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2章 バイト先で偶然出逢わない
2章26 福市 穏佳 ①
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ドロリと溶けた視界――
自分が今どんな状態にあるかもわからずに、壁に凭れたままフェリペはそんな絵が見えるということだけを認識していた。
自分が今壁に凭れているということも当然わかっていない。
(な、なにが……?)
起こったのか――
バラバラに繋がりを断たれた記憶と認知の整合性を取り戻そうとする。
スパイである自分たちの身の安全に不安を覚え。
仲間であるシェキルと言葉を交わし。
そうしたら足元にペンが転がってきて。
それを拾うように日本人に頼まれた。
そして上体を折ってそれを掴み顔を上げたら――
(――ッ⁉ スタングレネードじゃない……ッ)
突然強い衝撃を受けて視界が真っ白になり、意識がとんだ。
あまりに一瞬で意識が混濁したのでそのように錯覚したが、そうではない。
自分は打撃を受けたのだ。
そう認識したら、ダラダラと垂れた鼻血が顎を伝って落ちていく感触にも気が付いた。
意識と思考がハッキリとしてくる。
(シェキルはどうなった……)
それから仲間の安否のことに思い至った時、またさらに気が付く。
(――ッ⁉)
冷たい無貌の瞳の灯った蒼銀が、自身を見下ろしていることに。
その蒼に熱は無い――
「――サイコメトリーの正しい使い方……?」
今しがた言われたことを、ジャスティーヌ・ミラーは口の中で反芻する。
それを言った本人である日本人の男はまるでミラーから興味を失くしたかのように顔を背け、何も答えない。
彼が身体を向けたのは、壁に凭れているブラジル人の隊員だ。
スパイ認定をされ暴行を受けてグッタリとする男。
その男の前に立った弥堂 優輝は魔眼を蒼く光らせた。
【根源を覗く魔眼】――
――魔素や魔力の動きを視覚化出来る“加護”。
弥堂のそれはさらに特別で、人間には知覚出来ない――どころか、その存在すら知られていない霊子という最小物質を観測出来る。
霊子とは全ての物質の根幹となるモノで、この『世界』でカタチを得る為に『世界』から分け能えられたモノだ。
霊子に様々な不純物が結びつくことで物質化し、それらが集まって物体となり、存在することになる。
その存在がどのようなカタチになるかと規定する設計図がある。
それが“魂の設計図”だ。
生物でも非生物でも、どんな存在にも必ずあるその霊子で編まれた設計図を弥堂は視ることが出来る。
つまり、それが弥堂の云う「魂が視える」ということの意味だ。
ちなみに、その“魂の設計図”はただカタチが視えるだけで、そこに何が書かれているのかという詳細な意味は弥堂には読み取れないし理解出来ない。
そして書き換えるなどということも当然出来ない。
だが、憶えることは出来る。
他人の“魂の設計図”が視えるように、弥堂には自分自身の“魂の設計図”も視える。
他人のものは読み解くことは出来ないが、自分のモノは少しだけそれが出来る。
その最たる例が“記憶”だ。
弥堂は自身のこれまで見聞き知覚し経験した全ての出来事物事を、自身の“魂の設計図”に蓄積された記憶部分の記載を視ることで、正確に思い出すことが出来るのだ。
たまに自分が何を憶えているのかが認知上から外れて忘れてしまうことはあるが、思い出そうとしさえすれば100%の精度で必ず思い出せる。
それが弥堂の記憶能力の仕組み。
忘れないではなく、思い出せる能力。
それは思い出そうとしなければ忘れることもあるという意味だ。
何年も前の出来事を全て常に認知上に並べておくことは不可能なので、何を思い出せばいいのかわからなくなったり、思い出そうと発想出来ない時もある。
それは弱点だとも云える。
しかし、たった数日前の出来事なら話は別だ。
弥堂は魔眼に映った“魂の設計図”と、3日前の5月2日に目撃した“魂の設計図”を照合して、完全に一致すると判断した。
先程弥堂が不意打ちを仕掛けて無力化したこのブラジル人の男には見覚えがある。
正確には彼の“魂の設計図”に。
5月2日の希咲 七海との偽デート中――
カフェで食事をしている際に妙な外国人がテーブルに乱入してきた。
恐らくイタリア人だと思われるその男は、通りの方から仲間に呼ばれて立ち去って行った。
その男から弥堂は自身にも馴染みの深い“戦争のニオイ”を感じとった。
仲間と合流した男が立ち去っていく際に、弥堂は視た。
雑踏に紛れながらその男たちの集団にバラバラに着いていく同じニオイのする連中を。
その時に、そいつらの“魂の設計図”を一つ一つ全て憶えておいたのだ。
全て今この時のために――
――では、当然ない。
偽デートの前日に、行きつけのBARで『外人街が美景に傭兵団を呼び込んだ』という情報を買った。
たまたまそれっぽいのを見かけたから何となく憶えておいただけだ。
街で彼らを見掛けた時には現在従事中の仕事を受けてもいなければ、清祓課や“G.H.O.S.T”に“賢者の石”のことを知りすらしていなかった。
だからそれらは――
(――運がよかったな)
――ただそれだけのことだ。
しかし、それはそれとして――だ。
弥堂はスパイをジロリと見下ろす。
これもまた当然のことだが――
弥堂には彼らがスパイだということを証明する物的な証拠の持ち合わせなどはない。
日本とアメリカが共同で要人を海外のテロリストから守るという状況。
外人街が傭兵団やカルトを呼び寄せたという情報。
ほんの数日前に外人街の近くでそれっぽいヤツらを視たという人証。
そのそれっぽい連中が“G.H.O.S.T”の中に居たという情状。
全てはこれらを踏まえた上での状況証拠で、推測に過ぎない。
そう考えられる可能性は高いが、そうでない可能性もそれなりに残る。
先程ミラーによって否定はされたが、彼らが何らかの“G.H.O.S.T”の任務を負って外人街近くにいた可能性だってあった。
だが――
(本当に運がいい)
