛まれているように見えた。
しかしそれ以上は互いに何も言わない。
御者は無言で御者台に戻り、そして馬車を操り、去っていった。
「こちらです」
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その足取りは妙に軽かった。
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