運命の君

沢渡奈々子

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初めての……

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 朝──とは言ってもすでに十時を過ぎていたが、蒼が目を覚ますともう鳴海はそこにはいなかった。蒼はきちんとパジャマを身につけており、昨夜鳴海が使った避妊具は跡形もなくなっていた。おそらく本人が持って帰ったのだろう。
「ゴミ箱に……入れていけば、よかったのに……律儀なやつ」
 身体を見ると、あちこちに鳴海がつけた跡がある。しかし結局、鳴海は最後まで蒼のうなじに口をつけることは一度もなかった。
(当たり前だよな。もう番がいるんだから。あれ、でも番がいても他のオメガとセックス出来るんだ。これって浮気になっちゃうのかな)
 身体には未だ昨日の感触が残っている。鳴海はとても優しくて、それでいてその瞳はとても熱っぽかった。蒼が痛い思いをしていないか、つらくないか、気を遣ってくれた。
 鳴海に一度でも抱いてもらえたら思い残すことはないかも知れない――そう思っていたが、そんなことはなかった。全身を覆い尽くす虚無感は、今の蒼にはとてもきついものだ。唯一嬉しかったのは、初体験を鳴海と迎えることが出来た──それだけだった。
 幸せなのに、悲しい。こんな複雑な感情、今まで知らなかった。
 そしてもちろん、発情期の真っ只中であるので、昨日散々したというのに欲求はまだまだ満たされてない。しかし、蒼の心の中はそれ以上に何かが足りなかった。
 荒らげ始めた息を持て余しながら、蒼は携帯電話を探した。そして鞄の中から一枚のレシートを取り出し、そこに書かれた番号をダイヤルした。数回のコールの後、
『――もしも~し』
 蒼の気分とは真逆な、脳天気な声が耳に飛び込んで来る。
「あ……、の……俺……」
『――もしかして、蒼ちゃん? ヒートだったりする?』
「う、ん……」
 声だけで分かったのか、小野塚がすべてを悟ったように少し声音を変え、
『……悪いけど、俺遠慮しないよ?』
 と、蒼に念を押した。
「い、いよ……早く、来てよ……」
 電話を切った後、テキストメッセージで住所を送り、蒼は昨日のようにひたすら耐えて待った。
 思いの外近くにいたらしく、その後二十分ほどで蒼の携帯が鳴った。
【家の前に着いたよ~。入っていい?】
 蒼は震える手で【うん】とだけ打った。自分の部屋の場所が分かるだろうかと思ったのだが、小野塚は迷うことなく蒼の部屋の前まで来て、ノックをして入って来た。
「はろ~。……って、蒼ちゃん、バリバリ発情期だねぇ。部屋の外までフェロモン流れて来てたから、すぐ蒼ちゃんの居場所分かっちゃった。あっぶないよ? アルファとかベータに狙われちゃうよ?」
 ま、俺もそのアルファの一人だけどさ、と、小野塚は笑って言った。
「ぜんぎ、とか……いい、はやく、いれて、よ……っ」
「ったく、蒼ちゃんは幼い顔してせっかち淫乱ちゃんだねぇ」
 責めるような口調だが、当の本人はキラキラと目を輝かせ、蒼の痴態を眺めていた。それから、蒼が包まっている布団を足の方から軽くめくって覗き込んだ。
「……っ、」
「わ、もうびちょびちょじゃん」
 蒼はパジャマを着ていたが、ズボンは既に蒼から溢れ出る粘液でしとどに濡れていた。
「はつ、じょうき……だから……しょ、がない……はぁ……は、はやく……っ」
「まぁまぁ、慌てないの。せっかくだから蒼ちゃんの挿入たくて挿入たくてしょうがない、っていう顔をもう少し堪能させてもらうねぇ」
 小野塚は舌なめずりをしたかと思うと、もどかしそうに動きまわる蒼のパジャマのボタンを外した。
「へぇ……もう誰かとやっちゃったんだぁ。蒼ちゃんもう処女じゃないんだねぇ……ちょっとだけ残念」
 蒼の身体に散らばる赤い跡を目にして、小野塚はくすりと笑った。誰ととは聞かなかったが、おそらく匂いで相手が誰かは分かっているだろう。