仮に彼らが全くの潔白だったとしても、そんなことは弥堂には全く関係がない。
目の前にスパイのレッテルを貼れる人間が居て――
そう出来るだけの材料があって――
そうすることで自身の得になるのなら――
(――手柄にしない理由はない)
魔法少女を巡る悪魔との戦争が終わった後、弥堂はすぐに次の戦いを考えた。
戦争が終わっても必ず次の戦争が始まる。
異世界でそれを学んだ。
魔王級に匹敵する強力な“神意執行者”――
それが水無瀬 愛苗という存在であり、この世界における彼女の価値だ。
各国家や権力組織が放っておくわけがない。
彼女を害そうとするモノ、それから彼女を取り込み利用しようとする全てのモノから彼女を守る。
それが弥堂の目的なわけだが、初っ端から全世界を相手に敵対をすることは流石に避けたい。
だが、それらに恭順をしないということは敵対をするということだ。
最終的には人類を皆殺しにすることにもしかしたらなってしまうかもしれないが、それは最終選択で最終決戦だ。
そこに至るまでの間、一時的にいずれかの国や組織に属することも当然選択肢として考えている。
仮にそうするのならば、その相手はなるべく一番強いモノが望ましい。
そして、なるべく弱くない立場を得られることが望ましい。
アメリカという世界一の大国。
その国の機関である“G.H.O.S.T”。
人材不足で野心があり、そこにつけ込める。
うってつけの寄生先だ。
オカルト関連では他の国の組織の方が古く強いのかもしれない。
だが、そういった組織は現状戦力で事足りているとも謂える。
そこに身を寄せても自分たちの立場は弱くなり、いいように使い潰されるのが関の山だ。
サイコメトリー程度の能力者が指揮官になれるのなら、“G.H.O.S.T”の方が芽がある。
そういった超常現象を扱うウラの組織同士で抗争をすることがあるのかはまだわからない。
だがオカルトを世界ぐるみで秘匿している以上は、それらの組織の力関係がオモテの社会に強く影響することはそれほど無さそうにも見える。
でなければ、オカルト後進のアメリカが世界トップになることはないし、それを維持することも出来ないはずだ。
アメリカで成り上がれれば、いざとなれば愛苗の力を使ってホワイトハウスを物理的に乗っ取り、世界中に核ミサイルを落としてやることだって出来るだろう。
2、3国ほど焼いてやれば多くの国が素直になるはずだ。
仮に核を撃ち返されたとしても、愛苗の魔法でならどうにかなるだろう。
もちろんそれを行う時には、愛苗を騙し彼女の力を利用することになる。
だが、それは彼女を守るための行いなので無条件に正当化される。
彼女を守ることが目的であり、その為にすることであるのならば、弥堂の行いはどんな非道な行為も全て正しいことになるのだ。
少なくとも弥堂はそう考えている。
故に、ここでスパイを仕立て上げて自身の有用性を示すのは、愛苗を守る為の営業活動になる。
(始めるか)
アメリカンビッグドリームを信じた愚かな日本の若者は、見覚えのある“魂の設計図”を映した瞳の魔力を私利私欲でギラつかせた。
「おい、銃口の向ける先を間違えているぞ――」
チラリと部屋の奥へ眼を遣り、そう声をかける。
今も弥堂へ銃を向けたままだった武装隊員たちは逡巡し、ミラーを見た。
ミラーもやはり少々逡巡し、だが彼らへ頷いた。
そして、弥堂へ向けられていた銃口が下ろされる。
それを見て弥堂は「ふん」と鼻を鳴らし踵を返す。
目を茫洋とさせたままのフェリペに向きなおると同時に、彼の顔を横から蹴りつけた。
「おい、いつまで寝たふりをしている。クズ野郎」
「――グッ……⁉ ガッ……!」
靴裏を何度も彼に叩きつけながら尋問を開始した。
「ヤ、ヤメロ……ッ!」
「あ? テメエ今なんつった? 何で俺に命令をした? お前は誰だ?」
手を突き出して制止しようとしてくるフェリペを弥堂はさらに蹴りつける。
「グッ⁉ な、なんでコンナ……ッ⁉」
「『なんで』? 今『なんで』と言ったか? 何勝手に俺に質問してんだ? 質問をするのは俺だ。常にな」
「ギッ……⁉ ギィァ……ッ!」
「お前は俺の聞いたことに馬鹿みたいに『YES』とだけ答えればいいんだ。お前が質問をするな。立場を弁えろ」
「だ、だがッ……、オマエは質問ナンテ……ッ!」
「テメエが邪魔をするからだろ? お前俺をナメてんのか? あ?」
「グァッ⁉ だ、だったら早く、質問をシロォ……ッ!」
因縁をつけながら暴行を続ける弥堂に堪らずに、フェリペはそう叫ぶ。
その瞬間、弥堂の暴力はピタっと止んだ。
「おい、エマ。聞いたな? こいつの方から『尋問をしてくれ』と頼んできたぞ。仕方ないから俺がやってやる。ちゃんとそう記録しておけよ」
「…………ッ」
横目だけ振り返らせ秘書官のエマにそう命じるが、彼女は信じられないものを目の当たりにしたかのように茫然と目を見開いていた。
弥堂は彼女の返事になど関心を持たず、フェリペへ向き直る。
「さて、『なんでこんなことをする?』、お前はそう言いたかったのか?」
「ソ、ソウダ……ッ! 何故いきなり、こんな――」
「――あ? 知るかよ。なんでテメエは俺に殴られてんだ?」
「ハ……?」
「俺に殴られるようなことしてんじゃねえよ。ケンカ売ってんのかクソ野郎」
「な、なんだと……ッ⁉」
飛びかけていた意識がハッキリとしてきて、フェリペは必死に気を落ち着かせようとしていた。
だが、目の前の男の物言いに余計に動揺する。
フェリペには自分がスパイである自覚がある。
だから尋問を受けることになった際の覚悟や心構えのようなものはあった。
だが今自分が受けているものは、想定していた正規の軍や警察組織が行うような類の尋問ではなかった。
まるでチンピラやマフィアのようなやり口。
そうでなければゲリラ軍だ。
「おい、この野郎。お前なにか心当たりがあるんだろ? それを自分で言ってみろよ」
「な、ない……ッ! オレはナニも……ッ!」
「あ? じゃあなんで俺に殴られてんだよ。俺が悪いってのか? ナメてんだろテメエ」
「そ、そんなこと言われテモ――」
「――うるせえんだよ」
「ガッ――」
弥堂は再び相手の顔面に拳を打ち付ける。
先程のように芯を打ち抜いて意識を奪うような打ち方ではなく、ただ痛みを残すためだけの打撃だ。
「や、やめなさいマッドドッグッ!」
我にかえったミラーが厳しい声を発する。
弥堂は気だるげに首を動かして彼女を視た。
その異なる瞳に視つめられると、ミラーは怯んでしまう。
「なにしてんだお前?」
「え……?」
「さっさとこっちに来い」
「な、なんですって……?」
「早くここに来てこいつの手を取れ。能力で読めよ」
ミラーは少し迷い、弥堂の言葉に従う。
このまま彼の違法な行為を許すよりも、自分が参加して尋問を行った方が遥かにマシだと考えたからだ。
フェリペの前でしゃがみこんで拳を握っている弥堂の隣まで行き、ミラーも膝を床に着けようとする。
弥堂は左手でフェリペの右手をとった。
「な、なにを……?」
まるで恋人が手を繋ぐようにして掌を合わせて指を絡める。
その様相を見てミラーが眉を顰めた瞬間――
弥堂は【身体強化】の刻印を起動させた。
フェリペの指の付け根に押し当てた自身の指を彼の拳の間に捻じ込みながら手首を返す。
そうしながら魔術で強化された力で無理矢理握りこんだ。
「――ギャァァァァ……ッ⁉」
パキっという渇いた音が絶叫に掻き消される。
真ん中3本の指を強引にヘシ折った。
弥堂は素早くその手を離して次に手首を掴む。
フェリペの親指の付け根の自身の親指を押し当てながら手首の返しと共に強く握りこんで手首も折った。
今度は絶叫しかミラーの耳には聴こえなかった。
「掴め」
「…………」
弥堂に命じられてミラーは目の前に差し出されたモノを見る。
支えを失ってプラプラ揺れる手。
指は半分以上があべこべな方向を向いている。
「早くしろ」
もう一度命じられて、ミラーは呆然としたまま従ってしまった。
(ダニーの言った通りだな)
その様子を視ながら弥堂は心中で呟く。
指揮官からしてこれだ。
どうやら本当に人間同士の修羅場には慣れていないらしい。
正気に返られても面倒なので、さっさと進めることにする。
「おい。お前スパイだろ?」
「チ、チガウ……ッ!」
(へぇ……)
“G.H.O.S.T”の体たらくとは対照的に、フェリペは突然大した理由も告げられずに骨を折られても、それでもしっかりと答えを返してくる。
相手の方がよっぽど場慣れしている――弥堂はそう見積もった。
そして、もう一度顔面を殴りつける。
「グァ――ッ⁉」
「嘘吐いてんじゃねえよ。ジャスティン、読め」
「え――」
ミラーは反射的に能力を使った。
そして――
「……激しく動揺しているわ」
その判定を聞くとともに、弥堂はもう一度フェリペを殴る。
「おい、テメエ。なに動揺してんだ。嘘吐いてるからだろ? 疚しいことがあるんだろ? どうなんだ?」
「ま、まちなさい……ッ!」
問答になっていない弥堂の尋問にミラーが口を挟んだ。
「こんなやり方じゃ感情を読んだって……!」
「ソ、ソウダ……ッ! いきなりこんなことサレたらダレだって動揺スル……ッ! オレにはナニがナンだかワカラナイ……ッ!」
すると、それにフェリペが便乗してくる。
弥堂は「ちっ」と舌を打って、そしてまた彼を殴った。
「マッドドッグ!」
「うるさい黙れ」
「彼の言うとおりよ! こんなに動揺させた状態じゃ嘘かどうかなんて判定できないわ!」
「嘘の判定など必要ない」
「え?」
「いいから黙って見てろ。能力は解除するなよ」
「ア、アナタ一体なにを……」
ミラーへはそれ以上何も言わず、弥堂はフェリペの胸倉を掴んで首を絞める。
「おい。貴様スパイじゃないのか?」
「チ、チガウッ! 頼む! 信じテクレ……ッ!」
「いいぞ」
「え?」
「信じてやると言ったんだ。どうだ? 俺は優しいだろ?」
温度の無い蒼い瞳、動かない表情のまま、弥堂は口の端だけを不自然に持ち上げて見せた。
わけもわからずフェリペは釣られて愛想笑いを浮かべてしまう。
すると――
「笑ってんじゃねえよクズ」
「グァッ――」
弥堂は胸倉を掴んだ手で叩きつけるようにしてフェリペを壁にぶつけた。
「スパイじゃないんなら貴様は裏切者だ」
「グッ……、な、なにを言っテ……⁉」
「おい。裏切っただろ? 言ってみろ」
「ぅぐッ……! チ、チガウ! オレは裏切ってなんか――」
「あ? じゃあやっぱりスパイじゃねえかこの野郎」
「ビギィッ……⁉」
弥堂はまた暴行を再開する。
「マ、マッドドッグッ! アナタなにを言っているの⁉」
「手を離すな。サイコメトリーは?」
止めようとしてくるミラーに弥堂はあくまで事務的に判定を問う。
「感情は変わってない! こんなに乱れた状態じゃ――」
「――そうか。どうでもいい。おい、裏切者。覚悟は出来ているんだろうな?」
「マ、マテッ! 話をキケ……ッ! オレは裏切ってナイ……!」
なおも否定するフェリペを弥堂は表情一つ変えずにもう一度殴った。
「そうか。裏切者じゃないのか。それならやっぱりスパイだな」
「ニ、ニホンゴがツウじないのか……ッ!」
「裏切ったわけじゃないのなら、最初から敵だったってことだろ? つまりスパイだ。貴様、五体満足でいられると思うなよ」
「メ、メチャクチャだ……!」
また弥堂が行った暴行がミラーの目に映る。
「こ、こんなこと……ッ」
手からはフェリペの混乱と動揺が激しく伝わってくる。
もしも自分自身の感情を見ることが出来たら、きっとこれと同じなのだろうと思った。
目の前で行われている蛮行。
このような前時代的で非人道的なやり方は決して許されない。
紛れもなく、この行為は拷問だ。
「おい、早く答えろよ。なに無視してんだ」
弥堂が変わらぬ調子で問い詰める。
フェリペは咳き込んでしまいすぐには答えられない。
弥堂はそれを罰するためにまた彼を殴った。
「ま、マテ……ッ! 血が……、口に……ッ!」
フェリペは掌を向けて懇願する。
最初の膝蹴りで既に鼻の骨が折れており、止まらない鼻血が口に流れ込んで上手く喋れないようだ。
「血だと?」
(こ、このガキ……ッ!)