「かあわい~、ここもしっかり勃ってるねぇ」
 震える胸の先端をカリカリと爪で引っかかれ、蒼は身体を跳ね上げた。
「ひぁ……っ、あ、あ……」
 今まで自分で触れたところで何とも思わなかったその部分を小野塚に弄られ、それだけで達してしまいそうなほど敏感になっている蒼の身体。これがオメガの発情期なのだと思い知らされる。この先、こんな甘い地獄と何度つきあっていかなければならないのか。
「あー楽しい。やっぱり発情期のオメガっこはたまらないわ」
 小野塚は頭の周りに八分音符を飛ばし、蒼の身体を拓いていく。
「んあぁっ、はぁ……や……だぁ……」
 蒼の口からは快楽の悲鳴が上がる。
(好きな人、じゃ、ないのに……っ、声が、とまらない……)
 発情期のオメガはそれを抑える術を持たない。ましてや、相手はおそらく百戦錬磨と言ってもいいアルファの小野塚だ。あの手この手で蒼の身体を弄び、反応を楽しんでいる。
「ああっ……くぅ……!!」
 下半身にはほとんど触れられてはいないのに、蒼は気をやってしまった。しかし一度や二度吐精したところで収まらないのがこの時期のオメガで。蒼の中心は未だに萎えることなく、硬度を保っていた。
「じゃあ、そろそろ俺も一緒に気持ちよくなろうっと」
 そう言うと、小野塚が自分の服に手をかけた。と同時に、蒼の部屋のドアが音を立てて開いた。
「……今度は同意の上だけど?」
 ちらりと振り返って相手を確認した後、小野塚が興醒めしたように言った。視線の先では、若干顔色を悪くした鳴海が息を弾ませている。
 上半身に気持ちばかりパジャマを羽織っただけのほぼ全裸の蒼を目の当たりにし、鳴海は絶望したように表情を暗くした。
「末永……本当に?」
「そ、だよ……お、れが、さそ……たん、だ……」
 震えながらそっぽを向く蒼を見て鳴海は更に顔を歪めた後、くちびるを引き結び、小野塚に深々と頭を下げた。
「恵斗、頼む。今日はこのまま帰ってくれないか。お願いだ」
 小野塚がその姿を見て目を見開く。
「びっ……くり。凛が俺に頭下げるとか天変地異の前触れ? ……ま、いいや。今日はその珍しい姿に免じて帰るわー。しょうがない、誰か呼んでラブホ行こ~っと」
 基本的に【来るもの拒まず去るもの追わず】の後腐れのない関係性を好むのだろう、小野塚は案外あっさりと鳴海の願いを聞き入れ、脱ぎかけた服を元に戻した。
「え、あ、ちょ……」
「蒼ちゃん、楽しかったよ。次があったら、その時は絶対最後までしようねぇ。じゃね~」
 ひらひらと手を振り、小野塚は蒼の部屋を出て行った。
「はぁ……な、るみ……ど、して……じゃま、する、の……」
 鳴海は部屋を見回した。ファスナーが開きっぱなしのスクールバッグの中に、抑制剤が散らばっているのが見える。鳴海はその中から緊急抑制剤を手にする。そして蒼の頬を掴み、薬を摘んだ指を無理矢理突っ込んだ。
「や……っめ……!」
 蒼は抵抗して鳴海の指に噛みつく。耳に障る音がして鳴海が一瞬眉をひそめるが、そのまま指を引き抜く。すかさずペットボトルの水を口元に持っていくが、蒼は顔を背けて拒否をする。考えた末に、鳴海はそれを自らの口に含んでから蒼の頬を両手で挟み、くちづけた。
「ん……」
 皮肉にも、これが蒼と鳴海の初めてのくちづけだった。
 口内に入ってくる鳴海の熱い舌を感じ、抵抗出来ずに次第に力が抜けていく蒼。彼が水とともに薬を飲み干すと、鳴海はくちびるを離し蒼を抱きしめた。荒かった息が徐々に落ち着きを取り戻す。その間も鳴海は蒼を離さなかった。
 薬が効き、蒼の発情が収まった頃、
「末永……もししたくなったら俺がするから。頼むから自暴自棄にだけはならないで。恵斗なんかと寝たら食い物にされてしまう」
 切なげに眉根を寄せたまま、鳴海は蒼にパジャマを着せていく。
(どうして? どうしてそういうこと言うんだよ……)
 もう嫌だ。こんなに優しくてこんなに残酷なやつ、どこにもいない。こんなに俺の心をかき乱すやつは、この世で鳴海だけなのに……! どうして……どうして俺のものじゃないの?