フェリペは心中で激昂する。
下手に抵抗や反撃をすると尋問で不利になると思って大人しくしていた。
だが、まるで止まない弥堂の暴力の前には反撃に出る隙もなかった。
ダメージは着実に蓄積し、それと共に歯向かう気概も目減りしていく。
彼はまだそれを自覚していなかった。
弥堂はジロリとフェリペの顔を見下ろす。
鼻がひん曲がって激しく出血していた。
「なんだ? 折れてんのか?」
「ア、アァ……ッ! このままジャまともに受け答えも出来ナイッ! 先に治療を受けさせてクレ……ッ!」
「マッドドッグ。彼の言うとおりよ。こんなやり方は認められないわ」
彼の申し出をミラーも後押しする。
フェリペは表情に出さぬように内心でほくそ笑んだ。
(こんなイカレた拷問に付き合ってられるか!)
治療に乗じて脱出を目論む。
だが――
「――それなら問題ない」
「え……?」
冷たい蒼が内心を見透かすように光る。
「痛いか? だが、安心しろ」
「ナ、ナニ……?」
そう言ってくる男の眼は、まるで他人に安心を齎す類のモノではなく、フェリペに悪寒が奔る。
「俺が治してやるよ――」
言いながら弥堂の手が無造作に近づけられる。
弥堂は親指と人差し指でフェリペのひん曲がった鼻を雑に摘まみ、そしてそれを捩じって無理矢理元に戻そうとした。
「ギャアアァァァァアァ……ッ⁉」
途端にあがるフェリペの絶叫を無視して、弥堂は鼻を摘まんだままスイッチの調子を確かめるように左右にパキパキと動かす。
「ぐらついてるな。かわいそうに。助けてやるよ」
「ヤ、ヤメ……ッ!」
弥堂は床に眼を動かし、足元に落ちていたボールペンを拾う。
カチリと――やけに大きく聴こえたノック音がフェリペの耳に届いた。
弥堂は突出したペン先をフェリペの顔に向ける。
ゾッと――先程よりも強い悪寒がフェリペとミラーの背筋に奔る。
「マ、マサカ……?」
「骨折したら添木が必要だよな」
「マ、マテ、ヤメ――ギャアアァァァァ……ッ⁉」
弥堂はフェリペの首を掴んで締め上げて動きを封じると、ボールペンを彼の鼻の穴に突き入れて一切の手加減なく奥まで押し込んだ。
ミラーは反射的に目を背けた。
しかし、それも1、2秒のこと。
恐る恐る目線を戻すと、皮膚を突き破って飛び出たペン先が目に入る。
ミラーはその先端から目を離せなくなった。
触れている手からは非道な行いを受けた者の痛みや恐怖が伝わってくる。
本気で死の接近を間近に感じた人間の感情。
初めて見る感情とその動きだった。
「お前が動くから手元が狂っただろ。何故俺の邪魔をする?」
「…………ッ!」
弥堂が彼の首から手を離すと、フェリペは両手で顔面を抑えて蹲る。
何も答えられない。
彼の足の間にはボタボタと血が落ちて溜まっていった。
ミラーは弥堂を止めなければと考える。
だが、蒼白になった顔はただ唇を開いただけで、声が、言葉が出てこない。
邪魔をしたらあの暴力が自分へ向くのではという本能的な恐怖があった。
彼女は軍人ではない。
FBIに所属していたこともあったが、彼女の主な仕事は内勤で行える捜査と容疑者の尋問が主だった。
こういった暴力がぶつかる現場から連れてこられた者を、安全な環境で問い質すことしかしてこなかったのだ。
今回の任務ではそういった現場を経験することになると彼女も覚悟をしていた。
だが、想定外のタイミングで想定外の事態としてそれが起こったがために、思考や判断が全く追いつかなかった。
こういった現場でのみ生きてきた者は常にその先を行く。
弥堂を止めるためには射殺するしかない。
だが、その判断どころか発想にも、ミラーはまだ至っていなかった。
弥堂はさりげなく視線を動かして周囲を確認する。
“G.H.O.S.T”の隊員たちは、ミラーだけでなく動揺して放心しかけている者が多い。
正気を保っているのは一人だけ――秘書官の隣に立つ護衛だけだ。
(素人どもが)
どうやらダニーが言っていたとおり、本当に実戦経験のある戦力が少ないようだ。
もしかしてアメリカという国としては、大して重要視していないんじゃないかと疑いを持つ。
“G.H.O.S.T”という部隊も。
福市博士や“賢者の石”も。
本当にそれらが重要なら、“G.H.O.S.T”に回す実戦経験のある軍人などあの国ならいくらでもいるはずだ。
(そうか、スパイか)
それを気にし過ぎたために、本来より余計に使える人員が少ないのかもしれない。
そういう風にも考えられる。
だが、いずれにせよ、この場で答えが出るわけではない。
今は弥堂にも就職先よりも優先させる作業がある。
それらを考えるのは全て今日を生き残った後だ。
「さて、尋問を続けるぞ――」
床に拡がる水溜まり程度の赤では、揺れない蒼い焔を消すことは出来ない。
自分が今どんな状態にあるかもわからずに、壁に凭れたままフェリペはそんな絵が見えるということだけを認識していた。
自分が今壁に凭れているということも当然わかっていない。
(な、なにが……?)
起こったのか――
バラバラに繋がりを断たれた記憶と認知の整合性を取り戻そうとする。
スパイである自分たちの身の安全に不安を覚え。
仲間であるシェキルと言葉を交わし。
そうしたら足元にペンが転がってきて。
それを拾うように日本人に頼まれた。
そして上体を折ってそれを掴み顔を上げたら――
(――ッ⁉ スタングレネードじゃない……ッ)
突然強い衝撃を受けて視界が真っ白になり、意識がとんだ。
あまりに一瞬で意識が混濁したのでそのように錯覚したが、そうではない。
自分は打撃を受けたのだ。
そう認識したら、ダラダラと垂れた鼻血が顎を伝って落ちていく感触にも気が付いた。
意識と思考がハッキリとしてくる。
(シェキルはどうなった……)
それから仲間の安否のことに思い至った時、またさらに気が付く。
(――ッ⁉)
冷たい無貌の瞳の灯った蒼銀が、自身を見下ろしていることに。
その蒼に熱は無い――
「――サイコメトリーの正しい使い方……?」
今しがた言われたことを、ジャスティーヌ・ミラーは口の中で反芻する。
それを言った本人である日本人の男はまるでミラーから興味を失くしたかのように顔を背け、何も答えない。
彼が身体を向けたのは、壁に凭れているブラジル人の隊員だ。
スパイ認定をされ暴行を受けてグッタリとする男。
その男の前に立った弥堂 優輝は魔眼を蒼く光らせた。
【根源を覗く魔眼】――
――魔素や魔力の動きを視覚化出来る“加護”。
弥堂のそれはさらに特別で、人間には知覚出来ない――どころか、その存在すら知られていない霊子という最小物質を観測出来る。
霊子とは全ての物質の根幹となるモノで、この『世界』でカタチを得る為に『世界』から分け能えられたモノだ。
霊子に様々な不純物が結びつくことで物質化し、それらが集まって物体となり、存在することになる。
その存在がどのようなカタチになるかと規定する設計図がある。
それが“魂の設計図”だ。
生物でも非生物でも、どんな存在にも必ずあるその霊子で編まれた設計図を弥堂は視ることが出来る。
つまり、それが弥堂の云う「魂が視える」ということの意味だ。
ちなみに、その“魂の設計図”はただカタチが視えるだけで、そこに何が書かれているのかという詳細な意味は弥堂には読み取れないし理解出来ない。
そして書き換えるなどということも当然出来ない。
だが、憶えることは出来る。
他人の“魂の設計図”が視えるように、弥堂には自分自身の“魂の設計図”も視える。
他人のものは読み解くことは出来ないが、自分のモノは少しだけそれが出来る。
その最たる例が“記憶”だ。
弥堂は自身のこれまで見聞き知覚し経験した全ての出来事物事を、自身の“魂の設計図”に蓄積された記憶部分の記載を視ることで、正確に思い出すことが出来るのだ。
たまに自分が何を憶えているのかが認知上から外れて忘れてしまうことはあるが、思い出そうとしさえすれば100%の精度で必ず思い出せる。
それが弥堂の記憶能力の仕組み。
忘れないではなく、思い出せる能力。
それは思い出そうとしなければ忘れることもあるという意味だ。
何年も前の出来事を全て常に認知上に並べておくことは不可能なので、何を思い出せばいいのかわからなくなったり、思い出そうと発想出来ない時もある。
それは弱点だとも云える。
しかし、たった数日前の出来事なら話は別だ。
弥堂は魔眼に映った“魂の設計図”と、3日前の5月2日に目撃した“魂の設計図”を照合して、完全に一致すると判断した。
先程弥堂が不意打ちを仕掛けて無力化したこのブラジル人の男には見覚えがある。
正確には彼の“魂の設計図”に。
5月2日の希咲 七海との偽デート中――
カフェで食事をしている際に妙な外国人がテーブルに乱入してきた。
恐らくイタリア人だと思われるその男は、通りの方から仲間に呼ばれて立ち去って行った。
その男から弥堂は自身にも馴染みの深い“戦争のニオイ”を感じとった。
仲間と合流した男が立ち去っていく際に、弥堂は視た。
雑踏に紛れながらその男たちの集団にバラバラに着いていく同じニオイのする連中を。
その時に、そいつらの“魂の設計図”を一つ一つ全て憶えておいたのだ。
全て今この時のために――
――では、当然ない。
偽デートの前日に、行きつけのBARで『外人街が美景に傭兵団を呼び込んだ』という情報を買った。
たまたまそれっぽいのを見かけたから何となく憶えておいただけだ。
街で彼らを見掛けた時には現在従事中の仕事を受けてもいなければ、清祓課や“G.H.O.S.T”に“賢者の石”のことを知りすらしていなかった。
だからそれらは――
(――運がよかったな)
――ただそれだけのことだ。
しかし、それはそれとして――だ。
弥堂はスパイをジロリと見下ろす。
これもまた当然のことだが――
弥堂には彼らがスパイだということを証明する物的な証拠の持ち合わせなどはない。
日本とアメリカが共同で要人を海外のテロリストから守るという状況。
外人街が傭兵団やカルトを呼び寄せたという情報。
ほんの数日前に外人街の近くでそれっぽいヤツらを視たという人証。
そのそれっぽい連中が“G.H.O.S.T”の中に居たという情状。
全てはこれらを踏まえた上での状況証拠で、推測に過ぎない。
そう考えられる可能性は高いが、そうでない可能性もそれなりに残る。
先程ミラーによって否定はされたが、彼らが何らかの“G.H.O.S.T”の任務を負って外人街近くにいた可能性だってあった。
だが――
(本当に運がいい)
仮に彼らが全くの潔白だったとしても、そんなことは弥堂には全く関係がない。
目の前にスパイのレッテルを貼れる人間が居て――
そう出来るだけの材料があって――
そうすることで自身の得になるのなら――
(――手柄にしない理由はない)
魔法少女を巡る悪魔との戦争が終わった後、弥堂はすぐに次の戦いを考えた。