 蒼は声にならない叫び声を上げる。そして鳴海の胸元に縋りつき、最後に絞り出した。
「な、鳴海にはもう番がいるじゃん! 俺のものになってくれないじゃん……! それなのに、それなのに、なんで……? なんでこれからも俺を抱くなんて言うんだよ!」
(鳴海が俺の番じゃないのなら、俺はもうどうだっていいんだ。昨夜きのうのことを一生大切に胸にしまって生きてくって、今決めたんだから)
 新しい涙がすぅっと蒼の頬を伝った。
 すると鳴海は慌てたように蒼を引き剥がし、確認するようにその瞳を見据えた。
「ちょ、ちょっと待って末永。俺に番がいるって、どうしてそんなことになってるの? 確かに学校でそう言ってるけど、それはフェイクだって、末永も知ってるよね?」
「だ、だって、鳴海が去年出会ったオメガの女の子と番になった、って、小野塚さんが……。ツーショの写真も見た、って」
 鳴海の勢いに狼狽え、言い訳のように呟く蒼。鳴海は押し黙り、目を閉じて俯いた。何かを思案しているようだ。そして「は……」と声を上げ、再び蒼をぎゅ、と抱きしめた。それは先ほどよりも強く、もう逃さないと言ってるようだった。
(やめろよ……嬉しいけど、この腕は俺のものじゃないのに)
 突き放そうとしても力が入らず、後から後から溢れる涙をそのままにしていると、上の方から大きく息を吸う音が聞こえた。
「――末永、それは……恵斗の勘違いだよ。そのオメガの女の子と番になったのは、俺の姉」
 鳴海の放った言葉は、瞬時に蒼の頭の中を真っ白にした。その意味を理解するのに、時間がかかった。少しずつ蒼の頭に彩りが戻り、そして総天然色になった頃、
「お、ねえ……さん……」
 蒼がぽつりと漏らした。
「もしかして、俺に番がいるって思ったから俺のこと避けてたの?」
 必死さを反映した瞳に間近で見つめられ、どうしても目が逸らせない。その後「そうなの?」と念を押され、蒼は頬を涙で濡らしたまま、観念して頷いた。
「そっか……俺はてっきり嫌われたのかと思って、かなり落ち込んでた。あのね末永、俺の姉も、兄もだけど……俺たち兄弟はみんなアルファで、姉は去年の夏に旅行先で番の子と運命的に出会ったんだって。旅行中にはもう番になったらしいよ。来年、姉が大学を卒業したら一緒に暮らすって言ってた。うちに挨拶に来てくれた時に確かに一緒に写真は撮ったけど、ただの家族写真みたいなものだよ。俺は恵斗に見せた覚えはないけど、誰かが見せた時に情報が間違って伝わったんだと思う。
 そもそも恵斗の家と俺の家とは親戚とは言ってもそんなに近しい間柄じゃないから、親しくもないし滅多に話すこともないし。学校が一緒になったから少し話すようにはなったけど」
 鳴海はジーンズのポケットから携帯電話を取り出し、誰かからのメールに添付されていた写真を見せた。鳴海と一緒に可愛らしい女の子が写った、自撮り画像だった。そこにいた鳴海は普段周囲に見せている、少し困ったような優等生スマイルをしていた。
「これが姉の番の子。多分、恵斗はこの写真を見たんだと思う」
 と、鳴海が指差す。そして、画面をスクロールして、
「これが姉」
 女性二人が一緒に写った写真を見せて指差した。番の彼女と一緒に写っていたのは、鳴海に似たとてもきれいな女性だった。
 普段あまり多くを語ることのない鳴海が、一生懸命蒼に言葉を紡ぎ出している。鳴海のくちびるからそれが溢れるたびに、氷が溶けるように蒼の心が柔らかくなっていく。
 いつの間にか、蒼の涙は止まっていた。
「じゃあ……鳴海にはまだ番はいない……の?」
 蒼は鳴海の顔を見上げて探るように尋ねる。
(少しだけ、ほんの少しだけ、期待していいかな――欲しい答えが返って来るって)
 鳴海は輝きを取り戻しつつある蒼の瞳を見つめ、その壮絶な美貌をくしゃりと歪めた。
 そんな泣きそうな顔してもカッコイイよな──と、蒼はほんのちょっとだけ悔しくなった。少しの静寂しじまの後、鳴海は声を揺るがせ、
「――俺の番は……末永しかいないよ。好きだよ。毎日毎日、俺のすべてが末永を欲しいって訴えてる。泣きたくなるくらい、末永……蒼を愛してるんだ」
 切なさを内包した声音で告白した。吐き出した言葉がまっすぐ蒼の中に入り込み、身体中のオメガ因子を捉えて離さない。
 蒼の身体が歓喜で震えた。
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