戦争が終わっても必ず次の戦争が始まる。
異世界でそれを学んだ。
魔王級に匹敵する強力な“神意執行者”――
それが水無瀬 愛苗という存在であり、この世界における彼女の価値だ。
各国家や権力組織が放っておくわけがない。
彼女を害そうとするモノ、それから彼女を取り込み利用しようとする全てのモノから彼女を守る。
それが弥堂の目的なわけだが、初っ端から全世界を相手に敵対をすることは流石に避けたい。
だが、それらに恭順をしないということは敵対をするということだ。
最終的には人類を皆殺しにすることにもしかしたらなってしまうかもしれないが、それは最終選択で最終決戦だ。
そこに至るまでの間、一時的にいずれかの国や組織に属することも当然選択肢として考えている。
仮にそうするのならば、その相手はなるべく一番強いモノが望ましい。
そして、なるべく弱くない立場を得られることが望ましい。
アメリカという世界一の大国。
その国の機関である“G.H.O.S.T”。
人材不足で野心があり、そこにつけ込める。
うってつけの寄生先だ。
オカルト関連では他の国の組織の方が古く強いのかもしれない。
だが、そういった組織は現状戦力で事足りているとも謂える。
そこに身を寄せても自分たちの立場は弱くなり、いいように使い潰されるのが関の山だ。
サイコメトリー程度の能力者が指揮官になれるのなら、“G.H.O.S.T”の方が芽がある。
そういった超常現象を扱うウラの組織同士で抗争をすることがあるのかはまだわからない。
だがオカルトを世界ぐるみで秘匿している以上は、それらの組織の力関係がオモテの社会に強く影響することはそれほど無さそうにも見える。
でなければ、オカルト後進のアメリカが世界トップになることはないし、それを維持することも出来ないはずだ。
アメリカで成り上がれれば、いざとなれば愛苗の力を使ってホワイトハウスを物理的に乗っ取り、世界中に核ミサイルを落としてやることだって出来るだろう。
2、3国ほど焼いてやれば多くの国が素直になるはずだ。
仮に核を撃ち返されたとしても、愛苗の魔法でならどうにかなるだろう。
もちろんそれを行う時には、愛苗を騙し彼女の力を利用することになる。
だが、それは彼女を守るための行いなので無条件に正当化される。
彼女を守ることが目的であり、その為にすることであるのならば、弥堂の行いはどんな非道な行為も全て正しいことになるのだ。
少なくとも弥堂はそう考えている。
故に、ここでスパイを仕立て上げて自身の有用性を示すのは、愛苗を守る為の営業活動になる。
(始めるか)
アメリカンビッグドリームを信じた愚かな日本の若者は、見覚えのある“魂の設計図”を映した瞳の魔力を私利私欲でギラつかせた。
「おい、銃口の向ける先を間違えているぞ――」
チラリと部屋の奥へ眼を遣り、そう声をかける。
今も弥堂へ銃を向けたままだった武装隊員たちは逡巡し、ミラーを見た。
ミラーもやはり少々逡巡し、だが彼らへ頷いた。
そして、弥堂へ向けられていた銃口が下ろされる。
それを見て弥堂は「ふん」と鼻を鳴らし踵を返す。
目を茫洋とさせたままのフェリペに向きなおると同時に、彼の顔を横から蹴りつけた。
「おい、いつまで寝たふりをしている。クズ野郎」
「――グッ……⁉ ガッ……!」
靴裏を何度も彼に叩きつけながら尋問を開始した。
「ヤ、ヤメロ……ッ!」
「あ? テメエ今なんつった? 何で俺に命令をした? お前は誰だ?」
手を突き出して制止しようとしてくるフェリペを弥堂はさらに蹴りつける。
「グッ⁉ な、なんでコンナ……ッ⁉」
「『なんで』? 今『なんで』と言ったか? 何勝手に俺に質問してんだ? 質問をするのは俺だ。常にな」
「ギッ……⁉ ギィァ……ッ!」
「お前は俺の聞いたことに馬鹿みたいに『YES』とだけ答えればいいんだ。お前が質問をするな。立場を弁えろ」
「だ、だがッ……、オマエは質問ナンテ……ッ!」
「テメエが邪魔をするからだろ? お前俺をナメてんのか? あ?」
「グァッ⁉ だ、だったら早く、質問をシロォ……ッ!」
因縁をつけながら暴行を続ける弥堂に堪らずに、フェリペはそう叫ぶ。
その瞬間、弥堂の暴力はピタっと止んだ。
「おい、エマ。聞いたな? こいつの方から『尋問をしてくれ』と頼んできたぞ。仕方ないから俺がやってやる。ちゃんとそう記録しておけよ」
「…………ッ」
横目だけ振り返らせ秘書官のエマにそう命じるが、彼女は信じられないものを目の当たりにしたかのように茫然と目を見開いていた。
弥堂は彼女の返事になど関心を持たず、フェリペへ向き直る。
「さて、『なんでこんなことをする?』、お前はそう言いたかったのか?」
「ソ、ソウダ……ッ! 何故いきなり、こんな――」
「――あ? 知るかよ。なんでテメエは俺に殴られてんだ?」
「ハ……?」
「俺に殴られるようなことしてんじゃねえよ。ケンカ売ってんのかクソ野郎」
「な、なんだと……ッ⁉」
飛びかけていた意識がハッキリとしてきて、フェリペは必死に気を落ち着かせようとしていた。
だが、目の前の男の物言いに余計に動揺する。
フェリペには自分がスパイである自覚がある。
だから尋問を受けることになった際の覚悟や心構えのようなものはあった。
だが今自分が受けているものは、想定していた正規の軍や警察組織が行うような類の尋問ではなかった。
まるでチンピラやマフィアのようなやり口。
そうでなければゲリラ軍だ。
「おい、この野郎。お前なにか心当たりがあるんだろ? それを自分で言ってみろよ」
「な、ない……ッ! オレはナニも……ッ!」
「あ? じゃあなんで俺に殴られてんだよ。俺が悪いってのか? ナメてんだろテメエ」
「そ、そんなこと言われテモ――」
「――うるせえんだよ」
「ガッ――」
弥堂は再び相手の顔面に拳を打ち付ける。
先程のように芯を打ち抜いて意識を奪うような打ち方ではなく、ただ痛みを残すためだけの打撃だ。
「や、やめなさいマッドドッグッ!」
我にかえったミラーが厳しい声を発する。
弥堂は気だるげに首を動かして彼女を視た。
その異なる瞳に視つめられると、ミラーは怯んでしまう。
「なにしてんだお前?」
「え……?」
「さっさとこっちに来い」
「な、なんですって……?」
「早くここに来てこいつの手を取れ。能力で読めよ」
ミラーは少し迷い、弥堂の言葉に従う。
このまま彼の違法な行為を許すよりも、自分が参加して尋問を行った方が遥かにマシだと考えたからだ。
フェリペの前でしゃがみこんで拳を握っている弥堂の隣まで行き、ミラーも膝を床に着けようとする。
弥堂は左手でフェリペの右手をとった。
「な、なにを……?」
まるで恋人が手を繋ぐようにして掌を合わせて指を絡める。
その様相を見てミラーが眉を顰めた瞬間――
弥堂は【身体強化】の刻印を起動させた。
フェリペの指の付け根に押し当てた自身の指を彼の拳の間に捻じ込みながら手首を返す。
そうしながら魔術で強化された力で無理矢理握りこんだ。
「――ギャァァァァ……ッ⁉」
パキっという渇いた音が絶叫に掻き消される。
真ん中3本の指を強引にヘシ折った。
弥堂は素早くその手を離して次に手首を掴む。
フェリペの親指の付け根の自身の親指を押し当てながら手首の返しと共に強く握りこんで手首も折った。
今度は絶叫しかミラーの耳には聴こえなかった。
「掴め」
「…………」
弥堂に命じられてミラーは目の前に差し出されたモノを見る。
支えを失ってプラプラ揺れる手。
指は半分以上があべこべな方向を向いている。
「早くしろ」
もう一度命じられて、ミラーは呆然としたまま従ってしまった。
(ダニーの言った通りだな)
その様子を視ながら弥堂は心中で呟く。
指揮官からしてこれだ。
どうやら本当に人間同士の修羅場には慣れていないらしい。
正気に返られても面倒なので、さっさと進めることにする。
「おい。お前スパイだろ?」
「チ、チガウ……ッ!」
(へぇ……)
“G.H.O.S.T”の体たらくとは対照的に、フェリペは突然大した理由も告げられずに骨を折られても、それでもしっかりと答えを返してくる。
相手の方がよっぽど場慣れしている――弥堂はそう見積もった。
そして、もう一度顔面を殴りつける。
「グァ――ッ⁉」
「嘘吐いてんじゃねえよ。ジャスティン、読め」
「え――」
ミラーは反射的に能力を使った。
そして――
「……激しく動揺しているわ」
その判定を聞くとともに、弥堂はもう一度フェリペを殴る。
「おい、テメエ。なに動揺してんだ。嘘吐いてるからだろ? 疚しいことがあるんだろ? どうなんだ?」
「ま、まちなさい……ッ!」
問答になっていない弥堂の尋問にミラーが口を挟んだ。
「こんなやり方じゃ感情を読んだって……!」
「ソ、ソウダ……ッ! いきなりこんなことサレたらダレだって動揺スル……ッ! オレにはナニがナンだかワカラナイ……ッ!」
すると、それにフェリペが便乗してくる。
弥堂は「ちっ」と舌を打って、そしてまた彼を殴った。
「マッドドッグ!」
「うるさい黙れ」
「彼の言うとおりよ! こんなに動揺させた状態じゃ嘘かどうかなんて判定できないわ!」
「嘘の判定など必要ない」
「え?」
「いいから黙って見てろ。能力は解除するなよ」
「ア、アナタ一体なにを……」
ミラーへはそれ以上何も言わず、弥堂はフェリペの胸倉を掴んで首を絞める。
「おい。貴様スパイじゃないのか?」
「チ、チガウッ! 頼む! 信じテクレ……ッ!」
「いいぞ」
「え?」
「信じてやると言ったんだ。どうだ? 俺は優しいだろ?」
温度の無い蒼い瞳、動かない表情のまま、弥堂は口の端だけを不自然に持ち上げて見せた。
わけもわからずフェリペは釣られて愛想笑いを浮かべてしまう。
すると――
「笑ってんじゃねえよクズ」
「グァッ――」
弥堂は胸倉を掴んだ手で叩きつけるようにしてフェリペを壁にぶつけた。
「スパイじゃないんなら貴様は裏切者だ」
「グッ……、な、なにを言っテ……⁉」
「おい。裏切っただろ? 言ってみろ」
「ぅぐッ……! チ、チガウ! オレは裏切ってなんか――」
「あ? じゃあやっぱりスパイじゃねえかこの野郎」
「ビギィッ……⁉」
弥堂はまた暴行を再開する。
「マ、マッドドッグッ! アナタなにを言っているの⁉」
「手を離すな。サイコメトリーは?」
止めようとしてくるミラーに弥堂はあくまで事務的に判定を問う。
「感情は変わってない! こんなに乱れた状態じゃ――」
「――そうか。どうでもいい。おい、裏切者。覚悟は出来ているんだろうな?」
「マ、マテッ! 話をキケ……ッ! オレは裏切ってナイ……!」
なおも否定するフェリペを弥堂は表情一つ変えずにもう一度殴った。
「そうか。裏切者じゃないのか。それならやっぱりスパイだな」
「ニ、ニホンゴがツウじないのか……ッ!」
「裏切ったわけじゃないのなら、最初から敵だったってことだろ? つまりスパイだ。貴様、五体満足でいられると思うなよ」
「メ、メチャクチャだ……!」
また弥堂が行った暴行がミラーの目に映る。
「こ、こんなこと……ッ」
手からはフェリペの混乱と動揺が激しく伝わってくる。
もしも自分自身の感情を見ることが出来たら、きっとこれと同じなのだろうと思った。
目の前で行われている蛮行。
このような前時代的で非人道的なやり方は決して許されない。
紛れもなく、この行為は拷問だ。
「おい、早く答えろよ。なに無視してんだ」
弥堂が変わらぬ調子で問い詰める。
フェリペは咳き込んでしまいすぐには答えられない。
弥堂はそれを罰するためにまた彼を殴った。
「ま、マテ……ッ! 血が……、口に……ッ!」
フェリペは掌を向けて懇願する。
最初の膝蹴りで既に鼻の骨が折れており、止まらない鼻血が口に流れ込んで上手く喋れないようだ。
「血だと?」
(こ、このガキ……ッ!)
フェリペは心中で激昂する。
下手に抵抗や反撃をすると尋問で不利になると思って大人しくしていた。
だが、まるで止まない弥堂の暴力の前には反撃に出る隙もなかった。
ダメージは着実に蓄積し、それと共に歯向かう気概も目減りしていく。
彼はまだそれを自覚していなかった。
弥堂はジロリとフェリペの顔を見下ろす。
鼻がひん曲がって激しく出血していた。
「なんだ? 折れてんのか?」
「ア、アァ……ッ! このままジャまともに受け答えも出来ナイッ! 先に治療を受けさせてクレ……ッ!」
「マッドドッグ。彼の言うとおりよ。こんなやり方は認められないわ」
彼の申し出をミラーも後押しする。
フェリペは表情に出さぬように内心でほくそ笑んだ。
(こんなイカレた拷問に付き合ってられるか!)
治療に乗じて脱出を目論む。
だが――
「――それなら問題ない」
「え……?」
冷たい蒼が内心を見透かすように光る。
「痛いか? だが、安心しろ」
「ナ、ナニ……?」
そう言ってくる男の眼は、まるで他人に安心を齎す類のモノではなく、フェリペに悪寒が奔る。
「俺が治してやるよ――」
言いながら弥堂の手が無造作に近づけられる。
弥堂は親指と人差し指でフェリペのひん曲がった鼻を雑に摘まみ、そしてそれを捩じって無理矢理元に戻そうとした。
「ギャアアァァァァアァ……ッ⁉」
途端にあがるフェリペの絶叫を無視して、弥堂は鼻を摘まんだままスイッチの調子を確かめるように左右にパキパキと動かす。
「ぐらついてるな。かわいそうに。助けてやるよ」
「ヤ、ヤメ……ッ!」
弥堂は床に眼を動かし、足元に落ちていたボールペンを拾う。
カチリと――やけに大きく聴こえたノック音がフェリペの耳に届いた。
弥堂は突出したペン先をフェリペの顔に向ける。
ゾッと――先程よりも強い悪寒がフェリペとミラーの背筋に奔る。
「マ、マサカ……?」
「骨折したら添木が必要だよな」
「マ、マテ、ヤメ――ギャアアァァァァ……ッ⁉」
弥堂はフェリペの首を掴んで締め上げて動きを封じると、ボールペンを彼の鼻の穴に突き入れて一切の手加減なく奥まで押し込んだ。
ミラーは反射的に目を背けた。
しかし、それも1、2秒のこと。
恐る恐る目線を戻すと、皮膚を突き破って飛び出たペン先が目に入る。
ミラーはその先端から目を離せなくなった。
触れている手からは非道な行いを受けた者の痛みや恐怖が伝わってくる。
本気で死の接近を間近に感じた人間の感情。
初めて見る感情とその動きだった。
「お前が動くから手元が狂っただろ。何故俺の邪魔をする?」
「…………ッ!」
弥堂が彼の首から手を離すと、フェリペは両手で顔面を抑えて蹲る。
何も答えられない。
彼の足の間にはボタボタと血が落ちて溜まっていった。
ミラーは弥堂を止めなければと考える。
だが、蒼白になった顔はただ唇を開いただけで、声が、言葉が出てこない。
邪魔をしたらあの暴力が自分へ向くのではという本能的な恐怖があった。
彼女は軍人ではない。
FBIに所属していたこともあったが、彼女の主な仕事は内勤で行える捜査と容疑者の尋問が主だった。
こういった暴力がぶつかる現場から連れてこられた者を、安全な環境で問い質すことしかしてこなかったのだ。
今回の任務ではそういった現場を経験することになると彼女も覚悟をしていた。
だが、想定外のタイミングで想定外の事態としてそれが起こったがために、思考や判断が全く追いつかなかった。
こういった現場でのみ生きてきた者は常にその先を行く。
弥堂を止めるためには射殺するしかない。
だが、その判断どころか発想にも、ミラーはまだ至っていなかった。
弥堂はさりげなく視線を動かして周囲を確認する。
“G.H.O.S.T”の隊員たちは、ミラーだけでなく動揺して放心しかけている者が多い。
正気を保っているのは一人だけ――秘書官の隣に立つ護衛だけだ。
(素人どもが)
どうやらダニーが言っていたとおり、本当に実戦経験のある戦力が少ないようだ。
もしかしてアメリカという国としては、大して重要視していないんじゃないかと疑いを持つ。
“G.H.O.S.T”という部隊も。
福市博士や“賢者の石”も。
本当にそれらが重要なら、“G.H.O.S.T”に回す実戦経験のある軍人などあの国ならいくらでもいるはずだ。
(そうか、スパイか)
それを気にし過ぎたために、本来より余計に使える人員が少ないのかもしれない。
そういう風にも考えられる。
だが、いずれにせよ、この場で答えが出るわけではない。
今は弥堂にも就職先よりも優先させる作業がある。
それらを考えるのは全て今日を生き残った後だ。
「さて、尋問を続けるぞ――」
床に拡がる水溜まり程度の赤では、揺れない蒼い焔を消すことは出来ない。
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